3.

「これは……。スノードーム、ですか?」

「そうだよ。イマドキの若い子が知ってるとは驚きだ」

「昔、アーカイブで見た記憶があります」

「これはね、ただのスノードームじゃないよ。よく観察してごらん……」


 黒い台座の上に置かれたガラス玉の球体。

 その中は水のような液体で満たされている。

 キラキラと光を反射するのは雪に見立てた微細な色つきのガラス片……だろうか?

 それらと一緒に小さな町並みを封じ込めたスノードームは、アーカイブで見かけた物と変わりないように思える。


 じっくり観察すると、町の模型がとても精巧に作られていることが分かる。

 大きさも形も様々な建物と見たことのない樹木が規則的に植えられた街路。

 そこを数えきれないほどの人々とおびただしい量の車が走っている。そして、空には航空機が見えた。

 この世界ではとうに失われてしまった風景。

 この世界ではとうに失われたモノ。

 もう二度と戻らない過去の中にだけ存在する遠い幻……。


【クラゲ】が見せた記録映像と同じだ。


 驚いたことに、スノードームの中に閉じ込められた風景は一種類だけではなかった。

 見る角度を変えたり、スノードームを揺らすことで、万華鏡の模様のように次々と新しい町並みが姿を見せるのだ。


 まるで、魔法のようだった。


「どうよ?」

「これは凄いですね。さすが、天才。さすが、魔法使い」

「やったぜ! アカリくんに褒められた!!」


 先生がカエルみたいにピョンピョンと飛び跳ねて、全身で喜びを表現する。

 先生の動きに合わせて、頭頂部でアンテナみたいな跳ね毛が揺れる。

 私はそんな先生の姿を見ていると理由もなく幸せな気分になる。


「アカリくん、これあげるわ」

「え、もらえませんよ! これめちゃくちゃ高価そうじゃないですか!」


 先生の唐突な申し出に私は面食らってしまった。


「そんなことないよ。ボクの直近の研究成果なだけだし」

「絶対にもらえないヤツじゃないですか!?」

「大丈夫だよ。こいつはレプリカ。オリジナルはちゃんと保管してあるから。遠慮せずにもらってよ」

「それにしたって、これは……」

「ボクが大丈夫だって言ってるから大丈夫なの! いつもクッキーとか焼いてくれてるだろ? たまにはお返しさせてよ!」


 差し入れは私が勝手にやっていることだ。別に見返りを求めているわけではない。


「ボクは、アカリくんにもらって欲しいんだよ」


 私のことを見上げるブルーの瞳が潤んでいる。捨てられた子猫のようだ。

 そんな目で見られたら言うことを聞くしかない。

 私はまた脆弱性をハックされてしまった。

 ああ、私はきっと、このひとに永遠に敵わない。

 悪い魔法使いにふりまわされ続けるしかない。


「分かりました」


 私は渋々ながらスノードームを受け取る。


「これで、よしと」


 満足げにうなずく先生の表情はどこか晴れやかで。

 大切な宝物が収まるべきところに収まったのを見届けたような表情に見えて。

 そのときの私には、先生がどうしてそんな表情を浮かべたのか理解することができなかった。


 ☆ ☆ ☆


「ううーん……」


【管理局】が送ってくる教育カリキュラムのノルマを終わらせた私は、間抜けた声をあげて伸びをする。

 携帯端末の時刻を確認すると、もう日付が変わっていた。


「さてと、そろそろ寝ようかな……」


 私は残り少なくなったハンドクリームを両手にすり込みながらつぶやく。


 ベッドの中に潜り込み、今日の出来事を反芻する。

 先生が違法ダイバーを私的に制裁して、【旧世界】にまつわる新しい情報を手に入れたこと。

 差し入れのお礼に手作りのスノードームをプレゼントしてくれたこと。

 そのスノードームがまるで魔法みたいだったこと。


 ガラスの球体に閉じ込められていたのは、次々と姿を変える過去の町並み。【旧世界】の風景だった。


 深い海の底のようなベッドの中の暗闇をスノードームが淡い光で照らしている。

 見る角度によってクルクルと姿を変える在りし日の影を眺めながら、私は先生との出会いを思い出す。

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