第68話 元の姿で 下
わたしが投げてすぐ、依桜君が投げる準備に入った。
つい、ノリで依桜君に注目するように仕向けちゃったけど……まずい。非常にまずい。
これ、終わった後がこわいよ。
依桜君、絶対怒ってるよ。
外見じゃ、そこまで怒っているようには見えないけど、怒気のようなものがほんのわずかに漏れ出てるもん。
あれ、怒ってるよ。
「じゃ、じゃあ行くよー」
と、依桜君が投げることを伝える言葉を発した瞬間、
ザザザッ!
「お、お前たち、急に早くなったな!? 最初から全力出せよ!」
走っている人までもが限界突破して、ゴールと同時に、こちらへ向かってくる始末。
お、おおぅ、どんだけみたいんだ、男子たち。
「え、えいっ!」
と、可愛い声と共にボールは投げられ、
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!』
男子たちは、可愛いどころか、醜悪な顔と、変態的な歓声を上げながら、依桜君の胸を凝視した。ちなみに、わたしも凝視した。
お、おお、さすが依桜君……。
ばるんばるんっ、と大きく揺れてるし、しかも、右と左で動きが全く違うっていう、素晴らしいことに。
ぶつかり合っているためか、反発しあって、誠に素晴らしい乳揺れが発生してるよ!
ああ、眼福ぅ……。
男子たちもそう思ったのか、鼻の下伸ばして、不審者のような顔をしていた。
こ、これ大丈夫なのかね?
「28メートルだ」
ありゃ、可愛い掛け声とともに投げたボールは、別段可愛げのない距離を飛んだみたいだね。
まあ、依桜君、かなり力をセーブしたんだろうけど……もう少しセーブするつもりだったね、あれ。
だって依桜君、やっちまった、みたいな顔してるし。
多分、周りの男子たちのせいで、コントロールをミスった、って感じかな。
……原因わたしだね!
ごめんごめんと、軽く心の中で謝った。
『や、やべえ、マジ眼福だった……』
『男女が、一生小さいままなのかと思って、あいつのご立派様がもう見れないのかと諦めていたが』
『奇跡だぁ……あんな立派なものが見れるとか、俺たちは幸運だ』
あ、あはは……。
まずい。依桜君から、黒いオーラのようなものが見える。
「依桜、大丈夫?」
「だ、大丈夫……じゃ、ない、かな」
声が震えてるよ、依桜君。
「はぁ……まったく、あんたたち、少しは依桜のことを考えなさいよ。というか、女委も女委で、煽るようなこと言わないの」
「で、でも、幸せのお裾分けってしたいじゃん?」
「……女委?」
「すみません」
未果ちゃんの怒った時の笑顔は、本当に怖いよ……。
逆らえない圧力のようなものを感じるし……。
まあ、依桜君が怒った時に比べればまだマシだけどね……。
「男女、小斯波、椎崎、変之、腐島、五十メートル走を測るから、こっちにこーい!」
と、ここで熱伊先生からの呼び出しが。
とうとう五十メートル走かぁ。
わたし、走るのって苦手なんだよねぇ。
まあ、インドア派だし、当たり前と言えば当たり前なんだけど。
「はぁ……」
熱伊先生の所に集まると、依桜君がため息をついていた。
「依桜君どうしたの?」
「どうしたの、じゃないよ……。女委ってば、みんなを煽るんだもん……」
「あ、あははー。つい、ね……」
「まったく……それで、この場合誰から走るとかってあるのかな?」
と言う疑問を依桜君がつぶやいていると、
「安心しろ! 五人同時に走ってもちゃんとコンマの誤差もなく計測できるぞ!」
(((((なにそれ、すごい)))))
熱伊先生って、たまにハイスペックな部分が垣間見えるときがあるんだよね。
たまに、何者なのか気になる時があるけど。
五人同時に走って、それぞれの記録を取れるって、化け物みたいだね。
「うーん、でもやっぱり、二、三で別れたほうがいいわね」
「そうだな。いくら、先生が問題ないとは言っても、俺たちのところには依桜がいるわけだしな」
「晶、それはどういう意味?」
「ははは! まあ、あれだ。依桜はちょっと異常だからなぁ」
「たしかに! 依桜がコントロールに失敗してあり得ない速度で走ったら、いくら熱伊先生でも、見逃すだろうからな」
「さ、さすがにしないよ、もぉ……」
ぷくっと頬を膨らませて反論する依桜君。
怒った顔も可愛いとは……さすが、女神と称される美少女。
「先生、とりあえず二、三で分かれても大丈夫ですか?」
「構わないぞー」
許可が下りたので、とりあえず分かれることに。
こういう時、便利なものと言えば、グットッパだよね。
と言うわけで、さっそく実行すると、
「これはまた、問題になりそうな分かれ方をしたわね……」
その結果に、未果ちゃんが頭の痛そうな顔をする。
というのも、グーを出したのが、晶君と態徒君、それから未果ちゃんの三人。
で、パーを出したのは、わたしと依桜君の二人。
運とは全く別のものが介在しているように思える結果だよね、これ。
というか、何者かがこうさせようとしているんじゃないのかな?
「まあ、いいんじゃねえの? やり直す時間もないしな」
「あんたは、ただ依桜と女委の胸が見れるからでしょうが」
「そ、そんなことはないぜー?」
当然のように図星を突かれた態徒君は、挙動不審な態度を見せる。
うん、正直だねぇ。
「実際、時間がないこともないが、後ろのことを考えると、このままやるしかないな」
「……そうね。女委はともかく、依桜が心配だけど……大丈夫?」
「ま、まあ、うん……。少なくとも、あそこで興奮している人がいなければ、ね……」
諦めたような表情の依桜君がベンチのほうを見やると、たしかに、興奮した男子たちがそこに集まっていた。
依桜君とわたしに視線が集中してるねぇ。特に、依桜君の方に。
さすが、学年どころか、学園一と言われる依桜君の胸!
「はぁ……まったく、男って、馬鹿しかないのかしら?」
「まあまあ未果ちゃん。男の子が、大きい胸に興味を示すのは当然のことなんだよ」
「そうかもしれないけど、限度ってものがあるでしょう、限度ってものが」
「んー、でもでも、よくあるTSものとかだと、普通に襲われてるよ? 主に、性的に」
「それはエロゲとかの話でしょ! 現実に持ってくるんじゃないわよ!」
「お、おそわれ……」
「ほら、依桜がちょっと青ざめてるじゃない」
未果ちゃんが言うように、依桜君に目を向けると、ぷるぷる震えながら青ざめていた。
お、おおぅ、結構ダメージが大きかったみたい。
「大丈夫だよ、依桜君。うちの学園で、依桜君を襲うような命知らずは、なかなかいないと思うよー?」
「……少なくとも、三人くらいいるけどね」
依桜君の返しに、わたしも含めて、みんなびっくりしていた。
え、いるの? それも三人。
「まあいいけど、とりあえず、さっさと終わらせちゃいましょ」
「そ、そうだね」
「じゃ、最初の三人からね」
あれ、わたしたちが最後なんだ。
「先生、行きまーす!」
「おう、じゃあ行くぞー。よーい……ドン!」
熱伊先生のスタートの掛け声とともに、三人が一斉にダッシュ。
おー、さすが晶君に態徒君。
かなり早いねぇ。
二人よりも、ほんのわずかに遅れてるけど、未果ちゃんも随分早い。
三人のそれぞれの距離はほとんど変わらず、そのままゴール。
「小斯波が、6.9秒。変之は7.2秒。椎崎が7.9秒だな」
「三人とも早いなぁ」
「依桜君がそれ言う?」
「ま、まあ、ボクの場合は普通じゃないから……」
あはは、と苦笑いする依桜君。
依桜君の場合、異世界でかなり鍛えられてるからね、普通じゃないのも当然。
そもそも、女の子になっていること自体が普通じゃないしね!
「よーし、次の二人、準備しろー」
「じゃあ、依桜君、頑張ろうね」
「う、うん。……ボクの場合、頑張る必要があるのは、如何に力を抜くか、っていうことだけどね」
「変な記録を出したら、また目立っちゃうもんね」
「あんまり悪目立ちしたくないもん」
依桜君って、昔から目立つのが得意じゃなかったからねぇ。
それでも、必要とあらば、目立つようなこともしていたけど。
自分のために目立つこともほんの少しだけあったけど、ほとんどは人のためだったように思えるし。
後から聞いたモデルの件もそうだし、学園祭だって、恥ずかしい気持ちを抑えてあの格好をしてくれてたしね。
まあ、学園祭に関しては、わたしが無理矢理やっただけだけども。
「先生、準備できましたー」
「わかった。じゃあ行くぞ、よーい……ドン!」
ダッと、地を蹴って走り出す。
本気で走っているけど、依桜君には全然追いつかない。
それどころか、ぐんぐんと距離を離されている。
けど、わたしには見えている。
そう! 依桜君の胸が! ハンドボール投げの時よりも大きく揺れていることに!
ばるんばるんっ、と跳ねて、依桜君の腕に当たるたびに、ふにゅんと形を変えるあの胸!
ちらりと外野を見れば、男子たちが依桜君の揺れる大きな胸を見ながら、
『よっしゃああああああああああああああっっっ!』
という雄叫びを上げていた。
あれ、どう見ても晶君以外の全員な気がするんだけど。
だって、体育館の中を覗いたけど、男子が一人もいなかったし。
す、すごい。さすが依桜君!
うっ、胸が痛い……。
依桜君、あれ痛くないのかなぁ……。
わたしなんて、ちょっと激しい動きをしただけで付け根が引っ張られて痛いよ。
にも拘らず、依桜君は涼しそうな様子。
やっぱりあれかな。異世界で色々と訓練していたから、痛くならない走り方を知っているとか?
……あ、でも前に、揺れると痛いって言ってたっけ。
どうなんだろう? 後で聞いてみよっと。
と、そんなあほらしいことを考えていると、依桜君がゴール。
それから少し遅れて、わたしもゴールした。
「男女、7.0秒。腐島、8.8秒」
おー、依桜君速いなぁ。
全然息切れしているように見えない……って、あれ本当に息切れしてないや。
さすが、魔王討伐の英雄。
『ちゃ、ちゃんと撮れたか?』
『おうよ! やっぱ、江口アダルティー商会の商品はすげえよ!』
『これは、いいものが手に入ったぞ!』
『あとで俺にもくれよ?』
『俺も俺も!』
『ふっ、五百円な』
おお、人の写真で商売してるよ。
肖像権ってあるんだよ? って、わたしが言えた義理じゃないよね!
わたしもあとで買いに行こ―っと。
「ふぅ……」
何とか無事に終わったよ。
体の疲れよりも、精神的な疲れの方が目立つなぁ。
クラウチングスタートの時とか、本当に気を遣ったよ。
いかに地面に穴を開けずにスタートを切るか、みたいなところがあったし。
本気でスタートダッシュしたら、それだけでゴールができるけど、もっと先の方まで飛んで行っちゃうしね。
それに、踏み込んだ場所に穴が開いちゃうから、そんなことできないし。
言うほど苦ではないけど、少し疲れるのも事実。
そう言えば、ミレッドランドには、身体能力を抑えるアイテムがあるっていうことを聞いたっけ。
もし、また行くようなことがあれば、探してみようかな。
もしかすると、師匠が知ってるかもしれないし。
「お疲れ様、依桜君」
「あ、女委。女委もお疲れ」
「うんうん、本当に疲れたよ……。やっぱり、インドアに運動はきついねぇ」
「女委は、もう少し運動したほうがいいんじゃないの?」
「にはは~、わかってはいるんだけどねぇ、やる気が出ないんだよね~」
「女委はそうだもんね」
好きなこと以外には、あまりやる気がないのが女委だし。
この学園に入れているわけだから、女委は頭が悪いわけじゃない。
むしろ、いいほうだからね。
そもそも、才能の塊みたいな部分があるもん。
好きなこと以外に対してやる気が出ないだけで、全てにやる気があったら、もっと上の学園に行けたしね。
「お疲れ、依桜、女委」
「あ、晶。未果と態徒は?」
女委と話していると、晶がボクたちに声をかけてきた。
来たのは晶だけで、未果と態徒の姿はない。
「あー、まあ……あれを見ればわかる、か」
「あれ? ……うわぁ」
「ありゃりゃ、やっぱり未果ちゃんに目を付けられたんだねぇ」
晶が示した先には、未果に制裁を加えられている男子たちの姿が。
死屍累々という言葉がぴったりな状況。
何をされたのかはわからないけど、みんな地面に突っ伏して、ぴくぴくとしたまま動く気配がない。
何されたの、あれ。
「あんたたちは、まったく……というか、態徒もよ!」
「ぐふぉ! ちょ、ま、マジで痛いからぁっ!?」
ガスガスと、うつぶせのまま何度も踏みつけられていた。
い、痛い。あれは痛い。
というか、なんかすごく見たことがある光景なんだけど。
母さんが父さんにやっていることと一緒の光景なんだけど。
……これで、態徒が喜んでたら、どうしようもない変態ってことになるけど……うん、どうやら大丈夫みたい。
少なくとも、踏まれて喜んでいるわけじゃないね。
「とまあ、あんな感じだ」
「自業自得だね、あれ」
少し聞こえていたけど、どうもボクの写真を撮って、それを売ろうとしていたような感じだったし。
「写真は未果ちゃんに取られるだろうけど、依桜君の胸が揺れ動いていた様は、脳内にバッチリ保存されてそうだけどね」
「や、やめてよ、女委。ボクだってすごく恥ずかしいんだから……」
変態な人たちは、何を考えているかわからないから怖い。
……記憶を消したほうがいいかも。
「まあ、変なことにはならないとは思う――」
『べ、別におっぱいが揺れる様を見たっていいじゃないか!』
『そうだ! それに、あの様子をカメラに収めて何が悪い!』
『俺たちにだって人権はある! ネットに投稿したり、売ったりしないで、自分たちで楽しむだけならいいじゃないか!』
『それとも、委員長は胸のサイズが劣っていることが悔しくて言ってるのか!』
「何言ってんのよ! 私は別に気にしてないわよ!」
『ふっ、そう言っているが、本心では気にしてるんだろう? まあ、無理もない。男女がエベレストだとしたら、委員長はマナスルくらいげはっ!?』
「誰が八番目よ! 私だって、Dくらいあるわ!」
と言うやり取りが裏で行われていた。
「……依桜、先に手は打っておいたほうがいいぞ」
「……だね」
いいかも、ではなく、本気であの光景を見ていた男子たちの記憶を消そうと思った。
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