第425話 欠落した二日間1 下
ミオからの許しを得て、依桜は家を出た後、すぐに森を抜ける。
ミオが暮らす森は地味に深いし広いので、普通の人だったら遭難して、そこに棲む魔物に殺されても不思議じゃないほどとなっている。
もちろん、依桜には通用せず、普通に出る。
というか、魔物たちは依桜に近寄るどころか、なんかすり寄ってくる場合もある。
理由はと言えば、単純に依桜が優しかったから、である。本当にこれで片付けられるくらい、依桜はちょっとおかしいことをした。
簡単に言えば、怪我をしていた魔物の手当てをしたりだとか、悪さをしていた魔物を殺すのではなく、真正面から叱ったりだとか、そんなことをしていた。
そうして気が付けば、森にいる魔物たちは依桜に懐き、森の番犬的な存在へとなっていたりする。
ちなみに、森に入り、悪さをする人は追い出すようにと、依桜から命令をもらっている。
万が一、そうではなかったら、森の外へ送るように、とも命令を出されている。
こっちの世界において、どうしようもなければ依桜は魔物を殺すが、そうではなく、ある程度の意思疎通が出来れば、殺さないのである。
事実、林間・臨海学校においては野生と言えど、猪を殺すことを躊躇ったり、こっちの世界では敵であるはずの魔族たちを殺さなかったりしているほどだ。
そんな依桜が、どうやって強くなったか、と訊かれれば、騎士団の者たちとの修練だったり、ミオが課した修行によるもの(明らかにこっちが大半を占める)である。
まあ、元々依桜自身は心優しい男の娘だったので、むやみやたらに殺すことをしなかっただけでもあるのだが。
それはそれとして、森を出た依桜は、ふらーりふらーりと歩き出す。
特に予定はなく、ただただ散歩をするだけに出てきたので、当たり前と言えば当たり前だ。
むしろ、何らかの目的をもって散歩に行く人はいないと思われる。
リラックスする時間としての意味が強いので。
「~~♪ ~~~~♪」
そんな依桜だが、鼻歌を歌いながら、実に楽しそうに散歩していた。
一応、この森は王都からそう離れていない位置にあるので、たまーに王都から村、もしくは町へと移動する馬車が通り、依桜の容姿を見て驚いていたり、見惚れていたりもするが、本人は気づいていない。
「こうして、のんびりお散歩をするのは久しぶり」
楽しそうに呟く依桜。
まあ、依桜は異世界から帰還してからというもの、ほとんど休みなく動き回っていたような物だ。
そのため、今のこの自由時間がとても楽しいようである。
可愛らしい笑顔を浮かべながら歩く美少女の絵図はいい。
「ふんふふ~ん♪ ……ん?」
楽しそうに歩く依桜が、突然足を止め、ある方角を見つめ始めた。
「……誰か、襲われている?」
そのような気配を感じ取ったらしく、依桜は襲われている人がいるであろう方角を見つめ続け……そして、走り出した。
『いやぁぁっ!』
『だ、誰か……誰かぁ!』
『うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』
依桜が駆け付けた場所には、一つの村があり、そこには大勢の魔物に襲われる村人たちがいた。
見れば、ほとんどは戦えない者ばかりで、必死に逃げ惑っている。
戦える村人や、その村に駐在していたと思われる騎士たちがおり、その者たちが必死に抵抗しているが、圧倒的に魔物の方が多いため、完全に劣勢を強いられている。
このままでは間違いなく村は壊滅してしまうおそれがある。
しかし、それを見た依桜が何もしない、なんてことはなかった。
「はぁっ!」
依桜は状況を認識するや否や、風魔法にて小規模な竜巻を発動させ、それを魔物の群れにぶつけた。
それにより、三割近くの魔物たちが吹き飛ぶこととなり、それに便乗し騎士たちもお仕返し出す。
それだけにとどまらず、依桜は再び魔法を展開させると、今度は一ヵ所ではなく、数か所に竜巻を発生させた。
それらは、村人を襲おうとしていた魔物たちを蹴散らしていく。
とまあ、そんなことがあった。
『おぉ、どこのどなたかは存じませんが、助かりました』
撃退を終えると、一人の老人が依桜にお礼を言ってきた。
「いえ、お気になさらず。偶然、魔物の群れに襲われていることに気が付いただけですので。それよりも、どなたか怪我をした方はいらっしゃいますか? 特に、子供たちが心配なのですが……」
依桜は丁寧な口調で老人に尋ねる。
すると、老人は少し申し訳なさそうな表情を浮かべながら言う。
『それが、何名か怪我を負ってしまったようでして……中には、重症な者も』
「わかりました。その人たちの所へ案内してもらえませんか? 回復魔法をかけます」
『なんと、回復魔法まで……本当に、ありがたい限りです。こちらです』
老人の案内で、依桜は怪我をした者たちの元へと向かう。
案内されたところには、老人が言った通り、怪我をしている者たちが横たわっていた。
軽い傷を受けた者の他に、脇腹を大きく抉られた者もいる。
手当てが遅れれば、確実に致命傷になる傷だ。
「なるほど……これは、たしかに酷いですね。急ぎ、治療しましょう」
『できるのですか……?』
「はい。お任せください。……『ノア・ヒール』」
依桜が魔法名を呟くと、怪我人たち全員を覆うような魔法陣が現れ、一気に回復魔法をかけていく。
効果はすぐに現れ、傷ついた者たちの怪我をみるみるうちに修復していく。
その回復速度に、周囲にいる村人たちは瞠目する。
『まさか、上位の回復魔法を使用できるとは……まるで、本物の女神様のようなお方だ』
「いいえ、ボクはそういうものではありません。あなた方と同じ、普通の人間です。それ以上でも、それ以下でもありません」
微笑みを浮かべながら、そう返す依桜。
その謙虚な態度を見て、さらに感服する老人。
「それで、一体何があったのでしょうか?」
『それがわからないのです……。以前にも一度、同じようなことがあったのですが、その時は今よりも魔物の数は少なかったのです。その上、魔物の数にしては狙った場所が少なく、その魔物自体もここいらの魔物にしては強かったため、騎士たちや戦える者たちが引っ張り出されてしまいまして……。その混乱に乗じて、誘拐されてしまったものまで』
「なるほど……」
暗い表情で告げる老人。
周りの人――特に、一人の女性が今に泣き出してしまいそうな表情を浮かべている。
「それでは、今回も襲撃して来た魔物は……」
『おそらく、前回と同じかと思われます。魔物の構成がほとんど同じでしたので。それに、前回と同じように、数の割には狙った場所が数ヶ所しかありませんでした。おそらく、前回同様、誘拐を目論んだ者の仕業ではないかと』
「誘拐犯、ですか。……少し待ってください」
『はい』
依桜は一言告げてから目を閉じる。
使用するのは『気配感知』。
自信を中心とした半径二キロメートルを範囲として確認。
すると、村から箇所に1.2キロ離れた位置に、悪感情を抱いている者たちの反応があった。
「見つけました」
『ほ、本当ですか!?』
「はい。ここから、1.2キロほど離れた位置にいます。ボクはそこへ出向こうと思います」
『い、いくら女神様と言えど、一人では危険です!』
「大丈夫ですよ。ボクは弱くありませんから。それに……とーっても強い師匠に鍛えられましたから」
『で、では、何名かの騎士を連れて行った方がいいのでは……? 捕縛する時、大変でしょうし……』
「……それもそうですね。わかりました。では、どなたか付いて来てくれませんか? もちろん、危険がないよう、ボクが守りますので」
優しく微笑みながら告げると、数人の騎士が前に出てきた。
なんだか、顔が赤い。
どことなく神秘的な雰囲気を醸し出す依桜に見惚れているらしい。
「では……そうですね、あなたとあなた、それからあなたたちにお願いしたいと思います。大丈夫ですか?」
『『『『問題ありません!』』』』
「わかりました。では、出発しましょう」
『『『『はい!』』』』
なんだかまるで、女王に付き従う騎士みたいだった。
『おい、失敗じゃねえか……!』
『誰だよ、あんな上位魔法使ってきやがったのは!』
『一昨日だって、王女の誘拐に失敗するしよ』
『あー、あれな。マジで誰だったんだ、乗り込んできやがったのは……』
『ってか、アーティファクト級の魔道具の隠蔽を見破ってくる時点でおかしいだろ』
依桜が言った場所には、数名の男たちがいた。
男たちは、先ほどの光景を遠目に見ており、いつ侵入するかを考えていた。
しかし、侵入する暇なんて与えないとばかりに依桜が乱入して来て、村にはなった魔物は撃退され、コントロールから離れた。
それに伴い、今回の作戦は失敗だと悟ると、思い思いに文句を垂れていた。
『つーか、せっかく集めた魔物がおじゃんだぜ……』
『クソッ、あの魔物どもを集めるのは苦労したってーのによ!』
『やっぱ、ゾールにいる魔物を使役するか……?』
『いや、やめとけ。あそこの魔物はシャレにならん。強いんだよ、一般的な魔物よりもよ』
『だよなぁ……。仕方ねぇ、撤収するか』
『だな。おい、てっしゅ――』
「させると思いますか?」
『『『『――ッ!?』』』』
リーダー格っぽい男が撤収と言おうとした瞬間、そこに美声が響いた。
男たちは、背後にいた依桜に気づくと、その場から飛び退く。
ある者は武器を構え、ある者は魔法を使おうと詠唱に入る。
だが、
「大人しくしてくださいね? 反撃しようすれば、手加減なんてできませんから」
『はんっ! 女が偉そうに言うじゃねえか!』
『見たところ? 背後にいる騎士どもが守護する女ってとこか?』
『ということはだ。お前は貴族様なんじゃねえの?』
『しかも、見たとこえれぇ上玉じゃねえか。どうだ? 大人しく俺達と一緒に来れば、命は保証してやるぜ?』
下卑た笑みを浮かべながら、依桜にとってただただ不快な言葉を吐く。
依桜の笑みがさらに深くなる。
「そうですか。こちらこそ、投降すれば手荒な真似は控えたのですが……仕方ありません。少し、眠ってもらいますね」
『は? 一体何を言って――がはっ』
依桜は一瞬で男たちの背後に回ると、首筋に針を突き刺した。
それにより、全員が気絶。
あっさり終了となった。
「まったく、口だけなのですね。……さて、この方たちを捕縛してもらってもいいでしょうか? 全員気絶させましたので」
『ただちに』
そう言うと、騎士たちの動きは迅速だった。
すぐさま捕縛用のロープで気絶している男たちを縛り上げる。
「では、村に戻りましょう」
『『『『はっ』』』』
なんか、本当に女王に傅く騎士たちみたいになっていた。
村に戻り、男たちを拘束したまま気絶から意識を戻し、事情を尋ねる。
尋ねる、と言うが、実際は尋問に近いが。
「それで? 一体なぜ、あんなことをしたんですか?」
『か、金だよ金! 俺たちゃ金が欲しかったんだよ!』
「お金ですか。悪党らしいセリフですね。……では、次に。村の人達の命を奪うことに、忌避感などはなかったのですか?」
『はっ、そんなもんあるわけねーだろ! 他人の命なんざ、仲間以外どうでもいいんだよ!』
「……どうでもいい、ですか」
『ああ、どうでもいいね! どうせ、俺たち以外の人間は、悪事にすら手を染められないクソどもだからなァ!』
「……」
無言。
男の言い分を聞いて、依桜は酷く不快になった。
『ま、もうどうでもいいし、さっさと処刑にでもしろよ』
と、男が言うが……
「いいえ。あなたたちは殺しませんよ」
にっこりと微笑んで依桜は堂々と言った。
それを聞き、村人たちもぎょっとする。
『はぁ!? なんでだよ!?』
「何も償ってもいないのに死ぬ、そんなことは許しません。絶対に償ってもらいます。そうですね……とりあえず、王都の騎士団の方たちにでも引き渡しましょうか。騎士の方」
『はっ、なんでしょうか』
「騎士団長、もしくは国王様にこう伝えてください。『殺さずに、強制労働をさせるように』と。その際、なるべく戦争の被害を受けた町や村にしてください。もちろん、悪さをしないよう、『誓約の腕輪』を付けておくことをお勧めします」
『了解致しました。すぐに我々がこの者たちを王都へ引き連れ、必ず伝えましょう』
「ありがとうございます。それでは、よろしくお願いします」
『お任せください』
そう言うと、騎士たちは男たちを引き連れ、王都へと向かった。
「……ともあれ、おそらくこれで大丈夫でしょう」
『本当に、なんとお礼を言えばいいか……』
「お礼は大丈夫ですよ。ボクはただ、ここを見かけただけですので」
『ですが……』
「それでは、今からそうですね……九ヵ月後くらいにでもお願いします」
『九ヵ月、ですか?』
「はい。おそらく、その時期にまたボクが来ますから。今度は、ここで誘拐されたという子を連れて」
『そう、ですか? わかりました。再びこちらに立ち寄った際は、是非、お礼をさせてください』
「ふふっ、ありがとうございます。では、ボクはこの辺りで」
『ありがとうございました』
最後ににこっと、微笑みを浮かべて、依桜はメネス村を去った。
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