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早漏そうろう?」

「そう。靴飛ばし用語。っていうか俗語なんだけどね……」

「靴が、足から抜けて飛ばしたいタイミングより早く飛んじゃったり、助走の途中で落っこちたり、タイミングが早すぎて地面に叩きつけちゃったり」

 俺は同じテーブルの竹内や遠藤先輩から話を聞いていた。

 俺たち八人は、「お好み焼き竹うち」に来ている。先輩方にお好み焼きをごちそうするためだ。横並びの座敷席二つを四人ずつで囲む。席順は上座にあたる奥側に三年生、俺たち現役組は手前側へ。四人一席だと、誰かがトイレに立つとき道を空ける必要がないところがいい。

 今日の小谷のあれは「早漏」というらしい。下世話だが、どこかで誰かが言い出したことが全国的に広まって、すっかり靴飛ばし用語として定着しているらしい。いかにも中高生男子が好きそうなワードである。

「小谷は早く早漏治せよ~!」

 遠藤先輩が位置的に一番遠い小谷に向かって大きな声で告げる。

 小谷は「ん?」と顔を向けるだけで、大きく反応しない。小谷のいる方のテーブルではミハイル君の持っていたマンガ雑誌を広げ、みんなで何やら語り合ってるところだった。

「いや、松林まつばやしの前でそんな話するなよ」

 久米くめ先輩がたしなめる。美佐姫先輩は笑顔で首をかしげている。

「いや、でも結構重要な問題じゃね? イップスみたいなものでしょ?」

 遠藤先輩が誰にともなくつぶやいてから、

「小谷く~ん! あの40メートルは何だったの? たまたま?」

 再び、小谷に言葉を投げる。

「たまたまといえばたまたまですね……。たまたま俺に数千年に一人の靴飛ばしの天才だったから生まれた記録です」

「そっちじゃねーよ! あの40メートルは運がよかっただけでしょって……」

「いや、あれが真の実力ですよ……。あの恐るべき力は、まだ俺自身自由にコントロールできないんすよ。今日は発動しなくて命拾いしましたね……」

 小谷はそう言ってのける。遠藤先輩は「真の実力1回しか見たことねえよ!」と言葉を返している。たしか、小谷は40メートルを飛ばしたことがあるが、それ以降同様の記録は全く出ていないという。

「『小谷メジャー買い占め事件』」

 竹内がそうつぶやくので、俺は「小谷メジャー買い占め事件?」と聞き返す。

「そう、あれな! 小谷の靴測ったら40メートル00なんだから。40メートル01でも、02でもなく、ピッタリ40メートル!」

「そうそう。メジャーがおかしいんじゃないかって、竹内をホームセンターまで新しいメジャー買いに走らせたもんな。100メートルのメジャー」

 遠藤先輩と久米先輩が笑いながら事件のことを語る。

「そう! そしたら竹内君がメジャー買ってこなかったんだよね。それで『どうしたの?』って言ったら『売り切れてた』って。お店の人に聞いたら三つ買ってった人がいたって言われたんだっけ?」

 と美佐姫先輩も会話に加わる。

「そうなんですよ。なかったから、店の人に聞いたら『三つ在庫あったんですけど、今朝けさ、三つ全部買って行かれたお客様がいまして』って言われたんですよ」

 竹内が言うと、「はははははは」と一斉に笑い声が上がり、

「『いんのかよ、朝から100メートルのメジャー三つも買うヤツ』みたいな話になってな! 小谷がそうなることを見越して先に買い込んだんじゃないかって話になったのよ!」

 という遠藤先輩の声。

「そんなわけないじゃないすか。そもそも失礼なんすよ。いいじゃないすか、『40メートルすごいね』で! それが俺の実力で! なんでみんなで『いやいや』『ウソウソ』『違う違う』とか言ってメジャー疑ってんすか!」

 憤慨しながらクレームを入れる小谷の姿にまたみんなで大笑いした。

 楽しい雰囲気の部だと俺は思った。俺にエピソードを説明する形を取りながら思い出を語り合う無駄のなさみたいなことにも、この時間の充実感を感じる。

 これが、これまでのこの部の雰囲気だったのだ。なんで俺はこの中にはじめからいなかったのだろうと後悔を覚える。サッカー部がそれほど嫌だったわけではないが、こちらの方が全体的にリラックスできる感じはする。

 俺にとっては、先輩達との食事は初めてだ。遠藤先輩や細山田先輩に至っては今日が初対面だ。だが、一年の頃からやっている竹内や小谷にとっては、こうして先輩達とテーブルを囲む機会はこれまで何度もあったのだろう。しかし、先輩達が引退した今、その機会もこれが最後になるかもしれない。あとは、卒業の時、あるかどうかくらいだろう。最初と最後。同じ場所にいるのに、竹内や小谷と、俺とでは、当たり前だが、意味合いが全く違う。竹内や小谷にとって、この時間はどんなものなのだろう……。

 頼んだお好み焼きが到着してからはそれを食べつつ、しばらくは近くの者同士で他愛のない会話が続いた。

 ミハイル君の国ブルガリアについての話が出た後、「秋の新人戦が終わったらミハイル君はいなくなっちゃうんでしょ」「一年生がいないのが痛い」といった話題になった。ミハイル君の留学期間は半年ほど。二学期の終わりまでで、冬休みの間にはブルガリアに帰るのだという。そうすると、また三人になってしまい、来年新一年生を入れないと試合に出られなくなってしまう。言うとおり、今の一年がいないのはかなり痛い。

「来年、一年生を入れなきゃ、また廃部の危機だよ。竹内君たちは来年死ぬ気で勧誘しなきゃダメだよ」

 と美佐姫先輩に釘を刺される。

「またソフトテニス部にネット借りに行かなきゃ」

「いや、あれはやめろ! 俺はあれで入ったわけじゃねえ」

 竹内にツッコみつつ、俺は先輩もミハイル君もいなくなったあとの靴飛ばし部を想像する。来年の春は、俺と竹内と小谷の三人だけで、美佐姫先輩もいない。そんな靴飛ばし部に一体誰が入りたいと思うのだろう。

 それを考えると美佐姫先輩の存在は大きい。俺も小谷もミハイル君も美佐姫先輩に誘われて入っている。小谷に関してはほぼ美佐姫先輩目当てで入部している。美佐姫先輩がいなければ、この部はとっくに廃部だっただろう。その美佐姫先輩をもってしても、一年生の獲得には成功していない。靴飛ばし部への勧誘はそのくらい難しいということなのだ。勧誘に苦労する未来が透けて見えて、今から悩ましい。

「じゃあ、タカハシ君はなんでこの部に入ったの?」

 遠藤先輩に聞かれた。この人は先ほどから常に何か喋り続けている感じだ。周りにも遠慮なくガンガン質問をぶつけている。

 俺は、ロベルト・カルロスの話をした。靴飛ばしにロベルト・カルロスを見いだしたのだと。

「え? じゃあ、なんでサッカー部辞めたの?」

 当然そういう流れになる。核心を衝く無遠慮な質問だ。部活を辞めることは誰にとっても結構繊細な問題だ。でも、今までの流れからして、この先輩が遠慮を知らない人なのは間違いない。

 回答を拒否することもできるが、俺もこの部の一員だ。サッカー部を辞めるきっかけとなったあの試合のことを話す時がきたと腹を決めた。

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