10・文化祭の始まり

1・アカペラライブ始まる

 山有高校は騒然としていた。


 それは突然のいまをときめく歌姫の突然の来訪だった。


 彼女はオレンジ色の長い髪を靡かせ優雅に生徒たちを間を歩いていく。


白いポロシャツにジーンズ、頭にはキャップというラフなスタイルでありながら、その存在感にだれもが目を止め、なぜ今年話題を席捲している歌姫がやってきたのだろうと怪訝な顔をする生徒たちがいる。


その一方では、歓喜の声をあげる人たちもいる。


その温度差というのは、彼女への関心の現れなのかもしれない。


 ラフでテレビでは決して着にないような服を着ている彼女になぜ皆が気づいたかというと、彼女が楽しそうに鼻歌を奏でているからだった。


彼女の最近リリースされた新曲を聞いた生徒たちがはっとして振り返ると本人がそこにいたといった具合だ。


「愛美ちゃん。もう少しオーラ隠そうとは思わないの?」


 彼女の後ろからついてきたマネージャーの行慈がため息交じりにいう。


「いいじゃない。そういう気分だもん。だって、久しぶりに朝矢にあえるのですもの」


「久しぶりって、昨日あったばかりじゃないの」


「だって、今日はあってないもん。一日でも朝矢の顔とか声聞かないとアオバロメーターが下がる」


「なによ。そのアオバロメーターって……。それに今日の朝も有川くんに電話してたわよね」


「そうよ。『せからしか。朝からするな』って、寝ぐせ頭でいわれたわ。うふふ」


「寝ぐせって……。ただの電話よね。ただの電話で姿みえないじゃないの」


「想像つくわよ。だって、朝矢の声が眠そうだもん」


 そんなことをいいながら、彼女の頭には、朝矢が寝間着姿で目をこすりながら電話に出ている姿思い浮かべていた。その姿を考えるたびに愛美の顔がにやける。そんな会話をしている二人だが、周囲には聞こえていないらしい。もしも、聞こえていたならば大スクープで、明日の三面記事に『松澤愛桜。恋人発覚』というものが乗りそうだ。いや、彼女がごく普通の高校に出現しただけでも新聞の一面を飾るほどの有名人になっている。けれど、その心配がいらないのは、彼女が歌っているからだ。彼女の歌には記憶に作用する能力がある。その記憶は遠い記憶から近い記憶などさまざまで。その作用がどのようになるのかも様々だ。いま彼女が歌うことで出現する効果は、携帯で写真を撮るという行為を一時的に忘れることだ。だから、突然現れた有名人がいるのにただ歓喜の声を上げていることしかしていない。


 もうじき、校舎へとたどり着こうとしたとき、桜花と成都がこちらへとやってきているのが見えた。


「おーい。桜花――。ヤギくーん」


「おお、めぐはんかあ。……ってその呼び方やめろやあ。マジダサいでえ」


「高柳だから、ヤギでいいじゃないの」


「それもそうやなあ。あははは」


「シゲ。もう少し、自尊心持ってよ。結局、気に入ってんじゃないの」


 桜花はどうものんきな二人にツッコみを入れながら、頭を抱える。


「それよりもお。朝矢は? 朝矢の姿見えないけど」


 愛美は周辺を探すが、朝矢の姿がまったく見えない。


「残念なお知らせや」


「なに?」


 愛美は顔をしかめる。


「有川なら帰ったわ。正確には強制送還」


「ええええええ。どうしてえええええ」


「なんでやろうか?」


 二人も首を傾げている。すると、愛美がなにかが思い当たったらしい。


「行慈さん。今日は何日?」


「今日は九月十七日よ」


 その言葉で二人ともピンときたらしい。


「そうやったなあ、よくわからなん。検診メンテナンスやな」


「良くわかないものじゃないでしょ。有川にとっては大切なことよ」


 桜花が言った。


「そうね。朝矢にとっては……。違うわ。今後の私たちにとっても重要なことなのよ」


 愛美がいう。その声音は先ほどのテンションとは打ってかわって静かなものだった。そんな二人の様子に成都もまた神妙な面持ちになる。


「よーわからん」


 成都は空を見上げながら言う。


 桜花たちは成都を見る。


「俺は又聞きにしたにすぎんからなあ。朝矢の身体のこととか、俺にはさっぱりや。そんなことはいまはどうでもええとちゃうか。それにさあ、俺ら注目の的やでえ」


 そう言われて周囲を見回すと、生徒たちが目を輝かせながら愛美たちを囲むように集まっていた。


「もう、深刻にもなれないじゃないのよーーーー」


「ちなみに杉原君も連れていかれたわ。まだ文化祭の準備もあるし、三十分の空白埋めてやらないと、戻ってきたとき、彼が大変よ」


「ええ~。あの子タイプじゃないわよ~」


「なにいってんのよ。店長から言われているでしょ」


「まったくしょうがないわねえ。ステージ環境の下見も兼ねていきますか」


 愛美はピんと背筋を伸ばすと、“松澤愛桜”モードに切り替えた。


「歌う予定の曲は?」


「ここにピックアップしているわ」


 桜花はプリントを差し出した。


「なるほどねえ。じゃあ、それ以外の曲ね」


「どうして?」


「だって、そうじゃないと楽しくないじゃないのよ。じゃぁ。いきまーす。みんなあああ。特別よおおお。アカペラだけど、いいかな」


「おおおおお」


 生徒たちはノリノリだ。本来ならぱ、校舎の真ん前でしかも文化祭の準備中にアカペラライブなんてありえない。先生たちが即効止めにくる可能性もあるのに誰も来ないのは、どこかで手回しがしてあるようだ。それから、“松澤愛桜”のアカペラ路上ライブが始まった。


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