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 競技が始まろうとしていた。

 競技場には大きなスクリーンが設置されている。そこに試技を行う選手の名前と、記録が表示されるようになっている。

 すでに各校1番手の選手の名前が縦一列に表示されていた。9行の表のような形で、学校名、選手名、その選手の記録、チーム記録が表示されるらしい。記録の部分はまだ空欄だ。

 試技順を決めるくじ引きの結果、俺達上川高校は出場9校中、最後の9番目になった。他のチームがやったのを見てからできるので、有利にも思えるが、順番待ちの間の緊張で疲れる可能性もあった。秀煌学園は4番目だった。

 上から4番目。秀煌学園の選手名の部分に表示されている名前は「西安健史」。

 俺達にとって、最大の敵がいきなり登場だ。

 秀煌学園の情報はネット・SNSなどで集めるようにしていたので、それでわかる程度のことならわかるのだが、シーアンはやはり、秀煌のスーパールーキーと呼ばれる存在で、怪我をした斉藤の代わりにインターハイにも出場している。自己ベストは45メートル07。日本のトップ選手だった西安修史にしやすしゅうじの息子ということだ。

 そして一番下、俺達上川高校の欄には「竹内歩」と表示されている。

『これより、競技を開始致します。各校、1番目に試技を行う選手は競技場所に集合して下さい』

 女性の声で場内アナウンスがあり、ユニフォーム姿の各学校の先鋒の選手が、各々の待機所から、ブランコの方へ歩いて向かっていく。

 靴飛ばしのユニフォームはサッカーに近い。太ももが半分隠れるくらいの短パンである。俺達のユニフォームは青。秀煌学園は白と黒の縦縞である。

 あの西安シーアンもシャツをしまうようにズボンのサイドに手を入れながら、テケテケと走って行くのが見えた。秀煌のメンバー達の方を振り返って、指さしながら笑いながら何かを言っている。妙に目立って、いちいち鼻につく。

「じゃあ、行ってくる」

 そう言って竹内が立ち上がる。

「頼むぞ竹内」

 俺は竹内を送り出す。いつものように落ち着いているようだった。

「ふふふ、今日の俺をいつもの俺と同じだと思うなよ!」

 ブランコを見据え、竹内は言い放った。

「今日の俺には、いつもの俺に加えて、しじみ70個分の力が付いているんだからな……」

「昨日の味噌汁かよ!」

 竹内は俺に軽くグッドのサインを出して微笑むと、競技場所へ歩いて行った。

 そして、審判員達も定位置に付き、競技が開始された。

 最初の三人が試技を終える。予想通り、秀煌以外の学校の選手は、ほとんどが20メートル台から、30メートル前半の記録に落ち着きそうだ。靴飛ばしというマイナー競技のしかも新人戦。それが普通だ。

 秀煌学園の一番手の西安健史がブランコに近づき、準備を始める。秀煌学園の登場に、場内の注目度も高まる。

 シーアンがブランコに乗る。ブランコ漕ぎの技術の高さに場内がどよめいた。

 シーアンはそこから巧みに身体を操って靴を解き放った。文句の付けようのない完璧な試技だ。

 その動きに、あの日のことがフラッシュバックする。

 あの日のように、今日も秀煌学園に歯が立たず敗れ去る不安に襲われた。慌ててそれを打ち消す。

 それでもシーアンの強さ、秀煌の強さを感じずにはいられなかった。

 シーアンの靴は40メートルラインのあたりに落ちた。二人の計測係が近づき、靴が落ちた場所に測定器と思われる棒を突き立てる。なにやら、その棒状の装置によってかなり正確に距離が計測できるらしい。

 電光表示板には40メートル12という記録が映し出される。拍手が起こる。

 シーアンはその拍手に手を振って答えながらも、やや不本意だっだのか、苦笑いで首をかしげている。

 そのあと、数名の試技が行われ、ようやく竹内の順番が回ってきた。9番目というのは結構待たされるものなのだと思った。

 竹内が試技を開始する。シーアンのあとの何人かは、やはり、シーアンと比べると靴飛ばしの動きとは言えなかったが、竹内の動きは上級者を感じさせるものだった。

 竹内は合宿でバージョンアップした。

 竹内の靴飛ばしは合宿以降、安定していた。いつも35~38メートルくらいの範囲は飛ばしていた。その安定感で俺達は竹内をトップバッターに決めた。

 もともと、力強い靴飛ばしをする竹内だったが、稗田コーチに教わり、スカイツリーに引っかける練習もあって、より大きく遠心力を使えるようになった。ブランコも昔はもう少し、慎重な漕ぎ方をしていたが、より大胆で大きな漕ぎ方をするようになり、勢いも増したことが記録を伸ばす要因だった。


 合宿の朝、俺が目を覚まし外に出ると、竹内がすでにブランコのところにいた。

「やあ、おはよう」

「ああ、竹内早いな」

 俺に竹内はブランコの点検をしていた。ワイヤーで支えるタイプのブランコは、毎日緩めたワイヤーを、締め直す作業が必要だ。その仕事を朝早くから竹内はやっていた。

 他にも竹内は部内の雑用をいろいろやっている。ゴミをまとめたり、周囲の整頓をしたり……誰にも言わず、それが当然のように動いているから。いろいろ竹内にやってもらっているということに気付きにくい。

「なんかやらせちゃって悪いな」

「いや、俺部長だし、このくらいやらんとね」

 竹内は「部長だから」と言うが、たとえ部長じゃなくても竹内は陰で動いて俺達を支えていただろう。

 練習の間も、みんなを楽しませようと、声をかけたりいろいろ気を配っていた。昔からそうだ。そういう奴だと知っていたから、俺もこの部に入りたいと思えた。

 靴飛ばしでも、人間性でも、俺の中で竹内への信頼感は強い。


 力強く飛んだ竹内の靴は、おおよそ予定通りの、いいところに落ちた。

 計測の結果は37メートル37。なかなかの好記録だった。

 戻ってきた竹内を俺達は「ナイス!」と讃えた。

 シーアンの記録には及ばないが、これなら十分戦える。

 しじみ70個分の力は本物だった。ありがとうしじみ達……。


 大型スクリーンは二人目の選手たちの名前を映し出していた。二人目。秀煌学園のところには「小田拓人」の名前がある。

 小田拓人おだたくと。現在の秀煌学園のキャプテンである。43メートルくらいの自己ベストを持っている。偵察に行ったとき、美佐姫先輩が注目選手として名前を挙げていた選手だ。

 順番が回ってくると、小田は、秀煌のキャプテンの名に恥じぬ圧巻のパフォーマンスを当然のように発揮した。

 記録、41メートル35。

 秀煌は二人連続で40メートルを超えた。

 強い。嘘であって欲しいくらい強い。これが秀煌学園の実力……。


 そして、こちらの二人目はミハイルだ。


 ミハイルが40メートルの壁を越えたのは、まだ数日前のことだ。

 合宿中、ミハイルは俺達が秀煌学園を倒したいと意気込んでいるときも、合宿所に現れた犬を手懐けて秀煌の選手を襲わせるように訓練しようとしているときも、ただ、黙々と練習に打ち込んでいた。

 夜、暗くなっても「もう少しやりたいです」と言って、最後まで止めようとしないのがミハイルだった。

 もともと、綺麗な靴飛ばしをするミハイル。さらに距離を伸ばすためにミハイルが参考にしたのは、意外にも秀煌学園シーアンの靴飛ばしだった。インターハイのシーアンの映像を動画サイトで拾って見ていた。シーアンもミハイル同様、身体はそこまで大きくない。それでもあれだけ飛ばせるのだから、自分にもできるはずだと考えたようだ。

 シーアンとの大きな違いはブランコの引き上げ方だった。稗田コーチにもそこを指摘され、指導を受けながらその練習に励んだ。

 合宿後もミハイルはただひたすら、ストイックに自分の靴飛ばしを追求し続けた。たゆまぬ練習によって、ミハイルのブランコは一段上の領域に進化した。

 これまでの技術に、より大きなブランコの勢いが加わった。トレーニングのおかげで筋力も付いた。

 その結果、40メートル63の記録が出た。

 俺は何よりも、その綺麗な靴飛ばしを、見に来ている観客全員に見せたかった。


 ミハイルがブランコを漕ぐ。体操選手のように華麗で無駄のない動き。見ろ、この上手さ。

 そして、高さとスピードのあるブランコから、シュッと足を一振りする。

 靴は十分なスピードに加え、飛び方もいい。靴底を下に、つま先からちゃんとまっすぐ飛んでいる。

 行った! 会心の試技だ! これなら、40メートルに届きそうだ。

 そう思った矢先、40メートルライン付近で落ちると思われた靴が、ふわっと浮いた。もうひと伸びして落ちた。

 あちこちから「おおー」と歓声が上がった。

 もうひと伸びが効いた。記録は41メートル60。ミハイル、自己ベスト更新だ。

 場内の至る所から拍手が聞こえる。

 ミハイルはブランコから降りると、あちこちの方向に深々と丁寧に礼をした。

 俺は泣きそうになった。

 ミハイルがベストの記録を出したこともあるが、今まで俺達しか知らなかったミハイルの芸術的な靴飛ばしを、やっと多くの人に、最高の形で見てもらえたことが嬉しかった。


 ミハイルが戻ってきて、俺に抱きついてきた。

「タカハシさん、できました」

「おう、よかったな」

 小谷や竹内も、加わりミハイルの肩に手を回し、頭をぐちゃぐちゃしたりして、みんなでこの快挙を喜んだ。

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