第18話 魔人降臨

 


「フレアコーティング」


 光る細剣レイピアの剣身に透明の鞘が装着される。

 鞘は剣が発する炎熱に当てられ、剣身と共に暗闇の世界に光を放つ。


 準備は整った。

 いつでも動ける姿勢。


 これは決闘ではない。

 始まりの合図もなければ容赦もない。

 紅蓮の瞳と闇の眼窩の視線が交錯し──何が合図となったのか。


「ウ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ッッッ!!!」


 魔物が吠えた。

 鹿の頭骨から発せられる咆哮は地響きを齎す一種の攻撃だ。

 しかし、アヤメは怖気ずく事なくジッと構えて魔物を見据えた。


 先手は、魔物。

 巨体を揺らし、渾身の右腕での薙ぎ払い。


 小指が地面を抉り、触れる指先は木々を軽くへし折っていく。

 最早あの魔物にとって木々は、攻撃を邪魔する障害ではない。


 華奢なアヤメだ。例え強化魔術を身体に施したとしても、触れただけで肉体が吹き飛んでしまう。

 そんな想像も容易な暴威が寸前まで迫る。


 しかしその強烈な一撃に向かって、アヤメは軽く跳躍した。

 軽やかに、音もほとんどなく。

 進撃する魔物の真上を飛び越えるように回避した。

 そのすれ違い様──


「ウ゛── ウ゛ォ゛ォ゛ッ!? 」


 無防備な右肩に斬撃を入れた。


 深い斬り傷は大出血確定の重傷だが、血はほとんど出ない。


 その不可解な事態に魔物は叫ぶ。

 血が出ないことに、

 自分が傷付けられた事に。


 アヤメはつまらなそうにそれを眺めていた。


「この剣……斬れ味は最高だけれど熱で傷で塞いでしまうのよね。代わりに再生能力を遅らせるという利点があるから、派手さには欠けるけど、貴方には効果覿面かもね」


 魔物の傷口はグジュグジュと、肉が苦しむように蠢いている。

 ソレは再生をしようしている証だ。

 少なくともコレで、魔物一番の武器である右腕はまともに扱えない。


「ウ゛ォ゛ッ!!」


 憤慨するように地面を叩き、骨尾が空中を走る。

 続き伸びる六本のツノ。


 どれも伸縮自在で不規則な攻撃が可能な武器だ。

 例え右腕の自由を奪い取っても魔物にはこの武器がある。


 鞭にも槍にもなる万能武器。

 或いは拘束具としても役に立つそれぞれが、アヤメを貫かんと肉薄する。

 ソレを、


「ふん」


 軽く剣を振り回して防いだ。


 無駄なく流れるような剣捌きで、その全てを斬り捨てた。


「────ウ゛ォ゛」


 不可解な現実。

 今まで接敵した全ての冒険者をこの一手で屠ってきた、魔物にとって最もお気に入りの技だ。

 ソレがいとも簡単に防がれた。

 その事実は右肩を斬り裂かれたことよりも、許容しがたいことだった。


 細剣レイピアは刺突重視の剣である。

 細身で尖った切っ先は、こと貫く事に関して右に出るものはいない。

 斬撃も可能であり、他の片手剣に比べれば破壊力、斬撃性に劣りはするが、擦る事により肉を断つことができる。

 魔術により剣身を強化すれば、ある程度耐久性も上がる。


 だがもちろん、刺突重視であり斬撃に特化している性能ではない。

 ただの細剣レイピアでは魔物の硬質化したツノ触手も、骨の尾を断つことも不可能だろう。


 ソレを可能にしているのはひとえに──彼女の魔法に要因があった。


「ウ゛ォ゛ラ゛ァ゛ッ!!!」


 魔物はその身を反転させ、突進する。


 彼の武器は腕でも、自在に動くツノや尾でもない。

 凶暴性を真に発揮するのはその巨体。

 魔物がただ倒れるだけでも充分に効果ある攻撃なのだ。

 下手な小細工を要する必要もない。


 片腕を引き摺りバランスを崩した体勢は、土を抉り木を巻き込み、本当に雪崩のような災害だ。

 断末魔をあげながら、押し寄せる津波。

 人が飲み込まれたならば最後、人としての原型も保てず死に果てるだろう。

 しかし──


「私の魔法は、何だと思う? 炎の物質化……物質への炎属性の追加? 違うわ──私の魔法は」


 多くの天才性を内包する彼女に対する策としては下策といえた。

 彼女は悠然と仁王立ち、


「拒絶せよ── 無二の心フィアンマ


 解言かいごんを以て、魔法の真の姿を顕現させる。


 展開されるは半透明の壁。

 淡い赤を帯び、ガラスの壁とも見間違える儚さだ。

 だがその壁は魔物の津波のような突進を一身に受け止め、土の一欠片も通さず魔物から主人を護った。


 壁越しにみる痩躯はあまりに醜い。

 骸の頭部も相まって醜悪さを増している。


 闇の眼窩が赤髪を凝視する。

 女はその様子を見て、笑った。


「結界魔法よ。熱のみが通行証を持ち、形は粘土のように変幻自在の結界。ほら、レイピアの剣身も結界で包めばこの通り、闘士剣グラディウスと変わらない斬れ味で、魔術で強化するよりも頑丈──」


 魔物の真上に向け、手をかざす。


 生まれ出るのは槍の形をした結界だ。

 空洞になったその槍の中心に炎が灯り、一瞬にして赤に染まる。


「もちろん、武器を結界で包んで強化するだけじゃなくて、武器そのものを作る事も可能よ。

 ──フレアコーティング・ランス」


 炎熱の槍が都合十本。

 魔物の真上で旋回している。


 それぞれが結界の中で熱を高め、熱量はどんどん上昇していく。

 そしてその槍型の結界が消えた瞬間、中の膨大な炎は外側へと一気に放出される。


 ソレは炎の槍であり、豪炎撒き散らす爆弾でもあった。


「それじゃ、さよなら」


 腕を振り下ろす。

 同時に槍十本が魔物の身体を突き穿った。

 突き貫いた部位から炎が広がり、一瞬にして全身は火だるまに変わる。


 魔物は叫ぶ。

 こんなのは嘘だと言わんばかりに空に向かって吠え続ける。

 自身が巻き込んだ土や木の所為で身体が動かないのだ。

 魔物はもう叫ぶことしか抵抗の意思を示せない。


 そして、


「爆ぜろ」


 結界の拘束が解除された。


「ウ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ッッッ!!!?」


 突き刺さった槍が発光。

 爆炎を撒き散らし、魔物の身体を焼滅させる。

 同時、円形の結界を魔物の周りに張る事で、炎の逃げ場をなくした。


 まさに炎熱地獄。

 窯の中で炙られているようなものだ。

 熱量は比べるべくもないが、コレで二人の弔いにはなっただろう。


 踵を返し、残り二つの熱源へと向かい、歩を進めた。

 アヤメの推測ではチームメイトの内二人は死んだが、二人は生きている。

 この森の魔物はアヤメが一掃したし、自然の生物が生きていられる環境ではなかった。

 ならば、残り二つは生き残りの候補生のはず。


 しかも一つはこちらに向かって来ている。

 早く保護し、試験を終えよう──と。

 思案した時だ。


「────ッ」


 嫌な予感がして首を横に振った。

 瞬間、尾を引いた赤髪を何かが貫いた。


 紫の一線。

 木々を貫き、破壊するそれは純粋な魔力の放出だ。

 魔素マナを一点に集中させて放つ高エネルギーの光線。

 それを撃てるのは、魔核を持つ魔物だけ──!


「まさか──ッ」


 アヤメは身をひるがえして、戦闘態勢を取った。

 円形の結界を斬り裂いた縦の線。

 光線により斬り裂かれた結界は自然崩壊し──強力な爆炎を撒き散らす。


「くっ────!!」


 正面から叩き付けるような熱風。

 腕で正面をガードするが、あまりの風に身体が背後に押し出された。


 爆炎は散乱し、残り僅かの森を焼き尽くしていく。

 ここは数時間前の薄暗い陰湿な森ではなく、煌々と光を放つ炎の森へと変質していた。


 身体に薄い結界を張るアヤメは人を焼く熱量を遮断できたが、光は防げない。

 真正面に爆誕せし擬似太陽は数秒アヤメの視界の機能を奪ってしまった。


 明滅する視界。

 ゆっくりと白い視界が機能を取り戻していく。


「────う、そ」


 そこに、あり得ないものを見た。


 人の姿。

 小さなツノを生やし、顔はやはり骸骨となった鹿の頭部。

 上半身は縮れた毛に覆われて、右腕は禍々しく肥大化している。


 そこにいたのは先程まで戦っていた鹿骸龍の死体があるはずだった。

 アヤメの炎によって生まれた焼死体があるはずだった。

 しかし──理解出来ない事態だが、起きているのならば飲み込むしかない。


 この状況。

 このタイミングで、目標ターゲットの魔物は、


四段魔フォースに……進化した……っ!?」


 魔物が揺れる。

 いや──完全な人型となったソレは最早魔物とは呼べまい。

 獣を脱し、人の姿を手に入れたソレは魔人。


 驚愕している暇はない。

 驚いている時間があるなら思考しろ。

 敵を倒す策を練れ。


 でなければ死ぬのは間違いなく──自身。


「────」


 察知、することすら出来なかった。

 魔人が揺れたと認識したその瞬間、アヤメの真横には拳があって──


「ぶ─────ッ」


 脳を揺らす衝撃が頬を貫いた。

 鉄槌で振り切られたように軽々と飛んでいく。


 砲弾となったアヤメは木々をその身体でへし折っていく。

 それでも勢いは止まらない。


 炎の森の中を一キロほど飛ばされ、地面を転がり漸く勢いが消失した。


「──っは……、ぇほっ、く、来る──!」


 痛みに気を取られている場合じゃない。

 すぐさま迎撃の構えを取り、追撃に備える。


 疾走する魔人。

 迎え撃つは十枚重ねた結界だ。

 三段魔サードの時は一枚で事足りたが、果たして十枚でも足りるかどうか。


「──────」


 迫る魔人。

 振り被る右の巨腕。

 禍々しいその腕は身体中から太い血管のような管を通り、手のひらへと魔素マナを溜めている。

 そして、殴ることなく、手のひらを思い切り結界へと押し付けた。


 張り手のような勢い、だがヒビが入る程度。

 一枚だって破壊はされなかった。

 だが──一拍の間を置いて、後から衝撃がやって来た。


「────ぁっ!!」


 凡ゆるものを通さない結界。

 その悉くが敗れ散った。


 手のひらが砲口となり密着させる事で、直接魔素マナを撃ち込み内部から崩壊させる。

 或いは放出の勢いで破壊する超近接特化の武器。


 アヤメは衝撃で真後ろに吹き飛んだ。

 柔らかな結界を背後に張って衝撃を吸収。

 すぐに体勢を立て直したが──それも無駄だと気付いた。


「ぐっ──────」


 瞬く間に肉薄した魔人に首の根を掴まれ、地面に押し付けられた。

 右の手刀を首に突き付けられ、彼が少し力を入れるだけでアヤメは死ぬだろう。

 ここでアヤメ・フレイムクラフトの敗北が決定した。


 彼女は世界的に見ても、潜在能力と才能は十本指に入る逸材だ。

 急激に上昇した身体能力と攻撃力の高さに対応できなかったことこそ、今回の敗因だ。


「──────」


 走馬灯が頭に走る。

 父親に王族は気高くあれと言われ、努力してきた。

 体術も、剣術も、魔術も、勉強も、何一つ妥協せずに頂点を目指した。

 それというのも弟の存在だ。


 弟は魔術の才能において、姉を上回っていた。

 期待される弟の影に隠れてしまう姉の自分。

 幼少期、それに恥辱を感じたアヤメは胸を張れる姉になるよう、努力したのだ。

 そして父にも、国中から慕われる存在となれた。


 弱みを見せてはいけない。

 厳格に。

 ひたすら強さを追い求める強い人間でなくてはならない。

 そう自分を閉じ込めて、今まで努力してきたというのに。

 ここで死ぬと思うと、悔しさに涙が出そうだった。


 しかし──アヤメは泣かない。

 気高く、誇りを持って死ぬ。

 それがせめて王族としてのノブレス・オブリージュだと信じて。


「────?」


「あら、まさか爪を押し付けるだけで殺そうと言うの? そんな力で私の結界を突破できると思わないことね」


 首の根に張った最後の抵抗。

 結界はまだアヤメの命を繋いでいた。

 しかし、これは無駄な足掻きではない。

 炎の魔術で身体を爆弾へと変える為の時間稼ぎだ。


 他の冒険者のように貪られる姿は王族として相応しくない。

 せめて相討ちにでも持っていかなければ国で待つ父に、母に示しがつかない。

 その為の──時間稼ぎ。


 魔人は腕を振り上げた。

 もう準備は完了している。

 あとは内側から爆発するのみだ。

 魔人を今度こそ焼き尽くすだろう。


 それでも──やっぱり死ぬのは怖かった。


「お父様、お母様……先立つ私を許して」


 今際の言葉を遺して、魔人の腕は振り下ろされる。


 さぁ、突き刺せ。

 その手刀でこの身体を斬り裂いたその時こそ貴方の最期──と、目を瞑りその時を待った。


 しかし────来ない。


 痛みも、衝撃も、何も感じない。

 思考ができると言うことは多分死んではいないのだろうが、なぜ──と、目を開けた。


「間に合って──よかった」


 聴き覚えのある男の声。

 眼前にあるのは魔物の醜悪な姿ではなく、古びた装丁の本。

 鎖が巻きつき宙に浮いたソレが喉元への手刀を止めていた。


「アヤメさん──ここからは、僕が戦います」


 本に繋がれた鎖を辿る。

 そこにいたのは冴えない男。

 茶髪で、背も大きくない何の特徴もない男。


 エイト・クラールハイト。

 かつて自分が腑抜けと罵った、終わらせる者クエスト・エンドがそこにいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る