第527話 回想4:新たな魔王
時間は遡り、依桜が魔王討伐を成し遂げてから、半月ほど経過した頃の異世界にて。
その日、魔族の国『クナルラル』のとある場所に住む、とある魔族の夫婦の間に、一人の魔族の娘が生まれた。
「……んぅ……」
魔族の夫婦は、念願の子供の誕生に大層喜んだのだが、その子供を抱いた後、母親はそのまま静かに息を引き取ってしまった。
それに父親は激しい動揺を見せたものの、もう死んでしまっていると医者に言われ、涙を溢れさせた。
それを知ってか知らずか、生まれた子供は夫を見てきゃっきゃと笑顔を向けており、父親はその少女を強く抱きしめた。
この娘は、何が何でも守ろう、そう心に決めて。
それから生まれた子供を自分の家に連れ帰り、名前を決めた。
妻が生前考えていた名前を付けることにし、名前は、
「君は今日から……ティリメルだ」
ティリメルとなった。
そう、後の……というか、生まれた時点で魔王という存在になった子供である。
この時点ではごく普通の赤ん坊であり、特にこれと言った異常性は見当たらない。
しかし、問題だったのはこの次の日だった。
朝起きて、ティリメルの食事を与えようと早起きしたら……
「む、おはよーなのじゃ、とーさま!」
そこにはなぜか五歳くらいにまで成長し、ハッキリとした言葉を発するとても愛らしい少女がいたのだ。
これには、父親もものすごく動揺した。
それもそのはず。
何せ、昨日産まれたばかりの赤ん坊が、次の日に急激な成長をするなど、予想出来ようはずもない。
「……てぃ、ティリメル、なのかい?」
しかし、父親はなんとなく、その幼女が自身の娘であると理解した。
いくら不思議なことも起こりうるこの世界とは言え、産まれたばかりの赤ん坊がこんなことになるはずない……でも、僕の直感が、みたいなことを頭の中でぐるぐると考えていると、幼女はにこっととても可愛らしい笑みを浮かべて、
「そうなのじゃ!」
大きく頷きながら断言した。
「……君、そんなに大きかったかな?」
「おきたらこうなっておったのじゃ」
「……ど、どういうことだい?」
「わからないのじゃ」
何を聞いてもわからない、としか言えないようで、父親はそれはもう困惑した。
しかし、自身が愛した妻と自分の娘であることには変わりはなく、まあ魔族だしそう言う事もあるかもしれない、そう思うことにして一旦は急成長のことを流すことにした。
それから、二人は普通に生活を始める。
一緒に食事をし、父親は仕事へ行き、ティリメルは家で本を読んで過ごす。
わからないことがあれば、父親に尋ね、教え、嬉しいことがあると、真っ先に報告し、報告を受け、休みの日には一緒にピクニックもした。
生まれたばかりの子供とのコミュニケーションではないが、それでも自分の娘との生活は、それはもう、ごく普通の、どこにでもある幸福な生活と言えた。
しかし、その生活はかなり早く終えることとなってしまう。
今度は父親が病に倒れてしまったのだ。
「とーさま! どうしたのじゃ!?」
朝起きて、父親の元へ向かったティリメルだったが、そこにいたのは青い顔をして、時たま血が混じった咳をする父親の姿だった。
その姿を視認するなり、ティリメルは慌てて父親の元へ駆け寄り、必死に声をかける。
「……は、はは、し、心配しなくても、大丈夫……ごほっ、ごほっ……」
必死になっているティリメルを見て、父親は安心させようと、笑みを作るが、それは子供の目から見ても、痛々しい物であり、かなり辛そうだった。
言葉を発そうとしては、思いっきり咳き込み、血を吐く。
体は徐々に冷たくなっていっており、ティリメルは今にも泣きそうだった。
自分の死期はもうすぐそこ、それを理解した父親は、自分のことを話し始めた。
「す、すまない、ね……実は僕は、昔から病弱でねぇ……げほっ、ごほっ……君のお母さんと、一緒になってからは、かなり無理をして……ごほっごほっ……既に、ボロボロだったんだ……」
「と、とーさま……?」
突然の話に、ティリメルは父親を心配そうに見つめる。
それを見ながら、父親は話を続ける。
「本当は、もっと早く死ぬはずだった、んだけど……生まれたばかりの君と、げほっ……君を生んですぐ亡くなった妻を見て、まだ死ねないと、思ってしまってねぇ……ごほっ、ごほっ、がふっ……」
「とーさま!?」
咳に交じった血を吐くのとは違い、今度は血の塊を吐き出す。
その姿に、ティリメルは狼狽し、思わず叫んだ。
「だ、だから……がんばった、んだけど……ど、どうやら、もうダメらしい……ごふっ……」
はぁ、はぁ、と呼吸も徐々に荒く、弱弱しい物へと変わり、目の焦点も会わなくなってきていた。
それを見て、ティリメルはもう父親が助からないことを悟る。
だが、たった一人の肉親が死にそうになっているのを見て、現実を受け止めきれなかった。
「とーさま! 死んじゃだめなのじゃっ! もって生きてほしいのじゃ!」
「は、はは……そう言ってもらえるだけで、嬉しいよ……でも、もう、助からない……」
死なないで、そう必死に叫ぶ娘をぼんやりとした視界で捉えながら、努めて柔らかな笑みを浮かべる。
そして、もう力がほとんど入らない腕を伸ばし、ティリメルの頬に触れた。
「……ティリメル、君は幸せに、なりなさい……大丈夫……君はとてもいい子だ……」
「と、とーさま……?」
「それから……僕が死んだ後、すぐそこ、の……引き出しの中、に……手紙、とお金、が、ある……から、それを持って……魔王城へ、向かいなさい……」
「な、なぜじゃ……?」
「君は、魔王、だからね……」
ティリメルが聞き返すと、父親はティリメル自身が魔王であるからと告げた。
そう、父親は仕事や生活の合間に、ティリメルのことを調べており、その過程でティリメルが魔王であることを突き止めていたのだ。
それと同時に、悪政を敷いていた先代魔王が既に異世界の勇者によって倒されていることも。
それにより、現在の『クナルラル』では、暴力で統治された国ではなく、優しさや法でもって統治される国へと向かいつつあることも。
そして、ティリメルが魔王だと発覚してから、父親は手紙で現在の国王とやり取りをし、その中で相手が信用に足る人物であると、そう確信して、自身の死後、ティリメルを保護してもらえるように頼んでいたのだ。
「まおう……?」
「そう……少なくとも、今は、平和になった、から、ね……何も、心配はいらない、さ……あぁ……ごめんね、ティリメル……もう、お別れの時間だ……」
「と、とーさまぁ……」
「だ、いじょうぶ……きみ、なら、きっといい人たちに、めぐり、あえる……だから、きみはぼくたちのぶん、まで……しあわせに、なり、な……さ…………」
その瞬間、父親の腕がだらんとベッドに落ちた。
目を閉じ、安らかな笑みを浮かべる。
「とーさま……? とーさま……おきてよ、とーさま……とーさまぁ!」
目を閉じたまま動かない父親に縋り、ティリメルは必死に呼びかけた。
しかし、起きる気配はなく、それどころか命の鼓動も感じない。
「とー、さま…………う、うぅ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっっ!」
父親が死んだ。
そのことを理解した瞬間、ティリメルは泣いた。
それからしばらくの間、ティリメルは泣き続けた。
共に生活した時間はとても短いものだったが、それでも大切な人だった。
故に、泣き続けた。
そうして、泣き疲れて眠ってしまい、起きたのは次の日のお昼だった。
ティリメルは家の庭に穴を掘ると、そこに父親を埋葬した。
なるべく立派な石を持ってきて、そこに父親の名前を彫った。
そして、父親の遺言に従い、ティリメルは手紙とそこへ行くためのお金が入った袋を持って、魔王城がある、クナルラルの首都を目指した。
いくら魔王とはいえ、まだまだ生まれたばかりの子供。
首都までの道はそれなりに長かった。
しかし、必要な知識は既に父親から与えられていた。
人の接し方や、貨幣の価値とその使い方、簡単な算術など、生きていく上で必要な知識を。
様々な街や村を通り、馬車を使用し、時には宿に泊まり、野宿し、そうして、遂にティリメルは魔王城へと到達した。
「あ、あの……」
ティリメルはドキドキしながら、門の前に立っている魔族に恐る恐る話しかける。
『おや、どうしたのかな? お嬢ちゃん』
『ここは魔王城。今は修繕中だが、遊び場じゃないぞ?』
門番の二人は、ティリメルに優しい声音で話してくれた。
ティリメルは優しそうない相手であると安心し、大事に持っていた手紙を渡す。
「こ、これを、国王様、に持って行ってと言われたのじゃ……」
『手紙? ……っ!』
一人の門番が手紙を受け取り、両面を見ると、一気に緊張で表情が強張った。
『どうしたんだ?』
その様子に、相方の門番は不思議そうに声をかける。
『すぐに、国王様の元へ案内しなければいけない』
『む、その手紙には何が?』
『国王様の紋章が刻印された封蠟がされている。ほら、これ』
『ほ、本当だ……よし、すぐに案内するとしよう。……お嬢ちゃん、ちょっと一緒に来てもらえるかな?』
「は、はい、なのじゃ」
『よし、じゃあついてきてくれ』
なるべく怖がらせないように、門番はティリメルについてくるよう指示する。
こくりと頷き、それを確認してから門番は近くにいた兵士に声をかけて事情を説明し、一旦持ち場を変わってもらう。
それから魔王城へと入る。
その間、後ろをついていくティリメルは物珍しそうに、周囲を見回しながら歩いた。
道中すれ違うメイドや、執事らしき人物たちとすれ違うなり、不思議そうな表情を向けられたが、ティリメルは物珍しさの方が勝っていたためか、それにはあまり気付かなかった。
そうして、歩いていると、ふと立派な扉の前で立ち止まった。
『少し待っていてくれ』
「は、はいなのじゃ」
待っていてほしいと告げた後、門番は軽く扉をノックする。
『誰だ』
『門番のエルジャンです』
『何用だ?』
『国王様のみが使用する封蠟がなされた手紙を持った少女が尋ねて来まして……』
『何? その少女はもしや、紫色の髪をしてはいないか?』
『はい、その通りですが……』
『……わかった。その方を中へ』
『かしこまりました。お嬢ちゃん、中へ』
「は、はいなのじゃ」
ガチャ、と恐る恐る扉を開けると、そこには一人の魔族が座って何やら書類仕事をしている最中だった。
「あ、あの……」
ティリメルが部屋に入った直後に、部屋の扉は閉められ、この空間には二人しかいない。
何を言っていいのかわからず、ティリメルが恐る恐るといった様子で声をかける。
「……ふぅ、申し訳ありません、ティリメル様」
書類仕事が一段落したのか、魔族は一息ついた後、ティリメルに謝罪をした。なぜか、畏まった口調で。
「さ、さま?」
唐突に様付けで呼ばれたことに、ティリメルは首を傾げる。
「はい。あなた様は魔王ですから。とりあえず……こちらのソファーにどうぞ」
「は、はいなのじゃ」
魔族に促され、ティリメルはソファーに腰掛けた。
その直後に、魔族はどこからかお菓子が載った皿と赤く透明な色をした飲み物が入ったコップを置いた。
「国が少々混乱しておりまして、この程度しかお出しできませんが、遠慮なくどうぞ。長旅だったでしょうから」
「食べてもいい、のか?」
「もちろんです」
「じゃ、じゃあ、もらうのじゃ」
食べてもいいと言われ、ティリメルはお菓子――クッキーを手に取り、口に入れた。
「~~~っ! おいしいのじゃ!」
もぐもぐと咀嚼し、ティリメルはそれはもう可愛らしい笑みを綻ばせ、美味しいと思わず大きな声を出した。
「ふふっ、それは良かったです」
そんな姿が微笑ましく、魔族は笑みを浮かべる。
「改めまして、自己紹介をしましょうか」
「あ、はいなのじゃ」
もぐもぐ、もきゅもきゅ、とクッキーを食べる手を止めて、一旦目の前に座る魔族を見据える。
「私はこの国の国王代理をしております、ジルミスと申します」
「あ、えと、ティリメルなのじゃ!」
「はい、存じております。……さて、ティリメル様はおそらく、お父様の手紙を読み、ここへ来たかと思われます」
「は、はいなのじゃ。とーさまの手紙にここへ行け、って」
父親のことを言われ、一瞬泣きそうになるも、向こうにいる父親を困らせたくないと、涙をこらえて、質問に答えた。
「では、あなた様自身が魔王であることも、もうご存じですね?」
「いちおう……」
「その様子ですと、魔王についてよく知らないようですね。まあ、無理もありません。そもそも、魔王は特殊な存在ですので」
「まおう、とはなんなのじゃ?」
それは純粋な疑問だった。
この世界に生を受けて、まだ一ヶ月余り。
まだまだ生まれたばかりではあるものの、知能的な部分はもうすでに赤ん坊ではないティリメルにとって、それはもう最も気になることであった。
もともと好奇心旺盛であることも、理由の一つだろう。
そんなティリメルの疑問に対し、ジルミスは一瞬考える素振りを見せた後に、口を開く。
「そうですね、魔王とは――」
そう切り出し、ジルミスは魔王についてのことを話し始めた。
魔王とは、簡潔に言ってしまえば、魔族の中から生まれる、特殊な個体のこと。
何が特殊なのかと言えば、一番はその成長速度だろう。
魔王はどういうわけか、生まれた次の日には五歳くらいに成長する。
しかも、言語能力に関しても普通に意思疎通が図れ、生活に困らない。
もともとステータスなどという、わけのわからない物が存在する世界だ。今更、特殊な存在がいても不思議じゃない、この世界の住人たちはそう認識している。
それ故か、魔王の個体が生まれた夫婦の大半は大変な時期がなくてよかった、とか思ったりし、それはもう可愛がる傾向にある。
が、それと同時に、その成長の速さに恐怖してやらかす者たちもいる。
そして、ある意味これが一番の不思議なことではあるのだが……この世界において、魔王は常に一人しかおらず、魔王が存命の間、別の個体が生まれる、などということは絶対に起こらない。
さらに言えば、魔王が死亡すると、すぐに新たな魔王の個体が生まれる。
この新たな魔王が生まれるまでの周期はまばらであるものの、最も遅い記録でも一週間後には生まれていたりする。
なぜ、そのような周期をしているのか、そもそもなぜ一人しか生まれないのか、それらは今日まで謎であり、研究者の間では、魔王という存在を解明しようと躍起になっている。
それから、これも魔王の特殊な部分ではあるのだが、魔王はどういうわけか、全魔族の力を行使することができる。
つまり、吸血鬼であれば血液の操作。サキュバスであれば、魅了。オーガであれば筋力増強。他にも、各魔族の固有能力であれば、使用可能になっているなど、かなり強い力を持っている。
ちなみに、これは余談ではあるが、魔王は基本的にとても強く、生まれたばかりでも下手な魔族よりも強い。尚、ここで言う下手な魔族とは、成人していて、尚且つ戦闘職に就いている魔族を指す。
そして、これが最も重要なことだが、クナルラルにおいて、魔王とは魔族の頂点であり、問答無用で従う存在であり、そして法でもある。
つまり、魔王が『自分に逆らうの禁止』と言えば、それが法律に追加されるという事でもある。
「――というのが、魔王です」
「え、えーと?」
「あー、わかりませんよね。そうですね……簡単に言えば、魔族で最も強い力を秘め、同時に最も偉い存在、というわけです」
少々堅苦しくし過ぎた、とやや反省したジルミスは、子供でもわかりやすい言い回しに変えた。
そうすると、ティリメルは納得したようにパッと表情を明るくさせる。
「なるほどなのじゃ! ……む? じゃ、じゃあ、今は儂が一番えらい、のか?」
「その通りです。そして、それがティリメル様をお呼びした理由でもあります」
「む?」
「もともと、ティリメル様の存在は、ティリメル様のお父様から伝えられておりました。我々としても、次の魔王を探している最中でしたので、タイミングが良かったのです。それに、本来であればここまで早くお呼びするはずではなかったのです」
「そう、なのか?」
「はい。もともとは、ティリメル様が一人立ちしてからの予定でした。しかし、ティリメル様のお父様自身の病がかなり進行しており、こちら側としても治すことができませんでした。ですので、お父様と話し合い、お父様の死後は我々がティリメル様を保護することを約束したのです」
「とーさまが……」
自分が死ぬことよりも、自分のことを優先してくれたことが、嬉しくもあり、そして悲しくもあった。
自分だけじゃなくて、父親自身のことも考えてほしかったと。
ただ、それくらい病気が信仰していたんだとも幼いながらに悟った。
それと同時に、死んだ後のことも考えてくれて、本当に嬉しいとも思った。
「はい。ですので、今日からここがティリメル様の住む場所、ということになります」
「……そ、そうなのか!?」
「はい。魔王ですので。あぁ、安心してください。何不自由ない生活をお約束しますので」
「む、むぅ?」
まさに青天の霹靂である。
父親が亡くなったと思ったら、なぜか一番偉い立場になって、大きな場所で暮らすことになってしまった。
驚き固まっている自分をよそに、ジルミスは従者を何名か呼びつけると、あれよあれよとティリメルを連れ出し、世話を焼き始めたのだった。
魔王城にて住み始めること半月。
「おー、この街はすごいのじゃなぁ」
ティリメルはそれはもう、すっかり馴染んでいた。
父親を失い、一人の時は泣いていたティリメルだったが、ジルミスや従者であるメイドたちの世話の甲斐あってか、すっかり元気になり、好奇心旺盛な部分が出ていた。
今現在は城下町を歩いているところである。
半月の間に、ティリメルは色々なことを教わっていた。
ティリメルが魔王城に住む一ヶ月前まで、魔族と人間が戦争をしていたこと。
魔王が人間の勇者に敗北し、倒されたこと。
現在がその先頭の余波で復興中であること。
先代魔王がそれはもう、言葉に言い表しようのないほどに悪逆非道であったこと。
そして、勇者が人間たちの英雄であると同時に、魔族たちにとっての英雄であること。
などなど、今の世界情勢についての簡単な知識を。
まだ幼いとはいえ、ティリメルはれっきとした魔王であり、同時にかなり知能も高い。
意味を理解することができれば、まるでからっからのスポンジのごとく知識を吸収していくのだ。
「むー、勇者とは、一体どのような者なんじゃろうなぁ」
なんて、一言呟く。
今現在、ティリメルの中で一番好奇心に駆られるものは、勇者のことである。
何せ、敵であるはずの魔族を殺すのではなく、逃がすという選択を採り、助けていたのだから。
先代魔王が悪逆非道だったから、今代の魔王的に気になる、というのもないわけではないが、それを抜きにしても、どうしてそんなことをしたのかが気になるのだ。
容姿は? 性格は? 得意な武器は? 職業は? 魔族に対しての考えは? などなど、訊いてみたいことを考えだしたら切りがないくらいに、ティリメルは勇者が気になっていた。
とはいえ、その勇者は既に元の世界に帰っていて、この世界にはもういないとも聞いた。
通常であればもう二度と会うことはないだろう。
仮に、魔族が再び戦争を起こせば、また新しく勇者召喚がなされるかもしれないが、あれはランダムであり、同じ人物が召喚される、などという状況は砂漠の中から同じ砂粒を見つけるのと同じくらいの確率だろう。
それ故、ティリメルはある種もんもんとした気持ちを抱いていた。
この疑問を解消したい……と。
しかし、それは願っても難しいことだろう。
異世界を超える方法は、勇者召喚以外に存在せず、それどころかこの世界の住人が異世界へ行く、なんてことも過去に一度もないからだ。
だから、もしも疑問を解消できるとすれば、異世界から何らかの出来事により、勇者本人がこちらの世界に召喚される以外ないのである。
「会ってみたいのう……」
もし出会えたなら、自分にとってとても大事な人になるのでは? そんな気がして、ティリメルは呟く。
……まあ、実際のところ、魔族全体が、勇者に会いたがっているのだが。
「んぅー……戻るかのぅ……」
話を聞いてから、ティリメルの頭の中は勇者のことばかり。
考えては消え、考えては消え。
それを繰り返している内に、気付けば城下町を一周してしまったようである。
とりあえず、街を見て回るにしても、どうにも気分が乗らなくなってきたティリメルは、魔王城へ戻ることにした。
それから、ティリメルは魔王城で楽しく暮らす。
魔王としての責務、というものはそもそもあまり存在していない。
何せ、魔王とは特別な一個人であり、どのような魔族よりも強いのだから。
ある種、象徴に近い。
国の統治などは、基本的に国王が行っており、重要なことは魔王が承認する形だ。
とはいえ、今の時世に魔王の承認が必要な事柄はほとんど存在しない。
強いて言えば、平和に関する決定が必要であることくらいだろう。
まあ、いくら知能が高く、どんどんと知識を吸収していくとは言え、よくわかっていない部分が多く、ジルミスも精査に精査をしまくって、承認するだけでどうにかするように努めてはいるが。
しかし、当のティリメルと言えば、それが一体どのようなことに繋がるのかは、断片的に理解していた。
少なくとも、これを承認すれば『平和に繋がる』と。
これに関しては魔王であるが故の知能の高さもそうだが、それ以外にも理由があったりする。
ようは、魔族の種族の中に、未来視に近い何かを扱える種族がいて、その能力を使用しているのだ。無意識に。
その能力のおかげで、なんとなく理解できているのだ。
そんな楽しく暮らしていたある日の、ティリメルの自室にて。
「むむ~、なるほど……勇者殿は、ジルミスから聞いた通りの人物なんじゃなぁ……面白いのう……」
その日、ティリメルは自室で勇者が帰還後に執筆された、とある小説を読んでいた。
ところどころ脚色されていたものの、そこには間違いなく、勇者本人が魔王討伐までに辿った軌跡が書かれており、それはもうティリメルはジルミスに頼んで、協力者に買ってきてもらったのだ。
ティリメル的には、自分の気持ちを優先して申し訳ない的なことを考えていたが、頼みを受けた協力者は、自分たちにとっても英雄に興味を持ってもらえている、という風に解釈し、それはもう喜んで受けたという裏話があるが、ティリメルは知らない。
「優しくて、平等……魔族は倒した、って書かれておるが……むぅ、人間視点だからかのう……? ジルミスは助けてもらった魔族が数多くいる、とは言っておったが」
思い返すのは、ジルミスに勇者について尋ねた時のことである。
その時は、なんとなく、先代の魔王を倒した勇者が気になった程度だったが、内容を聞いてそれはもう気に入ったので、食い気味に尋ねていた。
そこで得た情報と言うのが、魔族を裏で助けていた、という物。
なので、それ知った上で、今の小説を読んでいるのだが……もしや、この時の魔族は助けて、こっちはそのまま倒したのか? とそれはもう想像を膨らませながら読んでいた。
「むぅ、だめじゃ……知れば知るほど、会ってみたいという気持ちが強くなるのじゃ……」
そして、勇者のことを知ると、会いたい気持ちが強くなり、悶々とする。
どうすれば会えるのか、どうやったら会うことができるのか。
それが消えては浮かぶ。
魔法でどうにか。
無理。
スキルや能力?
聞いたことがない。
じゃあ、他に何が?
「ぬぁぁぁあ! 思いつかないのじゃぁ!」
結局何も良案が思い浮かばず、ジタバタした。
「はぁ……何かあればのう……」
溜息を吐きながら、会ったことがない存在を思う。
時にはむぅ、と唸り、時にはどんな人物か想像して相好を崩す。
が、やはり良案はない。
やはり、諦めるしかないか、そう思った時だった。
パサ……。
「…………む? なんじゃ、これは?」
机の上から、一枚の紙がひらりと床に落ちた。
何の変哲もない紙なのだが、どうにもその紙が気になり、ティリメルはそれを拾い上げた。
すると、なんとも不思議なことが起こる。
「な、なんじゃ? 字が出てきたのじゃ」
なんと、紙に文字が浮かび上がってきたのだ。
これにはティリメルもびっくり。
とりあえず、どんな内容なのか確認するべく、視線を落とす。
「んーと……『今から三ヶ月後の今日、保護した人間の方たちを連れて、リーゲル王国を尋ねてください』じゃと? むー? なんじゃろう、これは……」
突然わけのわからない指示が書かれた紙に、ティリメルは眉を寄せて、首を傾げる。
いつの間にこんな紙があったのか、なぜリーゲル王国へ三ヶ月後に向かうのか、それから、どうして人間を保護していることを知っているのか、色々と疑問はあるものの、ティリメルにとって、一番気になるところがあった。
それは、行き先がリーゲル王国であるということ。
ティリメルにとって、この国はクナルラルの次に良く知る国であった。
何せ、勇者召喚を行ったのが、この国だからだ。
なので、これにはもしかすると、勇者が関わっているのではないか、そんな気がするのだ。
それは確信めいた物であり、この指示通りにしないと、と心の底から思った。
なので、ティリメルはすぐに行動に移し始める。
差し当たって必要なことは、ジルミスに相談すること。
自分は魔王だが、まだ幼いので、長く生きている者たちに訊くのが一番、とティリメルは理解しているので。
なので、てててて! と可愛らしい走り方なのに、スピードは全然可愛らしくない走りを見せながら、ティリメルはジルミスがいる執務室へ向かった。
「ジルミス!」
「おや、ティリメル様。何やら慌てた様子ですが、何か問題が?」
いきなり入ってきたティリメルに対し、ジルミスは特に起こるようなそぶりは見せず、書類仕事を一度止め、不思議そうに見ながらティリメルにそう尋ねていた。
「問題、ではないのじゃが……ジルミス、お願いがあるのじゃ!」
「かしこまりました。何なりと」
「うむ! 実は、儂の部屋にこのような紙があったのじゃ」
「ティリメル様のお部屋に……? 拝見させていただきます」
ティリメルは早歩きでジルミスに近づくと、紙を手渡した。
ジルミスは一言断ってから紙に目を通す。
短い文章ではあるが、それでも内容は驚く外なかった。
というのも、そもそもの話、人間を保護している、などという情報はジルミス以外には、ティリメルと、一部の重鎮しか知らないのである。
なので、この紙に書かれていることはかなりおかしい。
そして不可思議な点はそこだけではなく、
「ティリメル様、これがティリメル様のお部屋にあったのですか?」
「うむ」
「妙ですね……ティリメル様のお部屋には、ティリメル様自身か、もしくは特殊な魔道具が必要なのですが……」
そう、そもそもティリメルの部屋にあるという事自体がおかしいのだ。
魔王と言うのは、魔族の国において最も重要な存在であり、そう簡単に死なせてはいけない存在なのだ。
そのため、魔王が過ごす部屋には、特殊な結界のようなものが張られており、それらは魔王本人と特殊な魔道具がなければ入ることができないのだ。
というような理由があり、このような紙が置かれているという事自体がまずありえない状況なわけだ。
普通に考えるならば、ティリメルの自作自演と言えるのだが……この純粋無垢な魔王に果たしてそんなことができるのだろうか? 絶対にできないことだろう、という考えに至り、ジルミスは原因不明の状況として一旦は処理することに決める。
「ふむ……それで、ティリメル様がいらした理由と言うのは……」
「うむ! この紙の通りに動いてほしいのじゃ!」
ジルミスが理由を尋ねれば、ティリメルはそれはもう元気いっぱいに答えた。
「しかし、危険ではないでしょうか? いきなりティリメル様の部屋に置かれていた、という事自体がどうにもおかしく。私としては少々警戒せざるを得ないのですが」
「じゃが、儂は絶対にこれをしなければいけないと思っているのじゃ」
「絶対、ですか?」
「絶対じゃ。なんとなく、そんな気がするのじゃ。これをすれば、きっといいことが起こると、そう思うのじゃ」
「……なるほど。ティリメル様の直感力に関しては、並外れた物がありますからね。かしこまりました。では、三ヶ月後にそのように行動しましょう。もとより、人間の方たちは元の国に帰す予定ではありましたし、三ヶ月もあれば十分な行動が取れますから」
「うむ! 頼んだのじゃ!」
「はい、お任せください」
「じゃあ、儂は戻るぞ!」
「はい」
元気いっぱいな言葉を残して、ティリメルは執務室を去って行った。
一人残ったジルミスは一つ息を吐く。
「……今代の魔王様は、本当にできたお方だ。あの方こそ、私たちが従うべき存在だ。……しかし、ふむ。できれば、国王も変わってもらいたいところだな。まあ、魔族が納得する人物がいないのが、少々ネックだが……」
と、苦笑い気味に独りごちる。
実際、先代魔王までの悪政やら圧政やらで、魔族の大半はかなり疲弊していた。
しかし、戦争中において、悪逆非道を働いていた魔族たちのほとんどは、勇者によって討伐されており、徐々にマシになって行ったのである。
そこに来て、新たな魔王の出現と、あまりにも善性すぎる性格。
これには魔族たちは大歓喜。
当然、ジルミスもそうだ。
自身は国王という立場であり、魔族内において、その地位は上から二番目。つまり、魔王の次に偉いのである。
トップ自体は魔王であるものの、政治的な部分は基本的に国王が行っているわけだが……この肝心の魔王が、ろくでもない存在であった場合、それはもうストレスが溜まりに溜まりまくるのである。
魔王が最も地位が高く、ほぼ無条件に従わなければいけないとはいえ、悪逆非道で尚且つ民を民とも思わぬ外道であれば、どんなに従わなければいけなくとも、ストレスは溜まるし、何より反感も出てくるわけだ。
が、魔王は魔族の中でも地位が高いのと同時に、最強なのである。
そして、先代魔王が典型以上の外道魔王だったので、ジルミスは大層辟易していたのだが、その魔王は討伐され、新しく現れた魔王は純粋無垢な存在だった。
ちなみに、これは余談ではあるが、魔王の属性――善悪の部分に関しては、実は生まれてから一ヶ月ほどでほぼ確定する。
両親が新たな魔王に良い影響を与えれば強い善性を持った魔王になり、反対に悪い影響を与えれば悪性が強い魔王となる。
もちろん、絶対というわけではないが、善悪については、周囲の環境が最も影響を与えるのだ。
そして、ジルミスが新たな魔王を探し出そうとしていたのも、この部分が大きい。
この情報を知るのはほんの一部で、魔王の部屋に出入りできる者たちのみである。
ジルミスやその一部の者たちは、なんとしてでも次代の魔王を悪性が強い存在にしないようにするために動いていたわけだ。
そうして、その過程でティリメルの父親と出会うことになり、結果としてティリメルを発見したという経緯が存在する。
もちろん、このことをティリメルは知らないし、知らせるつもりもない。
少なからず、ティリメルは歴代魔王の中で最も善性に傾いていると思われるからだ。
何せ、純粋無垢な可愛らしい幼女の外見をした魔王など、歴史上ただの一度もないのだから。
もちろん、女性体の魔王がいなかったわけではないのだが、あそこまで可愛らしい姿の魔王はいなかった。
なので、新たな魔王が公表された際には、それはもう国民は喜んだらしい。
あと、単純に笑顔に心を射抜かれた、というのもあるが。
なので、この国の中において、ティリメルはそれはもう慕われており、街を歩けば声をかけられ、色々な物を貰い、そしてそれらを遠慮して、結局は押し切られる、という光景がよく見られ、それらはある種の恒例的な光景であった。
そんなティリメルであるからして、ジルミス的にはそれはもうストレスフリーであり、なんとしてでも守らなければならない存在であると思っていた。
それと、できることならティリメルに対等な、もしくは純粋に甘えることのできる存在が出来てほしい、とも願った。
「……あの勇者ならば、ティリメル様と対等になってもらえるだろうか?」
などと、あり得もしない空想を呟き、すぐに鼻で笑う。
少なくとも、そんなことが起こる事はないな、と。
「ともあれ、三ヶ月の間に人間の方たちの帰国の準備をしなければ」
気持ちを切り替え、ジルミスは優先すべき事柄への対処を始めるのだった。
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