第381話 初教師

 一時間目。

 最初の科目は国語。

 題材は、ごんぎつね。

 覚えている人がほとんどだと思う国語の題材。


 あれって、なかなかに話が暗いからね。多分、当時苦手だった人も多いんじゃないかな? なにせ、悲しい終わり方をするんだもん。


 簡単な概要を言えば、ごんと呼ばれる狐が、村の人達にいたずらをするところから始まって、その途中で兵十という男の人が釣ったウナギを逃がすといういたずらをしてしまう。

 その後、兵十の家では葬式が開かれていて、あのウナギが亡くなってしまった兵十の母親のために釣ったものだと知り、せめてもの償いにと食べ物を置くようになった、というのが基本的なお話だね。


 最後はまあ、いたずらをしに来たと勘違いされて、火縄銃で撃たれて死んじゃうんだよね……。

 ちいちゃんのかげおくりと同じレベルで暗いもん。


 ちなみに、先週からすでにごんぎつねはある程度やっていたそうで、今日は中盤あたりに入ります。


「えーっと、じゃあまずは、この時、兵十のお母さんが亡くなって、お葬式を見た時のごんの気持ちを考えてみようか」


 教師なんてしたことがないから、上手くできるかわからないけど、まずはそこから始めてみよう。


「じゃあ、三分上げるから、ノートに書いてみて。始め!」


 そう言うと、みんなが一斉にノートに書き始めた。

 中にはうんうん悩んでいる子もいるけど、大体は書けてる、のかな。


 正直、三分って少ないかなって思ったけど、これなら問題なさそう。

 まあ、気持ちを考えるだけだからね。


 とりあえず、様子見していると、三分経った。


「そこまで。それじゃあ、二人くらいに発表してもらおうかな。発表したい子はいるかな?」


 と、ボクが尋ねると、さっきの質問コーナーのように、多くの手が上がる。


「えーっとじゃあ……駒井君」

『はい! 悲しんだと思います!』

「どうして?」

『だって、いたずらをしていた人のお母さんが死んじゃってたんだもん』

「なるほど。うん、いいと思うよ。国語に正解はないからね」


 正解がある国語なんて聞いたことないけどね。

 あるとすれば、漢字くらいかな?


「じゃあ、次の人は……浅野さん」

『後悔したと思います』

「どうしてかな?」

『あの時いたずらしてなかったら、お母さんは死んでなかったと思うから』

「いい答えだね。そう言う考えをするのは大事だよ」


 過去にああしておけばよかった、と考えることは、次にそう言った失敗を犯さないためになるからね。

 ボクだって、そういう経験はあるもん。


「二人が発表してくれたように、この時のごんの気持ちは、悲しかったり、後悔したり、というのが強いかな。もしかすると、個人によっては『喜んだ』とか、『嬉しかった』とか思う人もいるかもしれないけどね」

『ひどーい』

『せんせー、そう言う人いるの?』

「いると思うな。国語は自由なものだから、その人個人に、その人の価値観があるから。例えば……のお話をしようと思ったけど、それは次のところでしよっか。じゃあ、この時のごんの気持ちをまとめると、『兵十のお母さんのために獲っていたウナギを逃がしたことで、お母さんが死んでしまったと思い、ごんは悲しんだ。もしくは、後悔した』です。これに似たものなら、別の言葉に置き換えても大丈夫だからね。落ち込んだとかかな?」


 他にも色々あるかもしれないけど、みんなはまだ小学生だから、難しい言葉で言うわけにはいかないからね。


 まずは、簡単なところからじゃないと。


「それじゃあ、次に行こう。さっきの例え話の続きで、ここでごんはイワシを盗み、それを兵十の家に投げ入れます。だけど、兵十は盗んだと勘違いされ、懲らしめられてしまいます。さあ、みんなはごんの行動について、いいことだと思う? 悪いことだと思う? まずは、ボクが尋ねるから、どちらかに手を挙げてね。じゃあ、悪いことだと思う人」


 そう尋ねると、ほぼ全員の子が手を挙げた。

 うんうん。まあ、大体はそうだよね。


「じゃあ、いいことだと思う人」


 反対に、こちらに手を挙げたのは、本当に一部の子たち。

 このクラスは、三十二人。

 その内、六人がいい方に挙げている。

 なるほど。


「じゃあ、まずは悪いことに手上げた人たちに訊こうかな。どうして、悪いことだと思うの?」

『だって泥棒だもん!』

『盗んじゃダメってお父さんたちが言ってた!』

『常識だよ』

「うん、そうだね。盗みはいけない。それは、当たり前のことだからね。じゃあ反対に、いいことだと思った人は、どうしてそう思ったの?」

『死んじゃったのを反省してるからだもん』

『ゴンは人じゃないから』

『兵十を助けようとしてたから』


 まあ、そう言う考えになるよね。

 概ね、予想通りかな。


「両方とも、いい答えです。じゃあ、先生の考えを言おうかな。この時のごんの行動は、悪いともとれるし、いいともとれるの」

『えー、でも、盗んだじゃん』

『盗むのはいいことなの?』

「それはもちろん、悪いことだよ。でもね、今までいたずらばかりだったごんが、今度はいたずら目的ではなく、誰かの為に何かをしようと行動したと思えば、いいことになるでしょ? ただ、そのための行動が悪かったから、悪く見えてしまうだけで、本当はいいことをしようとしたんじゃないかなって」

『むー、せんせー、ちょっと難しー』


 ボクの考えを聞いて、子供たちはちょっと難しそうな顔をする。

 うーん、失敗。


「あー、そっか。ごめんね。じゃあ、わかりやすく言おっか。そうだね……じゃあ、先生が考えたお話をするね。ある所に、お父さんやお母さんがいなくて、住む場所もない一人の男の子がいました。男の子は、街を歩く人たちの財布を盗む、スリをしていました。ある日、一人の男の人が、その男の子に財布を盗まれて、男の子を追いかけます。途中で逃げられちゃって、当てもなく探していると、男の子をとある路地で見つけました。怒ろうと思って、男の子に近づくと、そこにはボロボロになった男の子よりも小さな女の子がいました。実はその男の子は、その女の子に食べ物を食べさせるために、財布を盗んでいたのです。と、こんなお話。大体ごんがしている行動とほとんど同じなんだけど、どう思った?」


 そう訊くと、さっきまで難しい顔をしていた子たちの顔が、そうではなくなっていた。

 あ、見たところ、大丈夫だったみたいだね。


『助けるためだったら、いい、と思えました』

『うーん、ごんが悪いことをしていたって思えない……』

「そっか。そうやって柔軟な考えになるのはいいこと。だけど、間違っても誰かのためとはいえ、盗みはダメだからね? 先生、誰かの為なら悪いことをしてもいい、とは言わないからね? 絶対ダメだよ?」


 と、念を押しながら言うと、クラスの子たちがみんなが笑う。


「ともあれ、ここから学べるのは、誰かの為に何かをするのはいいことだけど、それをするための手段を間違えちゃいけないよ、っていうことだね。もしちゃんとした手段でやるのなら、この後ごんがしたように、山から採ってきたものを置いておくのがいいね。言ってしまえば、悪いことで助けるんじゃなくて、いいことで助けようね、ということです」


 そう締め括ると、子供たちがわかった言わんばかりに、こくりと頷く。

 うー、やっぱり難しいよ、先生は。


「それじゃあ、ここまでで質問はあるかな?」

『はい!』

「太田君」

『えっと、その男の子ってどうなったんですか?』


 あ、そっち?


「この後、男の子は男の人に怒られるんだけど、その人の助けで働き口を見つけるの。しかも、働く場所に住みながらね。それで、男の子と女の子は真面目に生きているよ」

『じゃあ、ハッピーエンドなんだね!』

「うん、そうだよ」


 まあ、この話自体、ボクの実体験なんだけどね。


 さっき言った男の人と言うのはボクです。


 向こうに行って、三年目だったかな?


 各地を回っている時に、とある街でスリに遭っちゃって、それでその時の男の子を追いかけたんだけど、地の利で負けて、逃げ切られちゃったんだけど、何とか見つけて、それで男の子を事情を知って、ボクがまあ各地に回った時に知り合った人に働き口を紹介してもらった、というところです。


 この時『気配感知』とかが、疲れの影響で上手くできなかったから大変だったよ。


 まあでも、今思えば、あの時できなくてよかったなって思ってるかな。

 そうじゃないと、あの事情を知ることもなかったし。


 あ、スリで盗ったお金に関しては、一応ボクが立て替えました。


 所持金で足りてよかったよ。


 今は元気に暮らしてるかな。


「さて、そろそろ教科書に戻るね――」


 そんな感じに、ちょっとつっかえたりしつつも、何とか授業を進めました。



「――じゃあ、これで終わりにします」

『起立! 礼!』

『『『ありがとうございました!』』』

「うん。じゃあ、次の授業にね」


 そう言うと、クラスのみんなは思い思いに休み時間を過ごしだした。


「ふぅ……」


 最初の授業が終わり、ちょっと一息。


「お疲れ様です、男女先生」

「あ、柊先生。えと、どうでした?」

「そうねぇ……まだまだ拙い所もあるけど、なかなか良かったと思いますよ。というか、私が初めて授業をした時に比べて全然よかったですし」

「そ、そうですか? それならよかったです。ちょっと無駄話をしすぎじゃったかなって心配になったんですけど……」

「いえいえ、むしろわかりやすくてよかったですよ。途中、なんだか道徳の授業をやっている気分でしたけどね」

「す、すみません……」

「謝らなくてもいいですよ。ああ言うのでもいいと思いますよ。それに、柔軟な思考を与える授業と言うのもすごいですしね。特に、あんなに具体的なお話ができるなんて、すごいですよ」

「あ、あはは」


 だって、実体験だもん。

 それなりに具体的な話ができたつもりです。


「でも、なんだか似合いますね、男女先生は」

「そうですか?」

「はい。正直な話、小学校の先生に向いてるんじゃないかな? って最初から思っちゃいましたし」

「うーん、学園の方でも、初等部の先生に言われたんですよ、向いてるって」

「あら、そうなんですね。どういったきっかけで?」

「えっと、球技大会の準備中に、ちょっと……いじめられている男の子を見かけまして、いじめていた人をお説教したこと、ですね」

「そんなことしたんですか?」

「はい。さすがに、見過ごすことはできませんでしたし、止めないとちょっと危ないかもと思ったので」


 いじめ、ダメ、絶対。


 何気なくやっていることでも、やられている側はかなり思いつめちゃって、自殺しちゃう人だっているんだからね。


「男女先生って、本当に高校生なんですか?」

「高校生ですよ。ちゃんと。でも、なんでそんな事を思ったんですか?」


 柊先生、ちょっと鋭いような……。


「うーん、なんだか男女先生って人生経験豊富に見えるので、なんとなくですね。さっきのお話だって、微妙に作り話に思えなかったというか……それに、その先の辺りの部分で出したたとえ話も、実感がこもっていたような気がしたので」

「そ、そうですか? ボクは単純に思いついたことを話しただけ、ですよ」

「……それもそうですね。第一、日本で男女先生が話したようなことが起こるわけないですもんね」


 ふっと笑って、柊先生がそう言う風に納得した。


 ……ボクの周りにいる人って、鋭い人が多いような気がするんだけど……。

 それとも、単純にボクが素直すぎるだけなのかな……?

 どうなんだろう。


『依桜せんせー! お話ししよー!』

「あ、うん。えっとじゃあ、ちょっと行ってきますね」

「はい。是非仲良くなって上げてくださいね、みんなと」

「もちろんです! それでは」


 そう区切って、ボクは呼ばれた方へと歩いて行った。

 幸先はいいかも。

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