第95話 準備

 師匠への説教を終えると、いつの間にか晶が起きて、こっちを見ていた。


「あ、晶は気が付いたんだね」

「ああ。起きたら血溜まりがあったのには驚いたが」

「あ、あはは……」


 それに関しては、ボクも苦笑いするしかない。


「それで……どうも、十分ほどの記憶がないんだが……消したのか?」

「うん。よくわかったね」

「なんとなくだ」


 なんとくなんだ。


「だが……なんで、俺の記憶が消えているんだ? 見たところ、周囲の生徒にも使ったように見えるが……」


 そう言いつつ、晶は周囲に視線を巡らせる。


「使ったよ。本当は、晶の記憶は消すつもりはなかったんだけど……」

「そうなのか? じゃあなんで……」

「晶が自分で頼んだの」

「俺が?」

「うん。晶は何も見ていなかったんだけどね……」


 でも、その気持ちは嬉しかったよ。

 自分から消してくれ、なんて普通は言えないもん。


「……あー、なるほど。依桜の言葉と、この状況から察するに、よほど依桜にとって嫌なことがあったんだな。周囲の生徒が沈んでいるあれ、鼻血だろ? てことは、原因のほとんどは依桜にあるはず。しかも、気絶するレベルってことを考えると……まあ、態徒や女委が喜ぶような何か、だ。仮に、俺が見ていなかったとしても、覚えておかないほうがいい、そう考えて言ったんだろ?」

「そ、そうだよ。すごいね。なんでわかったの?」


 あれだけで理解しちゃうなんて……。やっぱり、頭の回転が速いなぁ。


「ま、俺だからな。自分のことは、自分がわかってるよ。……一体何があったのか気になるところではあるが……聞かないほうがいいか」

「……そうしてくれると、ボクも助かるよ」


 それにしても……記憶操作に気付くなんて。大体の人は、ちょっと違和感を感じるくらいで、気付くことはないんだけど……。

 もしかしたら、慣れ始めてるのかも。


 女委や態徒ほどでないにしろ、晶にも何度か使っているしね。

 ……いや、そもそもの話、ツボを刺激したくらいで記憶を消したり、改竄したり、特定の動き、言動を制限できるという、ご都合展開なこと、普通はできるのだろうか?


 そもそもの話、ボクの持つ能力、スキル、魔法には、それらしいものがない。


 唯一できる可能性がありそうなものと言えば……『鑑定(下)』くらい。


 でも、このスキルは、物質の名称や効果を知るためのスキルであって、人体のどこに、どんなことをすればこうなる、みたいなことを知るすべはないはず。


 このスキルの上位互換である『鑑定(上)』なら、できるかもしれないけど……そっちは『鑑定(下)』で見れる情報よりも、さらに細かい情報が見れるようになるのと、射程距離が延びるだけのはず。


 そもそも、師匠はなぜそのような効果を得られるのか、という理由を知らないらしい。


 何らかの理由があるはずなんだけど……もしかして、ステータスには表示されない、隠し要素のようなものがあったり……?

 ……可能性はゼロ、じゃない。


 それに、ここまで便利な技能、師匠以外に知っていてもおかしくないはず。

 にも拘らず、向こうの世界において、この技能を使用できるのは、ボクと師匠の二人だけ。

 この時点で色々とおかしい。


 ボクと師匠に共通しているのは、神気と呼ばれるものがあること。


 ……もっとも、ボクの場合は師匠から漏れ出ていたものが原因だから、そこまでないとは思うんだけど……もしかすると、それを使用している、のかも?


 うーん……よくよく考えてみたら、便利、って言う理由で使っていたこの技能って、相当異常なものなんじゃ……? ※今さらである


「どうした、依桜?」

「あ、ごめんね。ちょっと考え事を……」


 そうだった。気絶している人があまりに多かったけど、今は授業中。

 ……まあ、授業を担当している師匠は、


「禁酒……一週間……禁酒……酒が、飲めない……し、死にたい……」


 一週間の禁酒という罰によって、絶望に打ちひしがれている。

 ……たった一週間で、そこまで?

 そしてもう一人、熱伊先生は、


「俺は妻一筋ッ……俺は妻一筋ッ……俺は妻一筋ィィィィッッ!」


 とブツブツと呟いている。

 ……そう言えば、熱伊先生って愛妻家で有名だったっけ。

 教師二人がこんな状態なんだけど……大丈夫なの、これ?



 結局、授業終了近くまで、この惨劇のような状況が解消されることはなかった。


 思った以上に、出血が多かったからなのか、意識が戻ってくるまでに、いつも以上に時間がかかっていた。


 ……もちろん、記憶は消させていただきました。


 意識が戻ると、みんな不思議そうな顔をしていた。

 まあ、記憶がないわけだしね。仕方ないね。


 ……上半身裸の姿を見られて残しておくほど、ボクは変態じゃないので。

 変態は、態徒と女委で十分なのです。


 ……ただ、未果たち三人は、怪訝な顔をしていたけど。

 もしかしたら、感付いているのかも。


 ちなみに、熱伊先生があまりにも可哀そうだったので……記憶を消させていただきました。

 ボクとしても、残しておくのはちょっと……気が引けたので。

 これで、あれを知っているのはボクと師匠だけになったわけだね。

 ……はぁ。とんだ災難だったよ。



「ふふふ……素晴らしい。素晴らしい映像が手に入ったわ!」


 学園長室に、一名ほど勝ち組がいた。

 叡子は、学園中に設置してある監視カメラを用いて、依桜が上半身裸になるという光景をバッチリ録画していた。

 ものすごくレアな映像が手に入ったおかげで、テンションがかなり振り切っている。


「これは、夜な夜な使うとして……ミオを体育教師にした甲斐があったわぁ。まさか、勤務初日からこんな眼福な光景を作ってくれるなんて……マジ感謝!」


 本来なら、確実に咎めるであろう立場の叡子は、ミオをすごく褒めていた。

 変態が多い学園なのはきっと、学園長という、学園のトップの頭がぶっ飛んでいるからに違いない。

 尚、後日依桜が監視カメラの存在を思いだし、映像を破壊しに来たが……なんとか、一枚だけは死守したとかしないとか。



 様々な問題が色々と発生しつつも、時間は進み……ついに、十一月二十一日土曜日、体育祭当日となった。


「ふっ……んっ、ん~~~~~~~……はぁ」


 いつもより早く目が覚めたボクは、起き上がると伸びをした。

 うん、今日は目覚めがいい。


 ここのところ、師匠の体に禁酒による禁断症状が出始めたり、そにれよって師匠が大暴走したり、それを、師匠直伝のツボでなんとか鎮めたりするなど、疲れる出来事が満載だった。

 ……ほとんど……というか、全部師匠だけど。

 まあ、師匠の禁酒生活は、一週間だけで、もう解除されてるけど。

 文字通り、浴びながら飲んでましたよ。

 あの人、皮膚からも吸収しているのだろうか?

 ……どちらにしても、本当に人間じゃない。


「ん、今日も異常なし、と」

 ここのところは、呪いもなりを潜めているのか、体に変化はなく、小学生か、獣人少女になったりしていない。

「うーん、やっぱり変化しない、のかなぁ?」


 一度だけ、という線もあるにはあるけど、ファンタジー世界のさらにファンタジーな呪いってことを考えると、油断はできない。

 このパターンをボクは知っている。

 重要な日に限って小さくなるんじゃないかって。


 一つは……解呪を失敗して間もなくだったから仕方なかったにしても、体力測定では散々なことになった。


 二つ目は、ハロウィンパーティー。あれ、明らかに狙ったかのようにあの姿になった気がするんですが。


 今のところ、二種類とも一度っきりしか変化してなく、二週間以上も経過している。これは本当に、変化しなくなったんじゃないかな。

 それなら、ありがたいんだけど……。


「あ、そろそろ着替えないと」


 いけないいけない。いくら時間に余裕があるとはいえ、考え事をしてたら遅刻しちゃう。

 ベッドから降りると、すぐに準備を始めた。

 体育祭の日は、スポーツバッグだけでいいので、ボクもそれで行く。

 体操着で行ってもいいし、制服で行ってもいいとのことなので、ボクは制服で行くことにしよう。

 んー、そのまま下に来てこうかな。その方が楽だし。


 そうなると、スポーツバッグにいれるのは……そう言えば、障害物競走に出場する人、特に女子は、替えの下着を持ってくるように、って書かれてたっけ。


 ……これで、替えの下着を入れたら、自分で女の子だって認めることになるような……?

 いやでも、体は女の子だし……問題ない、よね?


「……それにしても、替えの下着が必要になるような障害物競走って、なに?」


 そもそも、体育祭の競技で、替えの下着が必要になる協議が存在していること自体がおかしいような気がする。


 ……この学園にツッコミを入れたら、負けなんだろうか。

 なにせ、すべての元凶は学園長先生だし……そもそも、競技種目って誰が決めてるの?

 ……まあ、概ね予想はつくけど。


「とりあえず、下着も入れておこう……」


 何が起こるかわからない以上、一応は従っておいたほうがいいと思って、下着を入れた。

 それと……


「こ、これも、だよね……」


 それは、例のチアガール衣装だ。

 あまりにも露出が激しくて、躊躇してしまいそうなデザインの衣装。


 応援練習の時、ボクはこれを着ていなかったりする。

 あ、ボクが拒否したんじゃなくて、応援団の人たちが、


『練習は着なくていい! 本番当日で着てくれ!』


 って言ってきたので、疑問符を浮かべながらも、ボクは了承した。

 ……練習とはいえ、恥ずかしいし。


「でも、今日は着ないと、ダメ、だよねぇ……」


 本音を言えば着たくはないけど、優勝するためと言われると……断れない。

 そもそも、自分で着るって言っちゃったわけだし、自分の言葉には責任を持たないと。


「……一応、三種類入れておく?」


 体育祭自体は、学園祭同様、二日間行われる。

 たしか、一日目は個人競技で、二日目は団体競技だったはず。


 ボクが出場する四種目のうち、三種目は初日なので、二日目は二種目しか出場しない。

 ちなみに、二種目と言ったのは、アスレチック鬼ごっこと、綱引きのことです。綱引きは全員参加の競技だからね。


「うん、準備終わり」


 そうこうしているうちに、準備が終わった。

 着替えも終わらせていることだし、そろそろ師匠も起こさないと。



「師匠、起きてください。そろそろ出発の時間になりますよ」

「……んぁ? ああ、イオか……もうそんな時間か?」

「そうです。師匠は体育の先生なんですから、早めに行ったほうがいいですよ」


 なんだかんだで、体育科の先生は、体育祭は忙しいと聞く。

 何をするかはよく分からないけど、前日とかは生徒会、体育委員と一緒にテントの設営やら、入退場門の設置、グラウンドを囲むロープを張ったりと、色々とやっていたそうだ。


 それなりに時間がかかると思っていたようだけど、師匠が大活躍したそうで。

 ……まあ、師匠だし。テントだって、よく野宿とかしてたからお手の物だろうし、門の設置だって、力作業になるから師匠の身体能力を考えると、早くできて当然に思える。むしろ、朝飯前だと思う。


「……わかった。起きるとしよう……ふあぁぁ……」


 まだ眠そうな顔をしているけど、師匠は意外とすんなり起きてくれた。

 こういう時は素直なんだけど……。


「それじゃあ、先に下に行ってますね」



「それじゃ、お母さんたちは、この後すぐ行くからね~」

「うん、わかった」

「父さん、楽しみにしてるぞー」

「……変なこと言ったりしないでね」

「娘の視線が冷たい! だが、それもイイッ!」


 ……父さんはだめかもしれない。

 ちなみに、この発言の後、母さんからラリアットをもらい、悶絶していました。妙に笑顔だったのは気のせいだと思いたい……です。


「おし、行くぞ、イオ」

「あ、はい。それじゃ、行ってきます」

「行ってくる」

「飛び出して、車を壊さないよう気を付けてねー」


 その注意は初めて聞いたよ。

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