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靴飛ばしを始めて二週間ちょっと。
俺とミハイル君は
「やっぱりタカハシはすごいよ。この短期間でもう38メートルだもん。俺の自己ベスト追いつかれちゃった」
竹内に言われて、俺は自分の成長と才能を自覚した。
始めからなかなかの好記録を出せていたが、今日ついに38メートルを出すことができた。38メートルは野球で例えると、140キロを投げるピッチャーくらいのイメージだと竹内は言う。
竹内のベストに並んだ。試合でこのくらい飛ばせば、たとえ全国レベルの大会でも、十分貢献できる。やはりロベルト・カルロスに憧れ、強力なキックを追い求めてきた経験が生きている。
始めから靴を飛ばすのではなく、基礎から徐々にステップアップしていく練習メニューがよかったのだろう。高くブランコを漕いでも冷静に体をコントロールできる感覚があって、それがいい記録につながっていると感じた。
「でも、こっからさらに記録を伸ばすのが大変なんだよ。40メートルの壁が立ち塞がるからね」
竹内の言う40メートルの壁。その意味がわかる気がする。ある程度脚力を鍛えている俺でも、ブランコを精一杯漕いで、タイミングをしっかり合わせ、全力で足を振って靴を飛ばして38メートルがやっとだった。どうすればそれ以上記録が伸びるのか、全く想像がつかない。そのあたりに限界が潜んでいるように感じられる。靴飛ばしをやる人間はみんな同じように感じているんだろう。
もし40メートル飛ばせば、野球で言うと150キロを投げるピッチャーというイメージになる。たった1~2メートルの差なのに、それほど大きな違いがある。それが40メートルの壁なのである。
ミハイル君もまた、順調に記録を伸ばしていた。毎日記録を少しずつ更新し、今は自己ベスト35メートル。これからさらに伸びそうな予感を感じさせる。
ミハイル君のフォームは滑らかで、無駄がなく、流れるように綺麗だった。身体をしなやかに使い、余計な力を入れず、全身の力を上手く靴に伝えているのがわかる。一年以上経験のある竹内や小谷よりもよほど上手そうに見える。短期間で、ここまでになるのはセンスとしか言いようがない。
ミハイル君は日々美佐姫先輩から熱心に靴飛ばしを習っていた。美佐姫の靴飛ばしスタイルを気に入って、手本としていた。
靴飛ばしにもプレイスタイルがあり、各自、自分に合ったスタイルを見つける必要がある。プレイスタイルは厳密に分かれているわけではなく、ブランコの使い方、足の振り方、飛ばすタイミング、射出角度などの要素の組み合わせで決まってくる。特に、ブランコの遠心力を利用する技術と自分の脚力のどちらにより重きを置くかでスタイルは大きく別れる。もちろん、どちら要素も大事で、両方をより高いレベルで備えることが望ましい。でも、人間そこまで何でも完璧にいくものではなく、どちらかに偏る。自分の脚力を重視するスタイルはパワー系と呼ばれるが、俺も竹内もパワー系だ。
そして、ミハイル君が目指したのは、美佐姫先輩と同じスタイル。技術で飛ばすスタイルだ。無駄のない綺麗なフォームで、つま先からまっすぐ靴が飛ぶようにコントロールし、揚力を得て距離を伸ばす。難しいけど、一番かっこよくて美しいスタイルと言える。つまり、美佐姫先輩とミハイル君は靴飛ばしにおいて師弟関係である。
ちなみに、靴に揚力が得られると飛んでいる途中でふわっと浮き上がることがある。その現象はさらに飛距離を伸ばすこともあれば、空気抵抗で失速することもあるから、いいとも悪いとも言えない。運次第だ。でもたまに落ちそうな靴が地面に着く前にふわっと浮き上がり、もうひと伸びすることもあって、それを見ると感動する。
ミハイル君のベスト記録も一度降下し始めた靴が再び浮き上がって、二つの山を描くように飛んだ時のものだ。そんな美しい飛び方から生まれたものだったから、師匠の美佐姫先輩も「すごいよ! ミハ君は絶対天才だよ!」と喜んでいた。
一味違うプレイスタイルのおかげでミハイル君天才説は広まり、みんな一目置くようになっていた。何より俺は、その綺麗な靴飛ばしを見るのが楽しみになっていた。
引退している身であるはずの美佐姫先輩も、ほぼ毎日、当然のように部活に来てくれていた。
上川高校も進学校の端くれ。みんな当然のように大学を目指している。
「受験かあ、やる気出ね~。部活やりたいよ~」
とぼやいている美佐姫先輩も一応受験生である。久米先輩や、細山田先輩と同じ塾に通っているらしく、そんな日は部活には来ないか、ちらっと顔を出すだけで帰ってしまう。
美佐姫先輩がいない日は、部が静かになる。俺たち四人も仲が悪いことは断じてないが、美佐姫先輩がいるときと比べて活気は大きくダウンする。特に小谷はすぐやる気をなくしてマンガを読み始める。おしゃべり好きの美佐姫先輩が恋しくなる。「受験なんていいから、毎日来て下さいよ」と言いたいのが本音だが、さすがにそういうわけにもいかない。
美佐姫先輩が俺達と同じ学年だったらよかったのにと何度思ったかわからない。もしそうだったら、これからも、あと一年、毎日一緒に部活ができる。留年でもして、もう一年いてほしい。なんて。妄想にとどめるべき、許されない望みだが、そんなことまで願ってしまいそうになる。
こんな気持ちを抱いているのは、たぶん俺だけじゃないだろう。竹内、小谷、ミハイル君、誰も言わないけれど、みんな同じ気持ちに違いない。
竹内や小谷も、それぞれ課題を設定して自分の練習を行っていた。自己ベストは小谷が40メートル、俺と竹内が38メートル、ミハイル君が35メートル。自己ベストだけ見れば十分強豪校と言える数字である。
全員が本番でこの自己ベストを出せば、全国10位以内には入れそうな記録になる。ただ、あくまで自己ベストは何度もやって、たまたまよかった1回である。いつも出せるわけではない。特に小谷の40メートルなど、幻の記録なのだ。普段はその半分も飛ばないことが多い。全員がもっと自己ベストを上げて、今の自己ベストがいつでも出せるくらいに成長することが望ましい。
自己ベストといえば、全国優勝を狙う今の秀煌学園は出場メンバー全員が40メートル以上の自己ベストを持っているという。しかも……
「高校四天王?」
俺達は聞き返す。ある日の練習後、美佐姫先輩を入れた5人でいつもの『
「うん。今の秀煌学園にはその高校四天王のうち二人がいるのね。
美佐姫先輩からの情報に、俺達は「46メートル」「やべーな」「次元が違う」と口々につぶやく。
「この二人がいる今年、秀煌はインハイ優勝の最大のチャンスって意気込んでたんだけど……斉藤君が膝をやっちゃったらしくて、出るかどうかわからないんだって。痛み止めを打って出られるかどうか……出られてもいい記録が出せるかはわからない……みたいな」
痛み止め……。なんだかすごい世界だ。いや、怪我は決して他人事ではない。
「どっちにしても、これから先、選手としてやっていくのは難しいだろうって……。相当悔しいと思う……。みんなも気をつけてね……」
46メートルのワールドクラスの記録を持つ男が選手生命を終えようとしている。同じプレイヤーとして複雑だ。本気で全国優勝を狙う
「美佐姫先輩。次の世代の秀煌はどうなんですか?」
俺は質問する。俺達が戦うのは今の秀煌学園ではない。インターハイが終わり、次の10月の大会に出る三年生がいなくなった次世代の秀煌学園だ。
「う~ん。次の世代のことは私もよくわからないんだけど、少なくとも門原君は二年生。君たちと同じだよ」
「うわ、いんのかよ」
小谷が苦い顔をする。高校四天王の一人、46メートルの門原はまだいる。
「たぶん、他の選手も、自己ベスト40はみんな越えてるだろうね。でも、私達の目標はそれに勝つことだからね!」
美佐姫先輩はあくまで秀煌に勝つことに執着している。だが、ここまでの話を聞いて、俺にはどうにも勝てるチャンスがあるとは思えなかった。相手は全国で一・二位を争う秀煌学園だ。小谷がいつも40メートルを飛ばせるようになったとしても、それで秀煌学園のメンバー一人とやっと対等くらいの話なのだ。
しかし、みんなで練習して、記録が少しずつ伸びたり、こうして『怒濤のコーヒー』でしゃべったり、そんな日々は俺にとって充実していたし、楽しかった。
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