第5話 弱い≠勝てない


 ──試験開始直後に時間は戻る。


 逃げ惑うには充分な広さを誇る空間であった事か、

 それとも森という障害物の多さが幸いしたのか、

 僕は追いかけて来る二メートル越えの巨漢に対し、数十分程逃走を続けることが出来た。


 体格差はそのまま力の差。

 百六十センチと低身長の僕からすれば、彼は巨人と見まごう巨大さだ。

 そんな相手に僕の小手先の技が果たして通じるのか。

 通じるかもしれないが、一番の問題はそこじゃない。


 何よりも僕の──勝利欲の欠損が問題だった。


「ハァッ……ハァッ……くそっ!」


 勝利とはつまり、相手を殺すことだ。

 しかし僕は人を殺してまで、勇者になりたいとは思わない。

 人を救う為に勇者を志願したはずなのに、救うべき人を殺しては本末転倒だ。

 だから対戦相手を殺す事による勝利は論外。


「まだ……まだっ!!」


 だが降参宣言も選択肢から外れる。

 対戦相手に勝ちを譲るだけならば何の問題もないが、その選択に待ち受ける代償が大きすぎる。

 魔臓を抜き取られてしまえば、永久に僕の勇者への道は閉ざされてしまう。

 許容出来るはずがない。


「僕はこんなところ、で!!」


 でもそんな願いも、追われる者では叶えられるはずもなく。


「──よく、ここまで逃げたよ」


 突然木の影から巨体が姿を現す。

 確かに背後にいた筈の巨漢が、いつのまに追い越されたのか。

 魔術か、或いは魔法か。

 どちらにせよ、事実は変わらない。


「────くぁっ……!」


 首の根を掴まれ、足裏から大地の感触が消失する。

 頭部と胴が別れを告げまいと重力に逆らう。

 釣り上げられた魚の気分だ。


 人間を片手で持ち上げるなど常人では不可能。

 強化の魔術を行使したならば、身体に光が走るが形跡は見当たらない。

 つまり彼は今、魔術を使わずに己の膂力りょりょくのみで、僕を持ち上げているのだ。

 その驚愕の事実に、声一つあげれない。


「お前……結局逃げるだけだったけどよ。何で勇者になりたいなんて思ったんだよ」


「な……に?」


 突然、デッドリームがつまらなそうに訊いてきた。


「魔術を使って応戦もせず、魔法も使わない。かと言って剣術や体術、小道具すら使わず逃げるばかり。何がしたいんだ、お前」


「ぼ、僕はただ……人殺しをしたくないだけだ……!」


「人殺しをしたくない……ねぇ」


 飽きれるように繰り返すデッドリーム。


「都合が良い男だな、お前は」


「な……何だ、と?」


「だってお前はこれから、多くの人を救うために、少なくとも多少の殺人はするわけだが……する可能性があるわけだが……、どうすんだよ。悪人を目の前にした時、お前はどう対処するんだ?」


「そ……それは」


「或いは俺でも構わねぇ。俺も仲間を四十七人殺した悪党だからなぁ! そんな俺を、お前は許せるのか? あ?」


 確かに、そういう意味では目の前のデッドリームの様な人間を、いつか殺さなくちゃいけない日が来るのかもしれない。


 僕が選ぶ道は、あまりに過酷な道だ。


 屍を多く積み上げた者が、いただきに立つ。

 勇者の座を、そう表現する人間も少なからずいるだろう。

 実際勇者は人にあだなす者を殲滅する。

 魔族であろうと──人間であろうと。


 結果的にこの手は血に塗れ、いつか黒く乾いていく。

 生命を奪う事に感情を抱かず、無作為に剣を振るうのかもしれない。


 でも、それでも僕は、


「少しでも救える命があるなら……殺す選択はしたくない……っ!」


 甘えかもしれない。

 それでも、死に対する感情を持たない者が、生を愛しみ人を救済する存在に僕はなり得ないと思う。

 だから、殺さなくて良い選択があるのなら、僕は険しい道でも選択してみせる。


「だったらまずは抵抗の一つでもしてみせろぉっ!!」


「──っ」


 放り上げられた身体は人形の如く力が入らない。

 なされるがままにされた身体が抵抗も出来る筈もなく、平手を頬に喰らって力のままに吹き飛んだ。


「魔術でも、魔法でも! 俺を降参させる道も選べない、戦う意志のない奴に、弱者に選択する道などない!!」


 地をゴミのように転がる僕に向かって巨漢は進撃してくる。

 軋む身体に鞭打って、立ち上がる。


 逃げなければ……。

 逃げ続けて作戦を練らなければならない。

 練らなければ、ならないのに。


 薙ぐようにして襲い掛かる太い腕に僕は、


「ぶ────っ」


 なすすべなく、吹き飛ばされた。


「ぁぁぁっっ────!!」


 背中から地面に叩きつけられる。


 鼻が潰れた。

 後頭部を打って、視界も二重三重にボヤけている。

 意識も明滅し、痛みで今にも気絶しそうだった。


「……随分と長い鬼ごっこだったが、もう俺も飽きたんだ。お前はつまらねぇ誇りを持ったまま死にな」


 ザッ、ザッ、と。

 砂利を踏みならし、僕に死を与えるべく暴威が迫る。


 目が見えずとも分かる。

 例え耳が聞こえずとも分かる。

 圧倒的な存在感がゆっくりと迫って来ていることを。


 (ここで死ぬのか……)


 徐に、益体も無いことを考えた。

 世界は粘液が垂れ落ちるようにゆっくりと動いている。

 人は死を直感した時に、脳が極限まで稼働すると聞いた事があるが、もしやそれだろうか。


 僕の鼓動も、

 デッドリームの足音も、

 何もかもが遅延している世界の中で、



 ──少し、過去の出来事を思い出した。



 僕は特別、才能がある人間ではなかった。

 力が強いわけでも、背が高いわけでも、得意な胸張れる何かがあるわけでもなかった。

 強いて言うなら、何もない凡人。

 僕という存在にあるのはただ一つ、そこはかとない──劣等感のみだった。


『魔力適性ゼロかよ! ざっこ!』


 魔法を使える人間は数少ない。

 世界の約半分の人間しか使えないと言う。

 しかし魔術は違う。

 この世のほぼ誰もが、適性さえあれば使える生まれ持った特質だ。


 声を出すのが当たり前のように。

 二足歩行が当たり前のように。

 毛が他の生物に比べ最低限のように。


 そんな当たり前のものが僕にはなかった。

 だから村の子供達に苛められるのも、至極当然な結論だったと思う。


 魔術が使えない癖に、魔法が使えるずるいやつ。

 しかもその魔法も絵に変える魔法だなんて、カッコ悪いもの。

 いつも僕は苛められ、蔑まれた。


 だから僕は誓った。

 何も取り柄がない僕が、

 誰よりも輝けれる存在になったのならばそれは、

 この世界の多くの弱者の希望になれる、と。


 だから僕は──勇者になりたかったんだ。



 世界が戻る。

 死は変わらず、秒毎に近づいてくる。


 敗北は許されない。

 死んでは夢を叶える事は出来ないからだ。


 死による勝利も許されない。

 それは僕の夢にそぐわないからだ。


 この場を打開する方法は、相手の降参宣言のみ。

 可能か、不可能か。

 相手は仲間四十七人を殺す程の残忍な男。

 自分より小さいやつに従うとは到底思えない。


 それでも考えて、実行せねばあるのみ。


「んじゃ、一足先に勇者にならせてもらうぜ────っ!!」


 実行しろ。


 あまりにもみっともない勝ち方でも、

 勇者には程遠い勝ち方でも、

 例え後ろ指をさされても──僕は僕の選択を信じる。


「一か、バチかだぁ────っ!!」


 最後の力を振り絞り、身体を跳ねさせる。

 他には目もくれず、ただ立ち塞がる巨大な壁に向かい地を蹴り飛ばす。


 今戦闘で失敗すればチャンスは二度とやって来ないと考えろ。


 余力は残さず使い切れ。


 この吶喊こそ、最後にして至上の物に。


「はは! さすがに向かって来るか! オマエも勇者候補生の一人だもんなぁ!!」


 豪腕が振り上げられる。

 岩さえ砕く鉄拳だ。

 僕の頭蓋など、道で馬車に轢かれた果物のようにぺしゃんこになる。


 だからそれをギリギリで下に避けれたのはきっと、僕が小柄で身軽だったから──


「刻め──思い出作りブック・メイカー!!」


 真に力ある言葉と共に、魔の力は世界にその理を反映させる。

 今この時、僕の魔法は発動された。


「チッ、ちょこまかと!! ────あ?」


 デッドリームはすぐさま振り向いた、

 豪腕を振り上げて今度こそ潰す為に。

 しかし、そこに僕はいない。


 なぜなら、発動と共に僕は、


「ど、どこに消えやがったんだ……?」


 彼の背中に、絵として貼りついたからだ。


 生物以外の対象を絵に変え保存する魔法。

 しかしこの生物という制限、自身は含まれない。


 絵は傷付けられた時、実体化させるとその傷が反映されてしまう。

 だから敵の背中に絵として張り付いた。

 何より安全な場所だから。


 そしてこの魔法をいつも逃げる為に使っていた僕は、偶々知ったことがある。

 絵になっている間は絶対に、を。


「く、クソッ!! 出て来やがれ! 小僧!!」


 ──さぁ、我慢比べだ。君の我慢と僕の我慢。どっちが勝てるか勝負だ!!



 そうして、僕とデッドリームの我慢比べが始まった。



 一日目。

 彼は僕を歩き回って捜し続けた。

 しかし見つかるはずもなく、すぐに疲れて寝ていた。


 二日目三日目。

 怒りに任せて、狂ったように暴れていた。

 彼の魔法はどうやら能力を何倍かに引き上げるものだったようだ。森が一夜にして伐採され、三日目には木屑ばかりで森は原型を留めていなかった。


 四日目以降。

 流石に疲れたのだろう。

 毎日毎日歩いて捜していた。

 最初は威勢が良かった彼も、途中から“腹が減った”、“疲れた”などの弱音が増えていた。

 僕には疲れも空腹もない。

 一年だって、我慢できる。



 二週間が経ち──

 遂に、デッドリームは言った。


「こ……こ、こ、こう、さん……だ」


 こうして、僕の一次試験突破が決まった。

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