短篇集③

君の名前は?

 青年が目を覚ますとそこは見知らぬ部屋のなかだった。


 木造の天井は低く、なんとなく木の香りが漂っているのがわかる。そして、い草の匂いはその場所が和式であることは容易に理解できた。


 青年が上半身を起こして周囲を確認すると、やはり純和風の部屋であった。


 六畳ほどの畳の部屋に敷かれた布団。それ以外はなにもなく、開けられた襖の向こうには縁側と日本庭園が広がっていた。


 ここはどこだろうかと確認するために立ち上がろうとするも、全身に激しい痛みが走った。


 よく見ると自分が包帯だらけであることがわなる。


「あれ? おいはどがんしたとや?」


 青年は記憶をたどる。


 すぐになぜ自分が満身創痍の状態にあるのかを理解した。


「崖から落ちたんだった」


 落ちた。


 鬼と呼ばれる奴らとの戦いのなかで、青年は切られて崖から落ちたのだ。そこまでは記憶がある。けれど、それからどうなったのかまったく覚えてはいなかった。


 ただ、まだ生きている実感だけはある。



 ここはいったいどこなのだろうか。



 見たことのない景色。


 何度も思いめぐらせても、なぜ見知らぬ場所にいるのか理解できずにいた。


「目を覚ましたのね」


 すると襖が開いて和装の少女が姿を現す。



「君は……」


 青年はその彼女に猜疑心を抱く。


 その事に気づいた様子もなく少女は青年の方へと近づくと近くに座り、顔を覗き込んできた。



「君を助けたのは私。感謝しておいてね」


「なぜ?」


 青年が問いかけると、少女は人差し指を唇につけながら首を傾げる


「助ける理由なんて、どうでもいいことよ。ただそうしたかっただけ。あなたもそうでしよ」


 青年はしばらく彼女の笑顔を見つめるとそうかもなとつぶやく。



「あなたって、結構奪還しているのね」


「そがん?」



「もっと楽観的かと思ったわ」


「いや、おいは楽観的たい。でも、そうもいってられん状況になったけん」


「そうなの?」


「ああ」


「弟さんのこと?」


 少女の問いに弟の姿がよぎる。生意気で口の悪い弟。


 短気でよく怒っていた。


 その顔がなんだか可愛くて何度もからかったことが思い出される。


 次に出てくるのは弟が生まれた日のこと。


 自分が八歳のころだった。


 はじめて出来た兄弟。


 可愛くてしかたがなかった。


 弟を抱かせてくれた母が優しくいった言葉が甦ってくる。


 約束した。


 実母と約束したんだ。


 結局守れなかった。


 そう考えるとただ後悔だけが青年のなかで駆け巡る。


「大丈夫だよ」


 その言葉に青年ははっと少女を見る。


「あの子は助かったよ。君の親友たちが助けたから大丈夫。でも、……は……」


「知っとる。結局救えなかったんだ。おいが弱いから」


「……あとひとつ問題があるわ」


「問題?」


「そうよ。知りたい?」


「知りたい」


 青年は即答する。


「教えてあげる。そのまえに貴方の名前くれる?」


「そういうの聞くまえに自分が先に名乗るものじゃなかとや?」


「……。君の好きによんで?」


「名前を教えてくれんとか?」


「私には特定の名前はない。仕える主でかわるの」


「君はなにもの?」


「簡単に言えば鬼の部類にはいるかしら。あの人は千草と呼んでたけど、それでもいいわ」


「……。いますぐには思い付かん」


「ということで君の名前を教えて。今日から私は君の式になるわ」


「勝手やなあ」


「そう決めたの。教えて」


「わかった。おいの名前はユキ……。有川夕紀嘉ありかわゆきひろだ」

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