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 六月に靴飛ばしを始めて四ヶ月ちょっとだが、これまでの人生で一番濃密な四ヶ月だった。

 新人戦とも呼ばれるこの十月の県大会。競技は陸上競技場で行われる。それも、県内最大級の競技場だ。

 この大会で二位までに入れば関東大会出場が決まる。

 もちろん、俺達は二位を狙っているわけではない。狙いは秀煌学園に勝っての優勝だ。


 俺達は競技場の入り口から少し離れた場所で荷物をおろし、関根先生を待っていた。

 関根先生は受付へ手続きに行っている。選手の登録を行い、ゼッケンをもらってくるという。

 俺達は今日の天気の話をしていた。

 晴れていた。風もそれほど気にならない。

 以前から、天候のことは気になっていた。風が強いと、靴飛ばしの運ゲー感は強まる。

「靴を飛ばすには申し分ない天気って天気予報でも言ってた」

 と竹内も言う。どこの天気予報だよ。

「よかったです」

 特に天候のことを一番心配していたのはミハイルだった。ミハイルは紙飛行機のように靴をまっすぐ飛ばすことで距離を伸ばすスタイルだから、風は特に重要だった。

 おそらく秀煌学園は風の強いときの対策もしっかりやっている。風の日用の飛ばし方も練習しているだろう。しかし、俺達はその対策はほとんどやっていない。それをやるには日数や条件が足りなかった。

 もし風が強い日なら、運を天に任せ、もうなるようになれと開き直って、やり方を変えず、いつも通りやるつもりだった。その対応力の差で秀煌に負けるもやむなしと考えていた。

 だが、この天気なら問題ない。懸念だった第一関門をクリアしたような心持ちだ。


 そんな俺達の横を「学校法人秀煌学園高等学校」の文字の入ったバスが通り過ぎ、さっき俺達が歩いてきた駐車場の方へと入っていった。

 我が県における絶対王者、秀煌学園のお出ましである。俺達はその様子を目で追った。

 駐車場に停まったバスから秀煌の選手や関係者がぞろぞろ降りてくる。さすがに人数が多い。20人も30人も出てくる。

 秀煌の集団の中で、まず目立つのは門原弘毅もんばらこうきだ。190センチの身長は、物理的に頭一つ二つ抜け出ている。

 そして、あいつの姿もあった。シーアンこと西安健史にしやすけんじだ。

「あ、首洗ってる」

 竹内が言う。ちょうどシーアンはタオルで自分の首をゴシゴシこするような仕草をしていた。

「汗拭いてるだけだろ」

 俺はツッコんだが「首を洗って待ってろ」という昨日のセリフに忠実に従っているように見えておかしかった。


 競技場の入り口に向かう秀煌の一団が徐々にこちらに近づいてくる。

 シーアンが俺達に気付いたらしい。群れを離れて、ひょこひょことニヤニヤしながら近づいてくる。

「あれ? 君たちはいつぞやの……あれれ? 今日はかわいいマネージャーさんいないの? ひょっとしてもう辞めちゃった?」

 お得意の心理戦か? 俺達はこいつの仕掛ける心理戦への対策もやってきた。もう惑わされたりしない。

「今日、俺はお前を倒しに来た」

 小谷が前に進み出る。シーアン打倒への思いが一番強いのは小谷だ。

「あれ? キミ、この前へなちょこだった人じゃん?」

「そうだ。その相手にお前は今日負ける!」

 小谷はひるむことなく言い放つ。

「そんなこと言っていいの? それで前みたいになったら、めちゃめちゃダサいよ」

 シーアンが小谷の顔を下から覗き込むように見据えて言う。

 早くも火花が散る。

 そこへ秀煌の集団から門原の巨体がずいと抜け出してきたかと思うと、シーアンの首根っこを掴んで、ぐわー。シーアンはそのまま後ろに倒された。

「どうも、すみません」

 大男の門原が頭を下げ、低い声で俺達に謝った。

 そして、うしろの方にいたこの間のマネージャー、クワバラさんも通り過ぎる前に、俺達に丁寧にお辞儀をした。

 俺達も、頭を下げる。

 競技場に入っていく秀煌学園を見送りながら、俺達は「秀煌もシーアン以外はいい人っぽいな。いっそ、みんなシーアンみたいな奴だったらぶちのめし甲斐があるのにな」といったような話をした。


 竹内のスマホが鳴る。会場に入ってくるように関根先生から連絡が入ったらしい。

 いよいよだなと竹内は四人で向き合うような位置に歩み寄り、円陣を作る。

 そして「よし! 行こう!」と力強く言って、竹内は俺達の輪の中心に、手のひらを下に向けた手を差し出した。

 俺は竹内の顔を見て頷くと、足元の自分のショルダーバッグ拾って、紐を竹内のその手にかける。

「悪いな、ありがと……」

 と言って競技場へ向かって歩き出した。

「さすが竹内。いいとこあるな」

 小谷もそう言って自分の黒いリュックを竹内の腕にかけ、俺に並ぶ。

「ありがとうございます」

 ミハイルもいつものエメラルドグリーンのリュックを竹内に渡し、俺達に続く。

 取り残された竹内は、

「あれ? 待って~、思ってたのと違う~!」

 と悲痛な声を上げてから、4人分の荷物を持ち、よたよた後を付いてきた。


 俺、小谷、ミハイル、カバン持ちの人が競技場に入ると、入ってすぐのところで関根先生がこっちこっちと俺達を呼び寄せた。

 そこには、関根先生と三年生の先輩達が待っていた。久米先輩、細山田先輩、遠藤先輩、そして美佐姫先輩も。

 あの時以来、久しぶりに会う美佐姫先輩だが、他の先輩達に交じって普段通りの様子だった。

 まずテンションの高い遠藤先輩が「お前ら、ぶちかましたれ」と激励してくれた。

 美佐姫先輩が「見に来ちゃった。頑張ってね」と俺達に静かに声をかけた。

 久米先輩が「いよいよだな。頼むぞ部長、副部長」と竹内、小谷の肩を叩く。小谷も一応副部長である。が、それ以上に小谷なので、こいつほど肩書きを無力にする男はいないと思った。それから「大会初めてのミハイル君もタカハシ君も落ち着いていけ」と俺達の肩も叩いた。

「じゃあ、スタンドで見てるから」と先輩達はスタンドに向かって歩いて行った。


 改めて見回すと競技場はさすがに広かった。

 競技は陸上のトラックに囲まれた芝生のエリアで行われる。サッカーが行われることも多いそのエリアの隅にブランコが設置されていた。ブランコは円で囲まれ、そこから手を広げるように二本のラインが伸びている。

 その円とラインは陸上の投てき競技で使われているものがそのまま靴飛ばしで使われているのだった。つまり、円盤投げか何かの選手がぐるぐる回る円にブランコを立てる。

 知らない人も多いが、投てき種目の円にはブランコを支柱を立てる穴が二つ隠れている。支柱をはめて、さらに四方向からフック付きのワイヤーで固定すると競技用ブランコの設置完了となる。

 フィールド内にはキャスターの付いた電光表示板も置かれている。そこに「ただいまの記録」が表示されるらしい。

 この広い会場が靴飛ばしだけのために使われていることに、もったいなさを感じてしまう。50メートルも飛ばない靴飛ばしのために、100メートル近く飛んでも大丈夫な設備が整えられているのは見ていて皮肉と滑稽を感じずにはいられない。もっとも、50メートルまでしか準備されていなかったら、それはそれでもっと嫌なので、この無駄な広さも贅沢と捉えたい。

 ブランコの近くの競技に影響のない場所(トラックの上だったり、芝生の上だったり、統一はされていないが)に、各学校の待機所となるテントが置かれている。各テントにはパイプ椅子やテーブルが置かれている。テントに入れるのは、選手やコーチなど試合関係者だけ。先輩達もそうだが、家族、友人などはその学校のテントになるべく近いスタンド・観客席で応援することになる。

 マイナーな競技で、参加校も少ないが、それでもスタンドを見ると、いろいろな学校の友人・家族・関係者……全員あつまると結構な人数である。出場選手友人と思われる多くの高校生くらいの男女、父親母親世代のおじさんおばさん、さらにおじいさんおばあさんや小さな子供まで幅広い見物客がいた。さらに、どこかの靴飛ばし部と思われる集団の姿もちらほら見える。別の地方や県から秀煌の視察にでも来たのだろうか。

 秀煌学園の待機場所後方のスタンドは特に人が多い。試合に出ない選手や、引退した三年生やOBらしき人、女子部の集団などもいて、腸内フローラのように一団を形成している。

 一方で、向かい側のスタンドには誰もいなくてがらんとしている。目立ちたい願望を持っている人は、そこに座っていれば選手以上に目立てるだろうと無駄なことを考えてしまう。

 関根先生に連れられ、俺達はテーブルに「上川高校」と縦に印刷された紙の貼ってある場所へ移動する。そこはブランコからは一番遠い場所だった。逆に秀煌学園の場所はブランコの一番近くだった。別に不満があるわけじゃないが、どうしてそういう位置になっているのか聞いてみたいものだ。

 各校、出場選手四名の他に、控え選手も数名ずついる。控え選手無しの四人で参加しているのは上川うちくらいだ。監督・コーチ・マネージャーなどもいるところにはいる。

 黄緑のビブスを付けた審判員、大会運営関係者みたいな人、記者らしき人などもあちこちにいる。

 そんな様子を見て俺は思う。


 これだけの人がいて、たぶん、ここにいるほぼ全員、秀煌学園が優勝すると思っている。

 だけど、そう思ってない奴が少なくとも四人いる。

 見ている全員の予想を完全に覆す四人がここにいる。

 それを知っているのは俺達四人だけだ。

 こんなワクワクすることはない。


 テントからスタンドを振り返る。スタンドまで少し距離はあるが、四人の先輩達の姿が確認できる。


 美佐姫先輩あなたはどうですか?

 俺達のこと、まだ信じてくれてますか?

 どちらにしても、俺達はきっと、最高の結末をあなたにお届けします……。

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