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 竹内の部屋は久しぶりだ。中学の時はたまに遊びに行っていたが、高校に入ってからは初潜入となる。

 店舗兼自宅の竹内の家。二階の住居スペースにある竹内の部屋に行く方法はふた通りある。一つは店舗裏の外階段から、店舗の入り口とは別に存在する竹内家の玄関を経由して行く方法。もう一つは店舗の奥、暖簾の先にある従業員の控え室のような空間から二階へ伸びている階段から行く方法だ。

 この場所からなら、いったん外に出て外階段を使うより、後者の方が近いし早い。従業員しか通れないことになっている竹内に先導されて、そこから部屋に案内された。

 部屋に入ると中学の時から様子はそれほど変わっていなかった。

 竹内の部屋は畳の和室で、隅に畳まれた布団、服が放り込まれた籐かごのようなバスケット、こげ茶色の戸棚にはポットと急須と湯飲みの給茶セットが置かれている。高校生の部屋というよりおじいちゃんの部屋のようだが、というか今日日きょうびおじいちゃんの部屋でももう少しモダンだと思うが、小学生の頃から竹内はこの部屋を使っている。マンガ雑誌が落ちていたり、教科書やら学校からもらったプリント類が片隅に積まれている部分だけが高校生らしい。

 そのへん座ってと言うので、これもまた昔からあるミニテーブルの前に腰を下ろす。

 竹内はお店で使っているものと同じ湯飲みに、給茶セットで二人分の茶をいれてくれた。

「さっきはあえて言わなかったんだけどね。入ってくれるなら、前もって言っておきたいことがあって……」

 そう言うと、竹内はどこからともなく青いファイルを取り出した。ビニールポケット式のクリアファイルである。

「これ、美佐姫みさき先輩にもらったんだ。靴飛ばしのルールとか、練習方法とかネットでいろいろしらべて、プリントアウトしたりして、美佐姫先輩なりにまとめたやつ。部長の俺にって……」

 ミニテーブルの上にはすでに湯飲みが置いてあるので、その下の畳にファイルを置いて、俺の方に向けて広げて見せた。そして、一ページずつシャカシャカと軽快にめくりながら、竹内は「このへんは靴飛ばしの規則」とか「これは過去の県大会の記録」などと説明する。言うとおり、靴飛ばしの規則や練習のコツ、過去の記録などが詳しくまとまったサイトをプリントアウトしてクリアポケットに収納したもののようだ。松林まつばやし先輩は竹内のためにこれを作ったのだろうか? あるいは自分用に作ったものを引退を機に竹内に託したのか……。

 ある箇所まで来たところで、竹内は手を止めた。見開きの左側に写真、右側に新聞記事の切り抜きが収められているページだった。

 新聞の記事の見出しは『男子靴飛ばし 上川高校初のインターハイ出場 秀煌学園破れる』。

 写真にはトロフィーを持ってしゃがみ、白い歯をのぞかせるイケメンを中心に、この部の部員だろう男子生徒達。右端の一人だけ、顧問の先生と思われるスーツのおじさん。合わせて八人の人物が写っている。全員表情は明るく、喜びが写真の外まであふれ出していた。

「この写真は?」

「うん、これが、六年前のちょうど今の時期だね。県大会で優勝したときの……。このあと、インターハイに行ってるんだよ」

「やっぱり、その時のか……」

秀煌しゅうこう学園を倒して全国出場だから、すごい奇跡だって、大盛り上がりだったみたいだよ。この人がこのときキャプテンだった松林浩次郎まつばやしこうじろう先輩」

 竹内が真ん中で優勝トロフィー持ってるイケメンを指さす。人を惹きつけるような笑顔だった。

「この人が、例のお兄さんか……イケメンだな」

 同時に、強い既視感を覚える。一度しか会っていない松林美佐姫まつばやしみさき先輩の顔が思い出される。どこがと言われると難しいが、確実に一致する顔の印象にちょっとおかしさを覚える。

「兄妹だからちょっと似てるな」

「うん。似てるよね」

「今も靴飛ばしやってるの?」

「生きてればね……」

「は?」

「それが言いたかった。……亡くなった。この次の年。大学に入ってから。美佐姫先輩が中一の時……」

「マジ?」

「山で事故に遭ったって話……」

 竹内のいつもの冗談にしては面白みに欠ける。おそらく本当なのだろう。

「知らなかった。有名な話?」

「いや、俺達は学年も違うし、知らなくて普通だよ。時間も経ってるし、美佐姫先輩も、あんな感じだから……あまり気をつかわなくていいことだとはと思うけどね……」

 それから、竹内は松林まつばやし兄妹の話をじっくり聞かせてくれた。

 まずは我らが上川かみかわ高校が秀煌しゅうこう学園を破った時の話が語られる。

 浩次郎こうじろう先輩は、日本の靴飛ばし界を牽引した憧れのレジェンド、稗田優作ひえだゆうさくの元に押しかけ、コーチを引き受けてもらい、秘密特訓の末、秀煌学園に対抗できるだけのチームを築き上げた。

 そして、インターハイ予選となる県大会、順調に好記録を重ねる浩次郎先輩達。そのプレッシャーもあってか秀煌学園にミスが重なり、上川は団体優勝を果たした。

 このとき美佐姫先輩は小学六年生。家族とこの試合を観戦し、本当に感動したと美佐姫先輩は竹内に語ったらしい。ここまでの話もそれなりに興味深かったが、大事なのはその先だ。

 インターハイに出場し、キャプテンだった浩次郎こうじろう先輩は、チームを団体5位の成績に導いたが、個人でも5位の成績を収め、翌年スポーツ推薦で東京の某有名大学に進学する。大学でも着実に力を付け、自己ベストは46メートル93。国際大会の代表候補選手に選ばれるなど、将来を嘱望される靴飛ばしプレイヤーだった。

 大学一年の晩夏、登山中の転落事故で命を落とす。趣味として、あるいはトレーニングも兼ねて登山に出かけることは多かったという。今から五年前、美佐姫先輩が中一の時のことだ。

 その時、美佐姫先輩が受けたショックの大きさは計り知れない。そのあと、どのように暮らしていたのかもわからない。確かなのは、美佐姫先輩は兄と同じこの学校に入り、兄と同じように秀煌学園打倒を目指すという道を選んだということだ。

 浩次郎先輩が成し遂げた秀煌学園を討ち果たすという奇跡を再現するべく、まず美佐姫先輩は自分の手で女子部を作るために奔走する。自分で立ち上げた新チームで秀煌の女子靴飛ばし部に勝つことを目指した。

 しかし、マイナー競技の宿命か、部員は集まらず女子部の設立は叶わなかった。それどころか、兄があれだけの奇跡を演出してみせた男子部でさえ、慢性的に部員は少なく廃部の危機にあった。

 ひょっとしたら、美佐姫先輩の必死の勧誘活動の影に浩次郎先輩の死があることも、かえって人を遠ざける要因だったのかもしれない。そのことを知れば「重い」と感じる者も多いだろう。

「これは噂だけど」前置きして竹内が言うには、女子部を作る時も、入ると約束してた友達に裏切られたり、男子を勧誘しても「男に媚び売ってる」と噂を立てられることもあったとか。

 俺はもらった手紙のことを思い出す。「媚び売ってる」か……。これだけやると僻みからそう噂する人も出てくるのかもしれない。

 出る杭は打たれるにもかかわらず、目立つことを続けた美佐姫先輩の勧誘活動は障害だらけだったようだ。その道の険しさは想像に難くない。

 ともあれ、美佐姫先輩は、辛さや苦しさを一度たりとも表に出すことなく、靴飛ばし部を潰させるわけにはいかないと、抜群の行動力で部員の勧誘活動を行ってきた。その甲斐あってか、靴飛ばし部はかろうじて今日まで廃部にならずに持ちこたえている。

 竹内曰く、今の美佐姫先輩の行動力には、たぶん浩次郎先輩の死が大きく関わっている。それは、例えば浩次郎先輩の分も生きようという決意なのかもしれないし、行動し続けることで悲しみを昇華させようとしているのかもしれない。直接聞いたことはないから、確かなことはわからないが、結果として、今の美佐姫先輩の姿は誰よりも必死で生きているように見えると竹内は言う。あとから「ま、それは考えすぎで、もともとそういう人なのかもしれないけどね」とも付け加えた。

 最後に竹内はこうまとめた。

「もし、今のうちの部が映画とかになるとしたら、主人公は確実に美佐姫先輩だね。お兄さんが亡くなって……でも、その思いを受け継いで、どんな困難にもめげずに、ずっと頑張ってる。すごいドラマチックな人生だよね」

 そうかもなと思う。というか、竹内自身が美佐姫先輩を主人公のように語っていたのだ。そう思えて当然だ。

 でも、その美佐姫先輩はもう三年生で部を引退している。結局、秀煌学園には勝てずに終わってしまった。その終わり方では、映画にもドラマにもなりようがないじゃないかとも思う。

 再び写真に目を落とす。写真の中で笑っている浩次郎先輩が、今はこの世に存在しない……。昨日、そっくりな笑顔を俺に向けていた美佐姫先輩はその妹だった。

 俺の中で「松林先輩」という呼び方も自然と「美佐姫先輩」に変わっていた。浩次郎先輩と区別をつけるためだったが、松林先輩だと長いし、竹内も美佐姫先輩と呼んでいるから、俺もそれに倣うことにした。

「話は以上。タカハシはまだ美佐姫先輩に会ったばかりだと思うけど、入るなら、たぶんこれからも会うと思うから、一応知っておいた方がいいと思って……」

 と竹内は締める。

 確かに、浩次郎先輩の死を知らないと、不用意なことを言って美佐姫先輩を傷つけることになりかねないから、聞いておいた方がいい話かもしれなかった。

 気をつけなきゃいけないのは、竹内の話はあくまで竹内の話だってことだ。竹内フィルターがかかっている。実際には、あるいは見方によって、違う部分もあるのかもしれない。

 例えば、竹内はずっと美佐姫先輩を主人公のように語っていた。でも、竹内も久米先輩らと供に、その美佐姫先輩をずっと支えてきたはずだ。潰れそうな部を部長として支えるのはそれなりに大変だったはずだ。だが、竹内はそんなことは言わなかった。竹内は部長のくせに自分が中心だとは思っていないらしい。自分に光を当てず、支えるタイプのリーダーもいる。そういう存在も忘れちゃいけないってことだ。

 入るからには、そんな竹内を助けてやろうと俺はその時ちらっと思った。明日には忘れるかもしれないけど……。

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