第94話 依桜ちゃんはお説教する

「う、うぅ……ふえぇ……し、ししょーの、ひっく……ばかぁ……ぐすっ……」


 グラウンドは今、依桜の泣く声しか響いていなかった。

 まともに動けるのは、どうにも俺だけらしく、急いでジャージの上着を依桜にかけた。


「あ、あり、がとぉ、あきらぁ……」

「……いいんだ。俺が着たジャージで悪いが、まあ……着てくれ」

「ぅん……」


 幸い……というか、不幸中の幸いというか、周囲にいる生徒は、軒並み鼻血を出して倒れているとあって、誰も依桜を見ていない。

 ミオ先生だけは、そのような事態に陥っていないが、茫然自失状態。

 今の状態でなら、誰にも見られずに着れるだろう。


 俺は依桜を視界から外し、背を向けた。

 後ろでは、ごそごそと、衣擦れの音が聞こえているが……俺は見なかった。


 こういうやつをヘタレって言うのだろうか?

 いやしかし、泣いている幼馴染の裸を見るとか、俺にはできない。

 せめて、未果もフォローに回ってほしかったが……


「い、いい……」


 死んでいるみたいだしな。

 助けは期待できない、と。


「あー、大丈夫、か?」

「……だいじょーぶ、じゃ、ない、よぉ……」

「だよな……」


 俺だって、依桜が大丈夫だとは思っていない。


 いくら、精神は男(?)と言っても、今の依桜は女子だ。

 どうにも、精神的な方は、徐々に女子になりつつあることを考えると、悲鳴を上げるどころか、泣いて当然だ。


 これがもし、態徒だった場合、羞恥心を感じるどころか、むしろ見せつけに来るだろう。

 俺は……まあ、恥ずかしいな。だが、依桜のようにはならない……と思う。


 だが、依桜は昔から女子のような仕草をしている場面がちらほらとあった。そんな依桜が、実際に女子になったら、まあ……羞恥心が異常なまでに増幅されていても不思議ではない。

 現に、何回か泣いているしな。


 やはり、人間というのは、体に何らかの変化が起きると、脳がそれを正常だと思いこみ、結果的に精神も自然とその変化に適応するのかもしれないな。

 実際がどうなのか知らないが、依桜を見ている限りだと……間違いというわけではないだろう。


 ……はぁ。

 本当、昔から手のかかる幼馴染って感じだな、依桜は。


 普段の生活では、抜けているところが稀にあるし、何らかの事件に巻き込まれる、なんてこともざらだった。

 まさか、昼間のグラウンドで上半身裸になるとは思わなかったが……。


「それで、どうする? さすがに、このままだと色々とまずい」

「……きおく、けすぅ……」


 泣きながら、且つ、恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めつつ、やろうとしていることが、いささか恐怖を感じるが……依桜が記憶を弄ることなんて、もはや日常的になりつつある。


 それに、今回の件に関しては……仕方ないだろう。

 そもそも、こんなことになるとは思っていなかったわけだしな。


「わかった。なら、早めに済ませるんだぞ。あ、一応俺の記憶も消しておいてくれ」

「……い、いの?」

「まあ、見たわけじゃないが……この事実を知っているって言うのは、依桜としても嫌だろ? なら、俺の記憶からも消してくれ」

「……やさしい、ね、晶は……」

「この状況で、鬼畜的所業ができると思うか? 俺には無理だ。だから、頼む」

「わかった……。え、えと、じ、じゃあ……おやすみ、なさい」

「……まあ、おやすみ」


 依桜がまだ若干泣きつつも、容赦なく針を突き刺そうとした瞬間を見て、俺の意識は暗転した。



「……ん? 俺は、一体……」


 目を覚ますと、俺はなぜか地面に寝転んでいた。


 なぜかはわからないが、ここ十分くらいの記憶がない。

 何があったのか気になるところではあるが……おそらく、依桜に記憶を弄られたんだろうな。


 この場合、依桜にとって嫌な出来事が発生したか、周囲が暴走していたからか、俺自身が何かまずい状況に陥っていた、という場合が考えられる。

 今回は……なんとなくだが、依桜関連な気がする。

 何かこう、嫌な出来事があったような気がしてならない。


「――師匠、わかりましたか?」

「すんません。マジすんません……」


 ふと、依桜とミオ先生の声が聞こえてきた。

 セリフを聞いている限りだと、依桜がミオ先生を怒っていて、ミオ先生が依桜に怒られているという図式な気がする。

 いや、どっちも同じ意味だが。

 なんとなく気になった俺は、体を起こして、依桜の声がする方に視線を向けようとした瞬間、


「うおっ!? な、なんだこれ!?」


 柄にもなく、素っ頓狂な声を出してしまった。

 いや、この場合本当に仕方ないと思うんだ。

 なぜか、俺たちの周りには、血溜まりに沈む、二組と六組の生徒たちの姿があったからだ。


 なんだこれは。地獄か? ここは地獄なのか!?

 よく見ると、態徒や未果、女委も死んでいる。

 それも、ものすごくいい笑顔で。


 ……一体何をしたら、こんな惨劇のような状況が完成すると言うんだ。


「いつもいつも、師匠はやりすぎなんです! それによって、ボクが何度苦労したか、知っていますか?」

「……本当に申し訳ないと思ってる。だから、な? マジで足が辛い……」

「私語は慎んでください!」

「はい」


 地獄絵図から視線を外し、依桜たちの声がする方に今度は視線を向ける。


 今まさに、依桜による説教が行われていた。

 会話を聞いている限りだと、依桜が説教している最中に、足が疲れたのか、そろそろ勘弁してほしい、と依桜に抗議し、すぐさま却下されている、という状況か。


 見たところ、説教されているミオ先生は、地面に正座させられているみたいだ。

 ……向こうの世界には、正座という据わり方はなかったらしい。


 日本に来た外国人なんかも、正座をすると、足が痺れて動けなくなったり、かなりの痛みが出る場合もある。


 現代だと、あまり正座している人を見かけないので、日本人でも正座が苦手と言う人は多い……と思う。


 俺はそこまで苦手ではないが、得意とも言えない。

 ハーフだからだろうか? ……いや、それは関係ないか。


 ……そう言えば、なぜ依桜が俺のジャージを着ているんだ?

 ……これはあれだな。記憶が抜け落ちている十分間に何かがあったんだろう。

 少なくとも、他人から服を奪うような性格じゃないしな。


「いいですか、師匠。いつも言っていますが、もしも能力やスキルを使用する場合、人目を気にしてください」

「いや、別にバレるようなことじゃな――」

「それは師匠の考えです。バレなければいい、そんな理由でさっき、『手刀』のスキル使いましたよね?」

「だ、だって、ちょっと手で物が切れるくらいだぞ? 言うほどバレるようなものじ――」

「その考えがいけません! そもそも、こっちの世界において、手刀で服を切るどころか、物を切ることはできないんです! 今後、絶対に使わないでください」

「し、しかしだな――」

「使わないでください」

「いや、あれは――」

「使わないで……くださいね?」

「……はい」


 依桜って、師匠には勝てない、とか言っていた気がするんだが……普通に買ってるよな、あれ。明らかに、ミオ先生の方が縮こまってるんだが。


 というか、本当に怖いな、依桜の説教は。

 セリフだけじゃ、分からないかもしれないが、バッチリ聞こえてる俺からすると、普通に怖い。


 まず、普段の雰囲気とは比べ物にならないほどの、圧力を感じる。


 いつもの依桜は、何と言うか……物腰が柔らかい。いや、自己肯定感が高いかと言われれば、そうでもないが……誰にでも平等に接するし、気配りもできる。それに、自分から他者を攻撃するようなこともない。

 依桜と話したことがある人は、大体がこういった印象だろう。


 ……もっとも、世の中には、容姿が整っているやつは性格悪い、みたいな感じで言う人もいるが……依桜はそれに全く当てはまらない。


 そもそも、自分の容姿が整っていると思っていない時点で、謙虚通り越して、自己評価が低い、もしくは、周囲の評価に鈍い。

 まあ、鈍いのは元々だしな。


 つまるところ、普段は優しく、基本的には物静かで、他者への気配りもできるとあって、あまり怒るイメージがない。


 世の中、普段は優しかったり、大人しかったりする人は、大抵怒ると怖い、って相場は決まってる。

 依桜も例外ではない。


 言葉一つ一つが重い。


 現在進行形で説教が続いてはいるが、有無を言わさないあの迫力。

 実際、過去にも依桜が怒ったことはあった。


 ……まあ、そっちに関しては、女委が馬鹿にされたから、それでキレた、って感じだが。

 もちろん、友人を馬鹿にされて黙っているような俺たちではなかったので、きっちりと、男子三人で報復しに行ったが。


 その時の依桜も、こんな感じだったな。

 いや、あの時の方がもっと怖かった気がする。


「変なところで力は使いますし、普段の生活力は皆無。頼りになるのは、師匠が強いことと、年上ということだけですよ」

「だけとはなんだ、だけとは。あたしだって、もっとあるだろ」

「ないです」

「……そこまで、即答しなくても、よくね?」


 バッサリ行くなぁ、依桜。

 否定する時は本当にバッサリ行くからなぁ、依桜は。


「します。いつも、師匠がやらかした後の後始末は、ボクがやってるんですよ? 料理もそう、掃除も洗濯も、朝の起床も。たしかに、内弟子って言う制度も実際ありますし、弟子にやらせる、というのもあながち間違いじゃないかもしれませんが……それでも、師匠は任せっきりです。内弟子を持つ師匠だって、自分のことはしっかりやりますよ。その点、師匠はまったくやりません。こっちとしても、暗殺技術を教えてもらいましたし、多対一の戦い方、地形・空間の活かし方、効率的に動く方法。そして、失敗はしましたが、能力の解呪まで。色々と教えてもらってます。ですが、それとこれとは話が別です。師匠の起こす問題は、いつもボクに降りかかってきます。今回だってそうです。師匠が、躊躇など一切せずに使用した『手刀』のせいで、ボクは恥ずかしい姿を晒したんですよ? 師匠に教えてもらった、ツボの知識と経験がなければ、明日から学園に来れなくなるところでしたよ。消す必要のない幼馴染の記憶まで消す羽目にもなりました。師匠は少々、短絡的すぎます。組手は……ボクもそれなりに派手に動いてしまいましたし、ボクも悪いです。目立ちたくないと言いつつも、結果的にやってしまったわけですからね。でも、だからと言って、師匠を許すわけにはいきません。そうですね……一週間、禁酒してもらいます。「ちょっ、それは」ダメです。いくら師匠がお酒が好きで、体が人間のそれではなく、少し神様的なものが混じっていたとしても、体に悪いのです。そもそも、修業時代だって、ボク禁酒させようか考えたんですよ? でも、師匠には恩がありましたし、ここは認めようと思っていました。ですが……今回の件はダメです。何と言おうと許しません。むしろ、一週間で許すんですから、マシと思ってください。本来なら、数年間禁酒してもらいたいところですが「それだけはマジ勘弁!」そうですよね? だから、一週間は最大の譲歩と言ってもいいのです。……わかりましたか?」

「……はい」


 こ、ここまで口が回るのか、依桜。


 マシンガントークみたいだったんだが……すごいな。口を挟む余裕がなかったぞ。


 途中、二ヶ所くらいミオ先生が何か言っていたが、即座に却下されている。


 ……というか、ミオ先生って人間じゃないのか?

 今、神様的なものって言っていた気がするんだが……まあ、ファンタジー世界の住人と考えたら、不思議なことではない、のか?


 いやそもそも、神っているのか?

 ……いるんだろうな。魔法とか、ステータスがあるくらいだ。神の一柱くらいいてもおかしくはないか。


 それと……依桜が記憶を消したのは間違いなかったか。

 というか、消す必要のない幼馴染? それってもしかして俺か?


 考えてみれば、周囲で倒れている生徒が、一人も起きてくる気配がない。

 こっちも多分、記憶を弄ったんだろう。


 この血の海を考えると……まあ、鼻血、だろうな、これ。

 最近、何度も見てるしな。

 ……普通、高校生が学園で血溜まりを見ることはないはずなんだがなぁ……。それも、何度も。


「……とりあえず、事の成り行きを見守るしかない、か」


 依桜による説教は、先ほどので終わったと思ったら、再び説教をし始めたので、俺はこの状況が収まるまで、待つことにした。


 ……本当に何があったんだ。

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