14
第2グラウンドの一角にある部室棟は、六部屋くらいある長屋状のプレハブだ。いくつかの部活が部屋を分け合って使っている。
各部屋のドアには部の名前の書いた白いプラスチックのプレートが貼ってある。プレハブ自体はサッカー部時代使っていた第1グラウンドの部室棟と同じものだ。第1グラウンドの部室棟と違うのは、部屋の前などにやたらパイロンが置いてない点だ。第1グラウンドを使うサッカー部も陸上部もラグビー部もパイロンを使うため、部室棟の周りのそこかしこにパイロンが重ねて置いてあったが、ここにはそれがない。それゆえ俺は、同じ場所なのに俺が部活を変えたためにパイロンが片付けられたような錯覚を感じ、妙な気分になった。
『靴飛ばし部』のプレートがある部屋は、向かって右から二番目だった。
「部室といっても、狭いし、備品とかがいろいろ置いてあるだけで、くつろげるような感じじゃないけどね」
竹内はそう言ってから、部室のドアを開けた。部屋は薄暗い。竹内が壁に手をやり、パチッとスイッチを入れると、蛍光灯が点灯する。部屋の中がよく見えるようになる。
部屋は、奥行きはまあまああるが、幅がやや狭い。この作り自体はサッカー部時代に見慣れているが、中にある物は当然のことながら全然違う。左には壁にくっつけるように置かれた折りたたみテーブルが二つ並ぶ。テーブルの上には、ボックスティッシュ、目覚まし時計、消臭スプレーの缶、ビタミンCのど飴の袋などが置かれている。
テーブルにパイプ椅子二つずつ計四つ。折りたたまれたパイプ椅子も二つ奥に立てかけられている。
正面奥にはすりガラスのサッシの窓。それほど大きくはなく、採光能力に乏しいが、一般的に部室で着替えが行われることも多いので、すりガラスが採用されているのだろう。
右の壁には、段ボール箱や、カゴなど、いろいろと物が置かれたスチール棚と、上下二段に分かれたロッカーが四列、つまり八人分。
俺はすぐスチール棚に置かれた大きめの写真立てに興味を惹かれた。人は写真があるとつい見てしまう生き物なのかもしれない。
竹内に見せてもらったクリアファイルに入っていたのと同じものだ。八人の人物が幸せそうな笑顔で写っている。相変わらず
「ロッカーとか適当に使って、適当に着替えて」
と言いながら竹内が着替え始めたので、俺も制服からジャージに着替える。
着替えを終え、いざ練習へ。
「手荷物と、それを持っていこう」
竹内が示したのは、スーパーの買い物カゴのようなものだった。中にはたくさんの靴が入っている。学校の上履きにも似たようなシンプルな靴だ。全体は紺色だが、靴底は白いゴム。というか、白かったゴム。どれも同じ物が、カゴの中に20個くらい入り乱れている。
「これは?」
「靴飛ばしの靴、練習用」
「自分の靴を飛ばすんじゃないの?」
「うん。競技用の靴。自分の靴を飛ばすんじゃなくて、ちゃんと試合で使う靴は決まってるんだよ。そうじゃないと……自分の靴でいいってことにしちゃうと、靴に細工とかできちゃうじゃん? ロケットつけたり、鳩つけたり」
なるほど、確かに靴のかかと部分からロケット噴射が出ている靴や、足の甲の部分に鳩が結わえてある靴を使えばより遠くへ飛びそうだ……って、
「いや、そんなやついないだろ」
「まあ、そこまではしなくても、靴の重さとか、形状で有利不利が出てきちゃうと、平等じゃないじゃん? だから、競技用の靴って、規定が決まってるんだよ。それは古いやつを練習用にまわしたやつ」
確かにカゴの中の靴は、どれも古くて傷んだ様子がある。
これが、靴飛ばし競技で使われる靴なのか……。
一つ手に取ってみる。靴飛ばし競技専用の靴は、紐のないタウンスニーカーのようだが、かかとの部分が浅く、スリッパに近い形をしていた。飛ばすとき、かかとがないほうが飛ばしやすいから、そういう風に作られているんだろう。
「あれ? でもこれも右足?」
カゴの中に入っている靴は全て右足に履く靴であることに気付く。本来、左右でセットのはずの靴なのに、右ばかりが入っている。
「あ、そうか、タカハシ左利きか! 左用も、どっかにあるはず」
竹内は、棚の段ボールを一つ一つのぞき込み、その中の一つから、「これだ」と、左足用の靴を見つけ出し、カゴの中に移し入れる。
「これ、サイズとか、大丈夫なのか?」
「詳しいことは向こうで説明するよ」
カゴを持って部室をあとにした。
練習場のブランコの後方、やや離れたところにベンチが四つ適当に間隔を空けながら並んでいる。その一つにエメラルドグリーンの目立つ色のリュックと一緒に少年がベンチに座っている。
留学生のミハイル君である。長袖のTシャツにジョガーパンツのラフな格好で、すでに着替えてきているようだ。
「やあ、ミハイル君!」
「タケウチさん! 今日もよろしくお願いします」
綺麗な日本語だった。イントネーションにほぼ違和感がない。
「ミハイル君、タカハシが入ってくれたよ!」
「ああ、よかったです。部がソンゾクです」
「うん。そういうこと」
それから、ミハイルは俺に向き合い自己紹介をしてくれた。
「ミハイル・レノヴァです。ブルガリアから参りました。よろしくおねがいします」
「
「はい! タカハシさん!」
顔は外国人なのに、ここまで日本語が話せるなんて、ちょっと感動してしまう。
ミハイル君は、体も小さく、坊ちゃん刈りのようなヘアスタイルもあって「よう少年!」と声をかけたくなる雰囲気がある。
「お、ミハイル君、日本語の勉強?」
竹内が聞く。ミハイル君が持っている少年マンガ雑誌。ミハイル君は「はい」と微笑んで静かに頷く。
「日本語読めるの?」
俺が聞く。
「はい。わからない漢字、これで調べて……これ、カメラでわからない日本語……。読み方と、意味を教えてくれるアプリです。こどもの頃から、日本のマンガ読んでます。日本語もマンガで覚えました」
見せてくれたスマホの翻訳アプリは見たことのないものだったが、便利そうだ。ブルガリアにいた頃のミハイル君のことが自然と想像される。きっと、マンガやアニメが大好きで、こういう翻訳アプリやら辞書やらいろいろ使って、日本語のマンガを読んできたのだろう。その積み重ねがこの日本語力なのだ。
俺は、ベンチのリュックサックに目を向けた。エメラルドグリーンのリュックサックにはアニメキャラの缶バッジがいっぱいくっついている。七個くらいあるが、メジャーな作品以外知らない俺には、どれ一つとして何のアニメなのかわからなかった。知らないアニメのキャラの顔は同じに見えて区別が付かない。
きっとミハイル君にとって、日本は特別なのだろう。そして、念願叶って、こうして日本に留学にやってきたのだ。それが、どういうわけか、靴飛ばしなどやらされている。それでいいんだろうかとちょっと心配になってしまう。
しかし、ミハイル君の表情を見ると、そんな心配は無用だと言わんばかりに微笑んでいる。最初に会ったときもそうだった。ミハイル君はいつも穏やかに幸せそうに笑っているのだった。住んでいるとあまり日本を意識しないけど、こうして留学生を見ていると、日本が留学生をがっかりさせるような国であってほしくないと心から思う。日本がミハイル君にとって期待に添えるいい国であってほしいと願う。
「授業の時も、ずっとマンガ読んでます」
ミハイル君は笑った。聞くと、高度な授業についていけないミハイル君は、授業の時間、好きに自習をしていてもいいことになっているらしく、一番うしろの席でずっとマンガを読み、日本語を勉強しているのだという。
「へえ、いいねえ」
語学の勉強として、一日中マンガを読んでいられるなんて、ちょっとうらやましい。
「ミハイル君は……靴飛ばし、興味あったの?」
「ミサキさんの靴飛ばしを見て、やりたくなりました」
「美佐姫先輩の?」
「靴飛ばしは、日本の武道のように美しいです。私も早くできるようになりたい」
靴飛ばしが「美しい」か……。俺がロベルト・カルロスのシュートみたいでかっこいいと思ったのと同じような気持ちなのだろうか。だが、武道と言われるとそんなにピンとこない。「へえ、そうなんだ」としか返せなかった。
あと、これはこの時ではなかったかもしれないが「日本の部活ぜひやってみたかったです」とミハイル君が言っていた。アニメはマンガにも部活ものは多いし、元々何か部活をやってみたいという気持ちはあったようだ。
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