第272話 五月一日:メイド喫茶『白百合亭』 上
「えっと……ここ、かな?」
八時五十分頃、女委が指定したお店に到着。
見た感じ、小さなお屋敷、みたいな印象を受ける建物。
お店の看板を見ると、『白百合亭』って書かれているから、間違いないはず。
……本当に、駅から近かったんだけど。
しかも、歩いて数分の位置にあったんだけど。え、十六年住んでて、初めて知ったんだけど、このお店。
あ、と、とりあえず、中に入ろう。
たしか、裏口から入ってきて、とか言われたよね?
「お、お邪魔しまーす……」
なんて言葉を言いながら、ボクは裏口からお店に入った。
「お、依桜君いらっしゃい! ささ、こっち来てこっち来て!」
「う、うん」
よかった。入ってすぐ、女委に会えたよ。
とりあえず、女委に促されるままに、中へと入っていく。
案内されたのは、休憩室。
なんだか、別の部屋から物音が聞こえてくるけど、今は開店前の準備をしているのだとか。
従業員もそれなりにいて、正社員の人もいれば、学生のアルバイトの人もいるそう。
ボクは臨時のバイトです。
「いやぁ、今日はありがとね」
「いいよ。女委も困ってたみたいだし、何より友達だしね。一日お店を手伝うくらいなら、問題ないよ」
「さすが天使……」
「え、て、天使?」
何言ってるんだろう、女委。
「まあ、それはいいとしてね。それで、今日やってもらう依桜君のお仕事を、改めて説明するね」
「あ、うん」
「まず、依桜君は普通に接客をお願いします。注文を受けたり、席に案内したりとか、そんな感じね。あ、もちろん、料理も運んでね!」
「うん」
「それで、ここはメイド喫茶だからね。入店して来たお客さんには『お帰りなさいませ、ご主人様』ね」
「あ、やっぱりそうなんだね」
「うん。そうなんだよ。で、まあ、できれば敬語で、ちょっと可愛い感じの声で、ずっと微笑みを浮かべてもらうと、パーフェクト!」
「可愛い感じの声って言うと……こんな感じかな?」
「おぉ! そうそう! そういう、甘い声がいいよ!」
試しに、声をちょっと変えてみた。
変声は、暗殺者に必須のスキルだ! とか何とか言われて、師匠にこの技術を身に付けさせられた。
普段から出してる声を、ちょっとだけアニメなどに出てくる、可愛い声のキャラクターをイメージしてみたんだけど、結構よかったみたい。
意外と、暗殺者時代の技術が役に立ってるね。これ。
うーん、師匠が教えてくれた技術、侮れない……。
「まあ、依桜君の場合、素の声が可愛いし綺麗だから、別に変えなくてもいいと思うけどね」
「あ、そうなの? じゃあ、普段通りでいいかな?」
「お任せするよ! わたし的には、変えた声の方が可愛くて好きだよ」
「……じゃあ、今日は変えた状態で接客するよ」
「およ? 無理しなくてもいいんだよ?」
「大丈夫。声を変えるのは慣れてるからね。そ、それに……」
好きって言われたし……。
知らない人から言われるならまだしも、女委のように、普段から一緒にいる時間が長い人に言われると、すごく嬉しい。
「ん? 依桜君、顔が真っ赤だよ? 風邪かい?」
「あ、う、ううん! 大丈夫! そ、それで、えっと、仕事内容はそれだけでいいのかな?」
「うん、そうだね。まあ、万が一厨房の手が足りなくなったら、お願いしたいな。一応レシピも貼ってあるから、安心してね」
「うん、わかった」
「あと確認することは……ないかな? んで、依桜君、何か質問はあるかな?」
「えっと、衣装なんだけど……」
「おっと、そうだった。ちなみに、ミニスカート系か、ヴィクトリア系、どっちがいい?」
「違いは何?」
「ミニスカート系は、単純によくあるメイド喫茶の衣装かな? あとはほら、アニメとかでよく見かけるような、コスプレみたいなやつ。で、ヴィクトリア系は、ロングスカートだね。たしか、ふくらはぎくらいまであるやつ。全体的に露出が少ないメイド服だよ」
なるほど……。
去年の学園祭で着たのが、ミニスカート系だったよね。
多分、あんな感じだと思うから……。
「それなら、ヴィクトリア系でお願いします」
個人的には、露出が少ない衣装の方がいいです。
「ん、了解! 依桜君のスリーサイズに合わせた衣装もあるから、安心してね」
「うん」
スリーサイズは、まあ、四月頭にあった健康診断で知ったんだろうね。
女委のことだし、メモしてそう。
「ほい、じゃあ更衣室に行こう!」
「うん」
というわけで、更衣室に来ました。
ちょっと広めの部屋で、ロッカーがそれなりの数ある。
各ロッカーには、名前シールが貼ってあって、誰がどのロッカーを使うのか、すぐにわかるようになっている。
……まあ、ボクはここの従業員の人を見たことがないんだけど。
「依桜君は、あそこのロッカーを使ってねー」
「あ、うん。ありがとう」
女委に指定されたロッカーの前へ行くと、そこのロッカーには、
『新人メイド 桜ちゃん』
って書いてあった。
………………。
「……女委。これって……」
「ああ、気にしないでねー。別に、今後も手伝ってもらおうかなー、とか考えてないからー」
嘘だよ。絶対考えてるよ。
……まあ、別に困ってるようだったら手伝ってもいいけど。
「でも、なんで桜?」
「いやほら、メイド喫茶の娘って、そこ専用のあだ名とか、源氏名があってね。まあ、それだよ。さすがに、本名でやったら、色々と問題になりそうだしねぇ。ストーカーとか出そうだし」
「な、なるほど……」
「それに、依桜君の場合、本名バレは色々とまずいからねぇ。以前ほどじゃないけど、まだ依桜君を探し回ってる事務所とかもあるみたいだし」
「え、そうなの?」
「そだよー。わたし、情報収集は得意だから! っと、まあ、そんなわけです。あ、はいこれ、衣装」
「あ、ありがとう」
「着替えたら言ってねー。わたしも、着替えてるから」
「うん」
女委って、普段の姿こそあれだけど、こういう時はちゃんとしてるんだよね。
できれば、普段からその調子だといいんだけどなぁ、女委は。
とりあえず、ボクも着替えよう。
「女委、着替え終わったよ」
「お、了解! どれどれ……おぉ、似合うなぁ、依桜君」
「そ、そうかな?」
「うんうん! とっても可愛いですぜ! 依桜君の清楚でピュアな雰囲気には、やっぱりこういう落ち着いた方が似合うねぇ」
「あ、ありがとう……」
あぅぅ、褒められるのは嬉しいけど、なんだか顔が熱いよぉ……。
どうにも、褒められるのは慣れない……。
「さてさて、とりあえず、接客の練習なんだけど……まあ、さっき言ったように『お帰りなさいませ、ご主人様』と、『いってらっしゃいませ。また来てくださいね、ご主人様』の二つくらいなので、まあ、大丈夫だよね!」
「えっと、とりあえず、それだけ、なのかな?」
「んー、あとは、オムライスにケチャップで文字を書いたりするんだけど、まあ、その辺りは、お客さんがリクエストしてくるから問題なしだよー。あとはあれだね。魔法の呪文的なあれ。ほら、よくあるでしょ? 『おいしくな~れ』みたいな」
「あ、う、うん。あるね。えっと、もしかして、ここもそれがあったり……?」
「うむ。と言っても、『おいしくな~れ、もえもえきゅ~ん』くらいのあれだから」
「ふぇ!?」
は、恥ずかしい! さすがに、そのセリフは恥ずかしいよぉ!
「え、えと、それは言わないとダメ……?」
「まあ、頼まれたら?」
「うぅ……」
た、頼まれたら、やらないといけないんだ……。
ボクの生涯において、一番恥ずかしいセリフかもしれないよぉ……。
「あとはあれだね。依桜君にやってもらいたいことがあるんだけど……いい?」
「やってもらいたいこと……? ま、まあ、ボクにできることなら、別にいいけど……」
これ以上、ボクに何をやらせようと言うんだろう?
「いやね、このお店では、お客さんの目の前で、ライブクッキング的なことをするんだけど、今はフルーツ盛り合わせでね。今だと……イチゴ、マンゴー、キウイ、グレープフルーツ、メロンがあります」
「な、なるほど」
「それでね、まあ、目の前で切ったりするだけのシュールな絵面になるわけです。で、依桜君に頼みたいのは……派手に、これらを切ってほしいなと」
「それはあれかな。ボクのナイフの技術を使って、切ってほしい、ってこと?」
「Yes! できるかな? できれば、空中に投げて、それを切って落ちたところを綺麗にお皿に盛る、みたいな、グルメ漫画とかによくあるようなことをしてほしいなと。できる?」
「ま、まあ……その辺りも、一通り師匠に仕込まれてるし、できるよ?」
師匠が言うには、
『暗殺者は、ターゲットに気取られないよう近づかないといけない。なので、時としてなんらかの芸に秀でていた方がいい。お前の場合は料理がいいので、それにちなんだことをすればいいだろ』
って。
だから、今女委が言ったことも、当時やってました。
なんとなく、漫画の内容を思い出してやっただけだけどね。
まさか、それも活きるとは思わなかったけど。
「マジで!? さ、さすがミオさんだぜぇ……。ま、まあ、注文が入ったらお願いしたいなと」
「うん。わかったよ、それくらいな任せて」
「ありがとう、依桜君!」
恥ずかしいことをさせられるわけじゃないしね。
ボクの持つ技術が活かせるなら、全然いいよ。
「あ、それから、来店したお客さんにさっきの言葉を言うときは、両手を腹部の方で重ねて、笑顔でね」
「うん、了解です」
「それじゃあ、従業員のみんなに会わせないとね。着いてきてー」
「うん」
どんな人たちなんだろう?
「というわけで、体調を崩した愛ちゃんの代わりに入ってくれた、わたしの友達の」
「桜です。よろしくお願いします」
と、微笑みを浮かべながら、挨拶。
集まってもらった女の子たちは、合計で九人ほど。
可愛いし、綺麗な人たちばかり。
さ、さすがというかなんと言うか……女委、その辺りは絶対に手を抜かないよね。
『『『( ゜д゜)』』』
あ、あれ? なんか、みんなポカーンとしちゃったんだけど……。
ど、どうしたんだろう? 妙に、顔も赤いような気がするし……。
「あ、あの……」
「もしかして、桜ちゃんが可愛すぎて、見惚れちゃってるのかなー?」
「さ、さすがにそれはない、と思うけど……」
「いやいや、いつも言ってるけど、桜ちゃん可愛いしねぇ」
「そ、そんなことは……なぃ…ょ……」
『『『ぐはっ!』』』
え、なんか今度は、胸を押さえて悶え始めたんだけど……。
だ、大丈夫なのかな? どこか、痛いところでもあるのかな?
「まあ、まずは、交流だよね。えーっと、桜ちゃんに質問がある人」
と、女委がそう言うと、一斉に手が上がった。
「はい、舞衣ちゃん」
「えっと、桜ちゃんってもしかして……白銀の女神、って呼ばれてたりします?」
い、いきなりその質問ですか……。
この調子だと、相当広まってるよね、そのあだ名……。
「あ、あはははは……なぜか、そう言われます……」
最早、苦笑いするしかないです。
なんというか、ちょっと慣れ始めている自分がいます。
……慣れちゃいけないと思うんだけどね。
と、ボクが肯定したら、
『『『きゃーーーーー!』』』
「ひゃぁっ!?」
いきなり、黄色い悲鳴を上げだして、ボクはびっくりして小さな悲鳴が出てしまった。
「ほ、本物!?」
「ま、まさか、本物に会えるなんて……!」
「テレビや雑誌で見るより、全然可愛いし綺麗……」
「ど、どうしよう。胸がドキドキする……!」
「か、可愛すぎるぅ!」
「一度でいいから会ってみたいと思ったけど、ま、まさか、本当に会える日が来るなんて……」
う、うん?
なんだか、みんなボクに好意的というか……すごく嬉しそうにしてる気がするんだけど……ど、どうしたんだろう?
も、もしかして、ちゃんと代わりが入ってくれたから安心して嬉しい、とか?
……その割には、なぜかボクを見て、顔を赤くしてるけど……。
「て、店長! 店長が、白銀の女神とお友達って、本当ですか!」
「うん。だってわたし、中学生の頃からの友達だもん」
「なにそれずるい!」
「どうして今まで教えてくれなかったんですか!」
「えー? だって、訊かれなかったしぃ?」
「嘘です! 絶対、自分だけで楽しんでたはずです!」
「まあ、否定はしないね!」
「じゃ、じゃあ、『Cutie&Cool』で、一緒に写っていたあの金髪のイケメンは!?」
「ああ、うん。友達だよ。中学生の頃からの。というかあの人、桜ちゃんの幼馴染だよ?」
「なんっ……だとっ……?」
え、えーっと……これは、どういう状況なの?
あと、ボクはどう反応すればいいの?
なんだか、開店前からすでに、先行き不安なんだけど……大丈夫なのかな、このお店。
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