44
俺達の秀煌学園撃破へのシナリオ、第一関門が天候だとするなら、小谷の小谷キャノン成功が第二関門だ。ここまではどうにか通過できた。
最後の関門が
三人目でリードを奪い、秀煌を追い詰めたはずだった。
だが、門原が大記録を出したことで立場は逆転した。俺は完全に追い詰められた。
(44メートル46? じゃあ、俺は何メートル飛ばせばいいんだ?)
門原の記録から、秀煌に勝つのに必要な記録を求めようとするが、細山田先輩じゃないから、すぐには計算できない。
少なくとも、俺の自己ベスト41メートル70を出しても届かないことは確かだ。
俺の番が迫ってきている……。
「42メートル60」
「うお、びっくりした」
突然、耳元で小谷がささやいたのだ。
「なんでいるんだよ?」
「頭が真っ白になってるだろうと思って。ほら、俺が来てることにも気付かなかったじゃん」
確かに、俺はかなり焦っていた。
せっかく、みんながいい形でつないでくれたのに、奇跡を起こす一歩手前まで来たのに、自己ベストを出しても勝てないという事実に困惑していた。
このままではミハイルの自己ベスト更新も、小谷の小谷キャノン成功も、全てが無駄になってしまうとおびえていた。
そんな俺を小谷は落ち着かせに来たというのか?
小谷が来たのはちょっと意外だが、勝利へ1%でも可能性が高まるなら何でもするという誓いの現れだろう。
「42メートル60飛ばせば俺達の勝ちだ。どうせその計算もできてないだろ?」
小谷が再び俺に必要な数字を教えてくれた。そして、
「大丈夫だ。俺達には勝利の女神がついている。俺達の女神は本物だぞ」
もう一言、そう告げた。
俺達は勝つ可能性が1%高めるために何でもすると決めてから、女神様の加護を求めて、みんなで神社にお参りにも行った。
竹内も、ミハイルも、小谷もいい結果を出せた。この結果は女神様のおかげだと、小谷は言いたいらしい。
小谷は「じゃ、そのへんで見てる」と俺のそばを離れた。
……ありがとう。小谷。その言葉、信じられそうだ。
俺は落ち着きを取り戻すことができた。
俺の番がきた。俺がこの大会、最後の試技者だ。泣いても笑っても、これで決まる。
ブランコに乗る。背中の方から優しい風が吹いている。追い風だ。
美佐姫先輩……。
あなたが俺達にしてくれた、小さな一つ一つが、俺達をここまで強くしました。
俺達なら秀煌に勝てると信じてくれた。この大会に俺達を出場させるためにキスを賭けた試合もいとわなかった……。
あなたがそこまで俺達を……俺を信じてくれたから、俺も自分を信じようと思えたんです。
たとえ今日俺達が負けても、あなたは嫌な顔一つせず迎えてくれるでしょう。でも、それじゃ、嫌なんです。
俺は勝ってこの恩に報いたい。あなたが信じた人が、信じるに値する人物だったと証明したい。
勝利の女神よ! 俺に力を……。
覚悟を決めて、俺はブランコを漕ぎ、高度を上げた。
靴を飛ばす動作に入る。
いつも通りの……
「!!」
(しまった! 靴が落ちる!)
突然、靴が緩まって足から離れて落ちていくような感覚……。
ここで靴を落としてしまったら、最悪の形で全てが終わってしまう。
その時、なぜか時間が止まった。俺以外の全てが、止まっているように思えた。
落ち着け、靴はまだ落ちていない。落ちる前に、足を振り抜け!
脳裏をよぎったのは、『悪魔の左足』。何万回と見たあの動画。そして、これまで何千回も頭の中でイメージしてきた。左サイドからゴールへのロングシュート。
靴飛ばしに、サッカーのイメージが融合する。ブランコ上ではサッカーのように身体は動かないと思っていたはずなのに、なぜか今はブランコが身体の一部のように思える。
靴が落ちる前に足を振る。いつもよりタイミングは早かった。
だが、足の振りのイメージはロベルト・カルロスと完全に一致。落ちる靴を蹴るように足を振り抜いた。
これまでの靴飛ばしが振り子運動の線の延長で飛ばすイメージだとしたら、これは靴を点でとらえるようなイメージだ。
靴はこれまでで一番低い軌道を飛んでいた。それでも、靴の勢いはこれまでで最強だった。
勢いからして、靴が40メートルラインを超えることを俺は確信した。
ブランコの揺れを抑えつつ、靴の行く末を見守った。
『靴が自分の実力以上に飛んでくれることがある。神様の贈り物みたいなもんだ……』
稗田コーチの言葉が蘇る。
『靴飛ばしにはそれがある。それがあるから靴飛ばしはやめられないんだ。お前達も続けていれば、いつかそういう瞬間に出会えるかもしれない』
……稗田コーチ。どうやら、その瞬間、俺にも来たようです。
靴は、飛んだ。だが、別の問題が起きようとしていた。とっさに左サイドからのシュートのイメージで放ったため、靴はまっすぐ前ではなく、やや右に向かって飛んでいた。
まずい。このままだと……。
ブランコのある円から伸びている有効範囲を示すラインの角度は34.92度。左足から放った俺の靴は、角度的に、遠くに飛ぶほど有効となるラインの右にはみ出す恐れがあった。
これ以上靴が伸びれば、ラインアウト。ラインの外に落ちればファウルとなる。ファウルになれば、それは0メートルだ。一発勝負だから、それで記録は決定する。
――やがて、靴が地面に落ちて、転がった。
その場所は、45メートル地点に引かれたラインよりも先。しかし、ほぼ右側のラインの上あたりの微妙な位置だった。
これがインならば……入っていれば、俺達の勝利だ。
どっちだ?
ライン判定を行う審判の旗が上がった。
ファウルの判定だった。
俺は、天を仰ぎ、大きく息を吐いた。
ファウルだ。靴は入っていなかった。……終わった。
負けた。俺達は、秀煌学園に勝てなかった……。
――その時。
ファウルの旗を上げた審判に掴みかかった人物がいた。
ミハイルである。
審判の袖を掴み、ミハイルが、声を荒げて抗議を始めたのだ。
何を言っているのかは遠くてわからなかった。
ただ、ラインを指さして「自分は見た。靴はここに落ちた」ということを繰り返し伝えていることはわかった。
ガヤガヤしていたはずの会場は静まり、ひそひそとしたざわめきの中で、ミハイルの声が響いている。
必死の形相で、大きな身振りで「靴はここに落ちた。そしてこちらに転がったんだ」ということを訴え続けていた。
いつも大人しく、穏やかに静かに笑ってたミハイルの、こんな姿を見るのは初めてだった。その姿に、胸が熱くなる。
ミハイルの性格を考えると、きっとそうなのだろう。靴は確かにラインの上に落ちていたのだ。審判がそれを見損ねた。
あるいは、もしや……。
靴飛ばしのルールでは、ラインの上に落ちたのならインだ。記録は認められる。しかし、紛らわしいことに、同じラインが使われる陸上の投てき種目の場合、ラインの上は無効というルールだ。
もしや、この審判がルールを混同したのでは……一度旗を上げた手前、ミスを認めないのでは……というかんぐりもしたくなる。
とはいえ、本当に微妙だった。ラインの外側に転がった靴を見て、アウトに判定したくなる気持ちもわかる。
県大会ではビデオ判定も導入されていない。
残念ながら……判定が覆ることはないだろう。
だんだん、その場に、他の審判員達も集まってきた。
竹内も入って、審判と何か話している。
ミハイルはなおも泣きながら、すがるように審判に訴えている。
俺は肩を叩かれた。
「俺達も行くぞ」
こちら側にいた小谷だった。
「ああ」と言ってミハイル達のところへ向かおうとすると、
「あ~あ、嫌だねえ。これだから気性の荒い外人は……」
横から、シーアンの声がした。
「てめえにミハイルの何がわかるんだよ!」
俺はシーアンの胸ぐらを掴んでいた。
ミハイルは自分が使ったあと、次に使う人のために、必ずブランコを止める。どんなに上手くなっても、それだけは一度も忘れずにやっていた。
合宿中、何百回と靴を飛ばしたが、俺が靴を拾って手渡してやると必ず「ありがとうございます」と言った。一度も欠かさなかった。
それを気性の荒い外人ってなんだよ! わざわざそれを言いに近づいてきたのか⁉
「あれえ? 判定ごねた上に暴力ですか? 上川って最低ですね~」
シーアン……こいつ……マジ腐ってやがる。
「おい、タカハシ、そいつは俺より記録が下だった雑魚だぞ。そんな奴にかまうな。早く行くぞ」
小谷に言われて冷静になる。
「そうか、なんだ、小谷より記録下だったのか……。じゃあいいや」
シーアンを無視して、あちらへ向かうことにした。また小谷に助けられた。
「なんなんだよ!」
シーアンが地団駄踏んでいるが、もうどうでもよかった。
俺はミハイルのところにたどり着くとミハイルを抱き寄せた。
「ありがとう。ミハイル……もういいんだ」
「でも……入ってたんです。タカハシさんの靴。本当です」
「ああ。わかってる……」
靴飛ばしのルールでは、入っていた。
……でも俺にとってそこはゴールポストだ。俺のシュートはゴールポストに当たって弾かれたのだ……。俺はスカイツリーのてっぺんに靴を飛ばせなかったのだ……。
「俺も悔しい。でも、このまま抗議しても、覆らない。それより、これ以上抗議を続けたら、お前まで失格になっちまう」
ミハイルは首を振る、こうなったら、失格でもいいという気持ちなのかもしれない。
「最高だった……。ミハイルの靴飛ばし……。それまでなかったことにされたくないんだ。わかってくれ」
竹内もミハイルに声をかける。
「うん。ミハイル君、個人成績二位だよ。それ、持って帰ろ!」
そして、竹内は審判員達に向けて大きな声で、
「お騒がせしました。判定は受け入れます」
と言って深く頭を下げた。俺も、小谷も、ミハイルもそれに倣って、審判に頭を下げた。
観客席から、拍手が起こった。
拍手は徐々に大きくなり、会場全体に広がった。
他のチームの選手達も、周りで見ていた運営関係者達も、俺達四人に惜しみなく拍手を送ってくれた。
「みんな~! ありがと~~~! 大好きだ~~~~~~!!!」
その声に、会場にいた全ての人がそちらを向く。
俺には見なくてもわかった。それでこそ美佐姫先輩だ。
ゆっくり振り返って、スタンドから身を乗り出して泣き顔で大きく手を振る美佐姫先輩を確認する。
俺達はチーム四人で、改めて観客席の方にも深く頭を下げた。
拍手は、俺達が自分達のテントに戻るまで鳴り止まなかった。
テントで、関根先生が何も言わず、俺達を一人一人抱きしめてくれた。
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