第528話 回想4:魔王と勇者の出会い

 それから時は流れ、三ヶ月後。


 ティリメルにとって、ある意味待ちに待った日がやってきた。


「今日、すごくいいことが起こる気がするぞ!」


 世話係に起こされるまでもなく、ティリメルはパッチリと目を覚ますと、寝起き一番にそんな言葉を放った。


 誰もいないが、外で待機していた世話係たちはちょっとびくっとした。


 そして、慌てて外から声をかける。


『てぃ、ティリメル様? いかがなさいましたかっ?』

『な、何か、私たちが粗相を……!?』


 と、中の声がよく聞こえなかったものの、もしかすると自分たちが何か悪いことをしたのではと心配になっていた。


 まあ、善性が突き抜けている魔王とは言え、先代魔王が倒されてから、まだそこまで時間が経っていないのだ。無理もないことだろう。


 が、そんな心配な声を出す世話係たちに対して、ティリメルはと言えば、


「大丈夫じゃ! 儂がちょっと早く起きただけで、おぬしたちに問題はないぞ!」


 と、それはもう元気いっぱい、テンション高めで扉をあけ放ちながら言ったそうな。


 これには、二人も安堵。


『よかったです……』

『ですが、なぜこんなにも早く?』


 と同時に、なぜ自分たちが起こすよりも早く、起きたのかを尋ねていた。


 ティリメルがとても親しみやすい魔王だとわかってから、魔王城内にて働く者たちはそこそこ気軽に話すようになっていた。


 それに対して、ティリメルは鬱陶しがるどころか、キラキラと目を輝かせながら反応するので、かなりほっこりするのだとか。


「なんとなくじゃが、今日はとてもいい日になると思っているのじゃ!」

『なる、ほど?』

「なので、儂は早く起きて、待っているのじゃ!」

『『なるほど……(つまり、ただただ可愛いだけ、と)』』


 天真爛漫な様子のティリメルを見て、二人は頬を緩ませた。


『では、いいことが起こるよう、我々も祈っていますね』

「ありがとうなのじゃ!」


 にこっと、可愛らしい笑みと共にお礼を言われて、二人は今にも昇天しそうなくらい、安らかな笑みを浮かべた。


「おっと、そろそろ着替えねば!」

『あ、かしこまりました。ではお手伝いを!』

「うむ!」


 ティリメルの行動を聞いた二人は、ティリメルの着替えを手伝った。



「さて……こちらは所謂敗戦国。その上、向こうにも甚大な被害を及ぼしている……私の首だけで済めばいいのだが……」


 例の紙に書かれていたことを実行すべく、ジルミスは保護していた人間たちや自身を護衛する魔族たちと共に、クナルラルを出て、リーゲル王国へと向かっていた。


 その道中、ジルミスは車内で無事に済むようにと祈っていた。


 何せ、これから向かう場所は、つい最近まで戦争をしていた敵国の一つであり、尚且つ勇者を召喚したという国だ。


 もとより、準備ができ次第人間たちを元の場所へ帰すつもりだったので、いずれしなければいけないことだったのだが……同時に、自分の最後の仕事はこれだとも覚悟している。


 それはそうだろう。


 少なからず、戦争していた相手、しかも魔族の国の国王などという肩書である以上、当然策を練り、それらの実行もしていたのだ。


 まず良い印象はないだろう。


 確実に、自分たちを恨んでいるだろうし、何より自分たちを殺したいと思っているはず。


 だが、これ以上魔族たちを疲弊させたくないし、何より人間との共存という夢が遠のいてしまうのは、なんとしてでも避けなければならない事態であり、だからこそ自分の首一つで、と覚悟しているのだ。


 そんな、悲壮な覚悟と共に、ジルミスたちは一度離れた場所に人間たちを待たせると、自身を先頭にリーゲル王国の王都前まで歩いて近づいた。


『と、止まれ! 魔族が何の用だ!』


 当然、歓迎などされるわけもなく、最初にかけられたのは、警戒の言葉だった。


 衛兵らしき者たちが、突然王都前に表れた魔族に向かって、槍や剣を向けていた。


 今にも戦闘が開始されそうな状況ではあるが、ジルミスは臆することなく要件を伝える。


「私は、魔族の国、クナルラル現国王、ジルミスという。今回は、リーゲル王国国王、ディガレフ=モル=リーゲル陛下にお目通りしたく参上した」

『こ、国王様に、だと!?』

『信用できるか! お前たちは、俺たちの国――いや、他の国すらも襲ったじゃないか!』

『今更国王に会いたいなどと、何を言うか!』


 などなど、やはりというか、当然と言うべきか、やはり罵倒される結果となった。


 このような状態では、何を言おうと無駄だろうな……そう、心の中で呟き、この状況をどうするべきかと思案する。


 すると、何やら門の奥から一台の馬車がこちらへ向かってくる。


 それは一目で地位の高い人物が乗っているとわかる外観であり、ジルミスは一瞬期待した。


 そして、その期待が的中するどころか、状況は思わぬ方向へと向かう。


「あ、あの、何があったんですか……?」

『あ、危ないから、下がっていなさい!』


 ふと、門の先でこの場に似つかわしくない綺麗な声と、その声の主に対して注意する衛兵の声が聞こえてきた。


「いや、あの、状況を教えてもらいたいんですけど……」


 やや位置が遠いが、綺麗な声の持ち主は何やら黒いローブを着ており、顔がまったく見えない。


 なぜ顔を隠しているのか、ジルミスたち魔族は不思議に思った。


 それと同時に、どこかで会ったような、そんな不思議な感覚が湧き出て来てもいた。


『そう言われてもだね、見た通り、魔族たちが攻めてきたんだ!』

「攻めて……?」

『というか、君は誰だ? そんな怪しい格好をして……』

「あー、えっと、ボクは……」


 ローブの人物に、衛兵は怪訝そうな顔で何者か尋ねると、すぐ後ろから一人の人物が現れた。


「ああ、よいのだよ、彼……いや、彼女か。彼女は、儂が呼んだ」

『へ、陛下! なぜ、陛下がこのような危険な場所に……』


 その人物とは、リーゲル王国の国王であった。


 これには、ジルミスは驚愕する。


 もともと国王に会うつもりでここまで来たが、こうもあっさりと会えるとは思わなかったからだ。


 どちらかと言えば、捕らえられた後に会うとばかり思っていたので、この状況には面食らう。


「いやなに、魔族が攻めてきた、と言われ、飛んできたのだよ」

『何をおっしゃるんですか! ここは危険なんですよ!? もし、陛下の身に何かあれば……』

「そのために、彼女を連れてきたのだ」


 ぽん、と国王は隣にいるローブの人物の肩を叩いた。


 どうやら女性であるらしいが、なぜ? と、魔族たちの頭の中は疑問符で埋め尽くされる。


 そして、その疑問はすぐに氷解する。


『ですが、この者は一体誰なのですか……?』

「ああ、イオ殿だ。簡単に言えば……勇者殿だ」


 その人物は勇者だった。


『『『ゆ、ゆゆゆ勇者様ぁぁぁぁぁぁ!?』』』

『『『――ッ!?』』』


 衛兵たちは、まさか勇者が来ているとは思っていなかったようで、かなり驚愕した様子を見せている。


 そしてそれは、魔族側も同様であり、まさかの人物の登場に息を呑んだ。


『ほ、本当に、勇者様、なのですか……?』

「え、えっと……まあ、一応……」


 当の本人である勇者――依桜は、やや気が重そうにフードを取ると、自分の顔を露出させた。


『ほ、本物……』

『お、オレ、初めて勇者様を見た……』

『女になったと聞いてはいたが、まさか本当に……』

『あのような可憐な姿をしていながら、かなりの強さを持っているなんて……』

『美しいな……』

「え、えっと、それで、王様。ボクは一体どうすれば……?」

「とりあえず、儂が対話をしてみるので、もし攻撃されそうになったら、止めに入ってくれればよい」

「わ、わかりました」


 どうやら会話が終わったらしく、勇者ではなく、国王が前に出る。


「魔族の皆様。此度は一体、どのような要件で、参られたのか?」


 国王の声音は、予想していた物よりも遥かに穏やかで、魔族たちを対等の存在として扱うようなものだった。


 それに内心感激したジルミスはと言えば、少しだけ思案していた。


 というのも、本来自分たちがここに来た理由は、保護している人間たちを帰すためというわけではなく、ティリメルが見つけたという指示が書かれた紙の通りに行動するためであった。


 なので、理由はないということになるわけだ。


 しかし、幸いなことに、この場にはあの勇者がいた。


 自分たちすらも助け、人間だけでなく、魔族にとっての英雄ともなった勇者が。


「……我々は、勇者に会いに来たのだ。そして、話をさせてもらいに来た」


 だから、ジルミスは勇者に会いに来た、という言葉を発した。


 先ほどは、人間を帰すのが目的であったため、国王に会わせてほしいと告げたが、勇者がいるのならば、話は少し変わる。


 もちろん、国王に会うことも大事だし、人間たちを元の場所へ帰すことも大事だったが、何よりも重要な事柄が今しがた出来た。


「イオ殿」


 ジルミスの要件を聞いた国王は、勇者の名前を呼ぶと、勇者はやや困惑したような表情でこちらへ近づいてくる。


「……お前が、勇者?」


 改めて勇者を見るが……どうにも、違和感。


 そのため、つい敬語を忘れて、素の口調で尋ねていた。


「は、はい、そうですけど……」

「……たしか、男だったはずなのだが……」


 そう、ジルミスの記憶では、勇者は男だったはず。


 にもかかわらず、目の前の勇者を名乗る者は間違いなく女性だ。


「あの、ですね。その、魔王に呪いをかけられて、その……女の子になっちゃったんです」


 一体どういうことかと思っていたら、勇者の口から理由が話された。


「……【反転の呪い】か。なるほど。先代の魔王様は、悪あがきをした、というわけか」


 たしかに、それなら目の前の女性が勇者であると言えるかもしれない。


 そもそも【反転の呪い】に関しては、魔族内でも使える者はほぼほぼ魔王のみであり、しかも命と引き換えにして使用する魔法というよりかは、呪術に近い魔法だ。


 しかも、【反転の呪い】は、魔族内でも禁術に指定されているので、その存在を知る者は限りなく少ない。


 現在知っているのは、ジルミスを含めて数名だ。


 そのため、その名前が出てきた時点で、かなり信用できると言っていい。


「それでは、名前をお聞かせ願えないだろうか?」


 最後に名前を尋ねる。


 もちろん、勇者の名前はかなり有名ではあるものの、それでも訊かなければならない。


 確認は大事である。


「イオです。イオ・オトコメです」

「間違いない……。イオ殿。いや、イオ様!」


 告げられた名前は、魔族にも伝わっている物であった。


 だから、ジルミスだけでなく、他の魔族たちも感極まったように依桜の前に跪くと、


『我ら一同、あなた様に忠義を尽くします!』


 口を揃えてそう言った。


「え……えええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!?」


 そして、その場には依桜の驚愕の声がこだますることとなった。



 それから、なんやかんやあり、依桜を自国に招くことに成功。


 ことの経緯や、現在の魔族の状況なんかも話ながら、一行はクナルラルへと向かった。


 ジルミス的に、勇者であり、少し前まで敵対していた依桜が、自国を見てどのような反応をするのか気になっていたものの、依桜はクナルラルの外観を綺麗だと褒めていた。


 補足ではあるが、先代魔王に何一ついい点がなかったというわけはなく、強いて言えば謎に潔癖だったことが挙げられ、水の都、的なイメージの湧く魔王城周辺はとても気に入っていたため、『そこだけは』悪逆非道で外道な魔王の魔の手から逃れられた、という経緯がある。どんな存在にも、プラスな部分はあるようだ。


 そうして、談笑しながら移動すること二時間。


 遂に、クナルラルへ到着した。


 復興中の街並みを見ながら、ジルミスたちは魔王城へと入った。


 そうして、ジルミスが新たな魔王である、ティリメルのいる部屋の前まで依桜を案内し、依桜は中へ足を踏み入れた。


「し、失礼します」


 以前魔王城に訪れた時と言えば、裏からの侵入だったため、依桜は真正面から入ることに緊張を覚えていた。


 そして、新たな魔王がいるという部屋に、恐る恐ると言った様子で中へ踏み入れると、


「おお! 来たか! そなたが、我が同胞たちの勇者じゃな!? 会えて嬉しいぞ!」


 そこには、ハイテンションな新たな魔王、ティリメルが玉座に座って、依桜を歓迎していた。


「え、えーっと、あなたが、今の魔王、ですか?」


 予想していた方向とは真逆であったためか、依桜は思わず敬語で魔王本人なのか尋ねる。


「うむ! 儂が現魔王、ティリメル=ロア=ユルケルじゃ! 儂のことは、気軽に『メル』と呼んでいいぞ! もちろん、呼び捨てで構わぬ!」

「あ、はい。えっと、メル?」

「敬語でなくてもよい! 儂は最近生まれたばかりじゃからのぅ」

「え、そうなんですか!?」


 最近生まれたばかりというティリメルの発言に、依桜はそれはもう驚いた。


 何せ、目の前に存在する魔王が、どう見ても生まれたばかりの存在には見えなかったからだ。


 というか、今なんて小学四年生くらいに見えるわけで、そんな姿の魔王が実は生まれたばかりです! なんて言っても、普通は信用できないだろう。


「うむ。あと、今さっき言ったが、敬語じゃなくてよい」

「あ、う、うん。えっと、じゃあ、普通に……」

「ありがとう、イオ殿」

「えーっと、その殿、ってつけて呼ばれるのは、あんまり慣れなくて……できれば、呼び捨てか、別の呼び方をお願いしたいんだけど……」


 殿という敬称を付けて呼ばれるのが慣れず、できれば別の呼び方がいいと依桜はティリメルに頼んだ。


「そうか? ならば……」


 依桜の頼みに、ティリメルは少し考える素振りを見せた後、妙案とばかりに、


「ねーさまはどうじゃ?」


 そんなことを言った。


「なんで!?」

「何でと言われると……なんとなく、かの?」


 うーん? と首を傾げなら、理由になっていない理由を告げた。


 とはいえ、ティリメル自身も、本当になんでその呼び方を提案したのかがわからない。


「なんとなくでボクはねーさまと呼ばれるの?」

「嫌か……?」

「べ、別に嫌、と言うわけじゃないんだけど……」

「では、ねーさまでよいか!?」


 嫌ではないという依桜の答えに、ティリメルは食い気味に言う。


 なぜここまで『ねーさま』呼びにしたいのかがわからないが、第六感的な部分が言っているのだ。


 この人はいいお姉ちゃんになってくれると。


 だから、ティリメルは是が非でも、この呼び方を推したいと思ったのである。


「一応ボク、元男だよ……?」

「それは知っておる。さっき、ジルミスから聞いたぞ」

「え、知ってて、ねーさま呼びなの?」

「そうじゃ。儂、お姉ちゃんと言う存在に憧れておってなぁ。ねーさまみたいな人なら大歓迎どころか、お願いしたかったのじゃよ」


 本心である。


 というか、生まれてから間もないとはいえ、今はある程度の知識がある。


 そこには当然、家族に関することも。


 姉であったり、兄であったり。


 弟であったり、妹であったり。


 そんな存在がいると知れば、一人っ子のティリメルとしても、とても気になることだろう。


 それに、目の前にいる人物だったら、間違いじゃないと思えるし、何よりこの人だ! 的なことを感じれば、姉になってほしいと思っても仕方ない。


 もっと言えば、ティリメルは生まれたばかりで、両親だってもう存在しないのだ。


 だったら、たとえ血の繋がりが無くとも、姉という存在が欲しいと思ってしまうのも仕方のないことだろう。


「そ、そうなんだ」

「では、ねーさま。儂とお話をしてはくれまいか……?」

「お話?」


 許可は別にもらったというわけではないが、試しにとばかりに『ねーさま』と呼んでみると、依桜は特に気にした風もなく、普通に反応してくれた。


 それがなんだか嬉しくて、ティリメルの心はぽわっと暖かくなった。


「うむ。儂は生まれたばかりで、少し前の話とかも知らぬから、いろんな話を聞きたいのじゃ。ねーさまがこっちにいた時の話とか、ねーさまの世界の話とか」

「うん、いいよ」

「やったのじゃ! 嬉しいのじゃ!」


 ティリメルのお願いごとに、依桜は優し気な笑みを浮かべながら、それを受け入れてくれた。


 それが嬉しくなって、ティリメルは勢いよく依桜に抱き着く。


 一応避けられる、という可能性も心配したが、その心配は杞憂であり、依桜は優しく抱き留めてくれた。


「わわわ! もう、メル、いきなり抱き着いてくると危ないよ?」

「ふふふー、でも、ねーさまなら受け止めてくれるのじゃろ?」

「もちろん」


 もちろんという言葉に、ティリメルはさらに表情を破願させる。


「それじゃあ早速、色々聞かせるのじゃ!」

「うん。じゃあえっと、まずは――」


 そう切り出して、依桜は自身が経験してきたことを、ティリメルに語り始めた。


「ふむふむ……じゃあ、ねーさまは突然こっちに来たんじゃな」

「うん、そうだね。最初は何かのドッキリ? なんて思ったよ。まあ、全部現実で、頑張らないとどうにもならない状況だったから、死に物狂いで修行してたけどね」


 あはは、と苦笑い気味に、当時のことを思い出しながら話す依桜。


 そんな依桜に対して、メルは今の姿からは想像ができない、という顔を浮かべる。


 依桜に対しての第一印象と言えば、とにかく綺麗で強そう、だったので。


「――一年目は王国で。二年目は……思い出すのも恐ろしいほどに、ものすごく理不尽な人に教わって……うん、地獄でした……」


 何度も死に目に遭った――というか、実際に何度も死んだことを思い出し、遠い目をする依桜。


 好奇心旺盛なティリメルでも、こればかりはあまり踏み込まない方がいいと思い、何も訊かなかった。


「――それで、師匠のお墨付きも貰って、ようやく本格的な勇者としてのことをするために、旅に出て……行く先々で先代魔王の配下と戦って、あまり悪意を感じない魔族は逃がして、悪意のある魔族は殺して……そんなことを何度もしたよ」


 複雑そうな笑みを浮かべながら、依桜は自身の三年目のことを話した。


 依桜にとって、一番辛かった時期は三年目だ。


 一年目は慣れてくるときつくはなかったし、二年目もたまに死んだり、相当理不尽な目に遭っていたが、それでも師匠というある種心の支えになるような存在もいた。


 しかし、三年目はそうではない。


 よくあるファンタジーな創作物のように、パーティーでの行動ではなく、常に一人での行動だったのだ。


 それ故、辛い時に慰めてくれる存在はいない。


 それに、守り切れなかったが故に、心にもないことを言われたりもした。


 だから、依桜にとって最も辛かった時期と言えるのだ。


「じゃあ、ねーさまは後悔しているのか?」

「後悔、かぁ……。うーん……」


 その時を思い出して、少しだけ辛そうな表情を浮かべた依桜は、ティリメルにそう尋ねられて、少し考える。


「……後悔は、してないかな」

「そうなのか?」

「うん。例えばの話。それはもうとんでもなく悪い人がいたとして、その人を懲らしめました。だけど、その人はこれからは真っ当にします、とか、反省してます、とか、罪を償います、とか言われて、本当に許しました。この後って、どうなると思う?」


 依桜の答えに疑問を持ったティリメルに、依桜はそんな例え話のような問題を投げかけた。


 突然投げられた問題に、ティリメルは、うーんと少し難しそうな顔で考えると、


「反省する、かの?」


 と答えた。


「そっか。まあ、実際にそうだったらいいんだけど……現実はそうじゃなくて、きっとその反対のことが起こると思うんだ」

「じゃあ、また悪いことを?」

「うん、そういうこと。もし現実にボクがそんなことをしたら、きっと後悔した。あの時殺していなかったら、もっと酷いことになってしまったんだ、って。だから、殺したことに後悔はないよ。……まあ、後悔は無くても、罪悪感はあるけどね」


 あはは……と苦笑いを零す。


 そんな依桜を見てティリメルは、


「でも、ねーさまはすごく頑張ったのじゃ」

「え?」

「もとはと言えば、戦争をしていたのが悪いのじゃ。それに、儂の一個前の魔王は、すごく酷い魔王だったと聞いたぞ。だから、ねーさまが自分を責める必要はないと思うのじゃ!」


 なんて、それはもう真っ直ぐに、本心を依桜にぶつけた。


 まさか、今の魔王にそんなことを言われるなんて思ってなくて、依桜は思わず面食らってしまったが、少ししてふふ、と柔らかい笑みを零した。


「ありがとう、そう言ってくれると、なんだか気持ちが楽になるよ。一応、ボクの友達たちが受け入れてくれたから、とっくに乗り越えてはいるんだけど……それでも、話したり、思い出したりするとどうしても気分が重くなってね」

「じゃあ、どうして話したのじゃ?」

「んー、そこはほら。ボクなりのケジメだよ。メルはなんでかボクを姉と呼んで慕ってくれるけど、それでも魔族を殺したことには変わりはないし、それを隠して接したら、それはメルに申し訳ないから」


 なんて言いながら、なんとなしに依桜はティリメルの頭を撫でた。


 そう、依桜が結構重たい話をティリメルにしたのは、依桜なりのケジメなのだ。


 出会ってすぐとはいえ、姉と慕う人物に、自分が殺しの経験があることを隠して接したら、それは不誠実だろうと思ったからだ。


 それに、相手は生まれたばかりとはいえ、魔王だ。


 少なからず、魔族にとって魔王はとても重要な存在であり、見た感じティリメルは魔族を大切に思っていることが伺える。


 だからこそ、依桜はここで隠さずに話すことにしたのだ。


 そんな依桜の想いを感じたティリメルはと言えば。


「ねーさま!」


 なんか、感極まったのか、抱き着いた。


「わわっ……もう、いきなり抱き着かないでってさっき言ったのに……」

「えへへぇ」


 すりすり、と依桜のそれはもう豊かな双丘に頬ずり……というか、顔をうずめる。


 なんだか本当に妹みたい、と依桜は微笑ましくなり、そのまま優しくティリメルの頭を撫でた。


 撫で心地が良く、つい虜になりそうだったが、少ししたところで止めた。


 歯止めが利かなくなりそうだったので。


「じゃあ、話の続きをしよっか」

「うむ! じゃあ、どうやって魔王を倒したのか聞きたいのじゃ!」

「うん、わかったよ。といっても、とどめはすごく地味なんだけどね」

「そうなのか?」

「うん。だって、ナイフで魔王の頭を切り飛ばしただけだよ? それに、ボク自身派手な技とか持ってなかったから、地味な攻撃ばかりで……」


 当時の戦闘を思い出したのか、依桜は苦笑い気味に答えた。


「地味、と言われても、どうやって攻撃してたのかわからないから、想像できないのじゃ」

「あー、それもそっか。んー……ボクの職業って暗殺者なんだよ」

「ジルミスから聞いたことがあるぞ! なんでも、使いこなせる者は強い! と!」

「そうだね。実際、ボクの師匠が、完璧に使いこなせてる人だったの。技術も高いし、魔法も強いしで、本当に非の打ち所がないっていうのは、師匠のことを言うんだなぁって実感したっけ」


 やっぱりあの人、おかしくない?


 なんて、心の中で思う。


 何せ、できないことはない、と常に公言しているのだが、実際マジでそうなので、依桜的には一番謎だと思っている。


 あの人って、なんなんだろう? みたいな。


「だけど、ボクは暗殺者としての才能はともかくとして、魔法に関する才能がほとんどなくてね」

「そうなのか?」

「そうなんです。実際、ボクが適性を持っていたのって、『風魔法(初級)』と『武器生成魔法(小)』、『回復魔法(初級)』だったし。一応、元の世界に帰った後は、聖属性魔法にも適正はあったけど……それでも、武器生成魔法以外は、初級までしか使えなかったんだよ」

「じゃあ、ねーさまは、強い魔法が使えない状態で、先代の魔王に勝ったのか?」

「そうなる、かな? 本当、大変だったけどね……」


 今思い出しても、よく生きてたなぁ、なんて力なく呟く。


 実際、依桜と先代魔王の戦いと言えば、かなりすれっすれの戦いだったのである。


 魔王側からすると、依桜の攻撃は地味だが、それ以上に致命的な物になる可能性が出てくるくらいに危険な攻撃ばかりで、しかもそれがぽんぽんと飛んでくるので、当然警戒した。


 反対に、依桜側からすると、あまり防御力が高くなかったのと、強力な攻撃を相殺する手段がほとんどなかったために、高い攻撃力を持った魔王の攻撃は、当たらないようにしないといけないし、その肝心の攻撃がかなり素早く、重い物だった。もっと言えば、相手は防御力もそこそこ高く、依桜の通常の攻撃では大したダメージを与えることができなかったので、手数が求められたのだ。つまり、依桜が魔王に採らなければいけなかった行動と言うのは、相手の攻撃を全て回避し、ひたすら攻撃を当て続けるという、ヒットアンドアウェイであった。


 そういった物であったので、依桜自身も、先代魔王にとっても、とてもギリギリの戦闘だったのである。


 というようなことを、自身の視点で依桜はティリメルに語って聞かせた。


「こんな感じかなぁ。どうだった……って、あー、うん。そういう顔だったら、なんとなく察しが付くよ」


 困ったような笑みを浮かべながら、依桜はティリメルの表情を見てそう口にした。


 何せ、話を聞いたティリメルの目が、それはもう爛々と輝いていたのだから。


 琴線に触れたらしい。


「すごいのじゃ! ねーさまは、すごく強いのじゃな!」

「ま、まぁ、一応先代の魔王を倒したくらいには……でも、もう二度としたくないかなぁ。あれ、かなり心臓に悪かったし……」


 若干心臓にダメージももらったけど、と小さく呟いた。


 依桜的に、ミオの修業の次くらいにはトラウマに近いものとなっていたりする。


「ふーむ、儂もいつか、ねーさまみたいに強くなれるかのぅ……」

「そこは大丈夫じゃないかな? だってメルは魔王だもん。それに、少しずつ努力を重ねればきっとボクよりも強くなれるよ」

「そうかの?」

「もちろん」

「そうかぁ……じゃあ、いつかねーさまと同じくらい、いや、それ以上に強くなるのじゃ!」

「うんうん、その調子だよ。ボクも応援してるから」

「ありがとうなのじゃ!」

「じゃあ、他にも話そっか?」

「お願いするのじゃ!」

「ふふっ、了解だよ。じゃあ、そうだね――」


 この後も、二人は和気藹々とした雰囲気で、色々なことを話した。



 それから、ティリメルの懇願により、依桜はクナルラルの女王となった。


 その過程で色々パーティーやら、演説なんかがあったが……まあ、そこは割愛。


 そうして、依桜が元の世界に帰還する日。


「さて、と」


 隣で寝ていたティリメルを起こさないように、そーっとベッドから出た。


「ふぁぁ~~……んにゅ……ねーしゃま……?」


 しかし、動きを察知したのか、ティリメルが欠伸をして、目元を擦りながら依桜に声をかける。


 そして、寝ぼけながらも、今日が帰還する日だと思い出し、寂しさを滲ませた声を出す。


「ねーしゃまは、今日帰るんじゃったよな……?」

「……うん」

「……儂も、ねーしゃまと一緒に行きたいのじゃ……」


 無理だと理解していても、ティリメルの口からは一緒に行きたいという言葉が漏れていた。


「メル、ごめんね……。メルを連れていくことはできないんだ……」


 しかし、依桜は心底申し訳なさそうな表情で、連れて行くことはできないと告げた。


「なんでなのじゃ……?」

「……一応、メルはこの国じゃ魔王様なんでしょ? 女王と魔王が二人ともいなくなる、っていうのは問題だと思うの。それに、向こうでは大変なことしかないんだよ? 危険なことだって……。そんな世界に、可愛いメルを連れていくことはできないよ……」


 危険がある、とは言っても、ティリメルは魔王だ。


 たとえ、向こうの世界渡ったとしても、肉体的な危機はほぼ無いと断言していいだろう。


 しかし、それ以上に精神的な危険がある。


 一応、依桜が住んでいる日本は、世界的に見ればかなり治安のいい国と言える。


 しかし、それでも悪いことを考える者はいるわけだ。


 美天市だって、田舎か都会かと訊かれると、都会よりの田舎、となる。


 それに、人口もそこそこだ。


 犯罪だって稀に発生している。


 ティリメルの外見は、それはもう可愛らしいので、悪い大人に狙われないとも限らないし、どちらかと言えば狙われるだろう。


 そんな場所に果たして連れて行ってもいいのか?


 という疑問が生まれるわけで。


 しかし依桜は、連れて行かないという選択をした。


 何せ、何が起こる話かわからないので……。


 それに、戸籍やらなんやらの問題もあるし、外見年齢的に学校に通わせないとまずいだろう。


 言語の壁だってあるし、問題は山積みだ。


 というような背景もあり、連れて行かないと告げたのだ。


 ……尚、この時某頭のおかしい学園長ならどうにかできるのでは? という考えが出なかった。


「うぅっ……」

「な、泣かないで!? 必ずこっちの世界に来るから、ね?」


 しかし、魔王とは言え、ティリメルはまだ生まれたばかり。


 それはもう、依桜を姉のように慕い、懐いてしまったので、これから離れるのはどうしても寂しく、泣き出してしまう。


 なので、慌てて依桜が必ずこちらの世界に来ると話す。


 現段階では、気軽に自由に行き来する方法がないが、帰ったら学園長に相談しよう、そうしようと心の中で決意する。


「……ほんと?」

「もちろん。ボクだって、メルと離れるのはちょっと辛いけど……何度だって来るから」

「……わかったのじゃ。絶対、また来るのじゃぞ?」


 依桜が優しく諭すと、ティリメルは目元をくしくしと擦り、涙を拭った。


「うん。メルに寂しい思いをさせちゃうかもしれないけど、安心して。絶対に、また会いに来るから」

「約束じゃぞ……?」

「うん」


 ティリメルの言葉に頷いて、依桜は少しの間ティリメルを抱きしめ、頭を優しく撫でた。


「それじゃあ、そろそろボクは行かないと」


 そんな状態を一分ほどして、依桜は立ち上がると名残惜しそうにそう言った。


「……わかったのじゃ」

「またね、メル」

「また、なのじゃ」


 最後にそう言って、依桜は魔王城を後にした。



 依桜がいなくなった直後の自室。


「……うぅ、ねーさまが行ってしまったのじゃ……」


 いなくなった直後、急に自分の部屋が広く感じたティリメルは、寂しさを強く感じていた。


 さっきまで依桜が寝ていたベッドに、顔をうずめると依桜の優しく甘い香りがした。


 おかげで、さらに寂しさに拍車がかかる。


「……そうじゃ。儂には偽装のスキルがあるのじゃ……! それを使えば!」


 自分のスキルの存在を思い出すと、ティリメルは思い立ったが吉日と言わんばかりに、スキルを使用した。


 この『偽装』というスキルは、字面だけ見ると地味に見えるのだが、効果自体はかなり強力だ。


 主な使用方法としては、放った魔法を本来の属性とは違う属性に見せかけることが出来るなどだが、才能があるものなどは、自分の気配や存在などを周囲とどうかしているかのように偽装することができるのだ。


 しかも、力量差には寄ってくるものの『気配感知』の効果すら無効化できる。


 そのため、隠密行動ができるし、気配を気取られないという、斥候などにはかなり有用なスキルと言える。


 もっとも、このスキル自体、取得方法が割と謎なので、所持している者は少ない。


 余談だが、某理不尽な師匠は所持している。


「……よし、大丈夫なのじゃ」


 扉を開け、こっそりと廊下へ出る。


 近くにメイドがおり、そのメイドの前でぴょこぴょこ動いてみるも、ティリメルに気付いた様子はない。


 しっかりスキルの効果が出ていることを確認すると、たたたっ! と、依桜の気配を感じ取って、そちらへ向かう。


 そうして辿り着いたのは依桜だけでなく、ジルミスも乗り込んだ馬車。


 さすがにドアを開けようものならバレてしまうので、馬車の屋根に乗った。


 生まれたばかりとはいえ、魔王なので割かし何でもできるのだ。肉体的なことは。


 それから二時間ほどでリーゲル王国に到着。


 そこで依桜とジルミスは別れの挨拶を済ませ、依桜は王城へと向かう。


 その後をティリメルはバレないように、こっそりと付いていく。


 幸い、ティリメルの『偽装』の技量が高かったのか、依桜が気付く素振りは無い。


 ただ、たまに後ろを振り向くと気がある。


 まあ、すぐに前に視線を戻すのだが。


 そんなやり取りをしながら、二人は王城の内部へと入った。


 そして、依桜がディガレフと話、いざ元の世界へと帰還する、という瞬間。


「ねーさま!」


 ティリメルは『偽装』のスキルを解除するなり、依桜に抱き着いた。


「め、メル!?」


 抱き着かれた当の本人は、予想だにしない人物の登場に、ぎょっとした。


 元の場所へ、と思ったものの、ティリメルが抱き着いたのは、儀式が完遂する寸前だったので、どうすることもできず、依桜はティリメルを連れての帰還となるのだった。

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