39

 俺達が稗田ひえだコーチから教えて欲しいことは、靴飛ばしの技術だけではない。それだけでは不十分だ。

 浩次郎こうじろう先輩達がどうやって秀煌学園に勝ったのか、その方法を稗田コーチから聞き出す必要があった。

 俺達は帰ろうとする稗田コーチを羽交い締めにして、バスタオルで両足を縛り上げ、部屋に引きずり込んで、「寿司を驕るからミーティングに参加しろ」とお願いし、夜のミーティングに参加してもらった。

「どうやったら秀煌に勝てる?」

 俺は単刀直入に聞いた。

「そうだな。一番確実なのは、秀煌の主力選手の膝を金槌で思い切りガーンとやることだ」

 エア金槌をスイングしながら稗田が答える。

「言ってることが小谷と同じじゃねーか!」

「いや、待てタカハシ! 俺は『木槌』って言ったんだぞ。俺のは温もりを感じる材質だろ? ところがこいつはどうだ? 金槌だ。そんな冷たいものを持ち出すなんて、もう人の心がないとしか思えん。こいつは人の皮を被った悪魔だな」

 小谷が主張する。

「どういう基準だ! 同じだよ! どっちも最低だよ!」

「でも、それ以外に方法なんてねえよ。残念だったな」

 稗田コーチはそう言い切った。

「俺達の戦いもここまでか……」

 小谷がまた無念の声を上げる。

「じゃあ、浩次郎先輩達はどうして秀煌に勝てたんですか?」

 竹内が聞く。

「お前達は秀煌学園に勝とうとしているな?」

 稗田コーチが突然そう聞いた。

 一同頷く。

「なぜ、そこまで秀煌にこだわる?」

「それは……」

 同じ県内の強敵だし、美佐姫先輩が……。

「相手が秀煌だろうが、どこだろうが、靴飛ばしなんだ。相手なんか気にせず、とにかく自分の距離を伸ばせばいいじゃないか?」

「……」

 返事に少し困ったが、稗田コーチは続ける。

「お前らは、浩次郎から妹に受け継がれた『秀煌に勝つ』って目標を大事にしてきた。結論を言えば、それは大正解だな。スポーツで結果を出す奴ってのはまず、目標設定が上手い。まず、そこが浩次郎は上手かった。浩次郎はあくまで『秀煌学園に勝つ』という目標を掲げた。『自己ベスト更新』でもなければ、『全国大会優勝』でも『インターハイ出場』でもなくだ。秀煌学園なら、具体的にイメージができる。相手の強さも、それに勝ったときの嬉しさも、周囲の反応もだ……」

 確かに、秀煌学園は俺達上川の生徒にとっては身近だ。滑り止めで受験している奴もいっぱいいる。近くにいる強敵という実感があって、意識しやすいし、イメージしやすい。勝てば、クラス中、学校中が祝福してくれる。『全国大会出場』のような漠然とした目標よりずっとモチベーションが上がる。

「つまり、浩次郎先輩達は秀煌を目標にすることで高いモチベーションを保ったから、秀煌に勝てるくらい強くなったってことですか?」

 竹内が問う。

「確かに、高いモチベーションで練習ができたおかげで実力がついたんだろうな。けど、浩次郎達も、実力で言えば、秀煌に勝つには十分じゃなかった……」

「じゃあ、どうやって……」

 俺がつぶやく。

「お前達も知ってるだろうが、靴飛ばしには、どうしても運の要素が入ってくる。競技用の靴は安定して飛びやすくなっているが、靴が空中でひっくり返って風を大きく受ければ大失速だ。靴が綺麗に飛べば飛距離は出るが、崩れれば空気抵抗を受けて距離は伸びない。どんなにいい選手でも、そういうミスは起こる」

 それは普段の練習で感じている。靴の向き一つで記録が大きく変わってしまうのが靴飛ばしだ。

「飛び方が悪くて記録が伸びないってことは、誰にでもあり得る。だから相手がどんだけ強くても、一発勝負の靴飛ばしの試合では、絶対に勝てないとは言い切れない。10回やれば1回は勝てるかもしれない」

 確かに、実力が上の相手から勝つチャンスを見いだすにはその確率のブレを利用するしかない。こっちが全員最高の試技をして、秀煌が二・三人ミスをすれば勝てる。

「じゃあ、相手のミスにかけたってことっすか?」

 竹内が挟んだ質問に「簡単に言えばそうだ」と稗田コーチは肯定した。

「でも、その確率のブレをなくすような練習をこっち以上に秀煌はやってるわけだろ?」

 俺は疑問を口にする。考えることはみんな同じ。強者のミスを待って上に行こうとする。だから、その隙を与えないように、強豪ほどミスなく安定して記録を出せるような練習をしているはずだ。

「もちろん、秀煌クラスなら、どんな状況でも安定して飛ぶように練習している。だが、実際、浩次郎達が秀煌に勝てたのも、秀煌のミスがあったからだ。だが、こちらにも実力がなきゃ、相手に多少のミスがあっても勝てないだろ?」

 まあ、それはそうだ。秀煌の上位選手なら、ミスをしても35くらい飛ばしそうだ。こちらがそれを上回れなければ当然勝てない。

「浩次郎はこう考えた『10回やれば1回勝てるを9回に1回にしよう』。それができたら8回に1回……。自分達の記録を伸ばして、最終的に4回に1回くらいまで実力差を埋めた」

「その4回に1回が、その大会でたまたま出たってことですか?」

 竹内が確認の問いを挟む。

「そういうことになる。けど、それだけじゃない。浩次郎の執念が本番で相手のミスを引き出した」

「は? どういうこと?」

 俺が反射的にそう言うと、

「まあ、ミスの本当の原因なんてわからんから、これは俺の仮説も含まれるけどな……」

 と前置きして稗田コーチは語り始めた。

「靴飛ばしの団体戦では、強い選手をうしろに置く傾向がある。エースを最後に出すってことだ。浩次郎はこれを逆手にとって、四人の中では一番記録が低い溝口みぞぐちって奴を……こいつは小谷を太らせたような、ちょっとでっかい奴なんだけど、そいつを一番最後にした。それで、わざと秀煌の選手のそばで、そいつがエースであるかのような会話をして、そう見せかけたわけよ。チーム全体で一芝居打ったんだよ。そいつは実際には自己ベスト36くらいの平凡な選手なんだ……」

 少し、話が見えてきた……。稗田コーチは続ける。

「当時の上川で強かったのは、浩次郎と伊藤翔いとうしょうって二人だ。浩次郎を二番手、翔を三番手にした。そして、この二人が40メートルを飛ばした。会場の空気が変わった。このあと出てくる溝口はそれより上だと秀煌は思っている……」

「それで、焦って、ミスをしたんですね」

 竹内の問いかけに、そういうことだと稗田コーチは答えた。

「ズルいと思うか? でも、もし秀煌のミスの原因がそれなら、その程度のことで本来の力が発揮できない方が弱いんだよ。むしろ、相手がミスをするという保証なんてないけど、勝つためにできることは何でもやろうって浩次郎達の執念を俺は評価する。それが、4回に1回の勝利を引き寄せたんだろうな。団体戦は面白いな!」


 稗田コーチの話を元に、俺達はミーティングを繰り返した。

 順番を工夫して一芝居打つ。それは浩次郎先輩の代では有効だったが、俺達には使えない。人も違うし、相手だって何度も同じ手は食わないだろう。

 それでも、その話を参考にして、『秀煌学園に勝つ』その確率が1%でも上がることなら何でもやろうと俺達は決めた。

 浩次郎先輩は、『秀煌に勝つ』というワクワクするような目標に仲間を引き込んで、秀煌相手に一芝居仕掛けてみたり……きっとそのプロセスを全部楽しんでいたんだろう。

 同じ立場に立って、その気持ちがわかってきた。今、秀煌学園は俺達が本気でその首を狙ってるなんて1ミリも思っていない。その寝首をかく。あっと言わせる。なんて面白いことだろう。

 俺達は浩次郎先輩の残してくれた遺産の上でそれをやっているけど、浩次郎先輩はゼロから始めた。なんて面白い人だろう。

 一度会ってみたかった……。

 浩次郎先輩の顔を思い浮かべようとするが、美佐姫先輩の顔ばかりが思い浮かんだ。


「俺の自己ベストは50メートル44だ」

 合宿の最後に稗田コーチが言った。

「何? 自慢? 性格悪いな」

 小谷がぼやく。

「ちげーよ。いいこと言おうとしてんだよ。黙って聞いてろ。50メートルなんて言うと、俺のことを天才だと思うだろ?」

「やっぱり自慢じゃん……」

 また小谷が小声でつぶやく。

「違うんだよ……あの記録は自分でも出来過ぎだったと思う。偶然試合で出来ちまった。その後、何度も自分の記録に挑戦したけど、二度と出せなかった。俺にそんな実力はなかった。本当にたまたまだ……。靴が自分の実力以上に飛んでくれることがある。神様の贈り物みたいなもんだ。靴飛ばしにはそれがある。それがあるから靴飛ばしはやめられないんだ。お前達も続けていれば、いつかそういう瞬間に出会えるかもしれない。最後まで諦めるなよ。健闘を祈る」

 そう言って稗田コーチは、俺達一人一人と握手を交わした。

 この人にコーチを頼むという選択はやはり間違っていなかったと思った。

 俺達は「ありがとうございました」と稗田コーチに礼を言って合宿を終えた。


 振り返ると、合宿中、何百と靴を飛ばしたが、結局記録を伸ばせたのは、竹内だけだった。

 けれど、全員、合宿には手応えを感じていた。合宿で得たものをこれからの練習で発展させれば、十月の大会までに、記録を伸ばせるという確信があった。

 合宿後の残った夏休み期間、俺達は少しの時間も惜しんで学校で練習を続けた。

 俺は前よりも、身体がブランコと連動しているのを感じていた。スカイツリーに引っかける練習が生きている。

 そしてついに……

「41メートル70です」

 ミハイルの声。

「っしゃあああああああ」

 俺は40メートルの壁を越えた。

 めちゃめちゃ嬉しい。40メートルを超えることがこんなに嬉しいと思わなかった。

 俺はミハイルに抱きついていた。ヤバい。どうかしている。


「みんな頑張ってるじゃない」

 関根先生が今度こそ飲み物の差し入れを持って来てくれた。暑い中の練習だから、これは嬉しい。

 合宿のことは先生には言っていない。

 それでも、関根先生は俺達の変化から直感的に何か察したらしい。

「次の大会、美佐姫ちゃんにも応援に来るように言っておくからね」

 と言い出した。

 複雑な気持ちになる。

 あれから、ずっと美佐姫先輩はここに来ていない。

 今どんな気持ちでいるのだろう……。

 関根先生にお願いする形でいいのだろうか……俺はすこしたじろいだ。けれど……

「はい。成長した俺達の姿をぜひ見に来てくださいとお伝えください」

 と竹内が堂々と言った。

 上川靴飛ばし部の物語の主人公は美佐姫先輩だと言っていた竹内も、美佐姫先輩から思いを受け継いで、すっかり頼もしくなっていた。

 俺もそうだが、竹内もこの物語の主人公は自分だと自覚するようになったのだろう。

 竹内が語れば、俺なんかよりずっと面白く話せるんだろうな……。

 

 夏休みが終わってからも、俺達の練習は続いた。

 テーマは『秀煌を倒す可能性を1%高めるために何ができるか』。

 無駄にハードな練習は避けて、そのテーマに合うことだけを続けた。

 そんな日々はあっという間に過ぎて行った。

 十月に入った。

 大会の日は着実に近づいていた。

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