第20話 試験終了
揺蕩う意識は、闇という名の深海に沈んでいく。
重く、暗いこの世界に於いて、僕の身体は浮上しない。
延々と闇の海溝に沈むのみだ。
不思議と苦しみはない。
ただ底知れない睡魔が僕を襲う。
あぁ、なるほど。
戦う事を、
考える事を放棄するというのはこんなにも心地良くて、
こんなにも──罪深い怠惰なんだ。
そんな後悔を残して、僕は表舞台から降りていく。
どうか次目覚めた時に、皆が生きていますように……。
---
「アーハッハッハッハァッ!!」
燃え盛る灼熱の森に哄笑が響く。
全ての生命が刻一刻と灰に消える中、新たな参戦者が、高笑いと共に誕生する。
そのあまりに異様な光景に魔人は困惑していた。
「いいぜいいぜ気持ちいいぜ!!
十年ぶりのシャバだぁ、空気を楽しまなきゃ損だよなぁ!?」
倒れたエサが本を開いたその瞬間から全てがおかしくなった。
まるで今まで普通に動いていた人形のネジを逆に回し始めたかのように狂ってしまった。
一体何の魔術か、はたまた魔法か。
どちらにせよ、これが異常事態なのは明白だった。
「思い切り、吸ってぇぇぇぇぇぇ────がホッ、ホッホ……!? あっちぃ!? んじゃこりゃ!」
魔人に人の区別はつかない。
生まれたての彼は、性格や言動で生命を判別しない。
判別するのは
強者になればなるほど強まる、個体を象徴する生命力のようなもの。
それが個体として、純粋で強力なオーラをあのエサは纏っていた。
しかし今は──オーラの強さは増し、比例するように濁りも増した。
「ってぇ……そうか、ここ火の海だったなぁ。チッ、満足に深呼吸もできないなんざ、世界も終わったモンだぜ」
比較的普通な茶髪は黒が混じり、
温厚だった瞳は吊り上がり、
口調は粗暴で荒々しい。
今、魔人の前にいるエイト・クラールハイトは最早別人と言っても良い。
それ程、変異した姿だった。
その
「よぉ、魔人さんよ」
「…………」
「お? ダンマリか? そりゃいけねぇな。折角手に入れた知性だ。有効活用してけ」
「オマエ……は、誰ダ?」
魔人の質問にエイトは首を傾げた。
「そりゃあエイト・クラールハイト……つっても? お前に自己紹介してないもんなぁ
だからわかりやすく言えば、さっきまで戦ってた奴と同じだよ」
「……嘘ダ。オレ……の目は、ごまかせなイ」
「はっは! 生まれたての赤ん坊の分際で、俺の目とかほざくのか! 眼球の“が”の字もないくせによ!」
腹を抱え、指を指し、侮辱するエイト。
本来魔族と人間は相入れない種族同士であり、戦闘の最中談笑を交わす者など相当な物好きに限られるが、
この場合、会話を、この一瞬を愉しむようにエイトは笑っていた。
かつてのエイトからは考えられない、あまりに下品な笑い方で。
「──というか、だ」
しかし、エイトは唐突に真剣さを取り戻し、つまらなそうに言った。
「別人としても、お前からすりゃあ大した違いはないだろう? お前の興味は美味いか、不味いか、そのどっちかだ」
ん、違うか? 、と優しく微笑みかける。
「その通りダ」
「んじゃあさっさと来いよ赤ん坊。
お前みたいな、ちょっと力が強いだけの雑魚にボコスカ殴られちゃ、
エイトはあからさまに指をクイっと曲げて、挑発する。
それに応じ、魔人の脚に力がこもる。
魔人必殺の、瞬間移動めいた身体能力発動の準備だ。
目の前のエサは豹変はしたものの、全身の怪我が完治しているわけじゃない。
生意気なエサの減らず口は吹き飛ばすにはそれで充分。
あとは軽く足で地面を叩くだけ──と、魔人がほんの少し前傾した瞬間、
「──う」
顔面に飛来した小石に邪魔され硬直する。
「一度見た技だぞ! 学習するのが人間だぜぇ!?」
その隙にエイトは疾走。
肉薄し、短剣を以て斬りつけた。
流れるような剣捌き。
短剣の軽量という利点を活かした無駄のない攻撃に、エイトの持つ多対一でも攻撃を捌ける柔軟性が融合した超高速斬り。
斬る為の予備動作などなく、斬る行為そのものを予備動作として、斬るたびその速度を上げていく。
その数──十八回。
魔人が石に怯んだ一瞬に斬りつけた、斬り傷の数だった。
「────ゥ」
もう左腕はない。
右腕だけでガードするには余りに範囲が広過ぎた。
身体中についた斬り傷から鮮血を撒き散らすが、すぐに修復されていく。
魔人特有の再生能力だ。
小さな傷程度ならすぐなかった事に出来る能力であり、左腕も切断面が焼かれてさえいなければ数分で元通りになっただろう。
切断面を新たに右腕で作れば話は別だが──そんな余裕はない。
眼前にいるエサは脅威。
そう魔人が断定するに相応しい敵であった。
「ははっ。そう睨むな、こんなの挨拶みたいなもんだろ」
そう揶揄うエイトは軽快なステップで背後へと下がっていく。
逃げるようにも見えるその行動、エイトの真の意図は魔人には分からなかった。
燃える森の中に逃げ込み、すいすいと駆けていくエイト。
まるで流れる川の岩を避ける笹舟のように淀みがない。
対照的に猪の如き突進で、木々をへし折りながら追い掛ける魔人。
途中、瞬間移動しようと足に力を入れるが、その度石が顔面にぶつけられ行動を阻害される。
「だから、わかりやすいっての。そんなんじゃ一生かかっても
そんな挑発に乗ってしまうのはやはり魔人が生まれたてのだからなのだろう。
単純に足の回転を上げて、エイトの速度に追いついて行く。
「良いねぇ! ほらほら、鬼さんこちら、手のなる方へー」
「──エサ風情ガッ」
速度的には優っていても、木々の間を縫うように進むエイトには中々追いつけない。
そのエイトにやっと腕が届く位置まで近付いてその右腕を振り上げた時、
「エサ風情……? よく言うよ」
エイトのニヒルな笑みが魔人の脳裏に焼き付く。
含みある言い方。
必殺の武器を構えられている、それはもう頭に銃口を突きつけ引き金に指をかけているのと同義だ。
そんな状態で笑うエイトの顔が妙に気になって、
「赤ん坊風情が」
気付いた時には木に突っ込んでいた。
あまりにも無様、あまりにも惨め。
魔人は揺れる意識の中、ふらつきながら疑問に思う。
確かに自分はエサを追っていた。
しかしエサは避ける動作は見せなかった。
右腕が身体を貫くと確信しての攻撃だ。
例え避けられたとして、木に衝突するなんて事故、そうそう考えられない。
でも確かに魔人は見た。
エサが──壁をすり抜けて行くのを。
顔を打ち、意識が判然としない魔人を見て、エイトがほくそ笑む。
なんて事はない。
エイトはただ木にぶつかる瞬間、木の皮に絵として貼りつき、反対側に回っただけ。
動作に無駄がなく、あまりにも自然過ぎる魔法の行使は、魔人にすり抜けの魔法と錯覚させる程に流麗。
魔法と魔術戦において、自身の手の内をどれだけ明かさないか。
コレが相手に対策をさせない一番の上策である。
その点──エイトの魔法は戦闘向きでない分、能力を悟らせない事には長けていた。
魔人の頭には多くの疑問符が浮かび、そしてそれは、
「ガァァァァァァァァッッッ!!!」
思考崩壊、そして思考放棄へと繋がった。
「おお、怖」
木々を薙ぎ払い、大地を疾走する魔人。
小細工など無用。
力に限り、自身を上回るものなどいない。
ならば圧倒的力で叩きのめせばそれで全てが終了だ。
だから思考など必要ない。
その結論こそ──
「因みに足元注意だぜ?」
エイトが待ちわびた
「────ナッ!?」
魔人は突然の真下からの衝撃に弾き飛ばされる。
その正体は木。
木が突然、地面の中から迫り上がってきたのだ。
「に──ガッ?」
魔法により地面に絵として保存された木。
それはエイトの意思により、地上に立つものを打ち上げる発射台の罠。
いかに魔人の機動力あれど、空が飛べない彼では回避も出来ない。
そこを狙って、エイトは跳躍する。
「さぁーってと、仕上げだぜぇっ!!」
太腿で魔人の腹を挟み込み、馬乗りの体勢に移行。
魔人が反応する前に短剣で右肩を貫いた。
「グガァァァッッ!!?」
関節に突き刺した短剣は右腕の楔となり、魔人最強の武器を封印する。
更に脚で魔人の尾も挟み攻撃の手を全て消す。
──オレが……負け、ル!?
魔人は初めて死を確信した。
眼前に存在している得体の知れない何かはあまりに強い。
それは肉体的な強さではなく、生命として強かった。
確実に肉体では優っている自身が負ける理由がどうしても理解出来な──
「分からないか? なら教えてやるよ」
その心を読むように、エイトは魔人の鼻先まで近付いて言った。
「お前と
アーハッハッハッハ、と。
馬乗りするエサが笑っている。
赤ん坊。
確かに魔人は、魔人として産まれたのはついさっきの話だ。
魔物としての記憶はほとんど無い。
知識を得て、感情を得たのが
だからエサの言葉も理解出来た。
経験がないから負ける。
ならば──その経験を埋めるだけの圧倒的な力をっ!!
「ヴォォォォォォッッッ!!!」
魔人は吠えた。
開口するその闇の中、一点の光が収縮していく。
紫の光──それは魔人のみが使える必殺光線。
真正面から何の防御もなしに受けたならば消し炭は確定、例え何かしらの防御を張ったとしても、致命傷は与えられる。
その自信が魔人にはある。
赤髪の結界を破壊し、
茶髪のエサを吹き飛ばしたあの威力ならば、この状況を打開する策として申し分ない。
だから、叫ぶ。
己が持つ最高最大の技を、この一瞬にかける。
「──
「うぉっ────」
世界が光にのまれる。
圧倒的な光量はそのまま熱量へと変換される。
目の前のエサは間抜けな顔をして光にのまれるのを見た。
この分では上半身は吹き飛んだであろう。
最高級の食材を下半身しか食せないのは残念な話だが、それはもう仕方ない話──
「──刻め」
と、勝ちを確信した魔人の光が消えていく。
何かに吸い込まれるように。
……アレは、本?
「
星の光にも負けない光の束が、本の中へと吸い込まれていく。
まるで星を飲むブラックホールのように。
そしてその本を
光に消しとばされたと妄想したエサの顔は、酷く歪んで、愉しそうな顔をしていた。
「そしてここが、
「がっ……グァッ……」
「怖いのか……? 死ぬのが」
「う、嘘ダ……こ、こんな……エサ、風情に」
エイトの問いに魔人は首を振る。
こんなのは嘘だと。
こんなのは現実ではないと。
しかし、これは現実で、真実。
それを証明するように、本をそのまま
「ははっ……アーハッハッハッハッ!! 自分の技で消し飛びなァッ!!
──
「ォォォォォォォォォッッッッッ─────」
紙面から放たれる極太の光線が魔人の身体を焼き尽くす。
光線は地面に突き刺さり、あまりある力の奔流は地盤を割り、森の炎を余波で吹き飛ばす。
光線の全てを吐き出させ、エイトは地面に着地。
最早、焼かれ、砕かれ、吹き飛ばされた森は原型を留めておらず、平坦な道などどこにもない。
砕かれた地盤の上を歩きながら、爆心地へと向かう。
そこにいるのは黒焦げの死体だ。
言うまでもなく、魔人の亡骸。
「ふんっっ!!」
その胸に腕を突っ込んで紫色の結晶を取り出した。
それこそ魔族が魔族たる所以、魔核。
人間には存在しない、魔族の臓器である。
今回の試験はこれの収集だ。
そして
試験終了である。
「……コレは使えるぜ──刻め」
エイトは魔核を手に笑みをこぼした。
魔核はそれ単体では使用不可であり、武器にするにも加工しなければ使えない鉱物だ。
しかしそれに、本を
「
解言により、魔法は対象を絵へと変換していく。
「コレでとりあえず、だな。情けねぇ
舌舐めずりして空を見る。
曇天は消え、夜空に星が散らばっている。
辺りの炎は消えて、静かな夜が戻ってきた。
しかし、闇は消えていない。
「──食っちまうぜ?」
そう、エイトはこぼして地に倒れる。
死ぬように力をなくして、大の字で寝る。
髪の色は黒が抜け、純粋な茶髪へと戻る。
「──なんです……コレは」
そこに漸く意識を取り戻したティアがやってきた。
杖で身体を支え、何とか立てている。
まだ毒が抜けていないようだった。
「あ……エイトくん……? エイトくん! 大丈夫ですか!!」
エイトに駆け寄ってティアは安否を確認すると、他の生存者を捜しに行った。
そうして試験が終了し、エイトが目を覚ますのは──三日後の話である。
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