11・霊気を吸うもの

「朝矢」


 地上から山男の声が聞こえてきた。


「大丈夫」


 朝矢はそう叫んでみるものの、どうもなにかが吸い取られていく感覚があった。どうやら、この大型蛾が霊力を吸い取っていくのは本当らしい。


『汝は……』 


 そのとき、突然声が聞こえてきた。


 すぐそばから聞こえてくる声。


 その主が大型蛾であることはすぐさま分かった。


『汝は混ざっているのか?』


 そう尋ねてくる。


 どういうことなのか一瞬理解できなかったが、ふいに自分の体内にいるもののことを思い出す。


 鳥かごのような檻の中にいる存在。いつも不適に笑いながら、『代われ』とあざ笑うかのように叫んでくる。いまでも叫ばれている。


 檻を揺らしながら、「いますぐにここから出せ」と叫び続けているのだ。


(長くは持たないか)


 ふいに自分の診察してくれた男の言葉を思い出す。


「どうかな。俺にもわからない」


 そういうと、朝矢は一回転して、蛾の上に乗ると、そのまま立ち上がる。


「でも、俺は俺だ。俺は負けたりしない」


 そういうとその手には一本の矢がもたれている。


『なにをするつもりだ?』


 大型蛾が焦ったように尋ねる。


「依頼をこなすだけだ」


『我を祓うのか?』


「ああ、そうするつもりだ」


『そうか』


「なんだよ。素直だな。もう少し抵抗てもいいんじゃないのか?」


『抵抗してもよいのか? だが無駄なことよ。我にはその力はない。我は食らうだけだ。霊気を食らって少しでも永らえようとしたにすぎぬ。いつ尽き果ててもよい命だ』


「ちっ」


 朝矢は舌打ちをした。握られていた矢が消える。


「なんだよ。余命いくばくもない爺さんかよ」


『爺さんではない。我は女ぞ』


「しるかよ。雄か雌かの違いなんて分かるかよ。じゃあ、婆だな」


『お主は礼儀を知らぬのか』


「うるせえ。くそ婆。とにかく、さっさと寺から立ち去れよな。迷惑してんだよ」


『それは済まぬのお』


 本当に素直な蛾だ。祓う必要もないのではないかと思いながら、地上へ視線をむせる。そこには不安そうな顔をする住職の姿がある。


 蛾が地上に降り立つ。


「あのお。これはどういうことですか?」


 住職がそう尋ねるのは当然のことだ。住職にとってはこの蛾は害をなすモノにすぎない。それなのに祓わずに戻ってきたというのは驚き以外ほかでもない。


「話し合いがすんだ。もうここを去るそうだ。そしたら、あんたらも霊気をすわれることもないだろう」


 そこまで言ったとき、朝矢の膝が折れる。そのまま、跪いてしまった。


「あれ?」


「霊気を吸われたようだな」


 山男が言った。


「おいおい。マジかよ。こらっ、てめえ」


 朝矢が蛾をギッと睨みつける。


『すまぬ。もうせんよ』


 蛾がいつの間にか、空に舞っている。


 朝矢たちは見上げた。


『それに我の霊気を吸う能力なんてたかがしれおる。我には致死量を与えるほどに霊気を吸う必要にないからな。なあ、そこのモノノケよ』


 蛾の言葉に住職の顔色が変わる。

 

「どういうことだ?」


 住職が肩を落とす。


「すみません。すみません」


 そして、土下座をする。


「勘違いしてましたああああ。鬼妖をみた瞬間に僕らはみな食われるかと思ったんです。だから……」


「ただの早とちりかよ。まぎらわしいことしてんじゃねえよ。くそ坊主」


 モノノケ住職は涙目になる。


「でもですね。でもですね。確かにいるんです。モノノケたちの間で噂されているんです」


「噂?」


『最近、黒死蝶の動きがおかしいということだろう』


 蛾が言った。


「黒死蝶?」


『ああ、我と同じで霊力を吸う鬼妖だ。しかし、彼らの様子がおかしいのだ。死が近づいているということなのかもしれぬ』


「死が近づいている?」


 朝矢は蛾の言葉をオウム返しする。


『ああ、黒死蝶は普段群がらない。群がるときは死の匂いがする時だけだ』


「死神のようなものか?」


『そうともいえる。しかし、最近の黒死蝶の動きがおかしいのだ。死が近づいているのかもしれないが、群がり方が異様なのだよ』


「はあ?」


 朝矢は首を傾げる。


『うまくは説明できぬが、どうやら黒死蝶はなにものかに操られているようだ。祓い屋よ。どうか彼らを救っておくれ』


 朝矢はため息を漏らしながら、後頭部をかいた。


「朝矢?」


 山男が朝矢を見る。


「俺がそれを決める権利はねえよ。まあ、店長に話してみるさ」


『すまぬ』


 それだけ告げると蛾はいずこかに飛び立っていった。


「黒死蝶ねえ」 


朝矢はふいに弓道場に群がる蝶の姿を思い出した。


「朝矢?」


「とにかく、依頼は成功いうことでいいか?」


 そして、土下座をしたままのモノノケ住職を振り返った。


「はい。そのようにしてください。報酬は?」


 モノノケ住職は顔を上げる。


「報酬はあとで取りにくるはずだ」

「わかりました」


  モノノケ住職は立ち上がると、そのまま境内のほうへと消えるように入っていった。


「これで一件落着でいいのか?」


 朝矢が疑問を投げかける。


「よいのではないか?」


「くそっ、急ぎでもなんでもないじゃねえかよ。あのバカ店長のやろう。手間かけさせやがって……。いくぞ」


 朝矢は境内に背を向けて歩き出した。



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