38
「飯どうする?」
竹内の声にしばらく誰も反応しない。全員、冷房を効かせた十二畳の和室に、座布団を並べてぐったりしている。
合宿初日の練習を終えたが、暑さもあってくたくただ。
部屋の隅には空っぽのペットボトルが何本も並んでいる。どこまで増えるのか楽しみになってきた。
初日の練習内容はいつも学校でやっていることと変わらなかった。大きく違うのは、ここの練習場は正面にスカイツリーが見えること。目標物を見ながらの靴飛ばしはいつもよりも楽しくて、時間を忘れて練習に励んでしまった。
暗くなっても、照明を入れれば練習できそうだったが、暗くなるとスカイツリーが見づらいので、夜は早めに切り上げて、明日、朝早めに練習を始めようということになった。
「なんでもいい……腹減った。」
小谷がようやく答える。
「じゃあ、パセリでいいね」
と竹内。
「いいわけないだろ」
小谷が当然の反発。
「なんでもいいって言ったじゃん……ってこれうちの母親のネタ。こっちがなんでもいいって言うと必ず『じゃあパセリね』って言われるんだよ」
なんでもいいが一番困るとはよく言うが、竹内ママはそんな反撃を考え出していたのか。
それから竹内は立ち上がり、
「トイレ行くけど、何か要る物ある?」
と聞いてくる。
「コンビニみたいに言うな」
と俺はツッコむが、
「トイレットペーパー」
小谷が答える。要る物あるのかよ。何に使うんだよ……。
「いいですねー」
ミハイルが言い出す。俺はすぐ聞き返す。
「え? トイレットペーパーが?」
「いいえ、こういう……合宿。やってみたかったです」
座布団を抱きながら嬉しそうな様子だ。
「そか」
そんな調子の合宿だったが、稗田コーチは合宿についてはほったらかしだった。「俺は先生じゃねえんだ。台所に金は置いておく。練習時間も飯も自分達で決めろ。ちょっと歩けばスーパーもコンビニも飯屋もあるし風呂屋もコインランドリーもある。自炊でも出前でもいい。スマホがあれば調べられるだろ。勝手にやってくれ」という感じだ。
俺達が貯めた40万。半分は施設利用代ということで、残り20万が台所に置いてある。好きに使い、余った分は持って帰れという話だ。靴飛ばしのためなら一度は捨てていいと思って貯めた金だし、ケチらず使おうということになった。余ったらミハイルのコレクションを買い戻せばいい。
「ミハイルは何食べたい?」
「寿司が食べたいです」
ミハイルの希望でその日は寿司の出前を取った。
入浴や食事を終え、布団を並べて早めに寝ることにした俺達。修学旅行気分だ。なんかテンションが上がる。
しょうもない世間話をいろいろしたが、盛り上がったのは秀煌学園シーアンこと
奴の振るまいがいかにゲスの極みであったかを語り合い、合宿のモチベーションを高め合う。
小谷はキスのことをかなり根に持っていた。
「だいたい、キスってのは、銀河鉄道で散々一緒に旅して、最後に、別れるときやっとするようなことだろ。それが、なんだあいつ……」
キスにふさわしいのは長年そばで苦楽をともにした人間こそだろと……。気持ちはよくわかる。
そこから話は、どうにかあいつを殺せないか? 今日迷い込んできた犬を手なずけて襲わせれば、事故ってことで済むんじゃないかといった穏やかじゃない方に発展していった。
「秀煌に勝つことはもちろんだが、俺はあいつに勝ちたい。1センチでも1ミリでもいいから、本番であいつよりいい記録出す。俺の手で確実に葬る。そのために今俺は生きてるようなもんだ」
小谷がそう言って話をまとめた。嘘のない真っ直ぐな瞳だ。そして、宣言する。
「俺はこの合宿で必ず強くなる!」
力強く言い放つ小谷は、いつもよりかっこよく見えた。
「必ず強くなって、俺より下の奴全員見下したい! 優越感に浸りたい!」
いや、やっぱりいつもの小谷だった……。
翌日から稗田コーチの本格的な指導が始まった。
まずは俺達の靴飛ばしを見てもらうことにした。
「はあ、小谷はすごいな」
稗田コーチが感心している。
「やっぱりそうか。おっさん、見る目があるな」
小谷が胸を張る。
「褒めてんじゃねえよ。どうしたら、そんな意味不明な身体の動きができるのか理解不能なんだよ。俺、お前ほど不器用な奴を見たことねえもん」
「やはり、俺を理解できる人間はいないか……。生まれた時代が早すぎたようだな」
と小谷は相変わらずの調子だが、デタラメな小谷の動きには、さすがに稗田コーチも困った様子だ。
とはいえ、技術指導に関して、稗田コーチはやはりプロだった。
「竹内、お前は太ももの力に頼りすぎだ。ブランコのねじれを怖がらず、もっと全身使え、足の付け根が胸のあたりにあると思ってやってみろ」
結論から言うと、このアドバイス通り練習した結果、合宿の終わる頃には、竹内の自己ベストは1メートル伸びて39メートル台になったし、平均飛距離もかなり伸びた。
もともと竹内は安定感があって、これまで32~33メートルくらいで安定していたが、その数値が35~36メートルまで引き上げられた。この安定感はチームにとって恩恵が大きい。
俺が指摘されたのは、やはりブランコの使い方だ。
「
ミハイルは持ち前の靴飛ばしセンスを発揮して稗田コーチをうならせた。
「ミハイルは……大したもんだな。落ち着いてやれてるな。俺が教えて欲しいくらいだ」
「ありがとうございます」
「ただ、ブランコはまだ上がるはずだ。うしろに来たときの引き上げをこの合宿で覚えろ。あとは身体が大きくなるといいな。身長はともかく、筋肉は付くはずだ。焦らず、トレーニングを続けるんだな……。ミハイルに小谷の身体があればすごい選手になるんだけどなあ、まったく世の中うまくいかないもんだな」
勝ちたければ、筋力トレーニングやイメージトレーニングをおろそかにしないこと。靴飛ばしはそこで差が付くと稗田コーチは言う。
俺達はスカイツリーをめがけて、一台のブランコを交代で使って、何度も靴を飛ばした。
それでも、力の入りすぎる小谷に稗田コーチはこんなことを言った。
「俺は『スカイツリーに引っかけろ』と言ったんだぞ。お前はスカイツリーにぶつけようとしてるだろ?」
稗田コーチは靴カゴを持って来て10メートル先に置く。
「スカイツリーだとちょっと遠すぎるか。このカゴがスカイツリーのてっぺんだと思って、中に靴を入れてみろ」
小谷が靴カゴめがけて靴を飛ばす。靴はカゴを通り過ぎた。
「ほら、力が入りすぎてる。それじゃ引っかからないだろ? もっと軽くでいいんだよ」
小谷がもう少し軽くやる。靴はやはりカゴを通り過ぎたが、先ほどとは飛び方が違う。シュッと、綺麗な飛び方をした。
「そうだよ。それが引っかける感じだ。ブランコを上手く使えば、そんなに力を入れなくても靴は飛ぶだろ」
そんな練習を繰り返し、小谷は徐々に脱力した靴飛ばしを身につけていた。前より動きが自然になってきた。まだ先は長いような気がするが、この合宿で一番進歩しているのは間違いなく小谷だった。
そして、「スカイツリーにぶつける」のではなく「スカイツリーに引っかける」という感覚は、俺にとっても重要だった。俺も最初気付かぬうちに、スカイツリーにぶつけようとしていたからだ。
足の力に頼るより先に、まずブランコの力をしっかり靴に伝える感覚を身につけることが必要だ。そのために、この「スカイツリーに引っかける」練習は役立つのだとわかった。俺はコーチの言うように、記録を求めた練習をやめて、この練習場でしかできないスカイツリーに引っかける練習を繰り返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます