7.

『アカリくんがこのメッセージを読んでいるということは、もうボクはキミの傍にはいないということだね。


 正直、悪いと思っているよ、唐突にこんなメッセージを送って。しかもベッタベタな書き出しで。


 キミも混乱していると思うけど、ボクと研究所の職員たちもだいぶ混乱しているんだ。

 手短に事実だけを言うよ。研究所のAIがテロの発生を予測した。

 それも数日のうちに。これはかなり確実性の高い予測だ。


 最近、違法ダイバーの増加が問題になっていただろ? 

 あいつらの中にボクたちが【旧世界】の情報を独占していると勘違いしている連中がいてさ、不当に秘匿された情報を大衆に向けて広く解放するとか鼻息を荒くしてたんだけど、いよいよ実行に移す気らしい。


 まったく、ボクたちはこの世界をより正しい形にするため【淵】から情報をサルベージしてるのに。とんだ風評被害だよ。

 さすがにヤベーから【管理局】に報告したけど、困ったことに返事がない。


 アイツら、ボクたちの研究が思ったほど進まないから、ここぞとばかりにトカゲの尻尾切りをするつもりみたいだ。


 まぁ、研究のためにいろいろ無茶したのも悪かったのかな。リソースも食いまくってたし。覆水盆に返らず。【旧世界】の諺さ。天才に後悔は似合わないってね。ちょっと違うか? 細かいことは気にしないでくれ。


 アイツらもアイツらなりに頑張ってはいるんだよ。どうか恨まないでやって欲しい。ボクは恨むんだけどね。


 それはさておき。


 この世界は本格的に駄目なのかもしれないね。運営・維持に必要なリソースがまったく足りてない。


 ボクたちは【淵】からサルベージした情報とアーカイブ内の情報を組み合わせて、なんとかこの世界を救うための方法を探していたワケだけど、結局、間に合わなかったのかもしれない。


 でも、ここまでやってきたのに、いきなり仕事を取り上げられるのも腹立たしい。

 世界の秘密を解き明かすの魔法使いとしては、ここが踏ん張りどころと考えたのさ。


 これから、ボクは【淵】の一番深い場所に潜ろうと思う。

 予定していたダイブよりもさらに深い場所だ。


 あそこは、ありとあらゆる可能性が溶け合った情報の海だ。

 かつて存在したとも、本当は存在しなかったとも、現在進行で壊れ続けているともされる【旧世界】。そして、滅び行く世界から脱出した人々の新天地となるはずだったのに、結局は破綻に向かってしまった【新世界】。


 二つの世界の境界に存在する【淵】。その最深部なら、【管理局】と違法ダイバーたちもそうそう手が出せないだろうから。


 そこに、これまでの研究成果と集めた情報を持っていく。ボクの脳ミソを生体メモリにして持ち出せるだけのデータを持っていくよ。


 誰にも決して奪わせない。ボクは独占欲が強いのでね。あのテロリストどもの考えは正しかったのかもしれないね。知らんけど。


【クラゲ】と職員も連れて行くよ。どうせここに残ったところで未来はない。【管理局】か違法ダイバーたちに殺されて、頭から情報を盗まれるのがオチさ。


 みんなを一度バラバラにしてつなぎ合わせるんだ。意識と情報の巨大なパッチワーク、これまでの研究のちょっとした応用ってヤツさ。


 嫌がるヤツもいるだろうけど、関係ない。

 ボクは魔法使い。どんなことだってできるし、やってみせる。

 結果的に『ボク』という個は失われるけど、昏く深い可能性の海の中で情報生命体として生続けることができるはず。


 アカリくん。キミはこの世界では珍しい、好奇心旺盛な若者だ。沢山勉強をしてボクの後を継ぐといい。端末に必要な情報を送るよ。


 この世界はどんどんおかしくなっていくかもしれないけど、キミはどうか生きのびてくれ。


 そして、何もかも全部忘れずに憶えていて欲しい。

 いつかキミが大人になったら【淵】の底の底からボクの欠片を引き上げてごらん。【管理局】や違法ダイバーたちには無理でもキミならやれる。


 未来のキミにサルベージされた『ボク』はこの『ボク』とは違う存在かもしれないけど、きっとホンモノらしくふるまって見せるんじゃないかな。


 何しろ、魔法使いはどんなことだってできるし、するのだから。


 それじゃ、また会える日を楽しみにしてるよ。ボクの本当の名前はそのとき教えてあげよう。

 

 追伸:再会の日にはアカリくんの特製クッキーが食べたいな。あ、苦いヤツはいらないから』

 

 ☆ ☆ ☆


 明かりのつかない部屋の中、机に置かれたスノードームが淡い光を放っている。

 私はベッドの上で膝を抱えてそれを黙って見つめている。


 先生からのメッセージを何度も読み返したけど、文字が目を滑っていくだけで意味を理解することができなかった。

 送られてきた情報を確認する気力も湧かない。


 涙はとっくに涸れていた。

 全身を痺れるような倦怠感が包んでいる。

 ため息しか出てこない。


 ふらふらとした足取りで立ち上がり、机の上からスノードームを持って、ベッドの中に潜り込む。


 闇の中に淡い光が滲む。

 先生を失った世界で私はどうやって生きていけばいいのだろう?

 いっそのこと、先生のあとを追って【淵】に飛び込んでしまおうか。


 でも――。


 あのひとは私に「生きのびてくれ」と書き残した。

 この壊れかけた世界で「いつか大人になったら」と書き残していった。


 私が先生の言葉に逆らえないことを理解したうえで。

 最後の最後に決して解けることない魔法をかけていったのだ。


 何てひどいひとなんだろう。

 私はもう自分の意思で死ぬことすら許されない。


 彼女の目的は何だったんだろう。


 私の抱えていた周囲とのズレを利用したのだろうか?

 私が求めていた言葉と態度で骨抜きにして、自分が救おうとした世界の見届け人にするつもりだったのか。この場所で起きた全てのことを忘れさせないために。


 全てはあの雪の日の出会いから計画されていたのだろうか。

 先生はいずれこうなることを全部見通していたのだろうか。

 私が先生の意思を継ぐと本気で考えていたのだろうか。


 何も分からなかった。


 私は指先で力なくスノードームをつつく。何度も、何度も、繰り返し。

 その度にガラスの球体に閉じ込められた過去の町並みが目まぐるしく姿を変えていく。

 合わせ鏡の中に展開する鏡像のようにありえたかも知れない世界が次々と現れる。


 その中の一つに。

 二人の女性の姿が見えた。

 一人は平凡な見た目の少女。ダッフルコートを着て花柄の傘をさしている。

 もう一人はその少女よりも小柄で幼く見える。

 柔らかな銀色の髪の毛を腰まで伸ばし、魔法使いのローブを思わせる大きな白衣を身にまとっている。雪が降っているというのに、傘をさしていない。


 一瞬、心臓が止まるかと思った。


 二人の女性――それは、私と先生だったから。

 在りし日の町並みを、二人は肩を寄せ合って歩いていた。

 先生が私に何かをささやきかけた。

 私は小さくうなずくと、手にした傘を灰色の空に向かって放り投げる。

 そして、二人は手を取り合うと歌うように軽やかな足取りで駆けだし、やがて人波みに飲まれて見えなくなった。


 その時、私はやっと、自分の世界から先生の存在が永遠に失われたことを、本当の意味で理解できた気がした。


 さようなら、私の美しい魔法使い。

 最後まで本当の名前を教えてくれなかった、優しくて残酷な魔法使い。


 ガラス越しの世界、雪が全てを白く染め上げていく。



【終】

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ガラス越しの世界、溶けない魔法 砂山鉄史 @sygntu

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