第15話 甘い爪

 

「見えるか……奴だ」


「舐めないで。弓使いは目が命なのよ?」


「それもそうだ」


 フッと鼻で笑う。

 付き合いは短いが、彼女の多くを知ったつもりでいた。

 残念ながらまだまだ理解が及ばないようだと、心の中で反省する。


 パックとセキナは今、下生えに隠れてその先にいる背を向けた目標ターゲットたる鹿の魔物を観察していた。

 ゆっくり亀のような脚の遅さで、しかし悠然と歩いている。

 初めて接敵した時は、言葉に出来ない悪寒が襲ったが今はない。

 あの程度の敵ならば、セキナの魔法と自分の魔法の奇襲で仕留める事が出来る。

 そうパックは確信していた。


「事件のほとんどの死体は干からびたミイラのようになっていたらしい。情報開示の少なさは嫌らしいが、現場判断を養う名目なら、仕方ないか」


 今回の目標ターゲットに対する情報資料は全員に配られているが、そこに記載されているのは事実だけ。

 そこから敵の力を推測するのはあくまで生徒の仕事。

 資料の隅から隅まで頭に入れて、策を練る。


「ミイラ化ってことは水属性……もしくは土属性による水分の吸収とか? でも相手鹿だし……全然印象もてないわね」


「そうだな……。

 死体がミイラで、戦闘のあとが非常に少ない、しか情報がない。

 さっきの行動から見ても、俊敏な魔物でないことは確かだ」


「やっぱり、敵の能力が具体的にわからないのは不安ね。慎重に行こ」


「もちろんだ」


 腰にぶら下げる二本の短剣を引き抜いて、パックは戦闘態勢に移る。


「じゃあ練習通りの作戦で行くぞ。アイツの目の前に俺らの幻影を、俺の姿は透明にしてくれ」


「ええ、背後から援護するわ。──嘘か真か、表裏一体ハイド・リアリティ


 そうセキナはパックの肩を叩いて姿を消す。

 触れられた部分からパックの色も消え、今、二人の姿は透明になった。


 表裏一体ハイド・リアリティ

 パックがエイト達に透明化と嘘をついた魔法だ。

 その実態は幻影魔法である。

 自身と触れた人間の姿を一定時間消す事ができ、尚且つ目視出来る場所に幻影を作り出せる魔法。

 この魔法の強い点は敵に対して無差別に幻影を見せることが可能な点だ。


 既存の催眠魔法であると一人に対し、何かしらの制約をクリアした上でかけなくてはならないが、

 彼女の魔法は触れるだけで一人を全ての生命体から認知させなくし、更に多くの敵をデメリットや条件なしで幻影を生み出し、撹乱出来る。


 非常にサポート向きで、強力な魔法だった。


 セキナの気配が充分背後に下がったところで、パックは自身の魔法の準備をした。


「かき──?」


 背を向けていた筈の二段魔セカンドが、ゆっくりと首をこちらに向けたのだ。

 骸骨の首が、虚な眼窩が、見えない敵を捜している。


 ──まさか見つかったか!?


 パックはすぐ後退の準備した。

 しかし、鹿の魔物は首と共に身体をこちらに向けはしたものの、一向に動く気配がない。

 ただ、置物のように立ち尽くしていた。


「掻き乱せ──宴の中の囁きウィスパー・チョイス


 襲って来ないと判断し、パックは解言かいごんを口にする。

 同時に背後に意識を送れば、雑音混じりに人の声が聞こえてくる。

 セキナの声だった。


『ジジジ──ちょ──ちょっと、どうするの?』


「ああ──続行する。やってくれ」


『わかったわ』


 音を操作する魔法、“宴の中の囁きウィスパー・チョイス”。

 主な力は周囲の音を聞く、音を消す、音を任意の場所に発生できる。

 そしてそれは、声も同様。


「よぉ、二段魔セカンド。随分と森が騒がしいが、お仲間を守りに行かなくていいのか? ま、お前らに仲間意識があればの話だがな」


「魔物にそんな道理ないでしょ。食うことしか頭にないんだし。獣よりたちが悪いわ」


 未だ下生えに隠れるパックの眼前には、セキナが作り出した幻影が、パックの作り出した声で話しながら接近している。


 セキナの魔法の欠点は姿しか投影できない点だ。

 視覚的な騙しでしかない。

 そこにパックの音が加わる事で現実感を増し、触れられない限りは本物と思わせることができる。


 実際に学園にて何度も練習を重ね、教師ですら騙す事に成功したこの技の練度は充分。

 最早、パックの目の前にいるのは疑いようもない自分達の分身だ。

 だから不安になる。

 目の前に敵である無防備な人間が接近してくるのに、魔物が全く動かない事実に。


 今も分身達は会話を続けて注意を引いている。

 時には笑い、

 時にはけなし、

 時には話しかけながら充分な現実感を創り出しているのに、魔物は微動だにしなかった。


 ──だがチャンスは今しかないのも事実。


 魔物は全く動く気配がなく、油断しているようだ。

 ならば姿を隠し、音を無くしたパックの先制攻撃でその命を刈り取るまで──!


「貰ったぁぁぁっっ!!」


 誰にも聞こえない勝鬨を上げ、パックは双剣を交差して突撃する。

 狙いは喉。

 長い毛によって覆われているが、動かない敵の首を捥ぎ取る事ほど簡単なことはない。

 強化の魔術で限界まで速度を上げ、足音を消して接近し、その喉に刃を思い切りあて──


「────なにっ!?」


 れなかった。

 魔物は滑るように横に移動し、狙いはズレて左前脚を切り取るに終わる。


「ど、どうなってんだ……」


 前足が根本からちぎれ、紫の鮮血が壊れた蛇口のように噴出しているにもかかわらず、魔物は身をよじらせることすらしない。


 まさか、死んでいるのか。

 もしくは仮死状態にでもなっているのか。

 或いは痛覚が無いのか。


 様々な思考を巡らせていたその瞬間。


「ギィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ヤ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッッッッッッッッッ!!!!!!」


 鼓膜を破るような、けたたましい叫声が魔物から上がった。

 パックも、セキナも耳を塞がずにはいられない。

 何十人もの子供が同時に泣き喚くようなそんな不快感を齎す叫び声に、思わずパックは恐怖した。


 死んでいたんじゃない、痛覚が無いんじゃない。

 圧倒的なまでこの魔物は、鈍いのだ。

 脚も遅ければ、痛みを感じるのも鈍速。


 その癖、力一杯叫ぶものだから、パックの身体が痺れてしまった。

 脳が揺さぶられ、平衡感覚を失っている。

 まともに立っていられないパックは、膝をついて回復に努めたが──


「──────」


 息が止まった。

 魔物と、目が合った。

 未だに幻影が、叫び声に対して魔物に文句を垂れているが、魔物は全く気にしていない。

 ただジィィィーっと、首だけを後ろに回して、こちらを見ている。


 深い闇を灯す眼窩が、

 こちらをずぅっと、見ている。


「分かるはずない……。音も、姿も見えないんだ……例え幻影に不信感を抱いて、背後を見ていたとしても、俺の正確な位置が分かるはずない!!」


 再び双剣を構える。

 またしても顔だけは向かい合っているのだ。

 その首をもう一度狙い、完全に断ち切ってしまえば、この勝負は自身の勝ちだ。


 最早揺るがない勝利の結末。

 それに焦ったパックは最後まで気づかない。


「うぉぉぉぉぉぉ!!! 死ねぇぇぇぇぇぇ!!!」


 姿はなく、

 音もないけれど、

 自身が踏みつけている雑草の形だけは──隠し切れていないことを。


「が────はっ」


 触手のように伸びて、動き出した魔物のツノ。

 手当たり次第に突き出される、槍の如き貫通力を持つそのツノ十本中、


 二本が、

 腹部と大腿部を貫いた。


 貫かれた部位から徐々に色が戻る。

 視界に映る己が鮮血を見て、助からない事を確信した。


 呼吸がうまくできず、

 力もうまく入らない。

 血反吐を吐き、時折光る視界に意識を寄せれば、魔物は顔だけをこちらに伸ばしてやってくる。

 迫る魔物を認識していても、身体は地面に固定され逃亡を許してはくれない。


 あぁ、何て皮肉な話なのだろう。

 友を裏切った代償は、同じく腹に穴を開けることで報いを受けた。

 ──いや、そもそも友と呼べたのかは疑問だが。

 そう、

 だから、

 せめて。


「お前は……逃げ、ろ……セキ、な」


 鹿の頭が迫る。

 自身が咀嚼される未来を察し、パックは不適に笑った。


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