第17話 静かなる憤慨

 

「────くそっ。くそっ……!」


 セキナは身軽さを活かして木の枝から木の枝へと跳躍を重ねながら、移動する。

 地面を走るよりも木の根の反動を利用して跳んだほうが速いからだ。


 ──私……私ってばこんなに。


 あとからあとから溢れ出る涙。

 拭っても拭っても袖を濡らし続ける。

 身体はしっかり魔法で透明化し、既に魔物の気配も遠い。

 安堵には充分な距離だが、なにぶん感情が邪魔だった。


 この一ヶ月を、共に策略し笑い合った相棒の幕引きがあまりにもあっけない、そして何の力にもなれない自分の存在が腹立たしくて仕方ない。


 ──自分に、六王族セクター程の力があったなら!


 それは無理だと己の中で否定する。

 六王族セクターは魔法魔術の元素を編み出した一族であり、一つの属性しか扱えない代わりに強力な属性という呪いを受けた、ある意味誓約を課されている一族なのだ。


 それだけの覚悟を持って先祖は能力を子孫へと受け継いだ。

 凡人がそれに追い付くには相応の対価が必要だ。

 もっと強くなりたいならば──自分の中の何を犠牲にすれば良い?


 そんな問いかけを続ける。

 だが、彼女のその問い掛けに答えが生まれることはない。

 なぜならそれは──


「────え?」


 既に死がそこまで迫っていたからだ。


 腹部に感じた押し出される違和感。

 木の根の間を跳ぶセキナは不意に背後から生じた力に押されてバランスを崩し、そのまま地面へと転落。

 馬車の全速力より速いスピードは、そのままセキナの身体へとダメージを反映させる。

 地に打ち付けられ、何度もバウンドし皮膚と肉を削り、骨は軋んだ。


「────え?」


 仰向けになった身体は動かない。

 魔術で強化していたとはいえ、その力は防御ではなくほとんど逃走へと向いていた。

 だからその身に受けた痛みは全て生モノ。


 制服は戦闘服として若干の魔術に対する耐性を有しているが、打撃斬撃には弱い。


 もうセキナの身体は動かなかった。

 その事実に、彼女の頭がついていかない。


 そして漸く、全身を打った痛みで掻き消されていた──激痛が今になって襲ってくる。


「え────ぇぇぇァ゛ァ゛ッ!!?」


 丘に打ち上げた魚のように体を跳ねさせる。

 生涯で感じたことのない激痛、底知れない空虚感に、反射的に腹部を見た。


 右半分のお腹が、ない。

 ポッカリと半月状に、穴が空いている。


 見える筈のないそこには、見えては行けない白い脂肪に、臓器達に、肋骨も持っていかれたのか小さな骨まで見える。


 今まで自身が何気なく口にしてきた物がそこにあると思うと、頭が冷えた。

 だが何より、生命の証である血がドポドポと無駄に流されている事実が許容出来なかった。


「あ、ぁぁ、ぁぁっ、わ、わだじの、わたしの血ぃっ!!」


 必死に掻き集める。

 だが左腕は届かない。

 右腕だけではすくってもすくっても溢れ落ちていく。


 それでも、

 無駄だと知っていても、

 もう彼女にはそれしか出来る事はなかった。


 もう何もかもが手遅れだと言うのに。


「────はっ、へ?」


 眼前。

 闇にうねる触手を見た。

 先端には血がこびりつき、生き物のように動くソレには見覚えがあった。

 パックを貫いた魔物のツノだ。


 そのツノが、森の闇の奥から伸びてきている。

 そして、蛇が這いずるような音と、ザクザクと言う土を抉る音と共にソレは来た。


 十本のツノは自由自在に操れる己が手足。

 たこの如き器用さでツノを木々に巻き付け、目標ターゲットの魔物は姿を現した。


 ブラリと木の実のように魔物の本体がぶら下がっている。

 微動だにしない本体の代わりに動き回るツノ触手は、鈍速な主人を最も速いスピードで運んできた。

 その魔物がセキナの前に着陸し、骸骨の顔を近付ける。


 鹿の頭蓋。

 しかしその目には光は止まっていない闇だけの眼窩。

 セキナは声も出せず、口内は水分を失っていく。


「ウ、マ……イ?」


「は?」


 初めて魔物の声を聞いた。

 雑音混じりで声と判別するには些か乱暴な発音だったが、それが言葉であることには間違いない。


 思わず訊き返した言葉の意味を咀嚼し、反芻し、理解した時には──


「あ」


 魔物の口がすぐそこまで迫ってい──


「ぎやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁっっっっっっっっっ!!!!!」


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。自分が消える。消えていく。意識あるまま消えていく。食さないで。食べないで。食わないで。咀嚼しないで。むさぼらないで。飲み下さないで。空腹を満たさないで。平らげないで。流し込まないで。噛み砕かないで。しゃぶらないで。頬張らないで。吸収しないで。いただかないで。取り込まないで。味あわないで。味見しないで。食い散らかさないで。楽しまないで。吐き捨てないで。選り好みしないで。好き嫌いしないで。だったらせめて、全部食べて──なんて。

 考える間も無くセキナは終わったけれど。


 ああ、パック。

 あなたと手を組んだのは、間違いだったのかな?


 ---


「…………」


 結論から言って、アヤメ・フレイムクラフトは間に合わなかった。

 道中の木々を、足裏から噴射する炎により焼き尽くし、結果、森全体の50%の自然を破壊してまで急いだと言うのに。

 アヤメの前にあるのは無残なミイラの死体だった。


 今回の試験にあたっての調査書に記載された死体と全く同じ死体。

 それが目標ターゲットの所業であることは明白だが、

 何より──白い制服を着ている事こそ、自身が間に合わなかった証左だった。


 アヤメは腰にいた細剣レイピアを抜刀し、軽く振るう。

 ミイラに火がつき、水分の無い身体は一瞬で燃え広がった。

 冥福を祈るように目を瞑り、すぐに魔物の気配の元へと急行する。


 そうして辿り着いた先も──時既に遅かった。


 勇敢に戦った死者を弔っていた所為なのか。

 いや、彼女は一分とかけずに魔物の元へと辿り着いている。

 死者を無視して急行しても、きっと助けることは出来なかった。


 そうは理解していても歯痒いものだ。

 目の前で──人が喰われる様を見るのは。


「………………」


 鹿の頭蓋骨のような頭。

 触手のようなツノが印象的だった。

 頭部から伸びる十本のツノが地に倒れる女の身体中に突き刺さり、女の魔素マナを吸収している。


 既に女の身体は枯れているが、身体に残る虫食いの後。

 それはあの魔物が生きたまま肉を貪っていた証拠であり、今もわざわざ、身体から取り外した新鮮な臓物をムシャムシャと貪っている。


「ウ……マ……、ウ?」


 魔物がアヤメの存在に気付き、振り向く。

 鹿の頭の骨の口から鮮血が滴り、肉の破片のようなものがぶら下がっていた。


 女を完全に吸収し終えたのか、或いは味に飽きたのか。

 女をそこらに放り捨てて、新たな獲物を観察する。


「ウ……マ……ウッ、マ……ウマ……ウ、マ……イ?」


 張りのある肉、しかして無駄のない身体。

 内側から発せられるオーラは極上だ。

 先に喰らった二人も今までの冒険者とは比べるべくもなかったが、眼前の赤髪は更に別格。


「ウッ…………ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛」


 それを理解した魔物は、身体を作り替える。

 目の前の餌に見合う強い身体を得る為に。


「ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ッッッマ゛マ゛マ゛マ゛マ゛ァァッッ!!!」


 身体が変質する。

 手足は針のような細いモノから、人間と同じ五本の指を持つ四肢へと変化する。

 四足歩行から二足歩行へ。

 骨の尾が長々と伸び、体長も三メートルを超える巨体となった。


 それはある種、龍を思わせる容姿だった。

 縮れた毛に覆われた痩躯。

 骸骨の鹿の頭部がその恐ろしさを際立たせている。


 何より異質なのは右腕だ。

 パックに切断された左腕は身体に見合ったサイズだが、右腕のみ肥大化している。

 人の身体を軽く掴める右手のひらは目に見えて禍々しい。


「進化……。二人の魔素マナで、三段魔サードになったのね」


 魔物は成長した自身に感激し、雄叫びを上げる。


 圧倒的な存在感に体格差。

 魔物が放つ禍々しさに人を喰う異常性。

 そして、進化による純粋な力の強化。

 普通なら誰もが絶望するこの状況で、アヤメは軽く、溜息をいた。


「弔い合戦……と言うわけじゃないけど」


 細剣を抜き放ち、構える。

 赤く発光する刀身は、凡ゆるものを斬り裂く炎の剣と相違ない。

 アヤメの炯眼けいがんが魔物を見据え、言う。


「貴方──楽に死ねると思わないことね」


「ウ゛ッハ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッッッ!!!」


 アヤメの言葉に、魔物は咆哮を持って応じた。


 勇者候補生ランキングポイント一位

 VS

 三段魔サードの鹿骸龍


 今、最も勇者に近い候補生と、

 正体不明の魔物との戦いの火蓋が、切って落とされる。

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