5.

 私は今日も研究所にやってきた。

 さっそく差し入れのクッキーをお皿に移し、お茶の準備をする。

 飲み物は【クラゲ】が運んでくれた。ちょっとした家事機能も備わっているのだ。


「違法ダイバーのヤツがまた出やがったんだよ、困ったことに」


【クラゲ】から代替コーヒーの注がれたカップを受け取りながら先生が言った。


「今度も、その……アレしたんですか」

「うん、殺したよ。それで、また新しい情報が手に入った。最近、流行ってるのかね自分の脳ミソをメモリ代わりに使うヤツ」


 あいにく、そんな猟奇的な流行は聞いたことがない。

 仮に流行っていたとしても、かなり局所的なブームだと思う。


「だからそんな顔するなよー。魔法使いはこうゆうこともするもんなのさ。自分の目的のためなら手だって汚す」


 目を三日月のように細め、口の両端が耳に届くほど広がった先生の笑顔。

 それが、一瞬、ひどく凄惨なモノに見えた。


「おかげでボクの研究も大詰め。まさか、生きている間にここまでの成果をあげられるとはね! 次はこれまでにないぐらい【淵】に深く潜ることになりそうだし」


 先生が珍しく神妙な表情で言った。

 さっきの獣じみた笑顔は嘘のように消えていた。


「大丈夫、なんですか?」

「警備の連中がいるから心配ないよ。前にも言ったろ、ボクがあんな連中に遅れを取るワケがないって」


 違法ダイバーの数は増える一方だった。

 彼らは【管理局】の許可なく【淵】に潜り、【旧世界】にまつわる情報を勝手に引き上げ持ち去っていく。

 それを一般の研究機関などに高値で売りさばくのだ。

 先生たちにとっては目の上のたんこぶ、商売敵のような人たちだ。


 さらに厄介なのは、違法ダイバーたちの中には【管理局】や先生の進める研究をよく思わないひとたちもいて、徒党を組んで正規のサルベージを妨害したり【淵】や【管理局】の施設に対して破壊活動を行う、テロリストまがいの一派も存在することだ。


 相手が相手なだけに、いきおい対応も容赦ないものになる。

 制裁の歯止めがきかなくなっている部分もあるみたいだ。

 

「それならいいんですけど……。【管理局】に何とかしてもらえないんですか?」

「ダメだねー。アイツらは自分の仕事で手一杯。こっちの面倒までは見切れないってさ」

「違法ダイバーが減るまで【淵】には近付かない方がいいんじゃ……」

「アカリくんは心配性だなー。ところで、この前あげたスノードームはどんな感じ?」

「特に問題ないですよ?」

「ふーん、それならいいんだ」

「はぁ……」


 私は先生の質問の意図が理解できず、間抜けた返事をする。


「あ、もうなくなっちゃいましたね」


 気が付くと、差し入れのクッキーを盛ったお皿が空になっていた。


「ごちそうさま。いつも悪いね。アカリくんの住んでるエリアもボチボチ大変じゃないの?」

「気にしないで下さい。本気で大変だったら、毎日遊びにきたりしませんよ」

「それもそうだね」

「それで、次のダイブはいつなんですか?」

「……うーん、来週あたりかな」


 先生が遠くを見るような目で言った。


 ☆ ☆ ☆


 先生には隠していたが、私の住むエリアもエネルギーの供給制限を受けるようになっていた。


 まず、夜の九時をすぎると部屋の灯りが全て消えるようになった。

 仕方がないので、お父さんが物置から使われなくなって久しい懐中電灯をもってきた。


 心許ない明るさだったけど、手回し充電式だから電池切れの心配はないのが救いだった。


 日中に暖房が使えなくなった。夜になっても設定温度を十九度から上げることができなくなった。気がつくと、冷蔵庫の電源が入らなくなったので、ベランダの外に食料品を置くことにした。冬なので天然の冷蔵庫を使えとでも言いたいのだろうか?


 今や、家電は全て【管理局】のAIの支配下に置かれていた。

 携帯端末の充電は自由にできるのが救いだったけど。

 

 食料品も配給がメインになりつつあった。

 ストアの棚は閑散としており、鮮度管理もいい加減になってきた。店員さんの目が死んだ魚のように濁っていた。


 砂糖はちょっとした贅沢品で、気軽にお菓子を作れるような状況ではなかったし、オーブンを使える時間も限られていた。

 私は残り少ない材料をやりくりして、先生への差し入れを準備していた。


 水が規制の対象外なのは救いだった。お風呂にもまだ入れるけど、この先どうなるんだろう……。


 日用品の数も減ってきた。少しずつだが、確実に生活の先行きが不安になってきた。


「先生に差し入れができなくなるのは嫌だな……」


 そんな呟きがこぼれる。

 携帯端末で検索してみると、三つ先のエリアは規制の影響が少ないようだ。ストアの商品もそれなりに揃っているらしい。


「お母さん、明日、少し遠出して買い物に行くけど何か必要なものある?」

「あら、助かるわ。このエリアもすっかりものがなくなって困ってたのよ」

「【管理局】の配給はどうしたの?」


 私の質問にお母さんは眉を寄せながら言った。


「もらえてはいるけど、本当に最低限なのよ。アルコール類はもう全滅ね。お父さんがお酒をのまない人でよかったわ。あと、調味料なんかもそろそろまずいって話ね……。【管理局】に問い合わせても無視されるし、どうなってるのかしら」


 私が思っている以上にこの世界は大変なことになっているのかもしれない。

 先生なら相談にのってくれるだろうか?


 明日の午前中は買い物をして、午後から研究所に行こう。

 普段は午前中から入り浸っているけど、たまにはいいだろう。


 どうせ暇な身の上だ。お母さんは「遊んでばかりいたら駄目よ」と言うけど、【管理局】のカリキュラムはしっかりこなしているから問題はない。ないと思う。


「あら、もうこんな時間」


 リビングの灯りが消えた。九時をまわったようだ。

 お母さんがテーブルに置かれた懐中電灯のハンドルをグルグル回し始める。


「今日のノルマは終わったの?」

「寝る前に片づけるから大丈夫だよ」


 私はおざなりに答えながら、携帯端末で先生にメッセージを送った。


 ☆ ☆ ☆


 誤算だった。

 エネルギー供給規制の影響がエリアを走るトラムにまで及んでいた。

 エリア間を結ぶトラムのホームは沢山の人でごった返している。

 携帯端末に向かってどなり散らす男の人、泣き出した子供をなだめる母親とおぼしき女性、ベンチに座り込む老人、輪になってお喋りをする女の子たち……。


 トラムへの規制は早朝、急に決まったらしい。あらかじめニュースで確認しておくべきだった。


 三つ先のエリアは徒歩だと半日ほどの道のり。

 シェアサイクルがあればもう少し短縮できるけど、ステーションの前にあったものは既に撤去されていた。管理に割く諸々のリソースが足りなくなったのが理由。


 世界を運営するための資材が枯渇している。それを日常生活で感じる機会が増えてきた。

 私たちの住む【新世界】を取り巻く状況が深刻なことを改めて痛感する。

 先生には午後から遊び行くと伝えてあるけど、どうしたものか。

 お母さんに頼まれた買い物もあるし……。


 私は小さくため息を一つ。

 リュックから携帯端末を取り出して、先生にメッセージを送る。

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