43
ミハイルが41メートル台の記録を出したことで、何かが動き始めた。
秀煌学園が他を寄せ付けず圧勝するはずの県大会……。大型スクリーンの秀煌と上川のチーム得点表示を見る。秀煌学園81メートル47。上川78メートル97。
三位のチームは67メートル台であることから考えても、上川が想定外の数値を出していることに、その場の多くの人が、気づき始めた。スタンドの観客、選手問わず、スクリーンの数字を指さしてそばにいる人と何かを話している姿が目に付く。「あれ? 何かおかしなことが起きている?」という空気が生まれ始めているようだった。
そのスクリーンに三人目の選手が表示された。
上川高校のところに「小谷悠亮」と
見慣れない文字列。俺は本人に聞いてみる。
「小谷って、名前何て読むの?」
「『ゆうすけ』だよ」
「意外だな……」
「そうか? 『ゆうすけ』なんてよくある名前だろ……」
「いや、小谷に下の名前があるとは思わなかった」
「普通あるだろ。失礼だな! まさかずっと知らなかったのか?」
「初めて知った……お前『
「そういうタカハシは下の名前なんていうんだ?」
「俺はタカハシじゃねえよ、
「そうだったのか? 今知った」
これだけ一緒にやってきて、お互いちゃんと名前も知らなかったことが判明した。
「じゃ行ってくるわ」とブランコに向かっていった小谷はリラックスした様子だった。
そんな小谷の対戦相手、秀煌学園の三番手は「柳貴彦」と表示されている。
しかし、事前情報で、秀煌には43メートルの自己ベストを持っている
秀煌はその野田を控えに回し、柳を出してきた。いずれにしても強敵に変わりはない……と思われたのだが……。
各チーム三人目の試技がはじまり、柳の番が回ってくる。
『35・77』
電光掲示板に、柳の飛距離はそう表示された。
大きなミスではない。普通にいい記録だ。ただ、全員40メートルを謳う秀煌としては少し伸びなかった。
「これはチャンス」と言えればいいのだが、こちらもまた、運命の岐路の上にあった。
こちらは最も不安定な男、小谷だからである。
小谷は合宿で、脱力による自然な靴飛ばしを身につけた。その結果、30メートル近くまでなら確実に飛ばせるようになっていた。つまり、力を抜いて軽く飛ばせば、それだけで30メートルくらい飛ばせるという技を身につけたのだ。
軽くやるだけで30はなかなか飛ばないのだが、それができてしまうのは、小谷の恵まれた身体能力のおかげだった。
けれど、確実に30メートルを飛ばせたところで、秀煌にはとても勝てない。やはり力を込めて、思い切り足を振り「小谷キャノン」を発動させ、40メートル以上を狙わなければ勝利への道は開けない。
しかし、40メートルを狙って力を込めた途端、何かがおかしくなり、靴がちゃんと前に飛ばなくなってしまう。相変わらずの小谷になってしまう。どうやら小谷の身体には運動神経が搭載されていないらしい。
なんで小谷はこんなにすごい才能があるのに、こんなに才能がないのだろう。
「テニス部の頃を思い出す」
合宿後の夏休み練習中、小谷がそう言うので、どういうことか聞いてみると、やはりテニスでも小谷は小谷だった。
「俺は上からのサーブが少し苦手だったんだ。上から強いサーブ打とうとすると、何度やってもボールが当たんない……」
小谷は中学で三年間ソフトテニス部に在籍していたものの、サーブのために投げ上げたボールを空振りするばかりで、結局上からのサーブが打てるようにならなかったらしい。
それでも、もし当たれば強烈なものだったという小谷の上からのサーブ。あまりのスピードに相手が驚いて一歩も動けないくらいだったと小谷は得意気に語るが、めったに入らないサーブが入ったから相手が驚いただけという可能性もあるなと思った。
普段の靴飛ばしを見て、こんな運動能力でよくテニスやってたなと常々思っていたが、やはりテニスでも全く同じようなことになっていたのである。
「人に聞くと『ボールをよく見ろ』って言われるんだ。見てるっつうの。だいたいボールが落ちてくるのが早いんだよ。もっとゆっくり落ちてくるボールを打つ練習からやらせろ」
などと地球の重力に文句を言い出す始末だ。
ただし、上からのサーブは入らなくとも、下からのアンダーサーブなら確実に入れることができたのだという。
その状態が今の状態に似ているという。テニスのアンダーサーブ同様、脱力靴飛ばしなら確実に30飛ばせる。
この状態はチームにとっても、大きな問題となった。確実な30をとるか、不確実な40をとるか。
話し合いの結果、秀煌に勝つ可能性を1%でも高めるには、不確実でも40を狙わなければならないということになった。相手がよほどのミスをしない限り、30ではどうにもならない。どうせ賭けるなら、秀煌のよほどのミスに賭けるより、小谷キャノンの成功に賭けたい。
合宿後の練習では、竹内の助言で、小谷は確実な30の練習と小谷キャノンの練習を交互に繰り返した。この練習のおかげで、力を込めた小谷キャノンに、脱力モードの感覚を混ぜることができるようになってきた。
その結果、小谷キャノンの成功率が少しずつ上がってきた。十月に入った段階で、5回に1回くらいは38~41くらいの記録が出るようになっていた。その後の練習で、もう少し確率は上がったかもしれない。
「人生でこんなに頑張ったの初めてだ」
と自分で言うように、小谷は手を抜くことなく練習をやり通した。
小谷のモチベーションは、純粋に自分の靴飛ばしを追求するミハイルとは違った。美佐姫先輩を喜ばせることだし、シーアンに勝つことだった。どちらの方がいいとか悪いとか、そんな議論は無駄だ。二人とも、本当に今日までよく練習した。
そんな姿を見ていたからこそ、竹内も俺も、一か八か小谷キャノンが成功することに賭けてみたいと思えた。
その上で、小谷の順番をどうするかはチームにとって大きな問題だった。
シーアンに負けたとき、あんなに泣いていたのだ。小谷のメンタルは、小谷が自分で言うほど強くはないだろう。
小谷は普段強がっているが、弱さを見せないように必死で繕っているだけなのはみんな知っている。そこが小谷の面白さだから「もっと正直になれよ」などといってやめさせることもしたくない。小谷は小谷でいいと心から思う。
ともかく、プレッシャーのかかるラストにして、せっかく確率の上がった小谷キャノンの成功率を下げることはしたくなかった。それでも、万が一秀煌が前半で大失敗を犯したときには、確実な30も取りに行けるように小谷を三番目に入れた。
ここまで、結局、秀煌から「よほどのミス」は出なかった。もう、腹を決めて「小谷キャノン」を撃つしかなくなった。
これがダメなら、俺達の敗退はほぼ決まる。
小谷はやはり、リラックスできているようだった。
順番がやってきて、ブランコに乗っても、すぐに漕ぎ始めず、スタンドの方……たぶん美佐姫先輩の方を見てから、ゆっくり漕ぎ始めた。
十分な高さを得てからも、小谷のブランコは何回も往復を繰り返した。
いつの間にか放たれていた小谷の靴は、間違いなく理想的な軌道を描いて飛んでいた。
よし! これは行った!
『40・14』
電光掲示板の小谷の記録、40メートル14。
成功だ! 完璧な小谷キャノンだ!
ブランコから飛び降りて、
「うおおお! おおおおぉぉぉぉぉぉ! うおおおお!」
小谷が吠えた。
俺、竹内、ミハイルの三人は小谷のところに駆け寄った。小谷は両手の拳を突き上げて、俺達を迎え入れた。
俺達は小谷の腰にしがみついたり背中を叩いたりしながら喜びを分かち合った。
顔を見ると、小谷は唇をだらしなく下に垂らしながら、涙を流していた。
こいつも、きっと自分の中でずっと戦っていたんだろうな……。
そして、その戦いを勝利で終えたのだ。
小谷、お疲れさん……。
小谷は再び、真っ赤な顔で「しゃあぁ!」と短く叫んだ。
テントの方に戻って、スクリーンを見る。秀煌学園の合計117メートル24。俺達、上川高校119メートル11。
ついに、俺達のチーム記録が秀煌学園のそれを約2メートル上回った。
会場のざわめきがいよいよ顕著になった。
他校の視線が俺達の方に向けられているのをはっきり感じる。
当然だ。彼らにとって、あり得ないことが起きている。三人終えた段階でトップは秀煌学園ではない。上川高校だ。
「決めてくる」
仲間達にそう言い残して、俺はなるべく観客の方を見ないようにブランコのある方へ向かっていた。おそらく、振り向けば、スタンドから多くの観客が俺を見ていることだろうが、集中するために余計な情報は入れたくなかった。
ブランコのそばには各チームの最終試技者、四番目の選手達が集まっていた。
俺の対戦相手となる秀煌学園の選手は高校四天王の一人、
門原は身長190センチで野獣のような大きな身体で、自転車競技選手のように太い足をしている。その恵まれた体躯から靴を繰り出すパワー系プレイヤーである。長い髪をオールバックにしてうしろで縛っている。
やはり、俺のことが気になるらしい。待機中、男と何度も目が合うことになった。
待機場所はブランコの近くで、秀煌学園のテントのすぐ近くだが、様子がおかしい。
「お前だって、どうせ楽勝だと思って手抜いただろ!」
「はあ? 抜いてねえし!」
柳とシーアンが言い争いをしているようだった
「なんで柳なんだよ。野田先輩の方が安定してたじゃないですか!」
「
シーアンを一喝したのはキャプテンの小田である。
「選考方法おかしいんすよ! こんなんじゃ全国でもボロ負けっすよ」
「まだ負けたわけじゃないだろ!」
「負けたらどうすんすか?」
騒がしい秀煌ベンチを審判員が近寄って注意する。キャプテンの小田が頭を下げ、シーアンにも頭を下げさせる。
秀煌学園が、本気で焦っている……?
いや……ひょっとしたら、これもシーアンの心理戦なのか?
門原はそんないざこざには見向きもせず、厳しい顔で、じっと順番を待っていた。
そして門原の番が回ってきた。
おそらく、これから門原は日本を代表する靴飛ばし選手になっていくだろう。
その門原の試技をこんなに近くで見られるのは、素直に光栄だと思った。
門原がブランコを漕ぎ始める。
門原の漕ぎはダイナミックだが、それほどブランコを高く上げないスタイルだった。
キィ……キィ……。
門原の大きな身体がブランコを軋ませ、ワイヤーが音を立てる。
そして、ブランコごと身体を大きくねじり、ジャンピングボレーシュートのように、横から足を回すように靴を放った。
全てをなぎ倒すような強烈な一閃。
決して綺麗な飛び方ではないが、靴は空気抵抗をものともせず、突き進んでいった。
幾重もの空気の層を破り続け、ようやく速度を失った靴が落ちた場所は40メートルのラインを大きく超えていた。
秀煌学園のテントの方から、「っしゃーー!!」大きな歓声が上がる。
『44・46』
電光掲示板に記録が表示された。
44メートル46。俺達の野望を打ち砕く一撃だった。
なんだよそれ……。
視界がぼやける。
門原が肩で息をしながら、俺の横を通り過ぎて、秀煌のテントの方に戻っていった。
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