第27話 エンエムの思惑
──懐かしい、夢を見ている。
月が無い夜だった。
ひたすらに暗い世界を、走っている。
しかもそこは森だ。
星の光さえも遮って、世界から光は消えていた。
だと言うのに、僕はひたすらに走っている。
理由は、果たして何だっただろうか。
そもそも今見ている情景がいつ、どこのものか、ハッキリと思い出せない。
『やめろぉぉーー!』
忘れてはいけない記憶。
そんな気がした。
叫んで向かうのは子供の集団だ。
滝の近く、光虫が集まるそこは格好の集合場所だった。
でも、なぜ僕はそこに、叫びながら向かっているのだろうか。
『うるさいっ! やっちまえ!』
その声を皮切りに、集団の魔の手が僕を襲う。
手始めに繰り出されたのは石の
子供の力とは言え、角張った石が頭蓋に当たれば危険だ。
腕で顔面を庇いながら突進する僕の行動は、ある意味──無謀とも取れるものだったが、躊躇することなく、石の雨に突っ込んだ。
五、六人の集団に入り込み、その一人を薙ぎ倒す。
一頻り顔を殴るが、すぐに仲間に引き剥がされ攻守は交代した。
囲んで殴られ、蹴られ、なす術もなく身体を丸めている。
『やめろー! エイトは、エイトは関係ないでしょ!?』
女の子の声が聞こえる。
集団に一方的に
なぜこんな行動に走ったのか、どうしても思い出せない。
この無謀な行動も、
集団に
女の子の声も、大切な忘れてはいけない何かだったはずなのに。
でも──その時に、心の声が
──正義は僕であり、
その声は僕とは思えない冷えたものだった。
──悪は彼らであり、
しかし、言葉に説得力はあった。
いつもならしないような行動を、取らせるだけの何かが、そこにはあった。
──救う事は悪じゃない。
『うぉぉぉぉぉぉっっっ!!!』
叫んだ時、心に何かが生まれた気がした。
そいつの名は────
--
「─────────」
懐かしい夢を見て、目を覚ます。
汗が酷く、身体がベタついている。
動悸も酷い。寝起きだと言うのに、走った後のような脱力感だ。
いや──夢では実際に、走っていたか。
「────何だったんだ……今の」
身体を起こす。
ここは僕の部屋だ。
間違いない、簡素で飾り気のない部屋だが、机の上のブサイクな妖精の人形がその証拠だ。
「──アレは、一体」
夢で見た風景は確かに知っている。
村外れにあった子供の遊び場たる森だ。
ツツリとの鍛錬にもよく使われた慣れ親しんだ場所。
だが何故だろうか。
夢で見た大勢の子供達に
確かに僕は
しかしそれは、子供特有の軽い悪戯だ。
石を本気で投げつけて来たり、集団で囲んで殴ってくるような過激なものではなかったはず。
なかった、はず、なのだが。
あまりの現実感に手が震えている。
汗や動悸もその証拠だ。
確かにあの出来事はあった。
でもそれを、僕が忘れているのだ。
「……今度、ツツリに聞かないとな」
ツツリであれば何か知っているかもしれない。
今まで気にした事は無かったけれど、僕の記憶に欠損があると言うのならば、保全するのが最善だ。
でも、一先ずは、
「今日の授業だな……気乗りしないけど」
大きく伸びをして、授業に行く準備をする。
今日はやる事が沢山あるのだ。
まずは──一件目の用事を済ませなくてはならない。
---
最高級の木材を使用した家具が並び、超貴重書物が本棚には飾られ、マットとして引かれるS級魔物の毛皮に、壁に飾られた鹿の頭。
窓から射す陽光は本来、建築家達の特殊加工により夕焼け色に染まる筈だが、朝に至ってはその限りではない。
エンエムは好んで朝のみ、夕焼け色に染めず日の出を拝んでいる。
それが彼の日課だからだった。
今日も職務を始める前、窓の前に立ち、登る太陽を観察する。
神聖な日課を
その教頭の部屋の扉を小さく誰かがノックした。
「どうぞ」
「はい。失礼します」
扉を開けて入ってくるのは茶髪に低身長、目立った特徴のない平凡な男、エイトだ。
そんなエイトを待ち侘びていたエンエムは、
「おお、エイト君か。さぁ、座りたまえ」
大手を広げて迎える。
エイトも憧れのエンエムと二人っきりの空間になるのは、スカイディアを案内してもらった時以来だ。
自然と緊張が身体を強張らせ、ぎこちない動きになる。
「ははっ。そう緊張せずともいい。楽にしたまえ」
「は、はい。では、失礼します」
エンエムの指示に従って、ソファーに座り対面する二人。
紅茶は既に用意してあったのか、はたまた朝のティータイムを楽しんだ後だったか。
来客用の机に置いてあるティーポットから、カップに紅茶を注いでエイトの前に置いた。
「あ、い、いえお構いなく……」
「そう言うな。私が気にいる紅茶だ。君も、きっと気にいるだろう」
「そ、そうですね。前回もロア先生に頂いて……はい、とても美味しかったです」
「そうか! それは良かった。今回も是非、一口」
「は、はは……ありがたく頂きます」
紅茶が褒められた事が余程嬉しいのだろう。
エンエムは満面の笑みで紅茶を勧めてくる。
こうした様子だけ見れば、ただの豪邸に住む小説家のおじさんみたいな雰囲気が漂うが、彼は亡滅のエンエム。
生物を、こと殲滅することに関しては誰よりも秀でた人物だ。
誰よりも殺すことに長けた人物。
だからこそ、最も勇者に近い男。
それが、エンエムである。
エイトも憧れの男を前にして萎縮していると言うよりは、二次試験を経て、何を考えているのかいまいち判断出来ない人物まで昇華されている。
勇者に最も近い人物として尊敬してはいるが、その思想には賛同しにくい。
と、いった印象は変わらない。
「さて。今回わざわざ君をメールで呼び出した件についてだが、それは師匠の件についてだ」
エイトが一口紅茶を飲んだところでエンエムが切り出した。
「今回、次の試験に向けて更なる経験値稼ぎと考え、師匠というシステムを実行したのだが……君はもう、師匠を決めただろうか?」
「え、えっと……まだ正式に申請は出していませんが、一応候補は決まってます」
「ほう……では、まだ私にもチャンスがあるというわけだな」
「……チャンス? それは一体どういう……」
エイトは首を傾げながら恐る恐る訊いた。
なぜなら、エイトが理解している事が正しければそれはつまり──
「私が君の師匠になりたいと、そう申し出ているのだ」
「……ぶっっ!!? あ、貴重な紅茶が……え、エンエムさんっ!!? ご、ごめんなさいぃっ!!」
予想だにしない提案に吹き出してしまった紅茶は、エンエムが正面から受け止める形となった。
朝から整えたのであろう髪がすっかりグショグショに濡れて台無しに。
エイトは必死に腰を曲げ謝意を証明する。
「はは。気にしないでくれ。よくロア君にも足をがつまづいた拍子に紅茶はかけられているのでね。慣れたものさ」
と、本当に日常茶飯事なのか、大量のハンカチをポケットから取り出しては顔を拭き、最終的には髪型も元通りになっていた。
「な、難儀してますね……」
「まぁ……天然だからね。仕方ないと諦めたよ」
エイトもツツリの無茶振りに躍らされ、よく被害を受けていたから、ある意味同じ類の被害者だと共感する。
エンエムは気を取り直し、
「で、だ。私の申し出、どうだろう? 私の弟子になるつもりはないかね?」
「エンエムさんの弟子……ですか」
「あぁ。この亡滅のエンエム。弟子をとったことは一度もない。つまり君が初めての弟子となるわけだ」
「初めての弟子……」
既に人類の英雄視されている男の弟子になれる。
それはつまり、勇者になる為の片道切符を貰ったも同然の誘いだ。
勇者学園の候補生であるならば、即首肯するレベルの話。
しかも、あのエンエムの“初めて”の弟子になれるという響きは、言いようもない甘美な称号だ。
だが、エイトは、
「申し訳ないです……。非常にありがたいお話ですが、僕は先約の先生との約束があるので、そちらを優先させていただいてもよろしいでしょうか?」
と、小さくかぶりを振った。
エンエムは少しだけ驚いた。
理由はもちろん断られるなど微塵を想像していなかったからだ。
だが、エンエムはその答えに対して、
「あぁ。分かったよ。約束ならば仕方ない。私が君という人材を即座にスカウトしなかった事が問題だ。それを考えるとその教師は随分目敏いと見える」
潔く引き下がるのは理由もあるが、少なくともエンエムは、自身の言葉は事実だと受け止めていた。
ロアと話したあの時、師匠のシステムを考案したあの時に動くべきだったのだ。
動くタイミングを見計らった自身の過ちであることは間違いない。
「そ、そんな……。僕なんかランキング最下位ですし、魔力適性もゼロで、魔法段階もまだ
「謙遜だな。一次試験ではあのデッドリームを退け、二時試験では最も厄介とされた魔人をも討伐せしめたのだ。もっと胸を張って良いのだよ」
「あ、ありがとうございます」
「して、その栄えあるエイト君の師匠に選ばれたのは、一体誰なのだろうか?」
今回、エンエムの真なる目的は正体不明であり、底が知れない能力を持つエイト・クラールハイトの監視と調査。
であれば、別に自身の目で確かめなくても構わないのだ。
もちろん、自分の目で彼の内在する才能を全て探れたのであれば一番良かったのだが。
そのめでたくエイトの師匠として確立した教師に、エイトの調査レポートを書かせれば良い話だ。
この学園のほぼ全ての教師はエンエムを尊敬し、彼の言葉に疑いの心を持たない。
適当な理由をつけて調査書を提出させればそれで済む。
エンエムの計画には抜かりがなかった。
「はい。
抜かりが、なかった筈なのだが。
一番予想だにしない名前が出て、エンエムは絶句した。
シュヘル・ヘルブリーダー。
禁忌に手を出し、呪具を作ったと魔術道具学会から追放され、表舞台から姿を消した謎の女。
だが問題は、
人の命令に絶対従わない、自分至高主義の研究者である事が問題だった。
「よりにもよって……シュヘル……ヘルブリーダーだと……!」
「え、エンエムさん……?」
この学園に存在する唯一エンエムの言う事を聞かない教師。
力技で捩じ伏せようとも、彼女の魔法はエンエムの力に匹敵するものである為、戦闘など起こせば最悪スカイディアが消し飛んでしまう。
だからこそ、彼女には最も狭く、スカイディアの端の部屋を分け与えた。
なるべく互いが干渉し合わないように。
だと言うのに、肝心な時に邪魔をしてくる。
教頭の特権を使い、師匠を二人まで増やせる、というルールを作っても多少の融通は利くだろう。
しかしもし、魔術正教の総司祭、この学校の実質的な校長に目をつけられるような事態だけは避けなければならない。
だからこの場合は、シュヘルになんとしても調査書を提出させなければならないが──恐らく無理だ。
拳に力が入り、全身から膨大な
部屋は勝手に振動を始め、上昇する怒りに比例するように揺れが発生する。
ティーカップの紅茶が暴れて、机に溢れた辺りでようやく、
「エンエムさん!!」
エイトの声で我を取り戻した。
揺れは止まる。
「あ、あぁ……すまない。気が動転、してしまっていたようだ……」
「え、えっと……差し出がましいかもしれないですが、シュヘル先生と、何かあったんですか?」
何かあったのか。
そう問われれば何もない。
彼女には初めから何もないのだ。
あるのは興味ある事柄だけ。
如何に強者であるエンエムといえども、彼女には見向きもされやしない。
彼女の興味は、強さにはないのだから。
「いや……これと言ったものはないよ。では、その受理もここで済ませていくか?」
「え! 良いんですか?」
「あぁ。どうせこちらに回ってくる仕事だ。ここで終えた方が手っ取り早いだろう」
「は、はい! ではお願いします!」
そうして、エイトとシュヘルは師弟の関係となった。
書類に判子を押す時、いつも以上に力が入ったのはきっと、気のせいではない。
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