6.

 途中で休憩をはさみながら何とか目的地に着いた。

 ストアで買い物はできたけど、思ったよりも商品の種類が少なく、値段も高かった。お母さんから預かってきたお金がほとんどなくなってしまった。


 お菓子の材料もあまり買えなかった。

 携帯端末の情報検索も当てにならなくなってきた。【管理局】が情報操作でもしているのだろうか。


 それでも、ここは私の住むエリアに比べればマシだった。

 ストアのフードコートで遅いランチを食べることができたのだから。

 近所の大型ストアに併設されたフードコートは数日前に閉鎖されていた。


 先生に会いたいな……。

 心の中で不安が大きくなってくる。

 今日は遊びいけないとメッセージを送ったけど、関係ない。このまま研究所に行ってしまおうか。

 一瞬、そう考えたけど、お母さんにあまり遅くならないでね、と言われたことを思い出して、考え直した。


 きっと、みんな怖いんだ。

 この世界で、何か大変なことが起きようとしている。

 みんな言葉にはしないけど、どこかでそのことを予感している。


 心細いのは私だけではない。

 表面がすっかりパサついたサンドイッチを食べきると、私はフードコートを後にした。


 ☆ ☆ ☆


 その夜、私は夢を見た。

 私は自分が夢を見ていることをはっきりと理解していた。いわゆる、明晰夢というヤツだ。


 私は何もない空間で先生と向き合っている。


「悪いね、アカリくん。ボクはそろそろ行くことにするよ」


 どこへ行くの、先生?


「ちょっと、いろいろあって、この世界にいることができなくなったんだ」


 いろいろって何? ちゃんと説明してくれないと分からない。


「だから、キミとはもうお別れ」


 突然、何を言い出すの!? そんなの、絶対に嫌! 私をひとりにしないで! 私も一緒に連れていって!!


 大きな声をあげて呼び止めたいのに。

 今すぐ駆け出して抱きつきたいのに。

 凍り付いたように体が動かない。


「それじゃ、さようなら!」


 そんないつもと変わらない笑顔を向けないで!

 戻ってきて、先生!

 こんな壊れかけた世界に私だけを置き去りにしないでっ!!


「先生っ!!」


 自分の叫び声で目が覚めた。

 バネの壊れたおもちゃのようにベッドから飛び起きる。

 動悸が激しい。寝汗が酷い。パジャマとシーツがびっしょりと濡れている。恐怖で全身の震えが止まらない。


 嫌な予感しかなかった。

 携帯端末で時間を確認する。朝の七時を少しまわったところ。


 早く先生のところに行こう。

 差し入れを作っている余裕はなかった。


 とにかく、先生の無事な姿を確認したい。私の頭の中はその考えでいっぱいになっていた。

 でも、さすがにシャワーだけは浴びていかなくちゃ。肌着まで寝汗でびしょびしょだ……。


 私は不安に押しつぶされそうなのを必死にこらえて、タオルと着替えの準備をするとお風呂場に向かった。


 ☆ ☆ ☆


 身支度を済ませると朝食も食べずに家を出た。

 お母さんが何か言いたそうな顔をしていたけど、無視してしまった。罪悪感で少しだけ胸が痛んだ。


 先生の研究所まで家から歩いて三十分ほど。

 普段は気にならない距離が異様に遠く感じる。

 家に自転車があればよかったのにと、考えても仕方がないことを考えてしまう。


【新世界】の市民はあまり外出をしない。

 たまに出かけるとしても、近所のストアに足を運ぶ程度。

 仕事や友人との交流もネットワーク越しで間に合わせる人がほとんだ。


 まれに遠出するときはトラムを利用すればよかった。

 AIが制御するトラムは快適な移動を約束してくれる。

 特に個人で自転車を所有する必要がなかったのだ。

 ステーションの前に置いてあったシェアサイクルもその姿を消している。

 どんなに急いでいても、自分の足で歩くしかない。


 ☆ ☆ ☆


 研究所の入り口にある受付でいつも挨拶をしてくれる顔馴染みの職員の姿が見えなかった。

 先生の部屋に向かう途中で他の職員とすれ違うこともなかった。

 嫌な汗が背中を流れていく。


 「先生っ!」


 私はノックすることも忘れて、乱暴にドアを開く。

 机の前に置かれた椅子は空っぽだった。

 いつも部屋の片隅で待機していた【クラゲ】も姿を消している。


 悪夢の中で見た光景が鮮明によみがえる。

 震えが止まらなくなった。


「先生っ!! いないんですかっ!?」


 反応はない。私の声が主人を失った部屋に虚しく響き渡る。


「先生っ! アカリです! いるなら返事をしてください!!」


 応える声はない。開け放たれた窓から冷たい風が吹き込みレースのカーテンを揺らす。

 ああ、先生が行ってしまった。


「そんな……」


 弱々しい呟きがこぼれた。


 私はふらふらとした足取りで部屋を出る。

 見知った顔を探して研究所をさまようけど、猫の子一匹見つからない。


 開け放たれた窓から冷たい風が吹き込む。

 小さな雪片が頬にかかり、溶けた。

 その感触が私に少しだけ落ち着きを取り戻させた。


 そして、私はあることに気が付いた。

 研究所が荒らされている。

 書類やファイルがあちこちに散乱しており、書類には私の足跡がくっきりと残っていた。

 キャビネットや机、何かの機材が派手にひっくり返されており、家捜しにでもあったみたいだ。


【管理局】と先生の研究を快く思わない人たち――過激派の違法ダイバーたちに襲われたのだろうか?


 私の脳裏に恐ろしい可能性が思い浮かぶ。

 でも、怪我をしている人が見あたらないのは不自然だ。

 みんな連れ去らわれたのか。あるいは、どこかに避難しているのか。


 もし、本当に襲撃があったとしたら【管理局】が黙っているはずがないのだけれど……。


 いや、違う。先生は言っていた。

【管理局】は自分たちの仕事だけで手一杯。こっちの面倒までは見ていられないと。

 それにしても、自分たちが研究の依頼をした人間をそう簡単に見捨てるものなんだろうか……?


 私がそんな疑問を抱いたとき。

 コートのポケットに入れた携帯端末から、メッセージの着信音が聞こえた。

 震える手で送信者を確認する。

 メッセージは先生からだった。

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