第210話 マラソン大会 下

『それでは、準備運動も終わったので、それぞれスタート地点に立ってください』


 軽く準備運動を終えた後、スタート地点に集まるよう、指示が出された。

 ボクたちは一番後ろの方に立っていたんだけど……


「なんだ、一番後ろか。ふむ……つまり、全員をごぼう抜きする、と?」


 ボクたちのところに師匠が来た。というより、ボクの真横に。


「そ、そういうわけじゃ……」


 そもそも、ボクは普通にマラソン大会をしたいだけなんだけど……。


「だがまあ、たしかに最後尾からやるのはいいな。どれくらいで全員を抜かしきるか。ふむ。まあいいだろう、許す」

「あ、ありがとうございます……?」


 お礼を言うべきなのか、そうじゃないのか……。

 どう反応していいのやら……。


「ああ、そうだ。タイト」

「お、オレっすか?」

「ああ。お前は、そうだな……20位以内」

「は?」

「だから、20位以内でゴールしろ」

「む、無理っす!」

「無理じゃねえ、やれ」

「いや、だからですね」

「やれ」

「……はい」


 態徒、どんまい。

 正直、師匠に笑顔で命令されるのって、本当に怖いんだよね……。

 何と言うか、逆らえない圧力と言うかなんというか……。


「態徒、頑張れ」


 と、晶が苦笑いしながら、態徒に応援すると、


「お前は、50位以内だ」

「え!?」

「二人とも、頑張って」


 未果がそう言えば、


「お前は、70位以内」

「なんで!?」

「にゃははー、みんな大変だねぇ」


 楽しそうに女委が言えば、


「お前は、100位以内な」

「なにゆえ!?」


 こんな風に、みんなゴールする時の順位を指示されてしまった。


 ……なんか、うちの師匠が、すみません……。

 心の中で謝らずにはいられなかった。


「……オレ、依桜の大変さが少しは理解できたわ」

「……私も」

「……俺も」

「……わたしも」


 みんな、どんよりとしていた。


 この学園のマラソン大会は、よほどの事情か、怪我などがない限り参加するようになっている。


 ちなみに、今年のマラソン大会は、全員参加。

 三年生は自由参加なのだけど、最後のマラソン大会、ということで、基本全員参加している。


 ただ、例年は参加しない人がそこそこいるんだけど、今年は全員参加しているとか。


 行事に熱心だね。


 まあ、それはさておき。


 みんなが順位を指定されてどんよりしているのは、単純にその順位に入るのが難しいから。


 さっき言ったように、今年のマラソン大会は全員参加している。

 一学年280人で、それを×3した人数。つまり、840人参加しているわけで……。

 しかも、この学園は部活動が盛んで、全生徒数の約四割が運動部。

 中には、県大会以上の常連の生徒もいる。


 ボクたちは運動部じゃなくて、帰宅部。


 みんな運動は得意だけど、本職じゃないので、本職の人たちには及ばない。

 晶と態徒の二人は、運動神経がいいからもしかすると、って感じだけど。

 未果はともかく、女委は運動神経はいい方だと思うけど、かなりのインドア派だから、正直、100位以内は難しいんじゃないかな……。


「それじゃ、そろそろ始まるみたいだし、準備するぞ。いいか、あたしが指示した順位以内にゴールできなかったら……あたしの、特別授業だ」

「「「「!?」」」」

「ちなみに、授業内容は、秘密だ。ただ、一週間で、あたしと依桜を除いて、この世界で最速になれる、とだけ言っておこう」

「頑張るわよ!」

「「「おー!」」」


 みんなのやる気がMAXになった。

 うん。今のは確かに、そうなるね。

 ……一週間で、この世界で最速になるレベルの特別授業って……何するんだろう?

 かなり気になるけど……絶対に碌なものじゃないよね。

 ボク、似たようなことをさせられた記憶があるもん。


『それでは、スタートします! 位置について、よーい……』


 パァン!


 体育祭で何度も聞いたスターターピストルが、快晴の空に響き渡り、マラソン大会がスタートした。



 スタートと同時に、全校生徒が走り出す。


 こう言った行事は、何事も序盤が肝心になってくるものだ。


 上位入賞を狙う生徒たちは、序盤でそれなりにスピードを出して走り出す。ただし、飛ばしすぎず、適度にだ。


 逆に、それに追いつこうと必死になる生徒は、本気で走っているようなものなので、すぐに先頭集団から置いて行かれる結果となる。


 それ以外は、適度に走る、と言う考えだ。


 逆に、あまりやる気がない生徒がいるのも事実。


 そう言った生徒は、ほぼ歩きに近い走りをしていたり、そもそも歩いていたりする。

 ただ、あまりにも遅いと、追想させられる羽目になるので、なんだかんだで、中盤辺りから走り出したりする。


 この集団の中には、当然教師もいる。


 小和杉、獅子野、小林の三人が集団に交じって走っているが、一向にペースが乱れることはない。


 位置的には、集団の真ん中から少し先と言ったところだろう。

 ただ、その中にミオの姿はない。


 理由はもちろん……


「ほう、レベルの低い世界のガキどもだからと思っていたが……なかなかに見所があるガキもいるじゃないか」

「し、師匠、変なことしないでくださいね……?」


 一番後ろにいるからだ。


 ただし、一番後ろにいるのは、依桜とミオの二人だけだ。


 他の四人は、ミオにゴールする順位を指定されてしまったので、さすがに最後尾じゃ無理! ということで、先に行った。


 そのため、現在は二人で走っている、と言うわけだ。


 二人は、そこそこのスピードで走っているが、一向に息は乱れないし、汗もかいていない。


 開始からほとんど時間も経っていないし、距離自体もそんなに進んだわけじゃないが、それでも汗一つかかない、息も乱れない、さらには、平然と会話をしているのは、他の生徒からしたら異常に見えるだろう。


 そうでなくても、この二人はかなり目を引くはずだ。


 というのも……


『ぐっ、ま、まさか、一番後ろにいるなんてっ……』

『な、なんだあれ、新しい生物兵器か……?』

『ゆ、揺れてる……ものすげえ揺れてる……』

『直視はダメだっ、絶対死ぬ……!』


 依桜とミオの胸が揺れていたからだ。


 ここで言っておくのだが、ミオはスタイルがいい。

 メリハリのあるスタイルで、モデルなんか目じゃないくらいのプロポーションを持っている。


 ちなみに、割と胸が大きい。


 叡董学園で、一番の巨乳の持ち主は、ご存知の通り、依桜。その次に、女委が来て、希美となる。


 上から順に、HよりのG、F、Eとなっているのだが、ミオは希美と同じサイズだ。


 つまり、なんだかんだで、巨乳である。


 男だったはずの弟子に胸の大きさは抜かされているが。


 と、そんなわけで、二人の胸は大きいわけで、走れば当然、揺れる。

 それこそ、サラシでもしない限りは難しいだろう。

 もっとも、サラシで潰せるのは、Dくらいまでらしいのだが。


「しかしまあ、視線が多いものだな」

「そうですね。やっぱり、疲れが一切ないように見えるからでしょうか?」

「……お前の純粋さって、マジすごいよな」

「純粋?」

「いや、なんでもない」


 ミオの発言には、小首をかしげるだけのイオ。

 天然、ピュア、天然系エロ娘と、三拍子そろったわけのわからない美少女である。

 本当に男だったのか、と思われるような属性ばかりだ。



「はぁっ、はぁっ……ま、まさか、とんでもない順位になるよう、言われる、とは、な……」

「だ、だなっ……くそぅ、ミオ先生、マジで、鬼、だ……」

「ほんっと、依桜のすごさ、が、わかる、わ……!」

「ふ、ふふ、ふへへへ……む、胸がっ……」


 先頭集団にいる四人。


 みれば、かなり息が上がっている。


 特に女委が一番酷い。


 まあ、当然と言えば当然だろう。

 あのメンバーの中で、一番運動が苦手なのは、間違いなく女委だからだ。握力は別だが。

 その運動が苦手な女委、すでにへろへろだ。


 だが、もしここで100位以内に入れなかった場合、確実に死ぬ。


 一週間も、地獄の特別授業なんてやろうものなら、確実に死んでしまいかねない。

 そう思っている女委は、必死に走っている、と言うわけだ。


 現在、四人がいる位置は、割と先頭の方。


 おそらく、三十番目辺りだろう。


 いくら運動部に所属していないとはいえ、なかなかの高順位だ。

 女委のみ、死にそうだが。


 しかし、そこはどこかのオタク御用達イベントに参加するだけあって、体力はある方。死にかけている、とは言っても体力が尽きていたら、追いかけることはできないだろう。


 それに、ミオはできないことをやらせるような人間ではない。いや、そもそも普通の人間じゃないが。


 一応、ミオはできると思ったから、順位を指定したわけだ。


 と言っても、ミオができると判断した順位は、本気でやって追いつける順位、と言うわけだが。


 つまり、態徒は本気で走れば20位以内でゴールできる。というわけだ。裏を返せば、本気を出さなければ、指定された順位以内に入ることは不可能、と言うことになるのだが。


「そ、そういやっ……、い、依桜たち、は、どうしたん、だろうな……?」

「後ろ、から、一位を、狙う、って、言ってた、けどっ?」


 走りながら、態徒が依桜たちがどうしているか、と言うことを口にしたが、未果が反応する。

 実際、未果が言ったように、最後尾からトップを狙う、と言うことになっている。


 まあ、仕方ない。


 最初から本気で行こうものなら、怪しまれることになるからだ。


 なにせ、あの二人は異常なほどに速い。


 そもそも、向こうの世界で最強と称されるほどの人間と、その次に強いとされる人間なので、たった20キロ程度の距離では、大した修業にもならないし、ちょっとした運動程度にしかならない。


 そうして、ミオが定めたのは、開始から十分後にスピードを上げて1位を狙いに行く、と言うものだ。


 それを知らない先頭集団たちは、1位を取ろうと躍起になっているが。


「ま、まあ、普通にっ、ゴールできれば、いい、と思うぞ」

「ふへぇ、ふっへぇへへ……」


 女委は本当に死にそうだった。



 さて、開始から十分後の最後尾。


「ふむ。十分経ったな。よし、イオ。行くぞ」

「わ、わかりました」


 その瞬間、依桜とミオの二人は、ギアを上げた。


 さっきまでは、最後尾にいる生徒たちに合わせたスピードで走っていたが、十分経ったことで、先頭を走っている人よりも速く走り出したのだ。


 それはもう、最後尾にいたとは思えないスピードだ。


 そして、スピードが速くなると言うことは……


『『『ぶはっ!?』』』


 依桜、ミオ二名の胸が大きく揺れることになるわけで……凶悪すぎる揺れを見た結果、男たちは、鼻血を噴き出してぶっ倒れた。


 それから、スピードを一切緩めず、かなりの速度で走る二人。


 その速度はかなり速い。


 しかし、その姿が見えないわけではなく……さきほど、鼻血を噴き出して倒れた男たちと同じように、鼻血を噴き出して倒れる者が続出。


 依桜とミオはそんなこと、まったく知らずに走り続ける。



 そうして、どんどん走っていくと、気が付けば二人の後ろには、血溜まりに沈む男たちが大量生産されていた。


 死屍累々である。


 少なくとも、依桜とミオの後ろにいる男たちは全滅だろう。

 女子の方は、被害がない。


 その代わり、


『は、速ーい……』

『依桜ちゃんとミオ先生、すっごいなぁ』

『かっこいい……』


 二人の走る姿に、見惚れる者が続出。


 この学園、どういうわけか、同性愛に走りそうな生徒が多い。というか、走っている生徒が多い。ちなみに、女子限定で。


 男子の方に同性愛者はいない……と言いたいのだが、穂茂崎という教師は同性愛者だ。

 男の娘だった時代の依桜を狙っていたという、とんでも教師である。


 まあ、それはそれとして。


 依桜とミオの二人は、いろんな意味で甚大な被害をもたらしていた。

 もちろん、本人たちに悪気があるわけじゃない。むしろ、不可抗力だ。


 なにせ、ただ走っているだけで、死ぬのだから。

 これを見ていると、水泳の授業や臨海学校ではどうなるかわかったものじゃない。


 もしかすると、本当に死人が出るかもしれない。



 さらに時間は経過。


 気が付けば、依桜とミオの二人は中間地点を突破していた。

 無意識の男殺しは絶好調、フルスロットルだが。

 現在も、死体を築き上げていっている。

 そうして、気が付けば二人は五十番目くらいにいた。


「あ、師匠、みんなが見えてきました」


 息切れ一つなく、汗もかいていない依桜が、前方に四人がいるのを確認する。


「そうだな。しかしまあ、意外といい順位に行きそうだな、あいつらは」


 態徒以外は、割と低め(ミオの中では)で指定したはずだったのだが、思いのほか奮闘しているとあって、ミオも感心していた。


 そして思った、


(もう少し、厳しめでもよかったか)


 と。


 悪魔である。


 あれ以上の順位でゴールしろというのだから、本当にミオは悪魔だ。

 むしろ、一番魔王らしいかもしれない。


「頑張ってるな、お前たち」


 そうして、気が付けば四人に追いついていた。


「ま、マジ、か、全然、つかれ、てねぇ……」

「鍛え方が違うからな。ほれ、お前たちも頑張れ。順位をキープしろ」

「さ、さすがに、しんどいっ……!」

「あ、ああっ……」

「あひゃひゃひゃ……!」

「し、師匠、女委が壊れちゃってます!」

「大丈夫だ。少なくとも走れているから問題なしだ」

「いやありますよ!?」


 完全に壊れてきている女委を見て、依桜がミオに焦ったように言うも、すぐさま大丈夫だと切り捨てられた。

 もちろん、抗議。


「仕方ない。おい、依桜。何かこう、ご褒美になるような物を、言ってやれ」

「ご、ご褒美? え、えっと……女委、無事にゴールできたら、えっと……ひ、膝枕してあげる!」

「――シャアッ! わたしは、ウサイン・ボルトになるぞーーーーー!」


 いきなりテンションを爆発させ、女委はさっきまでのぶっ壊れ状態は何だったんだ、とばかりに走り出した。


 爆走。


「し、下心ってのは、すごい、わね……あ、い、依桜、私、も、膝枕をお願いしても、いいかしらっ?」

「い、いいけど」


 未果が依桜に膝枕をお願いして、依桜がそれを了承したら、


「よっしゃあああああ! 私もやってやるわあーーーーーーーーー!」


 今度は、未果が爆走した。


「……態徒、俺たちは、普通に行こう」

「……お、おう。しょ、正直、オレも膝枕、には憧れる、が……ファンクラブに殺され、そうだ……」


 賢明な判断だった。



 その後、依桜とミオは、晶と態徒から離れ、爆走していった未果、女委を抜き、気が付けば、先頭を走っていた。

 ちなみに、先頭の方にいた男たちは、もれなく死亡。

 凶悪な胸には勝てなかったようである。



 さらに時間は進み、ぶっちぎりで先頭を走る二人。

 そして、学園が見えてきた。


「よし、イオ。ここからは、勝負と行こう」

「え、い、今からですか!?」

「ああ。さて、それじゃあ始めるぞ。よーい……」

「って、いきなり!?」

「どん!」


 と、ミオが言ったと同時に、とんでもない速度でミオが走り出した。

 とっくにウサイン・ボルトを超えたスピードだ。


「ちょ、し、師匠!?」


 慌てて、とんでもない速度で走り去っていくミオを、依桜は追いかける。


「ふははははは! 弟子、もっと本気を出せ!」

「いや、本気を出したら、普通に地面が壊れます!」

「ああ、それもそうか。じゃあ、地面壊さない程度に本気出せ!」

「無茶ですよぉ!」


 無茶ぶりの女、それがミオである。


 ミオのある意味無茶ぶりとも言えるセリフに、依桜は無理だと言うが、やらなかったら何されるかわからないので、結局やった。


 大概だと思う。


 そして、ゴールが近づき……


「ふっ、弟子に負ける師匠ではないぞ!」


 ミオがゴールした。

 その直後に、依桜はゴール。


「いや、師匠が速すぎるんです!」


 ミオの発言に、依桜はツッコミを入れていた。

 そして、その光景を見ていた、他の教師たちは思った。


(いや、速すぎじゃね!? というか、男女も人のこと言えないだろ!)


 と。


 そんなわけで、マラソン大会の1位(生徒)は、依桜となった。



 その後、つつがなく生徒たちがゴールしたのだが……つつがなかったのは、あくまでも、女子。

 男子たちは、ほぼほぼ瀕死になっていた。

 男子の中でゴールできたのは、ごく少数。

 晶と態徒はそのごく少数に含まれている。

 むしろ、あれを見てゴールできたのは素直にすごいと思う。


 さて、まさかの、リタイア者続出というとんでも事態が発生したものの、マラソン大会は終了となった。


 ちなみに、完走できず、死んでいた男子たちは、これで追走は可哀そう、と思った学園長の配慮により、追走は、二キロで済まされることになった。


 事情を知っている物からすれば、それくらいは許されるだろう。


 そして、膝枕をお願いした二人はと言えば……。


「「ふへへへへ……」」


 ものすっごい、だらしない顔をしていた。

 依桜はそれを見て、ただただ苦笑いするだけだった。



 こうして、依桜たちの、学園生活初のマラソン大会は、おかしな結果で幕を閉じた。

 来年は普通に走りたい、と思ったそうな。

 ちなみに、順位指定をされた四人は、全員無事に成し遂げていた。

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