4・特訓開始
「刑事さん?」
弦音は尚孝から桃史郎へと視線を向けると、相変わらず何を考えているかわからない笑みを浮かべている。
「彼は元ドラマーなんだよ」
「おいおい、それは学生時代だぞ。もうずいぶんやっていない」
「大丈夫。基本はわかるでしょ。後は練習あるのみだよ」
「お前は、ドラムの何を知っているんだ?」
「知らなーい。だから、君に頼むんだよお」
「朝矢の友人に頼めばいいだろ」
「光吉くんはダメだよ。彼はこっちの事情はしらないしい。本番明後日なんだよ。間に合うわけないじゃん」
二日でどうにかしようというのだろうか。しかも弦音には、文化祭準備というものがある。その途中でいきなり連れてこられたのだ。一刻も早く戻らないと、樹里になにを言われるかわからない。鬼の形相で怒る樹里の姿が脳裏に浮かべた。
「二日でって……。そんなんでどうにかなるほどの才能か?」
「さあ?」
「さあって……。いい加減だなあ。相変わらず。まあ、時間に関しては気にする必要はないがな」
「そういうこと」
どういうことなのか、弦音にはさっぱり理解できず首を傾げた。
「さつそく、行こうか」
桃史郎が立ち上がる。
「はい?」
「いいから、立ちなさい。練習場に案内するから」
「はあ」
弦音はなにがなんだかわからないまま、言わるれたとおりに立ち上がる。
「悪いな。このバカの思いつきに付き合わせて」
尚孝がそっと弦音の肩を叩いた。
「いえ……」
なんとなく否定することもできないのは、状況がいまいち理解できなかったことと、おそらくその特訓を受けないと帰してくれそうもなかったからだ。とにかく、ノルマを達して戻りたいところだが。果たしてすぐに帰れるのだろうか。いやどう考えても帰れるわけがない。音楽センスはいい方ではない弦音にとっては楽器を容易に引けるようになるとは思えなかった。
「心配するな。すぐに帰れるさ。まあ、感覚的には長いだろうけど、俺も長く付き合う気はないし……」
その間にも桃史郎は先ほど朝矢が入っていった扉を開いた。
「さあ、来てくれるかい。洋子ちゃん。店番お願いね。お客さん来たら呼んでくれていいから」
「あっ、はい」
レジのところにいた洋子がどこか不安そうな顔をしてこっちを見ている。その傍らには彼女が肌身離さず持っている人形がある。人形がじっとこちらを見ていた。
「杉原くん。頑張れーー。無理だろうけど」
洋子のほうからと刺々しい声が聞こえてくる。
弦音がそちらを見ていると、洋子が人形に向かって「なんてこというのよ。お姉ちゃん」と慌てたようにいうとごめんなさいと弦音に頭を下げていた。
「謝ることないわ。本当のことよ。杉原くんの音楽の成績知っている?」
さらにそんな言葉が続く。
そう。彼女のそばにいる人形はただの人形ではなかった。洋子の姉である亜衣の魂が入った人形なのだ。香川亜衣は数か月前に月草峰子という人形に対して異様な執着を見せていた女性によって殺されている。眼球を奪われ、峰子の作った人形にはめ込まれていた。それにより亜衣の魂もまた人形に憑依することになり、当初は峰子によって操られ自分の意志というものがなかったらしいのだが、なんらかのきっかけで意志を取り戻した。
そのときの弦音は朝矢とともに峰子と対峙していたころだから、人伝えしか聞いていない。本来なら事件の解決後に成仏することになっていた亜衣の魂がなぜか人形に入ったままになっており、いつも洋子のそばにいるといった状態になっている。朝矢はさっさと成仏しろと言っているようなのだが、店長の桃史郎のほうは呑気な顔をして「気が済めば成仏するから大丈夫」と亜衣の存在をそのまま保留にしている。
「1よ。音楽の成績は1らしいわよ」
「そうなんですかあ。ってお姉ちゃん。よくそんなこと知っているわね」
洋子のいうとおりだ。洋子の2つ上ということは弦音の一つ上。学年が違う。同じ中学出身ではあるために面識は元々ありはしたが、弦音の音楽の成績をなぜ彼女が知りえたのかはなぞだ。
「いろいろと情報があるのよ。杉原君はある意味有名人だったからね」
ある意味ってどういう意味なのだろうか。
確かに弦音は中学時ではそこそこ有名人だった。なにせ野球のセンスがずば抜けていたからだ。将来プロでも活躍すると目されながらも、中体連を最後にきっぱりと野球をやめるというセンセーショナルな事態に皆が驚愕していた。
「いいじゃないの。そんなこと。でも、芦屋さんがドラマーとは意外ねえ。洋子。どう?」
「どうって……」
洋子は尚孝を見る。その瞬間視がぶつかり、洋子は思わず顔をそらした。
「ほらほら、ふたりとも行くよ。じゃあ、任せたよ」
「はい」
弦音は桃史郎たちとともに店の奥へと入っていった。
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