3・魂のルフラン

 ピアノの音が響いてくる。


 どこか聞き覚えのある曲だった。しかし、それがいつ聞いたものなのかは定かではない。けれど、どこかで聞いた昔の曲だということは、朝矢にもわかった。


 けれど、どこで聞いたのだろうかと考えを巡らせてみてもわからない。


 朝矢はピアノの聞こえる方向へと歩いていく。


 やがて真っ白だった景色が広がっていく。どこからともなくサイレンの音が響く。空には飛行機が飛ぶ音。


 飛行機?


 そうではない。


 もっと荒々しい感じの音だ。


 朝矢は上を見る。すると、そこには無数の戦闘機が飛んでいるのが見えてきた。戦闘機というものは実際にみたことはない。


 学校の平和集会と呼ばれるものが行われたときに見せられた戦争映画でみた程度のことだ。そのことを思いだしたときに、ピアノの音色がそのときみた映画画面から流れてきた曲に似ていることに気づいた。


『これは早く戦争が終わりますようにと込められた曲だそうです。もちろん、それを知られてはならなかった。だから、だれもこの曲の意味を知らなかったのです』



 そんなふうに女優さんが自分たちに向かって語り掛けていた記憶があった。


 この曲は鎮魂歌だ。


 ただひたすら平和を願い引きづつけた一人の少女の鎮魂歌。


 風景は東京の街。今の街とは違う。戦争時代の街が広がり、次々と爆弾が落とされていく。逃げまどう人々。焼け落ちて崩れていく人々。


 嘆き苦しみ、ただひたすら助けを認める。


 生きたい


 生きたい


 死にたくない


 そんな想いが朝矢の中に流れてくる。


「うめせえ。黙れ」


 朝矢が一喝する。すると、その亡霊たちが朝矢の元から離れていく。


 朝矢は歩き続ける。曲に導かれるように歩き続け、一つの屋敷にたどり着く。


 扉が開いていく。そこから飛び出す人々。だれもが朝矢の存在に気づかない。


「弾くの。弾かなきゃならないの」


 声が聞こえる。少女の声だ。


「弾くの。弾くのよ。いやよ。やめたくない」


 少女はがむしゃらにピアノを奏でている。


 朝矢は走り出す。


「ダメだ。弾き続けたらだめだ」


 そして、彼女の姿を捕らえる。

 彼女はグランドピアノの椅子に座り、「鎮魂歌」の曲を弾いていた。


「弾くな。それ以上弾きづづけ居たら。戻れなくなる」


 朝矢が彼女の腕をとかもうとした。しかし。なにかにはじかれてしまった。朝矢はそのまま後方へと倒れこむ。


「もうすぐなんだ。邪魔しないでくれよ」


 すると男の声が聞こえた。



 朝矢はハッと顔を上げる。


 彼女=蝶子と呼ばれる少女のすぐとなりには一人男が佇みこちらを見ていた。


「お前……」


 その人物がだれなのかすぐに理解した。同時に底知れぬ恐怖が朝矢の中に生まれる。


 脳裏に浮かぶのは踊ましい過去。


「久しぶりだな。おちびちゃん。ではないか」


「イバラギ」


 朝矢はその男の名を呼んだ。


 それに満足したように微笑む。



「いまは君にようはない。もうすぐ羽化する。彼女は鬼となるんだ」


 ピアノの音色が激しくなる。


 やがて、彼女の魂を形どっていた霊気が失われ。妖気へと変換されていく。


「させるかよ」


 朝矢は立ち上がるなり、弓矢を構えようとする。


 しかし、弓矢は出ない。


「無理だよ。ここは精神世界だ。君の武器はだせないことはわかっているはずだ」


 朝矢は舌打ちを付いた。


 彼女は一心不乱にひきづづけ、その頭に二本の角が生えていく。


 鬼に変わる。


 魂そのものが鬼に変わろうとしているのだ。


「そんなこと……」


「させないでござる」


 そのときだった。突然。朝矢の背後から巨大な蛾が飛び出してて来たのだ。そのまま、男のほうへと突進する。



「武村!」


 朝矢が叫んだ。


 武村らしき巨大蛾と男の姿は一瞬にしてはじけるように消し去る。


 ピアノの音がやむ。


 グランドピアノが消え失せ、そこにはセーラー服ともんめ姿の少女が佇んでいるだけだつた。


「大丈夫か?」


 朝矢は思わず話しかけた。


 彼女は呆然と朝矢を見た。


 その様子を見ながら、朝矢は舌打ちする。


「半分もっていかれちまったか」


 その言葉の意味が理解できないらしく、首を傾げがら少女はこちらを見ている。


「終わった」


「終わった?」


 少女は朝矢の言葉をそのまま返した。


「戦争は終わった。平和になった。だから、お前はもう弾かなくていい。いや、弾くな。あの曲は悲しすぎる。だから、もうお前の好きな曲を弾け」


 朝矢はピアノのほうを指さす。


 その意味を理解したのか。


 彼女は再びピアノの椅子に腰かけて弾き始めた。


 今度はまったく違う曲だ。


 さっきまで弾いていた曲は、ただひたすらに戦争を嘆くような曲だったのだが、今回は純粋な歌謡曲。娯楽の曲。平和な世界に奏でられる曲だった。


 やがて彼女の姿が薄れていく。


 彼女は朝矢をなにかを訴えるような目で見る。


「大丈夫だ。絶対に取り戻す。お前の……君の半分。鬼となった半身を元に戻して、君のいる場所へ送る。だから、待っていろ」



 その言葉に安心したような笑顔を浮かべながら、蝶子と呼ばれた少女は消えていった。



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