第22話 幼馴染登場

 


 生暖かい水に浸かっている。

 息は出来る、鼓動もしている。

 しかし思考は、朧げだ。

 考えているようで、実際、何も考えていないような、そんな錯覚に囚われている。


 泥のような闇。

 それが視界一面を占める正体だった。

 この自堕落な闇に僕は支配され、停滞している。

 闇の海底に沈み込み、なんとか継続している思考さえも放棄しようとしている。


 それは許されないことだ。

 生き物として、考える事をやめてしまえばそれは果たして──人と呼べるのか。


『呼べるだろうよ。一応、形骸けいがい的なものとしては人間だ』


 僕の独白に答えるのは誰だ。


 と、無意識に目を向けたそこに、僕が立っていた。

 姿は僕。

 しかし、目付きは悪く、髪も黒混じりの茶色だ。

 同一人物と一眼で言えないはずなのに、なぜか僕はソイツを、僕だと一眼で断定した。


 ソイツは続けた。


『分かるだろ? 思考を放棄し、他人に全てを委ねるのはとても楽な事なんだ。

 楽で、気楽で、悦楽なんだ。

 怠惰でこそあるものの、人として生きるのにこれ以上の至福はない。三大欲求に比例して例えるならこれは三大罪。

 思考の放棄は罪であるが、最大の幸福である。因みに他は生の放棄と過去の放棄な』


 得意げに指を立てて、ソイツは説明を始めた。


『生きることは辛い事だ。だが死んでしまえば苦しみも悲しみも消える。

 誰にでも辛い過去はあり、背負う事は辛い事だ。だが忘れてしまえば背負う必要はない。

 思考、生、過去、それぞれの放棄はつまり生きる上で最も必要な人の背負うべき業だ。人が人である為のな。

 だからそれを捨てたのなら、真に人ではないかも知れないが……幸せではある』


 だから、形骸的には人間と言ったのか。

 それが人の形をしているならば、例え中身がヒトではなかったとしても、人として生きていくには問題ない。

 胸を張れる生き方でないにしても、人としての生はまっとう出来るとそういう事か?


『あぁ……、お前はこの言葉も忘れちまったんだったな。二度目の理解ご苦労様だ。どちらにせよ、お前の理解は概ね正しい。お前は思考を捨てても構わない。そちらの方が苦しみがなく、幸せなのは火を見るより明らかだからだ』


 でも無理だよ。

 僕は勇者になりたい。


 例え本質的に強い力を持たないものでも、人を救える存在になれると世界に証明がしたい。

 虐げられる人々に、勇気を与えたい。

 だから僕は、胸を張れる生き方じゃないと行けないんだ。


『……その言葉を、よりにもよっておれに使うんだな。お前は』


 ──え?


 ソイツは悲しい顔をした。

 そういえば僕はこいつを知っている。

 この泥の海が僕の思考を停滞させていなければ、思い出せるというのに。

 僕は──今、彼の事を思い出せない。


『お前は既に大罪人だよ。

 ──だって、お前は』


 ソイツの背後から影が飛び出した。

 形作られるのは腕。

 何十、何百と生まれた影の腕が絶え間なく僕の身体を掴み、蝕んでいく。


「な──!? や、やめろぉぉぉぉぉぉっっっ!!!」


 身体が闇に染まっていく。

 意識は欠落を始め、感情は生命の危険に悲鳴を上げる。

 しかし、身体を動かせないこの海での抵抗は赤子にすら劣る。


 身体が闇に包まれて、僕のカケラが消えかけるその瞬間、


『強くなれ。次は──手加減しない』


 ソイツの言葉を最後に、視界が白に埋め尽くされる。


 覚醒して、驚いた。

 見覚えがある部屋だった。

 白一色で固められた清潔感あるこの空間は、医務室。

 チームメイトの連携訓練をした時、よく怪我をしたからお世話になったものだ。


 硬いベッドに寝かされて、カーテンが天井からぶら下がっている。


「ハァ……ハァ……」


 息が荒い。

 身体中の汗がべとついて気持ち悪い。

 どくんどくんと、鼓動が眼球を叩く程だ。


 何か悪夢を見ていたのは覚えているが、何を見ていたのかはハッキリと思い出せない。

 まるでその部分だけ欠落してしまったような、それくらいの喪失感が僕の中にあった。


「……ティア?」


 ──だけど、それを吹き飛ばす寝顔が横にあった。

 可愛らしい寝顔。

 金髪金瞳に幼さが調和すると、これほど化けるか、と一人感心する。


 とはいえ、ティアならば長髪で大人びた顔でもきっと美しい女性になると思った。


 例えるならアヤメ。

 彼女は同年代にしてはとても大人びた印象を与える存在だ。


 彼女を基盤とし、金髪金瞳を当て嵌めていく。


 あぁ……絶対似合うな。

 なんて、一人妄想をしていた時、


「あ……エイトくん……?」


 目を覚ましたティアが、寝ぼけ眼でこちらを見る。

 交差する視線。

 ジッと見つめられる恥ずかしさに耐えられなくなり、僕は思わず天井を見た。


「お、おはよう、ティア。あ、あの、僕はどうして医務室に──」


 オドオドしながら天井とティアを行ったり来たり。

 女の子への耐性が無いのは困ったものだと僕でも思うが、彼女一人いない男は大抵がこんなものだと思う。

 そんな僕に追い討ちをかけるように、


「良かったですぅ! エイトくん!!」


「わ、あわわっ!!?」


 ティアは熱い抱擁をかましてきた。

 フワリと漂う良い匂い。

 柔らかな身体。

 全てが思考を鈍らせる。

 顔はきっと真っ赤っかだ。


「心配しました……三日も目を覚さないので……ってあれ。エイトくん??」


「わ、分かったから、と、とととりあえず離してくれるかなななな」


「分かりました……?」


 小首を傾げながらティアは離れていく。

 寝顔を見ただけで照れているのに抱きつかれなんてしたら口から心臓が飛び出しかねない。

 危うく死ぬところだった。


「それで……僕なんで医務室にいるのかな」


「覚えてませんか? ぼくは直接見てないんですけど、どうやらエイトくんは魔人と戦ってそのまま運び込まれたとのことで……」


「──っ!」


 ティアの言葉に反応し、脳裏に様々な光景が浮かぶ。

 仲間の死体。

 アヤメの傷付く姿。

 鹿の頭蓋骨が頭の魔人に、

 封印していた、アイツ。


 アイツが僕の姿をして暴れ回っている。

 僕よりも、魔法をずっと上手く使いこなして。


 多くの情報を思い出した所為か、急激な頭痛が僕を襲った。


「だ、大丈夫ですか? い、今すぐ先生を……」


「大丈夫だよ……ちょっと、痛んだだけだから」


 ティアが恐る恐る僕の手を握りしめる。

 震えるその手からティアの心配する気持ちが、痛いほど伝わってくる。

 その暖かく優しい気持ちが少しだけ、痛みを和らげた気がした。


 それでも、ただ一つ聞かなければならない事がある。


「死んでしまった……候補生の話は聞いた?」


 僕のその問いにティアは悲しそうに、


「皆、火葬した、って……」


 そう答えた。


 それから色々な話をした。


 チームメイトの再編成は候補生達自らで行い、チームが六人で一つのチームに変更されたことを。

 生き残った生徒それぞれに師匠がつくことを。

 魔人を倒したことが評価され、最下位は逃れたが、寝ている間にまた最下位になったことを。


「試験内容はまだなんだね?」


「まだ三次試験に向けての大まかな動きしか発表されてないみたいです……」


 そういえばと思い出す。

 二次試験は僕が一次試験を終えたと同時に発表された。

 今回も同様であれば、明日にでも試験内容は発表されそうだ。


「ははっ、にしても色々変わったんだなぁ。にしてもよかった……最下位退学じゃなくて」


「ぼくはその、ランキング上位者なので、順位が下がっただけで済みましたけど、エイトくんは元々最下位でしたから……危なかったですね」


「でも結局最下位か。皆、頑張ってるんだなぁ」


 今回の試験でまた多くの候補生が死亡したという。

 であれば今、生き残っている3360人の候補生達は選りすぐりのエリート達だ。

 そもそもの自力が違う。

 僕もうかうかはしていられない。


「目下の目標はチームメイト集めかな。僕らには欠員が二人、プラス一人集めなくちゃいけない」


「そうですね……一応、心当たりも捜してはいるんですが、まだ……」


 僕らのチームはアヤメとティアという二大勢力が揃っている。

 ある意味それを目当てに集まってくる候補生も多いと思ったが、そうでもないらしい。

 きっと僕の最初の心持ちと同じなのだろう。


 六王族セクターは互いに争っている。

 それが二人もいるのだから、今回脱落した二人は六王族セクターに蹴落とされたと考える人もいる筈だ。


 そして僕はあまり人脈がない。

 ティアも……、僕以外と話すところを見ない。


 大きな課題にぶつかった。


 今回、前回のようにチームを先生が決めなかったのは、人を集めるカリスマ性を求めてのことだろう。

 休む暇がなくて困るが、本当に勉強になる学校だ。

 なんとかして、チームメイトを集めよう。


「ですが師匠はちょうど紹介したい人がいるんです! 元気になったら一緒に行きませんか?」


「本当? それはありがたいな」


 師匠、なんて言われても当てはなかった。

 ティアが紹介してくれるというのなら、間違いなく素晴らしい教師の筈だ。


 まずは僕の身体の完治が優先か。

 ティアに迷惑をかけてばかりだ。

 僕のベッド横で寝ていたということはずっと付き添ってくれたという事だ。

 早く恩返しをしていかないと。


 あとアヤメも怪我をしていないか心配だ。

 動けるようになったらまた忙しくなるな────


「ちょっと、いいかな?」


 と、この先のことを考えていた時だ。

 カーテンの裏から声がかけられる。

 白いカーテン越しにシルエットが見えた。

 短いスカート、はどうやら先生ではないようだが……?


「どうぞ」


「チームメイトにお困りのようなら、私を採用してはいかがでしょう──なんてね」


「────っぁ!? お、お前は」


 カーテンをガラッと開けて登場するのは見知った顔だ。


 茶の短髪。

 意地悪な笑顔は小悪魔めいたものを感じさせる。

 活発な雰囲気を纏い、引き締まった身体がそれを証明している。


 背負った三叉槍が特に目立つ、ボーイッシュな彼女を、忘れるはずがない。


「──つ、ツツリ……」


 ティアは僕の横で疑問符を浮かべているが当然だ。


 かつて、僕と共に師範代の元で生活を共にした幼馴染。

 僕と同じ、多対一を専門とする名前無き流派の使い手。


 彼女の名前は、ツツリ・ヴィズィオンハート。

 生涯で最も僕を困らせた、厄介な女の登場だった。

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