第19話 三つ目

 

「貴方……どうして……?」


 背後から困惑の声が聞こえる。

 今にも消えてしまいそうな細い声。

 彼女の意識を繋いでいるのは、やはり王族の意地なのだろう。


 殺される直前でも彼女は涙の一つも流さなかった。

 血は関係なく、ただ一人の女の子が、怖い目にあっていると言うのに。


 その事実に言いようもない怒りを覚えた。

 魔物にそもそも慈悲は要らない。

 今すぐにその身体に刃を突き立ててやりたかったけれど、でもそれ以上に──魔物コイツに訊かなければならないことがある。


「アレは……お前がやったのか?」


 自分でも驚く程、低い声が出た。

 “不滅の本グリモワール・シュヘル”でなんとか防御をしている危機的な状況下。

 それでも僕は問い掛けを優先した。


 人型ならば言葉も通じるかもしれない。

 そんな憶測で魔物に語り掛けたわけじゃない。


 ただ、胸の内から溢れる憤慨に理性がついていかなかっただけの話。


「………………?」


 魔物──いや、既に人型だから魔人か。

 魔人は首を傾げている。

 意味が通じていないのか──或いは、意味が通じていて理解していないのか。

 この場合、魔人の反応から見るに、


「ナンの──話ダ?」


 後者だった。

 地の底から響くような低くしゃがれた声。


「あそこに倒れてる、僕の仲間・・の話だ」


「……アァ……アノ、ニクのことカ」


「…………!」


 アヤメの元に辿り着くその道程で見つけたミイラ死体。

 情報と同じ殺され方だ。

 目標ターゲットに返り討ちにあったのは明白だった。


 見覚えのある、長い茶髪に白い制服。

 ソレが誰かは考えるまでも無い。


「アレは……ウマ、かっタ。男モ、格別だっタ」


 あまりに惨たらしい結末だった。

 腹は貪られ、臓物が散乱していた。

 地面には引っ掻き跡があり、爪が剥がれていた。

 顔は恐怖に歪んで、枯れた頬に一筋の涙があった。


「初めての感情ダ。食事とハ、生きる為ダケ。ソコに、感情を抱く意味ハ、無イ」


 どれだけ怖かったのだろう。

 どれだけ痛かったのだろう。

 彼女の感情を理解する事など僕には出来ない。

 共感だって許されない。

 既に故人となってしまった、彼女の死への感情を理解しようだなんておこがましいにも程がある。


「アレは……ワタシが、お、オレが……? 真に生誕シタ瞬間だっタ。食事は悦を生み出ス物であリ、人は、オレに食われる為ここに来ル」


 死への恐怖は彼女だけのものだ。

 それに憐憫を覚えるなど、命懸けで魔物と相対した彼女への侮辱行為。


 それでも──それでも。


 僕は、仲間かれらの為に戦う。

 この結果が彼らの裏切りによるものだとしても。

 だから、僕は言い切った。


「あれは、食事なんかじゃ無い」


 魔人は再び首を傾げる。

 理解しながら存在を知覚していないのか。

 その事に、奥歯が砕けそうになる程噛み締めて言う。


「お前は……苦しむ姿を見て楽しんでいただけだっ!!」


 僕の言葉に魔人は、嗤った・・・

 彼に表情筋などない。

 だから、そう見えた。


「カモ、しれないナ」


「────!」


 笑みを浮かべる魔人にとっては児戯にも等しいのか、軽く本が振り払われる。

 防御の要たる本を失えば、敗北は必至だ。

 再び槍の如く迫る右の腕を防ぐ術は──


「──私を忘れるんじゃないわよ」


「──グ!?」


 アヤメの貫くような蹴り。

 その足裏から飛び出す、赤みがかった透明の何かが、魔人を更に遠くに押し出した。


 アレは……なんだ?


「説明している暇はない……わよ。もう……全部、使い切った……から」


 呆気に取られた僕にそう短く残して、アヤメは倒れる。


「アヤメさん!?」


 すぐに駆け寄って、ただ気絶しただけと判断し、そっと胸を撫で下ろした。


 立ち上がり、魔人を見据える。

 魔人はただ蹴り飛ばされただけだ。

 不意打ちだったとはいえ、殺傷性は皆無に等しい。


 首をゴキりと鳴らして、魔人も視線を返す。


「オマエも……ウマ、そうダ」


「そりゃどうも」


 距離にして数メートル。

 魔人であれば遠く見える距離も一瞬で間合いを詰めるだろう。


 ゆっくりと歩み、近づいて行く。

 袖から短剣を取り出し、戦闘準備。


 魔人は候補生最強のアヤメを倒している。

 勝負は一瞬でつく、長引く事はない。


 対し、僕は候補生最弱。

 魔法は戦闘に秀でておらず、

 唯一の武器は多対一と避ける技術のみ。


 勝てる道理はあまりに少なく、

 敗北の趨勢すうせいは予知するまでもない。


 しかしここで負ける事は許されない。

 魔人を逃せば多くの人が死に絶える。

 その未来も、自然と予知出来る。


 だからこそ、僕は、

 僕の身体と頭脳と技術の総力を上げて────最大の敵を超えて行く!


「──────ッラァ!!」


 地を蹴り、疾走する。

 燃え盛る森の熱は感じない。

 麻痺毒で体調も万全とは言えない。

 目の前の敵に全ての集中を裂き、戦闘以外の回路を全て排斥する。


 しかし、その全ての集中を持ってしても、


「────な」


 魔人の動きは、全く捉えられなかった。

 最早瞬間移動。

 軽く足を地面にとん、と叩いただけで魔人は僕の正面で拳を構えている。

 肥大化し、人の頭を握り潰せる程の大きな右拳。


 かつてデッドリームの拳を岩さえ砕けそうと評したが──この拳ならば城壁にだって穴を開けられる。

 強化の魔術を持たない僕なら、かするだけで即死だろう。

 だから、


「刻め──」


「────ナニ?」


 僕も瞬間移動で回避する。

 それはもちろん錯覚だ。

 自分を絵に変えて、魔人の背後に出現しただけ。

 フラムとの戦いで使用した攻撃の回避方法だ。


 一ヶ月の学園生活で更にその練度を上げた。

 絵に変化し、実体化するまでの時間は秒とかからない。

 だからどんなに身体能力が上がった魔人でも、このカラクリを打破する事は出来ない。


「──思い出作りブック・メイカー


 無防備な背中。

 魔人が振り向くその前に、短剣で袈裟斬りに斬り付ける。


「グ──ッ! ガァァァァァッッッ!!!」


 噴き出す紫の鮮血。

 一手有利に立ったその一撃。

 返り血を浴びながら、悟る。


 次来る攻撃を僕は、避けられないと。


「────」


 振り向きざまに繰り出された裏拳。

 右腕と違い、細い左腕だ。

 攻撃を受けても、致命傷はないかもしれないが──唯一の取り柄である避ける技術を惜しんでどうするというのだ。


 全力で避ける。

 身体を極限まで背後に反らして。


 鼻先を裏拳が通り過ぎる。

 拳圧が鼻の皮膚を掠め取り、負傷は鼻先だけに留めた。


 しかし代償もあった。

 避けられないと判断した攻撃を無理に避けたのだ。

 体勢は崩れて、無様に尻を打った。

 その隙を──魔人が逃す筈もない。


「喰わせロ、オマエのニク」


「僕を殺せたら、ね」


「口だけは達者ダナ」


 魔人は勝ち誇った笑みを浮かべる。

 僕は地面を蹴り、攻撃の回避に努めるが、魔人の左手が足首を掴んだ。


「────ぃ!」


 右の手刀が僕の首目掛けて発射される。

 魔人の本気を受けたなら、頭と胴は今日をもって別れを告げる事になる。


 だが──寸前で、魔人はよろめいた。


「……? 身体……が」


「良かった。すぐに効き目が出てくれて」


「な……ナンの、話ダ?」


 絵から実体化すると同時、他の物も実体化させた。

 それは麻痺毒パラジオン。

 僕とティアにパック達が使用した、巨人さえ動けなくなるという謳い文句の毒だ。


 僕の身体の毒は地面に捨てたが、ティアの体内の毒・・・・・・・・は絵にして保存していた。

 それを短剣に塗って斬り付けたのだ。

 非常に微量だったが、意識を奪わないまでも体調不全は引き起こせよう。

 なんせ、巨人を動けなくする毒、なんだから。


「……っ、目眩、ガ」


 そして魔人が僕の隙をついたように。

 僕だってこの大きなチャンスを無駄にするわけはない。


「畳み掛けるっ────開け“不滅の本グリモワール・シュヘル”!」


 立ち上がると同時に本を開く。

 そして、紙面から引き抜くように二枚目の絵を実体化させる。


「ナニ──ッ」


 それは──炎の剣。

 かつて、フラムから奪った摂氏千度を超える魔術の剣──!


 本を鞘がわりに居合斬る。

 触れた物全てを溶かす灼熱の炎剣は、


「────ッ!」


 背後に軽く跳ぶ事で、避けられた。


 しかし切っ先は魔人を捉え、その胸部を斬り裂き、出血もせずに肉は焼けただれた。


 炎剣は魔人に効く、そう判断した僕は更に一歩踏み込んで斬り上げた剣をそのまま魔人に叩き付ける。


「ウォ、ウォォォォォォッッ!!?」


 魔人は右腕で炎剣をガードする。

 魔素マナが充分に蓄積されている右腕は盾としても機能を発揮するらしい。

 禍々しい黒いオーラを纏い、必殺の剣をその腕で止めている。


 だが、それも時間の問題だ。

 一秒過ぎるごとに炎剣がオーラを弾いているのがわかる。

 さすが王族の息子が作った剣だ。

 先の模擬戦では活躍の場が無かったが、今ここでその真価を発揮している。


 ジリジリ掘削するように魔人のオーラを削っている。

 毒が身体の動きを阻害しているのもきっと良いように作用している筈だ。


 このまま押せば──勝てる!


「うぉぉぉぉぉぉっっっ!!!」


「ク────ハァッ!」


 目に見えて魔人のオーラが増えた。

 しかし、どんなに魔素マナを回し、腕を強化しても、炎剣は全てを溶かし尽くす。


「ッ────ガァァァッッ!!?」


 遂にオーラを突破して、右腕に食い込み始めた。

 それでも強化された腕は中々進行を許しはしない。


 僕自身扱えるのはフラムから奪った炎剣であって、これ以上自身の魔術でない炎剣を強化することはできない。

 例え進行速度は遅くとも、現在有利なのは圧倒的に僕だ。

 この位置関係は決して変わることは──


「────え」


 ない筈だった。

 だが、相手の策が一歩上回った。

 腕を斜めにずらす事で炎剣は流れに沿って下へと落ちていく。

 炎剣は魔人の左肩ごと腕を叩き斬ったが、その命を摘む事は叶わなかった。


 斬り口からの出血はほとんどない。

 その熱量が仇となったか、身体の三分の一を切断されても尚、魔人の闘志は揺るがない。


 闇の眼窩に光が灯り、その骨の口を外れるくらいに開けたその口内。

 紫の光が一点に集中し、まるで光線でも吐こうとしているような──


 ──まさか!


 僕は咄嗟に炎の剣を盾にするように構える。

 同時正面に“不滅の本グリモワール・シュヘル”を配置。


 それは魔物だけが有する必殺技。

 魔核を中心に、溜めた魔素マナを高出力のエネルギーとして放出する殲滅光線。

 その名も──


「──殲光牙ザフラ


 瞬間、世界から色が消えた。


 それは破滅の光。

 十全に溜められ、放出される光の束は炎の剣に直撃し、一瞬にして消し飛ばされる。


「────ぁっ!」


 炎の剣を突破し、次いで直撃するのは“不滅の本グリモワール・シュヘル”。

 絶対に壊れない──シュヘル先生の謳い文句に感謝した。

 本は魔人の出した絶対、防御不可の一撃を防いで見せたのだ。


 しかし、当然。

 光線は彼の溜めた魔素マナの分だけ放出される。

 本に手をかざし、吹き飛ばされないよう踏ん張った。


 その絶大な光量を、間近で直視し視界不全に陥っているが、バランスを崩すことは許されない。

 ここで一ミリでも力の掛け方踏ん張り方を間違えれば、光線に焼かれ僕は死ぬだろう。


「うぐぁぁぁぁっっっっ!!!」


 だから叫ぶ。

 ジリジリと光線に押されていく足裏を感じながら、それでも力を入れて押し留める。


 そうしてやっと、終わりが来た。


「────ハァッ!!」


 最後に絞るようにして吐き出された、極太の光線に吹き飛ばされ、地面を転がる。

 無様に身体を打ちつけて、転がる。


 ──痛い……立ち上がれない。


 打ち所が悪かったか、はたまた体力の限界か。

 身体は動かなかった。

 仰向けになって、曇天を見上げている。

 視界の端は炎に囲まれている。


 ザッ、ザッ、と足音が近づいて来る。


 僕の優位に立った事による油断が、

 その一瞬が全てを崩壊させた。

 後悔するには余りに遅すぎた話だが。


 そもそも勝ち目なんてものはなかったのかもしれない。

 学園最強のアヤメが負けた敵なのだ。

 勝てると思い上がった僕への罰──そう考えることもできる。


 もう僕に手は残されていない。

 一つ目の絵も、二つ目の絵も使い切った。

 だから僕は、もう戦えない。


『──なら、俺に貸せよ。その身体』


 悪魔の囁きが聞こえる。

 直接、脳に響くような声。

 聞き覚えのある声。

 一度も忘れたことはない、乱暴な声。


『勝てないんだろ? 

 負けるだろ?

 つまり死んじゃうだろ? 

 死ぬのは嫌だよな、そうだよな……。分かってる分かってる、なんせ俺はお前・・だからな』


 うるさい。

 喋るな。

 デッドリームの時は出て来なかったくせに、どうして今、出て来るんだ。


『当たり前だろ。あの時は死なないってお前が本能的に感じてたからな。まだまだお前は策を残して、幾らでも戦えた。

 でも今は──戦えない。戦う為の策がない、だろ?』


 それが本当だとして、お前に勝てる策があるのか?

 ──あるわけがない。

 だってお・・である僕が思いつかないのだから。


『チッチッチ……。違うんだよなぁ、そこが。

 俺はお前であり、お前は俺であるが、根本的に違うのは俺はお前から切り離されたものだ。だから、俺に考えられることはお前には分からない。

 そうだろ? 

 そうだよな? 

 そうなっちゃうんだよな? 

 だって──お前が要らないって言ったんだからさ』


 じゃあ、勝てるのか?


『勝てる。絶対に勝てる。

 断言するぜ、そして宣言するぜ。

 お前が勝てない敵であっても、アレは俺ならば勝てる敵だとな────』


 悪魔の囁きは反響しながら消えた。


 世界が元に戻る。


 戦闘への集中は切れた。

 全ての感覚が津波のように押し寄せる。


 肌を焼き、渇き切った皮膚が痛い。

 息を吸い込む度に喉が焼けるように熱い。

 耳を打つ轟々という炎の音が煩い。


 そして、死がやって来る。

 アイツに今勝たなければ確実に僕とアヤメは喰われてしまう。

 きっと──ティアも。


 負けるわけにはいかない。

 今度はデッドリームの時とは違う。

 僕が死ねば、仲間が死ぬのだ。

 そんなことは、許されない。


 だから例え信念を曲げてでも、

 誓いを捨ててでも、

 勝たなければならないのだ。

 そして僕はそっと、本の上に手を置いた。


「開け……思い出作りブック・メイカー


 本は言葉に答え、風に仰がれるようにページが一人でにめくられていく。

 目的のページに辿り着く。

 黒に染まる紙面。

 十年前に封印した三つ目の絵──それを今、解放する。


 僕は、諦めたように目を閉じた。

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