第86話 修業方法と大連鎖
……なんだろう。柔らかくて、あったかくて、いい匂いがする感触に、頭が包まれている気がする……。
なんだか、心地よくて、もっと眠っていたくなるような……うん? 眠る?
あれ、ボクは何をしていたんだっけ……?
そんな疑問が浮かんできた瞬間、意識が急速に覚醒していくのを感じた。
「ぅ、ん……はれ……?」
……目を覚ますと、山みたいな何かに視界が遮られていた。
「あ、依桜君起きた?」
ふと、その山の先から女委の声が聞こえてきた。
ということはつまり……ボクの視界を遮っているのは山じゃなくて、女委の胸?
じゃあ、この後頭部に感じる、柔らかくて、あったかい感触は……
「わぁ! ご、ごめんね女委!」
ボクは、女委に膝枕されているという事実に気付き、慌てて起き上がった。
「残念。それで、依桜君。わたしの膝枕はどうだった?」
「ど、どうって言われても……その……き、気持ちよかったけど……」
「恥じらいながらの上目遣い、ありがとうございます!」
女委がおかしなことを言うのは今さらだから、ツッコミを入れなくてもいいんじゃないかなと思い始めているボクがいる。
「そう言えば、なんでボク寝てたの? それに、どれくらい寝てたの?」
「ほんの数分程度だよ。寝てたのは……軽い貧血じゃないかなー?」
「なんで目を逸らすの?」
「な、なんとなく? (い、言えない! BL本の、それも指定がかかるような結構過激なものの中身を言って、依桜君が気絶したなんて、死んでも言えない!)」
「……そっか」
だらだらと、滝のような汗を流し、らしくない愛想笑いを浮かべる女委に、少しだけ不信感を感じたけど……なぜか、これ以上詮索してはいけないような気がしたので、これ以上追及するのを止めた。
それに、もしかしたら本当に貧血かもしれないし。
男の時だったら、違うと言えたかもしれないけど、今のボクは女の子で、貧血になりやすいからね。
……まあ、実際ボクが貧血になったことは一度もないんだけど。
でも、女の子は貧血になりやすいらしいので、否定はできない。
「それで、どうする? 練習を続ける?」
「そうだねぇ……依桜君は体のほうは大丈夫なの?」
「うん。特に不調はないよ。痛みもないし、頭痛とか、吐き気と言ったものもないよ」
「そっかそっか。ならよかったよ。でも、今日は念のためやめておこっか」
「え、でも……」
「いいのいいの! これで体調を崩したら、元も子もないからね!」
なぜか、強引にやめておこうと言う女委。
うーん? ちょっと気になったけど、まあ、厚意で言っているわけだし、今日は大人しく従っておこうかな。
いくら、体が頑丈になったからと言って、怪我をしないわけでも、病気にならないわけでもない。
こういうちょっとしたことを無視した結果、病気になって、体育祭でみんなに迷惑をかけるわけにはいかないもんね。
実際、中学校の頃、体育祭の練習で無茶をして、体育祭当日に38.9くらいの高熱を出して、体育祭に出たクラスメートがいたからね。
風邪を引いている状態だと、身体能力って結構下がるはずなのに、そのクラスメートはその状態で参加種目の一つだった、100メートル走で一位を獲ったり、参加する競技すべてでとてつもない活躍を見せて、その中学校の伝説になってたりします。
それをたまたま見に来ていたスポーツの名門校の先生が、そのクラスメートの人をスカウトして、そのままその学校に進学してたっけ。
もしかすると、陸上部に入ってるかも。
「じゃあ、わたしたちは歩きながら見てよっか」
「そうだね」
体育祭の練習をメインに行うこの時期の体育では、基本的に生徒が自分で考え、自由にしていいということになっているので、ボクたちのように色々と見ている人も少なくない。
一応、どちらのクラスも西軍なので、お互いに意見を出し合っているところも。
「やあやあ、未果ちゃん」
「あら、二人とも。練習はいいの?」
「依桜君がさっき貧血で倒れちゃってね」
「そうなの? 依桜、大丈夫?」
「うん。不調はないから大丈夫。でも、念のために、って女委が休んでおこう、って」
「……へぇ~? なんだかんだで、女委は気遣い上手だものね?」
「そ、そうかなぁ? 普通だと思うな~、わたし」
なぜか、未果が据わった目で女委を凝視している。
それに気づいた女委が、そーっと視線を逸らした。
「ふーん? ま、いいわ。……後で、話を聞かせてね」
「……はい」
ボソッと女委の耳元で未果が何かをささやいたみたいだけど……何を言ったんだろう?
「で、二人はなんでここに?」
「あ、うん。みんな、どんな感じで練習とかしてるのかなって。それで、未果は何してるの?」
「私は、出る借り物・借り人競争以外の二つは、どちらも純粋な走力の競技。だから、瞬発力と、それを維持するための持久力を鍛えてるって感じかしらね」
「そうなんだ。まあ、どちらかと言えば、短距離だもんね」
「そうね」
「ねえねえ、依桜君。依桜君は、向こうではどうやって走るスピードを速くしたの?」
と、ここで、女委がボクの修業方法について尋ねてきた。
「あ、それ私も気になる。せっかくだし、ちょっと聞いてもいいかしら?」
「まあ、いいけど……あんまり参考にならないよ?」
「いいのよ。面白半分、真面目半分に聞くから」
「わかった。えっと、向こうでは――」
要点をなるべくまとめて説明。
ボクが修業時代に行っていたのは、本当に普通のこと。ただし、普通だったのは、あくまでも最初の一年。
最初の一年間では、全力ダッシュを大体……100本くらい。それを毎日毎朝。
それが終わったら、戦闘訓練のほうに移る。
この時、重い装備を着けながらだから、かなり足腰に来る。
なので、常に瞬発力と持久力を鍛えられたっけ。
最初の一年がこんな感じで……問題は二年目だった。
師匠の下で修業を始めると、まず最初に行ったのは、全力ダッシュを……まさかの一万本。普通に考えたら、筋肉と言う筋肉が断裂を起こすか、肉離れを起こして、想像を絶する苦しみが襲いそうなもの。
もちろん、襲われました。
そして、その全力ダッシュが終わると、今度は、師匠が殺意の籠った攻撃をしながら追いかけてくるという、リ〇ル鬼ごっこ状態。それを森の中でひたすらに。
そうすることで、火事場の馬鹿力……無意識的にかかっているリミッターを外して、それを自在にコントロールできるようにした……というより、できるようにさせられた。
当然、一万本の全力ダッシュの後だったから、疲労は尋常じゃなかったです。
本当に死ぬかと思った……あ、いや、実際にちょっと死んじゃった時があったかも。
たしかあれは……修業を始めて、一ヶ月経った頃、だったかな。
いつも通り、本気で殺しにかかってきた師匠の投げた砲丸(師匠が武器生成で作ったもの。硬度は、ダイヤモンドと黒曜石を混ぜたような、尋常じゃない硬さ)がボクの背中にクリーンヒットして、そのまま心肺停止になったって言う……。
……師匠、本当に生かすも殺すも自由自在だったなぁ。
……あ、思わず遠い目になっちゃった。
さっき言った訓練……と言う名の地獄のしごきの次は、ひたすら走り続けるだけ。
ただし、重りを付けての全力ダッシュなので、本当に辛かった。
しかも、それをほとんど一日中やるものだから、本当に辛くて、何度辞めたいと思ったことだろう。
まず、生成と投擲をほぼ同時にする時点で色々とおかしい。
ナイフを投げたと思ったら、次の瞬間には別のナイフが手の中にあったし……。
投げてないと思えるような速度の投擲と生成だったから、ずっと手に握っているようにしか見えなかった。
……師匠ほどじゃないけど、ボクもある程度はできるけど。
まあ、身体強化なしだと、ほとんどできないけどね……。
あれは、師匠がおかしすぎるんです。
「――と言う感じかな。色々と話は脱線しちゃったけど……って、どうしたの?」
「……いや、何と言うか……世に出回っている、最初からチート持ちのラノベ主人公って、本当に恵まれているんだな、って思っただけよ」
「だね。何の能力も持たない、ごくごく普通の一般人が最強の魔王を倒すには、本当にそれくらいしないといけないんだね」
「ま、まあ、ボクの場合は特殊……というか、王様とか騎士団長の人とかは、倒すのに、最短でも十年はかかるだろう、って言われてたけどね」
しかも、かなり最初の方で言われたしね……。
自分たちで呼んでおいて、酷い言いようだったよ。
弱そう、と言われたもん。
「……それを、たった二年で倒せるまでに仕上げたのね」
「騎士団の方も、かなり強くなれた気がするけど……やっぱり、師匠が、ね。異常だったんだよ……」
どう考えても、あの異常な修業を一年間続けた結果、一年で魔王を倒せる最低ラインに到達できたわけだしね……。
「それで、ヒントにな……ってないよねぇ」
ヒントになった? と聞く前に、ぶんぶんと首を横に振ってきた。
うん。だよね。
そもそも、師匠の修業方法は色々とおかしいもん。明らかに、人間が許容できる修業量を超えてるよ、あれ。
「でもまあ、ひたすら走ればいいってことだけはわかったわ」
「それは極端だと思うよ? それに、あまりやりすぎても体を壊しかねないから、適度に、だよ?」
「そうね。……そもそも、そんな地獄すら生ぬるい修業をこなした依桜も異常な気がするのだけど」
「そ、そうかな?」
「そうよ。よくもまあ、無事に帰ってこれたものね」
「うーん、あの時はみんなに会いたくて、必死だったからね。父さんや母さん。未果に、晶に、態徒、女委、みんなに会えなくて、すっごく寂しかったから、死ぬ気で頑張れたんじゃないかな」
……死ぬ気以前に、本当に死んじゃってるんだから、笑えないけどね。
「ほんと、今時のラノベ主人公がいかに恵まれてるのか分かるってものね。ゆとり世代なのかしらね?」
「ボクもゆとり世代なんだけど」
「それもそうね。……ま、依桜は心が強かったから、無事に帰ってこれたのかもしれないわね」
「そうだねぇ。依桜君って、押しに弱いところがあるけど、こうと決めたら絶対に曲げないもんね」
「せめて、自分の言ったことや考えには責任を持ちたいからね」
「でも……歴代最強の魔王を倒したにもかかわらず、その依桜の師匠には勝てないとか……とんだ化け物ね。というか、そっちが主人公なんじゃない?」
「それ、ボクも思ったよ。絶対無双系の主人公だよね、って」
「どんな人かは見たことないけど、話を聞いている限りだと、たった一人で一個師団どころか、全世界の人が束になって戦いを挑んできても勝てそうね」
「……本当に勝てるみたいだよ」
「………化け物の度を超えてるわ」
そうだね。
少なくとも、世界を敵に回してもたった一人で勝てる、って言う時点で本当におかしいと思うんだよ。
しかも、笑顔で言い切るんだよ? 恐ろしいよね……。
「さて、と。私はそろそろ練習に戻るわ」
「あ、うん。ごめんね、時間をとらせちゃって」
「いいのよ。ちょうどいい休憩になったし、依桜の面白話が聞けたしね」
「ボクとしては面白くないけどね」
「ふふっ、ま、そうね。それじゃあね」
「うん」
「バイバーイ」
最後に軽く手を振ってから、未果が練習に戻っていった。
「さあ、次に行こうか、依桜君」
「うん。それで、次はどこに?」
「もちろん、晶君たちのところだよ~」
というわけで、次は晶たちのところに向かう。
で、辿り着いたんだけど……
「「……」」
ボクたちは、反応に困っていた。
いや、困っているのはボクだけかもしれない。
女委はすごーく興奮してるもん。鼻血出してるもん。
ボクたちの目の前で行われているのは……
「す、すまん、晶」
「いや、大丈夫だ。態徒こそ、大丈夫か?」
「も、問題ないぞ」
何があったのかわからないけど、態徒が地面に倒れていて、晶が態徒に覆いかぶさっていた。
しかも、なぜか態徒が頬を赤らめているという。
……えーっと、誰得?
『きゃああああああああ! リアルBL! リアルBLよぉおおおおおおおおお!』
『な、なんて尊い! イケメンと野獣のBL……尊みが凄い!』
『うへ、うへへへへへへへ! もう死んでもいいぃ……!』
『しっかりしなさい! これをネタにすれば、きっと次の即売会では大繁盛間違いなしなのよ!』
『はっ! そうだった! この尊さを腐教せねばっ……!』
「ヒャッハーーーーーーーーーーーーー! BLさいこおおおおおおおおおお!!」
……収拾がつかなくなりました。
何があったらこうなるの!? というか、え? 何? 本当に何があったの!?
そんなボクの混乱はよそに、腐女子の人たちのテンションが天元突破し、どういうわけか腐女子が連鎖的に増えるという事態にまで発展。
一年二組と六組の女の子(ボク、未果は除く)は、もれなく腐女子になりました。
……なんて酷い。
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