第103話 依桜ちゃんの障害物競争 下

 最悪の状況に陥り、ボクはスライムまみれになってしまった。

 ……うぅ、なんでこんな目にぃ……!


『えー、とりあえず、男女依桜さんは、スライムプールから抜け出すことを優先しましょう。このままだと、会場がえらいことになりそうなので』


 ……えらいこと、の意味がよく分からないけど、ボク的には師匠から視線がえらいことになっているんですが。

 見てよ、あれ。

 にっこぉぉぉ! ってしてるよ。口が三日月に裂けてるよ。


 あ、いや違う。あれ、ボクに向けてる視線じゃない!

 会場にいる全ての男の人に向けてる!

 なんで、そんなもの凄い笑顔を向けているのかは分からないけど、確実にいい意味で向けているわけじゃないね、あれ!


 って、ここであれこれ考えて暇はない!

 ものすっごく恥ずかしいもん!


「うぇぇ……ぬるぬるして、なかなか上がれないよぉ……」


 プールの縁にたどり着き、上ろうとするものの、スライムのせいで全然上がることができない。

 ま、まさかここに、スライムの弊害があるなんてぇ……!


 い、一応上れないことはないけど、それをやってしまうと、すごく目立っちゃうし……さすがに、これ以上目立つのはあまりいいことではない。


 ただでさえ、ボクは世間的にも顔が知られちゃってるんだし……いくら、学園長先生が抑えてくれているとは言っても、それが完璧と言うわけじゃないので、何をしてそれが崩れるかが分からない。


「あぅ……どうしよぉ……」


 ……こうなったら、バレない程度に、手のひらだけでも魔法で乾かすしかない、よね。

 ……どうか、バレませんように……。


 内心ひやひやしつつ、極小の風魔法を手のひらに発生させ、自然な感じでスライムを吹き飛ばす。

 これは、魔力を風に変換しているだけなので、これと言った詠唱などは必要がない。まあ、ボクには『詠唱破棄』のスキルがあるから、魔法名だけでいいんだけど。


 ともかく、これで手のひらに付着したスライムは吹き飛ばした。

 気づいた人は……うん。師匠だけだね。

 よかったよかった。


「よいしょっ……と」


 手のひらだけでも、全然違うね。

 多少は滑ったものの、何とかプールの脱出に成功。

 そのまま、第二関門へ。


「わわっ……こ、これはたしかに辛い……」


 手は滑らないけど、ほかの部分……足とかはかなり滑るので、なかなか登ることができない。

 これ、できるように設定されてるの? 第一~第六を走っていた人とか、落ちちゃった人以外は普通に進めてたけど、落ちちゃった人たちは、乾いてから進んでいた。

 ちらりと、ほかの選手の人たちを見ると、


『くそっ、全然上れねぇ……スライムがうざすぎる!』

『あーもう! 今、結構進んでたのにぃ!』

『……これ、最難関だろ』

『お、落ちなくてよかった……』

『くっ、男女がどうなってるのか気になる!』


 ……最後に聞こえたものは、聞き流すとして……見たところ、二人だけスライムプールに落ちないで進めたみたい。


 ほかの人たちは落ちてしまったらしく、第二関門に進めたのは、半数くらいかな?


 ……まあ、普通だったら、プールから上がるだけでも一苦労だもんね……。


 ……なんだろう。魔法を使ったのが、すごく申し訳なく思えてくるんだけど……。これ、普通に考えたら、かなり卑怯なんじゃ……?

 ……うん。使わないようにしよう。


「でも、どうやって登ろうか……」


 目の前にそびえ立つ、壁。


 ロープか、ボルダリングかで選べるけど、どっちもかなり滑る。


 可能性があるのは……ロープ、かな。


 どういうわけかはわからないけど、このスライム。なぜか、土がくっついたりせず、プールに満たされていた時と同じ色、状態を保っている。


 ……これもしかして、絶対に汚れないスライム、とか?

 だとしたら、相当おかしな技術な気がするんだけど……。


 ……まあ、学園長先生だし、そう言うスライムを使っていてもおかしくないけど。


 でも、もしそうだとすると、ボルダリングで登るはほとんど不可能に近いと思う。

 だって、足に付着しているスライム、取れる気配がないんだもん……。


 それなら、ロープで登ったほうが、確実。

 あれなら、唯一乾いてる手だけでも登れるしね。

 もっとも。腕力だけで登ることになっちゃうから、ちょっとあれだけど……。


 ま、まあ、足を使っているように見せかければ問題ない、よね? 隠蔽は、暗殺者にとって必須スキルだもん。あ、能力? ……ややこしい。


「よいしょ……」


 うん。登れる登れる。


 足が凄く滑るけど、その辺りはまあ……頑張って足を使ってますよって言う風に見せるしかない。

 意外とお客さんとか、放送の人はないも言わなかったので、多分、気付かれていない……はず。


 その後、何とか無事に壁の上へ到達し、そのまま滑り降りる。

 スライムのおかげで、摩擦で火傷する、なんてことにはならなかった。

 と言っても、ボクの場合は防御力がそれなりに高いから、これくらいじゃ火傷はしないと思うけど。


『さあ! ここで第二関門を突破した男女依桜さんが、第三関門の射的に到達しました!』


 え、なんでボクだけ実況するの?

 なんで? と思いつつ、周囲を見回すと、ほかの選手の人たちが見当たらなかった。


 あ、あれ!? さっきまで、第二関門に二人位いたよね? 一体どこに……って、あ。よく見たら、壁の下に敷いてあるマットで伸びてる。


 ……何があったんだろう? 見た感じ、落ちて頭をぶつけた、ってわけじゃないけど……。

 妙に安らかな顔をしているのは気になるけど。

 もう一人はマットにいなかった。


「……ボクに考えてる暇はない、よね」


 一刻も早く、この恥ずかしい姿から脱しないと……。

 す、透け透けなんだもん、今……。

 すっごく視線が集中しているのがわかるよ。恥ずかしいよ。本当に……うぅ、ちょっと寒いし、恥ずかしいよぉ……。


「よし、男女が先頭か。ほれ、さっさと撃ちな」


 と、射的のところいたのは、まさかの戸隠先生だった。


「えっと、どうして先生が?」

「まあ、スライムプールなんていう、とんでもない障害物があったからな。女子も参加するのは、事前に知っていてな。まあ、あれだ。……男の教師にここを任せたら、とんでもないことになる。というか、実際になったしな。職員室」


 ……学園長先生も変態なら、ここの学園のほかの教師も変態だったんだね……。


「で、最初は傍観を決め込んでいたミオ先生が、男女が出る知った瞬間、ものすごい威圧して黙らせてたよ。すごいな、お前の師匠」

「あ、あはは……」


 何してるんだろう。あの人。

 今回の場合は、ファインプレーかもしれないけど……、こっちの世界の人相手に、師匠が威圧を放つのはやりすぎじゃないだろうか。

 向こうの人ですら、耐えられなくて失神してしまう人だっているのに……。

 その辺りは加減してくれたのかな?


「まあいい。とりあえず、撃ってくれ」

「あ、はい」


 戸隠先生に射的用のライフルを受け取り、コルク弾をセット。


 とりあえず、どれを狙うべきか……。


 棚は三段。一段ごとに、紙は七枚ずつ。合計二十一枚。

 撃つ場所から、棚までは、5メートルくらい、かな?

 紙のサイズはそれほど小さくないみたいだけど、狙撃能力がそれなりにないと、正確に当てるのはちょっと難しいかも。


 適当に撃ってれば当たるかもしれないけど。

 ……ボクの場合、それで当たるかもしれないけど、できれば、運要素を絡めない、普通の狙撃でどうにかしたいところ。

 ……うん。


「……」


 ライフルを構えて、まずは一発試し打ちをした。

 パンッ、と言う乾いた音とともに、コルク弾は飛んでいき……紙を一枚倒した。


「あ、当たった……」

「お、すげえな。一発か。んで? 男女が当てたのは……あー。うん。これを男女がやるのか……大丈夫か?」


 ……先生。なんで、そんなに心配そうなんですか?


「い、一体何が書かれていたんですか……?」

「まあ……見てもらった方が早い。ほれ」


 苦々しげな表情をしながら、当てた紙に書かれた文字を見る。


『好きな人を指名し、頬にキスする』


 …………………………。


「おーい、男女―? 大丈夫かー?」


 …………………………。


「男女―? 生きてるかー?」


 …………………………。


「……おーい。……あれ、これ気絶してる?」

「……はっ!」


 あまりにも、恥ずかしすぎるお題に、少し意識が飛んでた。


「お、起きたか。んで、どうするよ? 一応言うんだが、一発当てた時点で終了になるんだが……」

「そ、そうなんですか!?」

「ああ。……辞退も可能だが、例の筋トレ地獄だぞ?」

「うぅ……」


 辞退をすれば、ほっぺにちゅーをしなくても済む……でも、辞退をすれば、あの脳筋な人しかやらないような筋トレをやらなくちゃいけない……。


 ど、どっちも嫌だぁ……。


 ほっぺにちゅーは恥ずかしすぎるし……こ、子供はできなくても、これはハードルが高すぎるよぉ……。

 反対に、筋トレのほうは、腹筋と背筋が多分できません。

 その……胸が、ね。潰れて苦しいんです。どうやってやればいいんでしょうね?


 ……うぅ、どっちも地獄でしかないよぉ……。


「……で、どうするよ?」

「……します」

「お?」

「ほっぺにちゅーします……」

「マジか! ……つか、言い方可愛いな、お前」

「~~ッ!」


 うぅ、顔が熱いよぉ。絶対今、すっごく赤くなってるよぉ……。


「ああ、すまんすまん。あー、とりあえず、誰がいい?」

「う、う~……」


 だ、誰がいいんだろう……。

 多分これ、先生方も選択肢に入っていると思うんだけど……。

 だって、生徒限定とか書かれてないし……。


 となると、ボクにある選択肢は、いつもの四人に+αで、師匠が入ってくる。


 ……普通に考えて、態徒と晶はダメ、かな。


 態徒にしたら、何をやるかわからないし……それに、着替えをして軽く話して以降、一回見見ていないんだよね。


 晶は……あまり心配ないけど、ちょっと……というか、かなり恥ずかしい。


 そうすると、残るのは、未果、女委、師匠の三人。


 ……比較的まともなのは、未果、だと思うんだけど……最近、なぜかおかしな反応するようになっちゃったんだよね……。


 女委も態徒同様、何が起こるかわからない……。


 ……ここは師匠しかない、かな。


「し、師匠で、お願いします……」

「おー、教師相手か。……まあ、ミオ先生が赴任してくる前から顔見知りみたいだし、まあいいだろう。あー、ミオ先生! ちょっとこっちに来てもらえますか!」

『ここで、ミオ先生が戸隠先生に呼び出されました! 男女依桜さんは、一体何を当てたんでしょうか?』


 ちょっと疑問符を浮かべつつも、師匠がこっちに向かってきた。


「ん、何か用か?」

「とりあえず、これを見てほしい?」


 ちょっと前までは、師匠相手に敬語だった戸隠先生。最近、普通にため口で話すようになっていた。


 師匠曰く。


『仲良くなった』


 だそうです。


「ん? ……ふむ。なるほど。つまり、あたしを相手に選んだ、ってことか?」

「は、はぃ……」


 あまりの恥ずかしさから、蚊の鳴くような声になってしまった。


「まあ、わかった。あたしでいいんなら、あたしが引き受けよう」

「あ、ありがとうございます……」

「おし、じゃあ来い」



 いきなり、胡桃くるみ(戸隠先生の名前)に呼び出されたから、何事かと思ったら、まさかこんなこととはな……。


 いや、うん。気恥ずかしさも、あるっちゃあるが……やべえ、めっちゃ嬉しい!


 一応、あたしが生涯初めて好きになったやつだぞ? 女になったとはいえ、それは変わらん! いや、最初は戻そうと考えたが……考えてみりゃ、性別関係ないよな、ってことで、全然好きだ。


 うん。顔には出さないが、マジで嬉しい。


 見ろよ。


「じゃ、じゃあ、行きますよ……?」


 顔を赤くし、瞳を潤ませながらの上目遣い。


 可愛くね? 可愛くね!?


 だってこいつ、どっからどう見ても美少女なんだぞ? 元男とは思えないくらいの、とんでもない美少女だぞ?


 百年以上生きたあたしでも、依桜ほど整った容姿の奴は見たことがない。

 まさか、呪いによって、ここまで可愛くなるとは思わんかったよ、あたし。


 やばい。本当にやばい。というか、もうそれしか言えん。


「お、おう。来な」


 なんであたしは、組手をする時と同じ言い回しをしたんだろうな。

 ……まあ、これでも恥ずかしがってんだよ、あたし。


「はぃ……」


 いや、なんでお前は、結婚式でキスをする新婦みたいな反応なんだよ。抱きしめたくなるだろうが。


 近づいてくるイオの顔。


 ……ふむ。やばいね。

 そして、そっと近づいてきて、


「ちゅ……」


 あたしの頬に、ものすごく柔らかい感触が。

 …………。


『おおおおおおおおおおお!? な、な、な、なんとぉぉぉ! 男女依桜さん、ミオ先生の頬にキスをしましたーーーーーーーーーー! これはまさか、キスカードを当てたのでしょうか!?』


 …………。


 よ……よっしゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!


 やべえ、やべえ! なんだこれ!? 口じゃないとはいえ、すげえ嬉しいぞ!? いや、そもそも、好きな相手からのキスを喜ばないやつはいないだろ!


「~~~~~ッ!」


 んで、我が弟子は、あまりの恥ずかしさに、手で顔を覆ってしまったか。


 ……ふむ。可愛いじゃねえか、コンチクショーーーーーーーーー!


 なんなのこいつ! なんで、こんなに無駄に可愛いんだよ! おかしいだろ! なんで、元男が、こんなに恋する乙女みたいな、反応してんだよ!


 いや、可愛いからいいんだけどさ!


 あー、生きててよかったぁ……。


「イオ……」

「は、はぃぃ……」

「ありがとう」


 心の底からの笑顔で、あたしはイオにお礼を言った。



 は、恥ずかしかったよぉぉぉぉっ……!


 な、なんでこんなことをしないといけないんだろう、この障害物競争……。

 師匠がなんでお礼を言ったのかはわからないけど、本当に恥ずかしかった……。

 会場も、すごく盛り上がっちゃってるし……。

 ちゅーした瞬間、


『もっとやれー!』


 とか。


『羨ましいぃ!』


 とか。


『私もしてもらいたい!』


 とか、色々野次が飛んできた。


 いや、あの……本当に勘弁してほしいですぅ……。


「まあ……なんだ。お疲れ、男女」

「はぃ……」

「それじゃ、あとは最終関門だけなんで、頑張れよ」

「……ありがとうございます」

「がんばれよ、イオ」

「……はぃ」


 無理! 今師匠の顔見れないよぉぉ!

 そんな、あまりにも恥ずかしすぎたため、師匠から逃げるように走り去った。



「……乙女過ぎんだろ、イオ」

「……そうだな」



『さあ! 最初に、最終関門に到達したのは、男女依桜さん! 何やら、先ほどの頬にキスをしたことで、大変顔が赤くなっておりますが……大丈夫でしょうか?』


 ……大丈夫じゃないです。


「えっと、これはどうすれば……あ、こう、かな?」


 最後の網くぐり。


 あー、師匠にこう言うのやらされたなぁ……。

 網から抜け出す方法、って言う修業。


 そんなことを思い出しながら、網をくぐり始める。


 ……う、すごく進みにくい……。

 これ、胸とかすごく引っかかって進みにくいんだけど……。

 それに、すごく体力を持ってかれる。


 ……これをすんなりと進めた人は、本当に羨ましい……。

 これ、体の凹凸が少ない人ほど、進みやすいのかなぁ……。

 だとしたら、男の人の方が向いている障害物だよね?


 ……それに、網がなぜか胸に食い込むような感じになるのも、なんか嫌だ……。


 ……さっさと抜けよう。


 さすがに、スライムも落としたいし……未だに透けてるこの服……あ。


 そ、そうだよ! 今って服が透けてるんだった!


 さっきの、第三関門のことですっかり忘れてたけど、ボクって今、すっごく恥ずかしい格好だった!

 ……応援している時の服装もすごく恥ずかしいけど!


「い、急がないとっ」


 少しだけ本気を出して、網の中を進む。


『速い! 男女依桜さんすごく速いです! 体の凸凹が激しいというのに、ほとんど意に介さず、ぐんぐん進んでいきます!』


 うぅ、四つん這いって、結構つらいよぉ……。

 で、でも、一刻も早くこの姿から脱しないと……辛いとか言っている場合じゃない、よね。

 さらに、少しだけスピードを出して……


「ぬ、抜けた!」

『ついに、最終関門を突破しました! そのまま、立ちあがり、ゴールを目指します』


 体力測定の時以上のスピードが出ちゃってるけど……背に腹は代えられないです。

 そして、ゴールテープが見えて、


『ゴール! 障害物競争、第七レース一位は、一年六組、男女依桜さんです! おめでとうございます!』


 無事に、一位でゴールできた。


 と、同時に、シャワー室へ全力(傍から見たらそれくらいの)ダッシュ。

 もちろん、替えの下着と体操着は忘れずに持って行った。


『って、速!? ……えー。ものすごいスピードで、男女依桜さんがシャワー室に向かいましたが……ほかの選手のみなさん! 頑張ってください!』


 そんな応援が聞こえてきたけど……もっとほかの選手のことについて言ってあげてよ、とボクは思った。

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