4.
それは、一年ほど前のことだった。
雪の降る昼下がり、底冷えするような寒さの中、私は散歩に出かけた。
紺色のダッフルコートと白いマフラー、お気に入りの黒いスニーカーと花柄の傘。
キャンバス地のリュックには、朝焼いたスコーンとカフェオレをなみなみと注いだ大きなタンブラー。
ちょっとした冒険のつもりだった。
降り積もった白い雪に新しい足跡をつけながら、私は何も考えずランダムな道のりを歩き続けた。
【管理局】のカリキュラムが思うように進まなかったので、気分転換が必要だったから。
学習支援用AIとのやり取りが退屈だったのもある。
『学校』と呼ばれたシステムがまだ機能していれば、まだマシだったのかもしれない。友人たちとの物理的な触れ合いで、退屈をまぎらわすことができただろうから。
世界を維持・運営するためのリソースを節約するため、子供を一か所に集めて管理・教育するのではなく、AIに個別の学習支援をさせる。それが【管理局】の方針だった。
子供が減ったのも『学校』が廃止された理由の一つ。
数少ない同年代の友人たちは、あまり外に出たがらない。外出はコスパが悪いそうだ。
私たちの世代は【管理局】が支給した携帯端末でネットワーク越しにつながることをよしとする。
そして、誰もそのことに疑問を抱かなければ、不満を持つこともなかった。
私はどこかおかしいのかもしれない。
他人と必要以上にリアルでの接触を求めるだなんて。
私は【管理局】の教育が行き届いていない不良品なのかもしれない。
心のどこかで、そんな不安を抱えながら生きていた。
急ぎの用事があるわけでもないのに、わざわざ雪の中を出歩くのも正気とは言えない行動だ。
その証拠に、さっきから誰ともすれ違わない。こんな天気の日は家でおとなしくしているのが普通だから。
だけど、私はそんな普通に息苦しさを感じていた。
両親との中はおおむね良好だったけど、絵に描いたような一般市民の二人を見ていると、時々、言葉にできない苛立ちを覚えた。
私は心の底でよどんだ澱を忘れたくて、雪の中を無心に進んだ。
しばらく歩くと見知らぬ景色に出くわした。
私の住むエリアにこんな場所があったのか……。
私は新しい発見に興奮した。
その時――。
声が聞こえた。
これは……歌声?
歌詞はうまく聞き取れない。けれど、古くて新しい、聞き覚えのある聞いたことのないメロディーが私の心を掴んだ。
私はまるで光に誘われる虫のように歌声が流れてくる方へ歩みを進める。
綺麗に刈り込まれた茂みが現れた。歌声はその向こう側から聞こえてくる。
私は傘を捨て、茂みに潜り込む。濡れてしまうけどかまうものか。私はどこかおかしい人間なんだ。
茂の向こうは小さな庭園になっていた。
そこで、女の子が歌っていた。
パウダースノーでデコレーションされた花と緑のステージで。大きな古いお屋敷を背に。
雪の中、傘もささずに。
全身を白に染め上げて、粉砂糖をふりかけたケーキのような姿を見せながら。
女の子が、鈴を転がすような清廉な声で歌っていた。
「ん、誰だい?」
女の子が歌声が途切れる。私の存在に気が付いたようだ。
「ごめんなさい、盗み聞きをするつもりじゃなかったんです!」
「んー、まぁ、いいよ。ボクの素晴らしい歌声に聞き惚れるのは仕方がないことだからね!」
女の子はちょっと変わった性格のようだ。
「あなたはこのお屋敷の子なの?」
「お屋敷? 変なことを言う子だね!」
「なっ……! 変わってるのはあなたの方でしょ!? こんな雪の日に傘もささないで歌ったりして」
「傘をさしてないのはキミもだろ? お互い様じゃないか」
「そ、それはそうだけど……」
「雪の日に傘もささずに歌う自由。そんなモノがあってもいいと思うんだけどね、ボクは」
私は女の子の言葉が心に染み入るのを感じた。
ずっと欲しかった言葉をもらえたような気がした。
それは魔法にも等しい言葉。
心の昏く深い場所に積もった澱が洗い流されるような。
「さてと、そろそろ戻ろうかな。これ以上【旧世界】のアイドルごっこをしていたら、本気で風邪をひきそうだし。ここで会ったのも何かの縁だ。キミも少し研究所で休んでいくといい。支給品の代替コーヒーをごちそうするよ」
「研究所……? ここはあなたの家じゃないの?」
「まぁ、家と言えないこともないかな。ボクの住居も兼ねてるワケだし。でも、ここはお屋敷じゃなくて【管理局】が設立した研究所だ。ボクが所長をつとめている。みんなからは『先生』って呼ばれてるよ」
「子供なのに? 何かの冗談でしょ」
「な、なんだとぉぅ!? こう見えてもボクはれっきとした成人女性なんだぞう!」
女の子の身長は私よりも頭二つぶんほど低い。険のある表情で私を見上げる青い瞳が宝石のような光を放っている。
腰まで伸びた銀色の髪の毛はふわふわと柔らかそうで、頭のてっぺんで跳ねた髪の毛が王冠みたいだ。
身にまとったライムグリーンのワンピースは裾が大きく広がっていて、ドレスのように見えた。
アーカーイブで読んだ【旧世界】の物語に登場するお姫様か妖精のように神秘的で、可憐な少女。
大人の女性にはとても見えなかった。
私がそう思ったときだ。
「先生! こんなところで傘もささずに何をしているんですか! 体を壊しますよ!」
お屋敷の方から眼鏡をかけた男の人が走ってきた。
「まったく、いい歳していつまでも子供みたいなことを……。さ、これを着て。さっさと戻りますよ。先生に見てもらいたいモノがあるんです」
眼鏡の男性が女の子に白いコートのような服を渡す。
服に袖を通しながら、女の子が勝ち誇ったような表情で私を見る。
「どうだ! これでボクが大人の女性だって信じる気になったか!」
コートに見えた服は科学者が着る白衣だった。
サイズが合ってないのか、袖はダルダルだし、裾が地面につきそうだったけれど……。
「えーと、その……。ごめんなさい!!」
私は盛大な勘違いを『先生』と呼ばれた女性に詫びた。
ベッドの中でクスクスと笑い声を上げる。
先生と出会った日のことを思い出すと、いつだって楽しい気持ちになれた。
あの後、雪に濡れた服が乾くまで、先生の研究所で休憩させてもらった。
そこで、彼女からいろいろな話を聞いた。
【管理局】からの依頼で『世界の秘密を解き明かす』研究をしていること。
それは、私たちの住む【新世界】と過去に存在したとされる【旧世界】の狭間にある【淵】と呼ばれるスポットで、【旧世界】から流れてくる情報をサルベージして、アーカイブの足りない情報を補完することらしい。
【旧世界】の情報片も見せてくれた。それはガラスの欠片のようで、綺麗なオレンジ色をしていた。
それを、先生の開発した【クラゲ】に読み込ませることで、わずかな時間だけ過去の記録を映し出せることも教えてくれた。
先生はその発明が評価されて【管理局】からこの研究所を任されるようになったそうだ。
私は先生の話にすっかり引き込まれてしまった。
その全てが、今まで誰もしてくれなかった――【管理局】のアーカイブにも存在しないような話だったから。
私はそれから、暇さえあればお屋敷――先生の研究所に足を運ぶようになった。
物怖じしない私の性格を先生も気に入ってくれたようだった。
本来、研究所は職員と【管理局】の関係者以外の立ち入りを禁じているらしい。
それなのに、何故か私の存在は許容された。
不思議な気分だった。
私のそんな気持ちを察したのか、
「ボクは魔法使いだからね。これぐらいのことはヨユーなのさ!」
先生は小さな体を大きくそらしながら得意げに言ったのだった。
私はベッドの中で幸せな気分に浸りながら身じろぎをする。
今日はいろいろあって少し疲れた。
眠気がやってくるまで、それほど時間はかからなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます