34

「骨折ですね。ここ、二本ヒビ入ってますでしょ」

 レントゲンを見ながら医師のおっさんが言う。

 左手の拳があまりに痛かったので、通学前に病院に立ち寄ったわけだが、どうりで痛いわけだ。

 一通りの処置をしてもらうと、手は包帯で分厚くなった。

 医者は「ケンカもほどほどにね。ははは」と笑った。「はい」と答えるしかなかった。


 遅れて学校に行く。教室に入ると、すでに授業は始まっていて、先生が話をしていた。先生は俺が入ってくるのを一瞥したが、そのまま話を続けた。

 俺の机の上に、一通の封筒が置かれていた。

 それは、女子がよく使うような、かわいらしいライオンのイラストの入った、黄色と黄緑を基調としたレターセットの封筒だった。

 ドキッとした。

 胸騒ぎがした。

 授業の準備をするフリをして、適当に教科書を机の上に出しつつ、前のやつの背中に隠れながら、封筒をそっと見つめる。封筒の裏には何も書いていなかった。

 この前の美佐姫先輩からの手紙を思い出す。あの時は俺の入部を勧誘する手紙だった。

 美佐姫先輩が、何か俺に伝えようとしている? いったい何を……? 

 読んだとき、俺の運命が大きく変わってしまうような気がして、怖れを感じる。

 恐る恐る封筒を開ける。


『タカハシ君へ。昼休み、一緒にご飯食べよう。うちの教室に来てね♡』


『竹内歩』


 一気に力が抜けた。

 お前か……竹内。

 何だ、運命が変わる予感って。全然違うじゃねえか。恥ずかしい。


 昼休み。弁当を持って、竹内の教室に行く。

 竹内がいた……。

「どうしたんだよ、その頭」

 俺は竹内を見て即座にそう言葉を発していた。

 竹内は坊主頭になっていた。五分刈り坊主である。

「ん~。気分転換?」

 中学時代は野球部でずっと坊主だったから竹内の坊主頭は見慣れている。

 中学の頃、同じクラスでプールの授業を受ける時、前にいた竹内の水泳キャップの目地から短い髪の毛がたくさん飛び出していて、それが、まるで水泳帽に毛が生えているみたいで、ものすごく気持ち悪かったのを思い出した。

「ああ、そう。野球部に入るとか言い出すかと思った……」

 まあ、昨日のことで、竹内にも思うところがあったんだろう。

「いや~違うよ。自分こそどうした? その手は……」

「野良犬に噛まれた。病院行ったから大丈夫。骨ヒビ入ってたけど、すぐ治るって……それより、小谷は?」

 小谷も一緒のクラスのはずだ。実際、ここには、三人分の机が並べられていて、小谷のカバンも置いてある。

「今、トイレ行ってる」

「ふうん」

 弁当を準備する。昨日ひと悶着あったのに、母はきちんと弁当を作ってくれていた。

「ミハイル君にも声かけようとしたんだけどね……」

 弁当箱のフタを開けながら竹内が話し始める。

「うん」

「行ってみたら、今日、風邪で休みなんだって」

「そうなの?」

 小谷を待つこともなく、俺と竹内は弁当を食べ始める。

 俺は左利きだが、子供の頃「お箸は右手!」と教えられ、矯正されたことがあるため、箸は右手も使える。

 そのことを竹内に言いながら、包帯で封印されし左手に代わり右手で器用に米をつまんで見せていると、小谷がトイレから戻ってきた。

 小谷は上半身包帯だらけだった。そして、右腕を三角帯で吊っていた。

「どうしたんだよ、それ?」

「ちょっと脱臼した」

「なんで?」

「ちょっと転んだ。大丈夫、いつものことだから気にするな。すぐ治る。ただ、片手が使えないと、不便。さっき、すげーケツが拭きにくかった」

「人が飯食ってるときにケツを拭く話をするなよ!」

「そういうあんたも、その手は?」

「ああ、ちょっと野良犬に噛まれた……」

「そうか……。まあ、男にはいろいろあるよな」

 小谷のまとめは案外的確だった。

 そう、男にはいろいろあるのだ。骨折したり、脱臼したり、髪の毛を自ら捨てたり、風邪を引いたり……。

「にしても、あの秀煌の西安にしやすってやつ、思い出すとマジ腹立つな」

 小谷が切り出す。

「それな……」

 俺も弁当を咀嚼しながら、激しく同意。昨日の夜、眠れなくていろいろ考えたが、結局、全部あいつのせいなのだ。あいつのせいで俺は左の拳が粉砕するという悲劇に見舞われた。

「とにかく、あいつをはっ倒して美佐姫先輩のかたきを討ちたい……」

 小谷、よく言った。

「やろう。あいつぶっ殺そう」

 そう言って頷いた。俺も同じ意見だ。このままでは砕けた俺の拳がかわいそうだ。

 竹内も、うんうんと賛同の意を示す。

「ほんとだよね。あいつの住んでる国ごと焼き払おう」

「それじゃあ、俺達も焼けちゃうじゃねーか」

 坊主になっても竹内のボケは健在のようだ。

「……あいつ、『シーアン』って呼ばれてたよな、あだ名かな」

 何気なく言ってみる。

西安にしやすだからシーアンなんでしょ?」

 竹内が答える。

「なんで?」

「知らない? 中国に『西にし』に『やすい』って書いて『シーアン』ってとこあるじゃん」

 竹内は箸で空中に字を書きながら説明する。

「そうなんだ。知らなかった……」

 スマホで調べると、確かにそういう都市があることがわかった。

 弁当を食べ終えると、竹内から提案がなされた。

「いろいろあったし、テスト期間が終わったら、一度、しっかりミーティングやろうか。これからのこと、徹底的に話し合おうよ」

「そうだな」と答えた。

 それから三人でシーアンこと西安にしやすの悪口を言いながら過ごしていると、

「竹内呼ばれてるぞ」

 と竹内のクラスの男子が竹内を呼びに来た。

 見ると教室の入り口の廊下に見慣れない女子が立っている。

「ん? なんだろ」

 と竹内は立ち上がり、その女子のところまで歩いて行った。

 廊下でしばらく何か話し込んでから、竹内が戻ってきた。

「彼女か?」

 小谷が聞く。

「ん? 違うよ」

 竹内が答える。

「本当か?」

 小谷がしつこく追及する。

「本当だよ。嘘だったら頭丸めるよ」

「もう、丸まってるじゃねえか」

 と俺がツッコんだら

「タカハシが。連帯責任で」

 と人を巻き込んでくる。

 やめろ。それだと、もし嘘だったら、竹内に彼女がいた上に、俺が坊主にならなきゃいけなくなる。俺だけが大ダメージだ。

 小谷はいぶかしげな顔で、

「じゃあ、幼なじみか?」

 と聞く。

「は? 違う違う」

「なんだ、ならよかった。彼女か幼なじみだったら首をへし折ってるところだった……」

「こわ! なんで? どっちもいないけど、幼なじみはよくない?」

「いいわけないだろ! 幼なじみの女の子は、最後まで一途な愛を貫くし、振り向かせるためにあの手この手で誘惑してくるイベントが発生することもあるんだぞ。そんな存在が俺達にいていいわけがないだろ!」

「なんだよそれ、どうなってるんだよ、お前の頭の中」

 俺がツッコむと、小谷はこちらを向き、

「タカハシも覚えておけ。俺たちには靴飛ばし以外に目を向けている暇なんてないんだ! 彼女か幼なじみができたら、首をへし折るからな」

 と脅迫。

「幼なじみはできようがないだろ……彼女はともかく……」

「もしお前に彼女ができようものなら、たとえ、また肩が外れようとも俺はお前の首をへし折る。まあ、お前の首が折れるのと、俺の肩が外れるのどちらが先かだな」

「怖いよ!」

 今日は小谷がよくしゃべる。いや、前からこんな感じだったような気もする。

「で? 今の誰?」

 竹内に聞く。

「ああ、テニス部の子」

「知り合い?」

「いや、ちょっと聞かれた」

「何を?」

「昨日の夕方、雨の中、ずっとミハイル君が一人で靴飛ばしの練習してたんだって……」

「はあ?」

「だから、それはどうなってるんだって、無理矢理やらせたりしてないかって、部長の俺に……」

「……」

「なんか、テニス部が雨で練習止めて帰る時も、ずっとやってて、そのあと、なんか気になって、暗くなってからまた様子を見に行ってみたら、まだやってたらしくて」

「嘘……」

 昨日の雨は夕方以降どんどん強くなった。まさか、あの雨の中、ずっと一人で練習していたというのか……。

「さすがに、近づいて声かけてみたら、ズブ濡れで『帰ります。ありがとうございます』って言われたって。そのあとは自分の方が先に帰ったからわからないって言ってたけど……」

 そう話してから竹内は、「二人も知らなかったよね?」と俺たちに確認する。もちろんだと答える。

 それで、風邪引いたのか……。ミハイル君……。

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