8・昭和の歌
「こっちよ。ここで練習しているはずよ」
文化祭の準備が一段落すると、武村は「バンドというものはなんでござるか?」と尋ねた。その質問にクラスメートが唖然としたのはいうまでもない。
「お前、どこの田舎で育ったんだよ」
後藤がそうからかってみせるが、さすがにずっと弓道場にいたとはいえずに口を閉ざす。
そういえば、いつから弓道場にいたのだろうか。
弓道場にくる前の記憶もあいまいで新しい記憶でも、何百年も前の話。彼が仕えていた殿の子どもたちを連れて逃げていた記憶はある。それからすぐに子供は処刑されている。磔にされて、問答無用にその幼い首が切り落とされた。自分は泣きわめき、それを執行させたあの憎き徳川家康に弓を向けたまでは覚えている。それから幾度もの時代を超えてここにいるわけだが、自分が亡者であることに気づいたのは、ほんの少し前の話。
有川朝矢という青年によるものだった。
そのまま、あの世へといくはずだったのに、なぜかまだここにいる。しかも、生身の肉体(マネキンだが)を手に入れているという奇妙な存在になり果てていのだ。
それもこれもいま自分のそばにいる少女に恋したせい。少しでもそばにいたいという願いをあの陰陽師が聞き入れた。
でもその期限は尽きようとしている。三日後には、この肉体から離れなければならない。
「後藤君。そんなにな苛めちゃだめよ。人にはいろいろ事情があるのよ」
武村をからかう後藤を麻美は叱咤した。
「そうだ。横谷くん、バンド部に行ってみない? 見たほうが早いわ」
麻美から誘ってきたことに武村は胸が踊るような気分になった。それがはっきりと顔に出ていたのか、後藤と白石がニヤニヤとしている。
明日には別れる、この肉体を離れ、彼女のその腕に触れることもできなくなる。マネキンから離れてしまったら、そのままあの世に行くことになるだろう。そういう条件だった。
「まだ音楽室にいると思うから行ってくるわ。いいわよね?」
麻美が友人たちのほうを見ると、ニコニコと笑顔を浮かべながらうなずいている。
「じゃあ、いこうか」
「う……うん」
彼女はそう言いながら微笑む。
そういうわけで武村は麻美に案内されて、今現在音楽室の前に立っていた。
中は静かなものだった。
電気はついているようだから人は、いるのだろう。
「いま休憩中かもしれないわね」
そういいながら、麻美が音楽室の扉に手を触れたときに、中のほうからピアノの音が響き渡っていた。
「また古い曲を弾いているのね。三神さんは」
「古い曲?」
古い曲だろうと新しい曲だろうと武村には聞き覚えのないメロディだ。いやピアノという楽器自体しらない。彼の知っているのは笛や琴といった類の楽器だけだ。その音色自体初めて聞いたものだった。
麻美がそうブツブツいいながら音楽室の扉を開けた。すると、グランドピアノにひとりの少女が座り、音楽を奏でていた。
やがて歌い始める。
「楽し都 恋の都
夢の楽園(パラダイス)よ 花の東京」
これもまた聞き覚のない曲だった。
「三神さん。相変わらず、昭和歌謡にハマっているのね」
麻美が話しかけると、音楽がやみ、彼女が顔を上げた。その瞬間、武村は寒気を覚えた。これ以上、彼女に近づいてはいけないような気がして、思わず後ずさる。
「いいわよ。昭和歌謡。麻美も聞いてみなさいよ。絶対にはまるわよ」
「ご遠慮しときます。私はいまを生きる女だもの」
麻美がきっぱりと断ると、少女は残念そうな顔をする。
「昭和とは?」
思わず武村がつぶやくと、麻美も少女もびっくりした顔で振り向いた。
(あっ、そうか。いまの元号……じゃないでござるな。言い方からいって少し前の元号でござったか)
「横谷くん、日本人よね」
「はい、生まれも育ちも日本でござる」
「だったら常識よ。いまは平成。その前が昭和。まあ、私も平成生まれだからよくしらないけど……」
麻美はそう付け加えた。
「麻美、彼はどちら様? みかけない顔だけど……?」
「ああ、彼は最近うちのクラスに転校してきた横谷武村くん」
「横谷でござる」
「ござる?いつの時代の人よ。なんか私と同じ匂いがするわ」
そういいながら立ち上がった彼女は右手を差し出した。
「はじめまして、私はバンド部のキャプテンの三神雅よ。あなたとは仲良く慣れそうね」
「同じ匂いって……。先輩とは違う気もするけど……」
麻美は眼を細めながら突っ込みを入れる。
「握手してくれるかしら?」
「えっと」
武村が戸惑っていると三神が強引に握手をすると同時に、武村に抱き着いてきた。武村は動揺して麻美を見ると、彼女は頬を赤くさせながら目を丸くしている。
「あああ。私、先生に頼まれていた。横谷くん、先に行くわ」
「エ?西岡さん。ちょっと待つでござる」
武村は三神から離れると慌てて追いかけようとする。
「へえ、あなた、あの子が好きなのね」
武村は振り返る。
「あの子を自分のモノにしたい?」
「なにをいっているのでござるか?」
彼女は武村の耳元に唇を寄せた。
「私が手伝ってあげてもいいわよ」
その声音は最初にみた印象とはまったく違っているように感じた。まるで熟練した女性のようでいて、どこかの遊郭の花魁のようにも思える。
武村は背筋が凍り付くのを感じた。
「大丈夫です。大丈夫」
武村は慌てて飛び出していった。
残された三神はその後ろ姿を見つめる。
そして、また歌い始めた。
「勝ってくるぞと勇ましく」
昭和歌謡だ。しかも戦時中の歌われた曲であった。
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