25
「
練習が終わったあと部室で、小谷に何気なく尋ねてみた。
あの奇跡の小谷キャノンから一日経ち、小谷はよく言えば静かで落ち着きのある、悪く言えばやる気のないスタイルに戻っていた。
もっとも、やる気がなさそうなのは、美佐姫先輩が最初だけ顔を出したものの、塾だからとすぐ帰ってしまったせいかもしれないが……。
「テニス部だった……」
小谷テニス部だったのか。まあ、テニス部っぽく見えなくもない。
「ふ~ん。高校ではテニスやんないの?」
「テニスができない体になったから……」
「え? 怪我とか?」
「肩、脱臼して……」
脱臼か……。一回やるとクセになるというし、それでテニスができなくなってしまったのか……?
「そうなんだ……。練習中とか?」
「いや、まあ、ちょっと……」
すると近くで聞いていた竹内が、
「小谷……もうタカハシもミハイル君も仲間なんだし、話してもいいんじゃない? タカハシだって、この前サッカー部を辞めたいきさつを話してたじゃん」
と横から説得する。
なんだろう……? 言いにくい話なのだろうか?
「小谷、なんで脱臼したのかタカハシ達に教えてやりなよ」
竹内が促す。
「…………オクラホマミキサー」
「は?」
俺は耳を疑う。オクラホマミキサー?
「……うん。よし、続きは『怒濤のコーヒー』行って、みんなで聞こう。ね。ミハイル君も行こう」
竹内が仕切って、みんなで怒濤のコーヒーに向かうことに。
「何? オクラホマミキサーって……フォークダンスでしょ?」
移動中も気になって小谷に質問するが、
「ん……。まあ。フォークダンスだな……」
と、渋ったような返事が返ってくる。
「なんでフォークダンスで脱臼するんだよ?」
「不幸な事故だ……」
小谷はそう言って、遠くを見るだけで、それ以上話そうとしない。
フォークダンスに危険があるとは思えないが、何か事故か事件に巻き込まれてしまったのだろうか?
「え? なに? なに? 竹内は知ってるの?」
「うん。一応……知ってる」
竹内は眉をハの字にして意味ありげな表情を浮かべているが、そこから何かをうかがい知ることはできなかった。
俺は小谷から少しずつ話を聞きだす作戦に出る。
「え? いつの話?」
「中三の時の……体育祭……」
「体育祭……。中三の体育祭でフォークダンスがあったんだな?」
「……そう……だな……」
「それで、オクラホマミキサーを踊った」
「ん……まあ……踊ろうとした」
「踊ろうとした? 踊ってないの?」
「ん~、最初の一人とは踊ったような……」
「ってことは、二人目で何かあった?」
「いや、一人目で……」
それから小谷はしばらく黙ってしまった。
…………。
さっぱりわからない。
「オクラホマミキサーって、なんか、こういう感じだよな」
俺は、話の続きを聞き出すべく、オクラホマミキサーの肩に手を回す感じのポーズをやってみた。それが功を奏して、小谷が続きを話し始めた。
「……そう。それで、なんか歩くところまではやった。……そのあと、緊張して、どうするのかわからなくなって……なんか女子をぐるっと回す感じという印象はあった」
「ああ……えっと、確か女子が一回くるっと回って次の人と交代みたいな感じだっけ……?」
「タカハシ、いったん店に入ろうか? 邪魔だから……」
竹内に言われて気付く。俺達はいつの間にか店の前で会話を続けていて、店から出てくる客の通り道を塞いでいた。
「すみません」と通り道を開けたのち、俺たちは店に入り、いつものように、各自で飲み物を購入し、トレイを持ってテーブル席に座る。
全員が着席してから、竹内が大きめの声で切り出す。
「よし! じゃあ、小谷。話の続きを聞かせてもらおうか。女子を回そうとしてどうなったって?」
その声を聞いて、隣の席の四人組のご婦人が会話をやめて一斉にこちらを見る。四人はこの前と同じメンツだった。心なしか、睨んでいる。
「バカ! 声がデカい」
わざとだろ竹内。竹内はマジメに見えるが、こういうイタズラ好きな面があるから厄介だ。
「なんか、ぐるっと回さなくちゃいけないと思って――」
小谷が話し始める。
「――へんな方にねじれた……」
「それで脱臼……?」
俺が確認する。小谷は頷いた。
「なんでそうなるんだよ?」
「こっちが聞きたいよ」
「いや、こっちが聞きたいよ!」
「俺にも何があったかわからん。突然ものすごい痛みが走って、その場に倒れた。そのあと病院連れて行かれて、脱臼してると言われた……」
隣で竹内がテーブルに突っ伏して、声を殺し、肩をふるわせて笑っている。俺は気にせず小谷を追及する。
「小谷、ちょっと待って……。オクラホマミキサーで大怪我なんて聞いたことないぞ」
「いや、ちゃんと冷静に考えろよ。家庭用のミキサーでもあの威力なんだぞ。オクラホマミキサーだぞ。規模を考えれば脱臼くらいで済んでよかっただろ?」
小谷は真顔だ。
「知らねーよ。なんだその理屈!」
「ちゃんと考えろ。フォークダンスだぞ! 日本語に訳したら『軽い性交渉踊り』だぞ!」
「……軽い性交渉……踊り…………いや、違うだろ!」
断定されて、一瞬そうかと思ってしまった。「ダンス」は「踊り」でいいとしても、「フォーク」は「軽い性交渉」ではない。
「そんなことを学年の女子全員とやるんだぞ! 緊張して当然だろ!」
小谷の口調が熱を帯びてきた。隣の席のご婦人たちは、そのせいではないと思うが、席を立って帰り支度を始めていた。
「やるとか言うなよ……そんなこと考えてるから脱臼するんだよ。なんだよ『不幸な事故』とか言うから、何かに巻き込まれたのかと思ったら、お前が一人で勝手に脱臼しただけじゃねーか……」
小谷は一度ため息をついて続ける。
「よく、あるじゃん? フォークダンスで好きな子と手をつなぐ手前で曲が終わってしまったみたいな……」
「あー、『あるある』ね」
「それ言う奴、殺したい。なんにも共感できねえ。……散々やりまくったくせに……」
憎しみを帯びた小谷の言葉に憐憫を禁じ得ない。そりゃあ、小谷からしたらそうだろうな……。
小谷はなおも小声で、女子全員とやれるチャンスだったのに……などとつぶやいている。
「んで? 小谷君。結局踊ったの一人だけ?」
竹内が聞く。
「ああ。一人目で終わった。倒れたあと、俺すぐ先生に担架で保健室に運ばれたから」
「相手の女の子は困ったろうね……。倒れたとき、周りはどんな様子だったの?」
「周り? あんま覚えてない。なんか、ざわざわしてた。あとで最初からやり直しになったっぽい。俺が痛くて地面にのたうち回っている間も、のん気な音楽がしばらく流れてたことしか覚えてない……」
……小谷、かわいそう。こんな悲しい話を聞くのは初めてだ。
小谷は神妙な面持ちで深く息を吐き、うつむきながら語り始めた。
「あとで冷静に考えれば……俺が回さなくても女子は勝手に回るんだ。だがその時は『回さなくちゃ』と思って、焦った……。上手く回さないと下手だと思われると思って……」
隣に座っていた竹内が小谷の背中をポンと叩いた。小谷が続ける。
「……そのあと、俺はちょっと有名人になった」
「『フォークダンスで脱臼したやつだ』って?」
そうだと頷く小谷。体育祭のフォークダンスで突然倒れたのだから、当然の話だ。
「気のせいかもしれないけど、みんなが俺の変な噂をしているような気がして、辛かった……」
それは気のせいじゃないかもしれないなと思った。
そして、小谷が俺を見据えて言う。
「この話、美佐姫先輩には言うなよ」
「ああ、わかった、約束するよ」
「美佐姫先輩には、いつか自分でちゃんと話すから」
「しなくていいよ。そんな話されても美佐姫先輩困るだろ」
小谷はコーヒーを飲み干して、最後にこうまとめた。
「ただ、おかげで志望校が近所の高校から、ここに変わった。ちょっと遠くても、同じ中学のやつがなるべく少ないところにしようってなって……。だからここに来て、こうしてお前らと出会えた。もしあの事故がなかったら、俺は今も別の高校でテニスやってて、美佐姫先輩やお前達とは見知らぬ他人だっただろうな。だから今は、あの事故に感謝してる」
「……なんかすげーいい話みたいになったな」
続けて「事故じゃないけどな、自爆だけどな」とツッコもうとしたが、やめておこう。まあ、小谷の中では事故なんだろう。そういうことにしておいてあげないと、救いがない。
俺も自殺点でサッカー部を辞めることになったのは辛かったが、小谷も、そこまで辛い過去を背負いながら、こうしてここで靴飛ばしをやっている。小谷に比べれば、俺のなんてちっぽけなものだったように思えて、気持ちが楽になった。
小谷、ありがとう。お前に出会えてよかったよ。
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