27
土曜日。休日練習中の俺達のところに
「みんな、千葉に行くよ!」
美佐姫先輩の言葉に俺達は顔を見合わせる。
……千葉?
「……え? 今からですか?」
「うん。今から!」
竹内の質問に食い気味に答える美佐姫先輩。いつもとだいぶ雰囲気が違うように感じるのは、しっかりメイクをしているせいだろう。正直、かなりかわいい。
「
「稗田って……」
俺は、竹内から聞いた話を思い出した。確か、
「うん。
全員が40メートル以上の自己ベストを持つという秀煌学園。それに勝つことの難しさが実感としてわかり始めた。だが、それを浩次郎先輩の世代はやっている。
その世代の練習メニューやトレーニングはある程度受け継がれている。おかげで、こんな弱小チームでも強豪並のベスト記録を持っている。
それでも浩次郎先輩の時と大きく違うのは、直接指導してくれる指導者の存在かもしれない。その稗田という人がさらなる成長、40メートルの壁突破への鍵となるかもしれない。しかし、相手は元世界記録保持者のレジェンドだ。そう簡単にいくものだろうか?
美佐姫先輩の説明によるとこうだ。
これから自宅に突撃し、夏休みの間だけでも指導をしてもらえるように頼む。コーチ費用もかかるかもしれないが、部費で足りなければみんなで出し合う。日程の調整などは竹内を中心に行う。場所に関しても、来てもらうのか、こちらが通うのか、あちらの意向を聞いて話合う。必要なら関根先生などにも相談。
……まとめると「ま、とりあえず会って話してみよう」というものだ。
「『これから、会いに行きます』ってメールしておいたから」
もうすでに会う約束を取り付けているらしい。さすがは美佐姫先輩。相変わらずの行動力である。
俺達は練習を切り上げて、練習用ジャージのままみんなで駅へ直行。そのまま電車に乗り一時間程度で目的の駅へ。
そこからは必然的に住所を知っている美佐姫先輩が先導する形になるのだが、美佐姫先輩を先頭に男四人がうしろを付いてぞろぞろ歩く絵は周りからどう見えるのだろう? 美女が男どもを引き連れて歩くの図。俺の頭には「女帝」という言葉が浮かぶ。
美佐姫先輩は道中、何度もスマートフォンで地図と住所を確認し、目印になるお店を見つけて指さしてはハイテンションで騒ぎ、着実に目的地に近づいていることを喜んだ。
やがて俺達は稗田邸を見つけた。駐車場も庭もある立派な一軒家である。美佐姫先輩はインターホンを押すと「松林です」と元気に名乗った。
少しして、男が出てきた。この男が稗田優作のようだ。
渋くてハンサムな顔立ちのおじさんだった。
これが、元世界記録保持者。靴飛ばし界のレジェンド……。
稗田さんが口を開く。
「ほんとに来やがったのか……」
「当たり前です。私は
美佐姫先輩が返すと、稗田さんはふっと笑った。
「まあ、入れ」と、中のリビングに通された。ソファには全員で座れそうになかったので、美佐姫先輩と部長の竹内を座らせ、残りの俺達三人は横に腰を下ろした。
奥さんがお茶を持って来て、人数分テーブルに置いて下がっていった。
「浩次郎のことは残念だったな」
美佐姫先輩に向けて稗田さんが話し始める。
「葬式にも出られなくて、悪かった……。あれ、前会ったときはまだ小さかったよな?」
「はい。小学生でした」
「うん。顔も似てきたな……浩次郎に」
「めっちゃよく言われます」
「あいつに似て男前だな、女の子に言うのもなんだけど」
「そう! それもすごく言われます。『ビジュアル系バンドのボーカルみたいな顔』って、男顔なんですよ……」
美佐姫先輩は笑いながら和やかに会話を続ける。そして、稗田さんは今、海外でのコーチがうまくいかず、辞めて日本でのんびり暮らそうとしていること、今は靴飛ばしの記事の執筆やファッションモデルのバイトをしていること等を聞き出した。見事な会話術だった。
次に美佐姫先輩はうちの靴飛ばし部の現状を話した。部員が減って潰れそうになったこと、四人そろってやっとまた戦える体制が整ったこと。
そして、いよいよコーチの話を切り出す。みんな素質はある。あとは、指導者がいれば、きっとあの時のように、心躍るような奇跡が生まれる、少しの時間でいい、あの頃のように、もう一度指導をお願いしたいと。
「ふん。せっかく来てもらって悪いが、コーチはできない」
稗田さんが即答する。快く引き受けてくれるはずだと信じていたであろう美佐姫先輩は焦りの声を上げた。
「なぜ? ……ですか? 部員が初心者だからですか? でも、兄の代も……」
「浩次郎の妹……」
「美佐姫です」
「美佐姫ちゃんさ、君じゃなくて、その連中を教えろって話だろ?」
「はい」
稗田さんは俺達を見回す。
「そいつら、やる気あるの?」
ドキッとした。俺は、何か言うべきかと、慌てて喉に発すべき言葉の準備を始めるが、先に稗田さんが二の句を継ぐ。
「俺に教えてほしがってる高校生なんていっぱいいるのよ。その中から、上川だけ特別に教えますなんてわけにはいかないの。俺、OBでもないんだから。よほど特別な事情があれば別だけど……いや、その特別な事情があるとすれば浩次郎だけど……その妹の美佐姫ちゃんはもう卒業しちゃうんでしょ? じゃあ、こいつら、俺となんにも関係ないじゃん」
「関係な……」と何か言いかけた美佐姫先輩を制するように稗田さんは続ける。
「こんな、へらへら『美佐姫ちゃんに付いてきました』みたいな顔した奴らを、教えてくれって言われてもさ、『はいはい、わかりました』ってわけにはいかないんだ。そいつらの顔見てりゃわかる。本気で俺に教えてもらいたいやつの顔じゃないよ。無理無理。浩次郎の妹の頼みだし、聞いてやりたいけど、それだけじゃどうにもならん」
挑発的な言い方に怒りと焦りの入り混じった感情が生まれた。「やる気ありますよ! なんで俺のやる気をあんたが決めつけるですか」と言いたい気持ちだった。しかし、そんな売り言葉に買い言葉みたいな形でやる気を示しても、あまりに嘘くさい。慌てて取り繕ったようなやる気にしか見えないだろう。
竹内も、何か言おうとしているようだったが、おそらく俺と同じで、この状況を打開できる言葉は思いつかないようだった。
「悪いけど、諦めて帰んな。指導者なら俺以外にもいるだろ。それこそ、浩次郎の代の先輩にでも頼んでみたら?」
そう言われると、もう引き下がるしかなさそうだった。それでも諦めきれないのか、美佐姫先輩が質問する。
「兄がコーチをお願いに来たときはどうだったんですか? 兄が頼んだときは引き受けてくれたんですよね?」
確かにそうだ。なぜ、この人は浩次郎先輩の時、出身校でもない高校のコーチを引き受けたのだろう。その当時から稗田さんの指導を受けたい人はいっぱいいたはずだ。その中から、浩次郎先輩達が選ばれたのはなぜなのか。
「うん……。もともと浩次郎はコーチを頼みにきたわけじゃないんだよ」
「え? そうなんですか?」
「確かに、今日の君みたいに浩次郎もいきなり押しかけてきた……。でも、最初に浩次郎がここに来たとき、あいつは『俺達は秀煌学園に勝ちたい』っていきなり言い出して、秀煌学園を倒すためのプランを熱心に語ったんだ。面食らったよ。なんだこいつと思ったよ」
「……」
「そのための練習プランを俺に見せてきた。それで『この練習プランで秀煌に勝てると思うか?』と俺にアドバイスを求めてきたんだ。だから、俺はそのプランじゃオーバーワークだ、怪我をするのが関の山だ、もっと絞り込めとアドバイスした。そうしたら、次の週にまた来て『これならどうだ』って……。それを何回か繰り返してな……。『お前らそんなに秀煌に勝ちたいのか?』って聞いたら『どうしても勝ちたい』って……。かわいいもんだろ?」
話を聞いて美佐姫先輩は「そうだったんだ……それであの時……」と小声でつぶやいた。何かを思い出しているようだった。たぶん浩次郎先輩のことだろう。稗田さんは続ける。
「浩次郎は面白い男だったよ。人なつこくて、言うことが面白い。小説に出てくる坂本龍馬みたいな奴だと思ったね。他の連中もそれに乗って楽しそうにやってたよ。こいつらなら本当にやるかもしれないと俺は思った。その夢に一枚噛んでみたくなった。だから俺のところで合宿をさせて、いろいろ教え込んだ……」
写真でしか見たことのない浩次郎先輩の人物像が見えてくる。抜群の行動力でチームを引っ張って、周りをその気にさせる。安易に想像ができた。なぜならそれは美佐姫先輩そのものだから。いや、美佐姫先輩以上にそうだったのだろう。
「もうわかっただろ? とにかく、こいつらからはそういう熱意を感じない。誰でも教えてやれるほど俺も暇じゃない。悪いな」
話は終わりだと、稗田さんは自ら立ち上がるような身振りで美佐姫先輩に帰るように促す。
それでも、美佐姫先輩はなぜか動こうとしない。「いいえ、まだ終わっていません」と言わんばかりに稗田さんを見ている。
美佐姫先輩の頑なさが意外だった。勝手に押しかけたのはこちらだから、断られて当然だし、事前承諾もないまま無理承知でお願いに来ているのだろうから、ダメなら帰ればいいんじゃないかと、正直思う。
稗田さんは座り直し、「参ったな……」と言って、逆に体勢を低くし、美佐姫先輩に諭すように語りかける。
「ためらいもなく、俺のとこに来たところは浩次郎によく似てるよ。行動力はお兄ちゃん譲りかもな。でも、やり方が素直すぎるんだよ。あいつだったら、もっと上手いやり方で俺をやる気にさせただろうな。まあなんだ……こんな何にもない連中でも、一人10万くらい持ってくりゃ、ちょっとくらい見てやってもいいと思うかもしれないけどな……。そうでもねえんじゃ、こいつら教えて俺に何の得がある? あんま俺をなめんな」
この発言に腹を立てたのか、美佐姫先輩がきっと睨むように稗田さんを見て立ち上がる。
「稗田さんこそ……なめないでください! この四人はそんなんじゃない! ちゃんと見てください! ちゃんと見てから言ってください! この四人は……最高のメンバーなんです! この四人ならやれるんです! …………あとは……稗田さんが教えてくれれば、教えて、くれれば…………のに…………」
最後の方は声がフェードアウトして、泣き声交じりで、何を言っているのか聞き取れなかった。稗田さんもさすがにたじろぎ、固まってしまっていた。
目に涙を溜めながら言い放つ美佐姫先輩の姿に胸が締め付けられる。美佐姫先輩は、靴飛ばし界の第一人者に向かって、なめるなと刃向かった。俺達のことを最高のメンバーだと言い切った。ここまで言わせて、俺は何をやっているんだろう。他でもない、俺のことだ。何かできることはないのか? 自分自身の情けなさを感じずにはいられなかった。
美佐姫先輩は「お邪魔しました」と言って頭を下げてから、俺達に目配せして、部屋をあとにしようとする。その美佐姫先輩に向けて、大きく息を吐いてから稗田さんが言う。
「嫌な言い方して悪かったよ、あのな……。俺が言いたいのはさ……あんま買いかぶるな。俺は、やる気のない奴まで勝たせてやれるほどいい指導者じゃねえんだ。もし、そんないい指導者だったら、契約切られてファッションモデルなんてやってねえんだから……」
そして俺達は稗田邸を後にした。
「う~ん。私がお願いすれば……って思ってたんだけど……甘かったなあ」
美佐姫先輩が空を仰ぐ。
「すみません、先輩に任せちゃって……。俺がもっと……」
竹内が申し訳なさそうに言う。
「ううん。ごめんね。なんか変な感じになっちゃって……。私……稗田コーチと上川の絆はもっと強いものだと思ってたんだけど、私が勝手にそう思ってただけだったっぽい」
言いながら美佐姫先輩は帰る方向に歩き出す。
「もう、こうなったら、あの人にコーチを断ったこと後悔させるくらい、自分たちで強くなってやろうよ!」
こちらを少し振り返って笑顔でそう言った。俺達は素直に頷いた。
帰りも明るく振る舞う美佐姫先輩だったが、どこか寂しそうに見えた。
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