ガラス越しの世界、溶けない魔法

砂山鉄史

1.

 私の全てを雪の色に染め上げたあのひとを忘れない証として。


 ☆ ☆ ☆


 先生は魔法使いで、世界の秘密を解き明かすのが仕事だった。


 ちなみに、『先生』というのは通称で、『魔法使い』は自称。本名の方は何度聞いても教えてくれない。

 本当の名前を知られると魔法の効果が切れてしまうから、というのがその理由。


「それで、お仕事の進み具合はどんな感じなんですか?」


 私が口に出した質問は儀式みたいなものだ。

 もう何度繰り返したかも憶えていない定型文。質問された先生だって憶えていないと思う。

 会話をスムースにするための潤滑油みたいな言葉。おまじないの一種。


「よくぞ聞いてくれました! これを見たまえよ!」


 先生が椅子から勢いよく立ち上がって言う。

 身長130センチほどの小さな体に大きな白衣をまとった先生の姿は、確かに魔法使いのように見えた。

 粉雪のようにきめ細かく白い肌と桜色の小さな唇は本人いわくノーメイクの天然モノらしい。

 腰まで伸びたふわふわの銀髪が頭のてっぺんで鶏冠のように跳ねている。

 瞳の色は宝石みたいに澄んだブルーだった。


「【淵】からサルベージした【旧世界】の情報片だよ! 先週引っ張り上げたデカブツの足りなかったピースっぽいんだよね! これを上手い具合にはめ込んでやれたら、ボクの研究もだいぶ捗るよ!」


 サファイアのような瞳をキラキラさせながら先生が言う。まるで、お気に入りの玩具を見つけた子供のような表情だ。

 小さな手のひらに乗っているのは、淡いグリーンに光る小さなガラス片。

 世界の秘密を解き明かす重大な発見だと先生は言うけど、正直ピンとこない。

 こんな時、私は【管理局】の教育カリキュラムをもう少し真面目にやっておけばよかったと後悔するようになった。

 先生と知り合ってから生まれたささやかな変化のひとつだ。


「また【淵】に潜ったんですか? 危ないですよ。最近、違法ダイバーが増えたって噂もあるし……」

「大丈夫だって。ボクは魔法使いなんだぜ? あんなヤツらに遅れを取るもんか」


 先生がふんぞり反りながら言うけれど、小さな子供が威張っているようにしか見えない。

 体の動きに合わせて頭頂部の跳ね毛がぴょこんと揺れる。

 私はそのユーモラスな動きに思わず相好を崩す。


「その生温かい視線は何? ひょっとしてアカリくんはボクのことを馬鹿にしているのかなー?」

「そんなことありませんよ」

「むっちゃニヤニヤ笑いじゃん! ボクは天才なんだぞ! もっとリスクペクトするべきだと思うのだが!」

「ちゃんと尊敬してますよ。それで、今回の発見で研究は終わりになるんですか?」

「何か馬鹿にされてるような気がするけど、まぁ、いいか……。期待に添えられなくて申し訳ないけど、研究の終わりはまだ見えてないよ。何しろ、ボクの研究テーマは世界の秘密を解き明かすことなんだから。アカリくんもご存じのとおり、ボクたちの住むこの世界はあまりにもハチャメチャで、本当に秘密と呼ぶべきモノが存在しているかもはっきりしない。こんな状況で研究を終わらせることなんて出来るワケないよね!」


 一息にまくし立てる先生の表情に一瞬、翳りが見えた気がした。

 口調こそ軽いものの、研究に行き詰まりを感じているのかもしれない。


「なーに辛気くさい顔してるんだよ。可愛い顔が台無しだぜ?」

「私は可愛くなんてありませんよ」


 私のルックスは、どんなに大きく見積もっても十人並みがいいところだ。

 人形のように愛くるしい先生とは違う。


「そんなことないって。アカリくんは可愛いよ! まつげだって結構長いし!」

「言葉が紙風船みたいに軽くて、説得力がありません。あと、まつげは先生の方が長いです」

「あれ、そうだったっけ?」

「そうですよ。適当なことばかり言うのはやめてください」

「もう、拗ねるなよー。どうすれば機嫌を直してくれるのかなー?」

「そうですね……。今度、【淵】に潜るとき私も同行させてくれるか、先生の本名を教えてくれるなら機嫌を直します」

「えー、【淵】は研究所の関係者以外立ち入り禁止なんだけどー。問題になっちゃうよー。あと、ボクの本名は魔法の時間が終わっちゃうから、教えられないね!」

「何ですか魔法の時間って……。またわけのわからないことを」

「いい女には秘密がつきものってヤツなのさ」

「はいはい、そうですね。【淵】は関係者以外立ち入り禁止って言いますけど、私が研究所に出入りしてるのは大丈夫なんですか?」

「前にも言ったけど、ボクって天才じゃん? 多少のワガママは【管理局】から許されてるんだよ。役得ってヤツ? それにしても限度はあるけどねー。知らんけど」

「もう、自分で自分のことを天才とか言ってるから、言葉が軽く聞こえるんですよ。やっぱり先生の言うことは信用できませんね」

「だから怒らないでよー。可愛い可愛いアカリくん!」

「……人の話、ちゃんと聞いてますか?」


 私の言葉に先生は屈託ない笑顔を向けてくる。さっき、ほんの一瞬だけ見せた翳りが嘘のようだ。

 私があの笑顔にかなわないことを、先生はきっと理解している。

 私のセキュリティホールを的確にハックして、自分にとって都合のいい態度を引き出そうとしているのだ。

 さすが魔法使い。その鮮やかな手並みに脱帽するしかなかった。


「もういいですよ。信じます。私の負けです」

「ふふーん、それでいいんだよ。拗ね顔も可愛いボクのアカリくん!」


 先生が背伸びをしながら私の頭をくしゃくしゃとなでる。

 目を細め、口を耳の両端まで届かせた猫のような笑顔だ。


「そんな人のことを犬みたいに……」

「あはは、そう言えばアカリくんて犬っぽいところあるよね」

「そんなこと初めて言われましたよ」

「あれ、そうだっけ?」


 あまりにも適当な先生の発言に私は苦笑いを浮かべることしかできなかった。


 ☆ ☆ ☆


 この世界ではいろいろなモノが曖昧になってしまった。

 どうしてそんなことになってしまったのか、はっきりとしたことは誰にも分からない。


 滅びゆく【旧世界】から【管理局】が持ち出せたわずかな量の情報と、先生たち研究者が【淵】からサルベージした情報片をつなぎ合わせた解釈が存在しているだけだ。


 例えば、「【旧世界】は大きな戦争の影響で滅びてしまった。とある小国の研究機関で開発された新技術を巡る小競り合いが、いつの間にか世界規模に発展した結果だった」とか。


「【管理局】の前身となる組織が戦争の原因となった新技術を転用して【新世界】を作り上げ、そこに生き残ったわずかな人々と人間以外の生物、諸々の情報を移した」とか。


「新技術は異星からの漂流者がもたらした技術を人類でも取り扱えるように調整したモノである」とか。


「その技術は、肉眼では目視できないとても小さな自動工作機械や、無限に進化を続ける機械知性、世界のありとあらゆるモノをデータに変換して保存する方法、本物と変わらない世界の模型とそれを収めた箱庭の作り方などである」とか。

 

 そして、「【新世界】の住人にはその異星の漂流者との『混血』が存在し、優れた仕事をしている」とか


 断片的な情報をパッチワークした歪な解釈でも、ないよりはマシなのだろうか。

 それは、ある日突然この【新世界】で生きていくことを余儀なくされた人々の精神的な支柱――ある種の建国神話になっていた。


 けれど、それすらも私たち一般市民には閲覧制限が設けられている。

【管理局】が公開してもよいと判断した部分までしか知ることができないのだ。

 私がそのことに不満を漏らすと先生が作業を中断して、たしなめるような調子で言った。


「細かいことは気にしなければいいだけだよ。どんなことだって気にしなければ気にならないんだから」

「そんな、人を殺せば人は死ぬ、みたいなことを言っても駄目ですよ。先生は本当にいい加減なことしか言わないんですね」

「どいひー。アカリくんはどうしてボクにだけそう辛くあたるのかなー?」

「私は誰に対してもこうですよ」

「ええー本当かなー?」

「本当、ですよ?」

「微妙に信用できないけど深く追求しないでおくよ。まぁ、大人になれば今より深くアーカイブに潜れるし、もっと面白い情報や記録にも巡り会えるんじゃないかな」


 私たちの住む世界――【新世界】の市民は十八歳で『大人』として認められる。

【新世界】の維持と運営を担う【管理局】が保持するデータアーカイブ、そのアクセス権限は年齢によって段階的に解放される。

 アーカイブの最も深い場所に潜るためのライセンスは十八歳の誕生日に【管理局】から個人端末へ贈られてくるけど、それでも、私たち一般市民が潜れる深さには限界があった。

 市民が有害な情報によって混乱したり傷つくのを防ぐための措置らしいが、何か釈然としないモノを感じる。

 両親に違和感を打ち明けてもまともにとりあってもらえなかった。【新世界】の一般的な大人たちは【管理局】のやることに何の疑問も抱かないから。


 でも、先生は違っていた。

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