2.
「そんな不服そうな顔をするなって。これを見せてあげるから」
先生は机の引き出しから小さな箱を取り出すと、ピューと口笛を吹いた。
その音に応えて、部屋の片隅で待機していた【クラゲ】が軽い起動音をたてる。
【クラゲ】はゼリーのように柔らかな体をぷるぷると揺らしながら、主である先生の元に移動する。
【クラゲ】の体を支える無数の触手が移動用の足と作業腕を兼ねているらしい。この世界の海には存在しない『クラゲ』と呼ばれる生き物を模して作られた柔らかい機械。
魔法使いと、その忠実な使い魔。
「エサをあげよう」
先生が箱から小さなガラス片を取り出す。彼女の瞳の色と同じ綺麗なブルーだった。
それを【クラゲ】の体にそっと置く。宝物を扱うような丁寧な手つき。その所作は秘密の儀式を思わせた。
【クラゲ】の体が小刻みに震え始める。ガラス片がゆっくりと呑み込まれていく。ガラス片を体の中に収めた【クラゲ】が青い光を天井に投げかける。
先生と私は天井を見上げる。
そこに映し出されていたのはここではない遠い何処か、かつてあったとされる過去の幻、【旧世界】の記録映像だ。
大小様々な建物や、いろいろな乗物――その中には『管理局』によって封印された星の海を渡る船の姿もあった。
色とりどりの肌をした人々の姿と、絶滅した動物の姿もある。
他にも、忘れられた文化や風習など、この世界から永遠に失われたモノたちが次々と現れては消えていく。
本来なら私のような一般市民の子供が閲覧できる映像ではない。大人にも許されない。
完全に違法行為だけど、先生はそんなことおかまいなしに【旧世界】の記録や風景を見せてくれた。
私のためだけに魔法使いが起こす、一時の奇跡。
それに魅入った。
「アカリくんは本当に【旧世界】に興味津々だねぇ……」
「いいじゃないですか。夢とかロマンがあって」
「そうだねー。あ、このことは他言無用だからね。いくらボクでも【管理局】に怒られるヤツだから」
「分かってます。先生と私の秘密ですよね」
「そう、ボクとキミは共犯者だってことを忘れるなよ?」
「はい」
そう言って、二人でクスクスと笑い合う。
先生は【クラゲ】からガラス片を取り出すと箱に戻し、机での作業を再開した。何かの入力作業のようだけど、随分と古い端末を使っている。申請さえすれば最新式の端末でも支給してもらえそうなのに……。
「どこもかしこもモノが足りてないんだよ。こんなオンボロじゃ作業が進まないって【管理局】に言ってるんだけどね。今やってる解析が終われば多少マシになるとは思うんだけど……」
私の疑問を先まわりして先生が言った。魔法使いには全てお見通しのようだ。
「そうだ、忘れてた。これ、よかったら召しあがってください」
私は持参した紙袋を先生に差し出す。
「お、アカリくんの手作りクッキーじゃん! これ美味しいんだよね!」
袋の中身を確認した先生が声を弾ませながら言った。
「でもいいのかい? 食料品も不足してるんだろ?」
「私の住んでるエリアはそれほどひどくないですよ。砂糖なんかもまだ買えますし」
一瞬、心配するような表情を見せた先生は、私の言葉に安心すると、子供のような無邪気な笑顔に戻った。
「それなら遠慮なくいだきまーす!」
「コーヒー、淹れてきますね。砂糖とミルクはアリアリでしたよね?」
「そうだよー」
コーヒーといっても安物の代替コーヒーだけど。
味も香りも本物のコーヒーと比べるべくもないが、これでもだいぶ改善されたそうだ。
先生の話によると、昔の代替コーヒーは『熱い泥水』で飲めたものではなかったらしい。
「で、研究の進捗どうですか?」
先生に熱い液体の注がれたカップを手渡しながら、いつもの質問を口にする。二人の時間をなめらかに進めるためのおまじない。ささやかな魔法の言葉。
「……あー、ボチボチだよ。三歩進んで二歩下がる、だね。」
「それでも、一歩ずつは進んでいるんですね。さっきの【クラゲ】が見せた映像も新しい情報でしたよね?」
「まーね……。おっ、アカリくん、またお菓子作りの腕を上げたね?」
「私だって毎日少しずつ進歩してるんですよ。というか、ほとんど毎日に差し入れ作ってるんだから、上達だってしますよ」
「あはは、確かに。それにしても毎日毎日飽きずによく来るよね。キミの【旧世界】好きも筋金入りだね」
「先生の観察も楽しいですよ」
「珍獣なの!? ボクは珍獣なの!?」
先生が大きな白衣に包まれた両腕を振り回しながら批難するように叫んだ。
「もう! あんまり酷いことばっかり言ってると、このクッキー全部食べちゃうぞ!」
「食べすぎると太りますよ」
「そんなこと知らないもんねー!」
「あ、そんなに口いっぱいに頬張らなくても」
大量のクッキーで頬を膨らませた先生は、猫よりもリスかハムスターに見えた。
先生が盛大にこぼしたクッキーの欠片を【クラゲ】が触手で器用に絡め取り、片づける。
リスもハムスターも実物は見たことがない。すでに記録の中の存在になって久しい生き物。クラゲと同じだ。
猫や犬ほどこの世界に住む人々に必要とされなかったから。
いつまで経っても【淵】の底からサルベージされることのない存在。
昏く冷たい水の底に捨て置かれたまま永遠に顧みられることのないモノたち……。
それは私たちだって同じなのかもしれない。
☆ ☆ ☆
「最近、違法ダイバーが多いって話があったろ?」
「はい」
「ウチの縄張りを荒らす不届き者を警備員がとっ捕まえたんだけど、ムカついたから、そいつをちょっとゴーモンしてみたんだよ」
「物騒な話ですね……」
背中にピリッとした緊張感が走る。
「そしたらさ、そいつの頭ん中に【旧世界】の情報――それもかなりの量が隠匿されてるのが分かったんだよね。さすがに驚いたわ。あのダイバー、自分の脳ミソを生体メモリーにして、サルベージした情報を保管してやがったのさ。……って、アカリくん、この苦いクッキー何? 嫌がらせ?」
先生が涙目で訴えてくる。
砂糖を節約するために、代替抹茶パウダーのクッキーを焼いてみたのだが、やっぱり先生の口に合わなかったようだ。
まぁ、コーヒーに信じられない量の砂糖とミルクを投入して飲むようなひとだから仕方がないか。
「その違法ダイバー、結局どうなったんですか?」
「死んだよ。鮮度の高い情報が欲しかったから生きたまま殺した。おかげで、中身の詰まったいい脳ミソが手に入ったよ。これで、ボクの研究も次の段階に移行できるってもんだ!」
先生が意気揚々と言う。
彼女にはどこか残酷で暴力的な部分があった。
それは、まるで子供が小さな虫を遊びでつぶすように。
それは、まるで子供が美しい花を無邪気に手折るように。
原始的で衝動的なものに思えた。
「ボクのこと、酷いヤツだってケーベツする?」
また見透かされてしまった。
私は自分で思っているよりも、考えが表情に出るタイプなのかもしれない。
「先生は魔法使いなんですよね? だったら、儀式のための生け贄が必要な場合もあるんじゃないかと」
「そのとおりだよ、アカリくん! ボクは偉大なる天才魔法使い! あるかどうかも分からない世界の秘密を解き明かし、隠されてるような隠されてないような叡智の結晶を見つけ出すのが目的なんだ! そのためなら多少の犠牲は厭わないってね!!」
小さな体を大きく反らしながら先生が言った。
頭が床につきそうだ。ふわふわの銀髪が箒みたいになっている。
「あいたたた、背中の骨が折れる……。無理な姿勢はするものじゃないね。それはそうと、アカリくん。これを見たまえ」
先生はそう言うと、机の横に置かれたキャビットから何かを取り出し、私に差し出した。
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