36
「ヒマだなあ」
竹内の親父さんが言う。昼過ぎのアイドルタイムで店には客が誰もいない。
「昨日『虫コナーズ』と間違って『客コナーズ』吊しちゃったんじゃねーか?」
親父さんは、そんな冗談を竹内ママに言っている。
俺は慣れないエプロン姿で「お好み焼き竹うち」の七夕企画の片付けをしていた。
俺は竹内の紹介でここで短期のバイトを始めた。
竹に飾った七夕の短冊を手に取る。
『勝利の女神が俺たちにほほえんでくれますように』
竹内の書いた言葉と、四人連名の署名がある。あのミーティングの後、みんなで飾ったのだ。
勝利の女神……それは、秀煌に勝つために絶対必要な勝負運のことであるが、もう一つの意味がある。言うまでもなく、俺達が一番笑ってほしい人のことだ。
よく見聞きする言葉だけど、これ以上に今の俺達の願いを端的に示す言葉はない。短冊は片付けてしまうけれど、もう一度みんなで、今度は神社に行って絵馬に同じことを書いて飾りたいと思った。
夏休み、俺達は練習とバイトの日々だった。
「
あのミーティングで最後に竹内はそう言った。
「は? あれって、適当に言ったやつだろ? 例えばの話だろ」
俺はそう言ったが、竹内は首を横に振る。
「わかってるけど、俺達の本気を証明するには、本当に40万を持って行くしかないと思うんだ。だから、なるべく早いうちにかき集めて持って行って、夏休み中に指導してもらおう」
それから俺達の「稗田に40万叩きつける作戦」、別名「金策」が始まった。
朝と昼は練習。練習は、竹内の方針で、これまで以上に熱を入れて、それでも楽しさを忘れないように心がけた。
そして、夕方から夜は「竹うち」でバイト。あるいは小谷か竹内の部屋に集まってフリマ作業というのが、日課となった。
フリマサイトで金を作る作戦で活躍したのが小谷である。小谷はマックブックエアなるノートパソコンを駆使して、フリマサイトで商品を出品して売るノウハウをある程度持っていた。
俺達は売る物を持ち寄った。出品作業は小谷に託したが、売れた物の梱包や商品のクリーニングなどの作業などを手伝った。特にミハイルは留学生でバイトができない分、小谷の片腕としてフリマ事業を頑張った。
売れる物は何もかも出品した。竹内も俺も、ゲーム機やソフトの類は根こそぎ売りに出したし、所有しているマンガも全巻セットで出品した。俺はちょうどいい機会だとばかりにサッカー用品を処分したが、これは大した足しにならなかった。
ミハイルも、日本で買い集めたアニメグッズのコレクションを提供してくれた。それがミハイルにとって大事な物だとわかっていたから心が痛んだ。
それでも、なんとしても稼ぐ必要があった。合わせて40万。
バイトのマッチングアプリのようなものにも登録して、空いた日に倉庫作業に行ったりもした。小谷も単発バイトに行ってみたが、仕事が遅いと文句を言われたらしく、パソコンで出品作業をしながらそのことについてずっとグチっていた。
小谷は最後まで葛藤したが、単発バイトがよほど嫌だったのか、大切にしていたアイパッドプロも アップルペンだかパイナップルペンだかと一緒に売りに出した。これはさすがに高く売れて、これだけでほぼ一人分がまかなえた。
フリマで売れなかった物も中古ショップで売り払い、小谷の部屋の本棚もほとんど空っぽになった頃、ようやく40万貯まった。
「あはははっははは、はーっははははは……!」
稗田のおっさんに大笑いされた。
八月。40万を持って、俺達四人は稗田のおっさんの家に押しかけた。家までの道順は、前の訪問の時、目印ごとに美佐姫先輩が散々騒いでいたので覚えていた。
「それで、お姫様の唇奪われて、悔しくて40万貯めてきたのか、ひーっひひひひひひひゃひゃひゃ……」
手を叩いて笑う稗田。
事情を話したらこのざまである。
「くそ! そんな笑うことないだろ! こっちは真剣なんだよ」
俺はこのおっさんに対して強気だった。こっちは必死で40万貯めたんだ、嫌とはいわせないぞという挑戦的な気持ちがそうさせた。失礼なほど笑われたことで、敬語もどこかに行ってしまった。
もう後悔はしたくない。見ているだけでチャンスを逃すのは嫌だ。相手がこの稗田のおっさんだろうが、俺は言いたいことは言おうと決めていた。秀煌を倒すために必要なら何だってする。
「くく、わかってるって……だからおもしれえんじゃん、ふふふあはあはははは、うはは……」
「やっぱり来るんじゃなかった……。俺達は……。秀煌に勝つために力が必要で……あんたが力にならないなら、早く別の方法を探さなきゃいけない……。時間がないんだよ」
「あー、はいはい。それにしても、情けないねえ。完全に相手のペースに飲まれてんじゃん? そんなことだから大事なお姫様の唇奪われちゃうんだよ」
「ああ、くそ。わかってんだよ」
俺達は自分達の情けなさを十分に知って、それを乗り越えてやっとここに来たんだ。蒸し返すな。
「ほら、竹内、やっぱり性格悪いだろ、このおっさんはやめとこう」
うしろから小谷がつぶやく。小谷も俺と同じ、このおっさんを敬う態度は始めから捨てている。秀煌に勝つ方法をよこせ、さもなくばアイパッドプロを返せという立場だ。
「まあまあ……その
稗田はソファの肘掛けに載せた肘で頭を支える姿勢で話している。
心理戦……。そう考えるとシーアンは確かに、こちらを精神的に揺さぶるようなことをいろいろやってきている。全部こちらの平常心を奪うため……。最後にやらかした小谷も、かなり様子が変だった。美佐姫先輩のキスがかかっているというプレッシャーで潰されてしまっていたのだ。小谷をもっと楽な順番でやらせるべきだった。まあ、今さら悔やんでも仕方ないが……。
「そんな弱っちいお前らが、本気で秀煌に勝つ気か? できっこないだろ。無理だ。無理無理」
「やる前から決めつけるなよ! 俺達はできる!」
俺はこの文字通り人をバカにした失礼なおっさんにいよいよ愛想を尽かしかけた。
「お前らの記録じゃ、切り札の『小谷キャノン』が出ても勝てないんだぞ?」
稗田が小谷を見ながら言った。
「は? なぜ、俺の『小谷キャノン』を知ってる⁉」
小谷が驚きの声をあげる。シーアンの話はしたが、小谷キャノンの話はしていない。
「お前らのお姫様だよ……」
「美佐姫先輩?」
俺達は口を揃えて聞き返す。
「ああ。やっぱりお前らは知らないのか。お前らが前にバカみたいな顔でここに来たことあったろ?」
「バカみたいな顔ではない。少なくとも俺は賢そうな顔だったはずだ」
メガネだってかけてるし、と小谷が抗議するが、稗田は無視して続ける。
「あの後、コーチの件考え直してもらえないかって、あの子からまたメールが届くようになったんだよ。お前らの動画と一緒にな。どれだけ素質があるのか解説を付けて『ほら教えたくなるだろ?』とでも言いたげにお前ら一人一人のことを紹介してきたよ」
「……」
「お前ら、いい先輩を持ったな……」
そうだったのか。それで美佐姫先輩はあの時動画を撮影してたのか……。
「まあ、全部無視したけどな」
「な、……美佐姫先輩のメール無視するなよ!」
俺は本気で腹が立った。あの時の美佐姫先輩はコーチを断られ、少し落ち込んでいたんだ。それでも立ち直って頑張って打ったメールだ。無視されたらキツいはずだ。メールは返ってこない、コーチの望みは薄い。なのに、秀煌には西安という強敵がいた……現実に打ちのめされて、心が折れてもおかしくない。
「言ったろ? あのお嬢ちゃんだけやる気でもしょうがねえんだよ」
「……」
稗田が、ふんと一つため息を吐く。
「お前ら、ほんとバカだな……」
「は?」
「負けて、お嬢ちゃん失って、やっとやる気になって金貯めて……。それでやろうとしてることは、秀煌に勝つだぁ? 常識で考えろ。そんな無理をやろうなんて奴はバカだ」
「…………」
「そんなバカは浩次郎以来だ」
稗田のおっさんはそう言うと、口の端をつり上げ、笑いながら俺達を見る。そして、
「来週から合宿やるぞ」
と言った。
俺達は顔を見合わせ、一間開けて「っしゃあ」と、喜びと気合いの声を上げた。
「一週間だ。この金はそのために使う。この金は預かるが、俺がもらうんじゃない。俺が合宿所を紹介してやるからそこで合宿をしろ。これはその合宿費だ。コーチ料じゃない。余った分は返す」
40万入りの封筒を持ちながら稗田は言う。
「え? 合宿所を紹介する? コーチしてくれないんですか?」
竹内が聞く。
「教えてやらないことはない。ただ面倒な大人の事情がいろいろある。コーチ料はもらえない。名目上は、ただの友達、知り合い。そういうことにしておいてくれ。お前らはこの金でこれから俺が紹介する施設で勝手に合宿をやる。俺はコーチじゃないけど教えに来る親切なお友達だ。わかったか?」
教えてくれるなら、なんでもいいと俺達は答えた。
そして合宿がはじまる。
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