第56話 解呪と帰還

 ―五日目―


 これと言って山場も何もなかったパーティーの翌日。


 パーティーを終え、家に戻ると、師匠は裸で熟睡していた。

 しかも、ベッドに向かう途中で力尽きたのか、階段で眠りこけてしまっていた。

 裸だったので、目のやり場に困ったけど、今は女の子なので、男の時よりは気にしないで運ぶことができた。だからと言って、気にならないわけじゃないので、精神的にくるものはあるけど。

 師匠をベッドに運んでからボクも眠った。


 そして、いつも通りに起床。

 師匠が起きてくる前に、朝食を作る。

 昨日の飲み具合を考えると……


「スポーツドリンクもどきも出しておこう」


 少なくとも、二百人近い量を飲んだのだから、確実と言ってもいいレベルで二日酔いになるはず。

 となると、スポーツドリンクを用意しておいた方がいい。


 もどきと言ったのは、単純にこの世界のもので造ったから。

 味は、ポ〇リに近いかも。

 我ながらよくできたと思うよ。


「おーっす……」


 ある程度の支度を終えると、顔色の悪い師匠(ちゃんと服を着ている)がリビングに来た。

 案の定というか、いかにも二日酔いですよ、と言わんばかりに眉をしかめている。

 あれ、絶対に頭痛を引き起こしてるね。


「師匠、とりあえずこれ、飲んでください」

「ああ、すまんな……」


 ボクがドリンクを渡すと、いつもの機敏さがない状態で、ドリンクが入ったコップを受け取り、両手でこくこくとのどを鳴らしながら飲む。

 ……なんだか、飲み方がちょっと可愛いと思ってしまったのは、失礼だろうか?


「ふぅ……あー、少しは落ち着いたわぁ~」

「それならよかったです」


 一応あのドリンク、毒消しも入ってるから、それなりに効果はあるはずだし。

 この世界におけるアルコールって、毒消しや状態異常回復魔法で回復できちゃうからね。

 元の世界にも、欲しいものです。


「さ、師匠。朝ごはん食べちゃいましょ」

「おー」



「で、イオ。どうするんだ?」

「どうする、とは?」

「いやなに。少なくとも、解呪は七日目だ。今日明日は特に予定がないだろう?」

「あー、そうですね」


 まあ、元々こっちの世界に来たのって、学園長先生の頼み――と言う名の脅し――で来ているから、特に予定もなかった。

 にも拘らず、ある程度予定が入ったのは、師匠が原因だったり、王城のパーティーに招待されたりしたからであって、結局は行き当たりばったりの予定だった。

 う~ん、だとすると、本当に暇なんだよね。


「とりあえずは、家事をしてしまおうかとは思っていますけど、そこから先は考えてないですね」

「それもそうか」


 家事をするにしても、洗濯と軽い掃除だけだから、それが終わったら本当にやることがない。

 ……いっそのこと、ここでごろごろするのもありなんじゃないだろうか?

 初めて異世界転移した時から、あまり休めていない気がするし。


 最初の一年は、王城で騎士団の人たちと血の滲む様な訓練で、訓練の後は座学。休みは……月に二回くらいはあったような気がするし。

 で、二年目は、師匠の下で王城以上の訓練と座学、そして家事。仮に休みがあったとしても、家事をしていることが多かったから、休みなんてなかった気がする。

 そして、三年目は、魔王討伐の旅だったり、襲われている街や村を助けたりと、かなりハードな年だった。

 そして、帰還後。

 身体能力、魔法、能力、スキルが使用可能と言う事実と、突然女の子になってしまうことがあって、それからは急な生活の変化に戸惑い、休みの日でもあまり休めたような気はしなかった。


 ……あれ? ボク、三年以上ほとんど休んでないよね、これ。

 うん。


「師匠、今日明日は、ごろごろしていいですか?」

「働くことが生きがいのイオがどうした?」

「生きがいじゃないですよぉ!」


 誰のせいだと思ってるんだろう、この人。

 ボクが働いている原因の一つは、師匠なのに。


「まあ、お前は働きづめだったからなぁ、三年間」

「はい……。元の世界でも、何かしらに巻き込まれてましたし……できれば、一日二日はごろごろしても、ばちは当たらないんじゃないかなって」

「そりゃそうだ。まあ、わかった。とりあえず、家事だけしてくれれば、あとは自由でいいぞ~」

「ありがとうございます」


 師匠が許可してくれた。

 師匠も、この三年間のボクのことを知っている。

 特に、二年目と三年目は。

 しかも、二年目に至っては、師匠が原因だし。

 でも、師匠の許可を貰えたことだし、今日明日の二日間は、ごろごろしよう。



 ―七日目―


 そんなわけで、ごろごろすること二日。


 ……あれ? どうしよう。

 この二日間くらいの出来事の記憶がまるでない。


 パーティーの次の日に、師匠に『ごろごろしていいですか?』と聞いて。了承を得たから、ボクはその通りに過ごした。


 だけど、その二日間の出来事に関する記憶がなぜかない。

 あれ? ボク、何してたんだっけ?

 今朝、普通に起きてきて、師匠が文句を言ってこないということは、普通に家事はこなしていたはず。

 ということは、それ以外の原因?


 ……もしかして、ごろごろするあまり、記憶に残らないほどぼーっとしていたってことかな?

 ……だとしたら、ボクは相当疲れていたことになるんだけど。

 ここは、師匠に聞いたほうが早い、よね。


「師匠。この二日間、ボクってなにをしていたんですか?」

「なんだ、記憶がないのか?」

「はい」

「んーそうだなぁ……少なくとも、あたしが見ていた限りでは、特に何も、と言うところか。家事はしっかりこなしていたし、たまにちょっと長めの外出していた以外は、いつも通りのイオだったぞ。まあ、家事をしている時か、心ここにあらず、って感じだったようにも思えるが」


 いつも通りのボク、か。

 って、外出してたの? ボク。


 う~ん、どこに行っていたんだろう?

 こんな風に記憶がないのも初めてだよ。

 ……何もないよね? 変な呪いにかかったとか、薬を飲まされたとか、ないよね?


「まあ、気にすることはないんじゃないか? どうせ、ちょっと疲れていただけだろ」

「そう、ですかね」


 気になりはするけど……たしかに、疲れていただけかも。


「さて、お前は今日帰るんだったよな? いつ頃だ?」

「えっと、七日目のどこか、と言われてはいるんですけど……正確な時間はわかってないですね。多分、お昼過ぎだとは思うんですけど」

「そうか。なら、これをやろう」


 そう言いながら、師匠は赤色の液体が入った試験管のようなものを手渡してきた。

 試験管なんてあったんだ、この世界。


「これは?」

「解呪の薬だよ。マジックポーションみたいなもんだな」

「ええええええええっ!?」


 渡されたものが、解呪の薬だと知って慌ててしまい、危うく薬を落としそうになってしまった。


「こ、これが……」


 落ち着いて、薬を見つめる。

 ボクが欲しかったものが、ようやく手に入った。

 何度、男に戻ることを夢想したことか。


 女の子の生活自体も悪いわけではないのだけど、運動はしにくいし、変に視線は感じるし、なぜか襲われるしで、いいことはほとんどなかった。


 あったとすれば、女性割が適用されたことくらいなんじゃないだろうか?

 男性用割引って、意外と少ないし、本当にあれだけは助かった。

 利点はそこだけと言ってもいいので、個人的には男に戻りたかった。

 だって、女の子の体って色々と不便だし。


「師匠、これいつの間に作ったんですか?」

「簡単だよ。昨日作った。あたしはこう見えて、調合のスキルを持っていてね。ま、それを使った。材料は、反転草、創造石、そしてお前の血だ」

「へぇ~、それだけで作れるんですね……って、血!?」


 あまりにも自然に言う物だから、理解が遅くなった。

 今、ボクの血を使ったって言ったよね!?


「ああ。なにせ、術をかけられた人間の血液が必要だからな。その中に術の痕跡やら情報が入ってんだよ。で、それに反転したものをさらに反転させる反転草と、波長を合わせる創造石が必要ってわけだ」

「な、なるほど……」


 師匠ってすごいなぁ。

 ポーションの生成もできちゃうんだ。

 師匠って、本当にいくつの能力とスキルを持っているんだろう?

 すごく気になる。


「ここで注意点」

「注意点?」

「反転の呪いの解呪はちょっと特殊でな。必ずしも成功するわけじゃない。そして、何度も挑戦できるかと言われれば……それはできん」

「どういうことですか?」


 たしか、呪いの解呪って仮に失敗しても、ある程度のインターバルを置けば、解呪の再チャレンジができたはずだけど。


「反転の呪いの解呪は、一度行うと、二度と解呪は行えない。つまり、失敗したら、一生そのままだ」

「え!?」


 師匠の説明に、思わず声を上げる。


「正直なことを言うが、反転の呪いの解呪率は、半々くらいだな。大体、二分の一の確率で解呪は成功するし、失敗する」

「に、二分の一……」


 怖い確率だ。

 ここまで二分の一の確率を怖いと思ったことはない。

 通常では、スマホゲームのガチャとかで、ドキドキするけど、今回は失敗するかもしれないというドキドキ。

 成功すれば、元の生活(すでに転移前の状況とは言い難いけど)、失敗すれば、一生女の子のまま。


「そして、もっと厄介な話」

「ま、まだ何かあるんですか……?」

「ああ。ここからが本題と言ってもいい。解呪に失敗した場合の話だ」


 その声音は、いつもと違って、かなり本気だ。

 ふざけようという気配がまるでない。


「解呪に失敗すると、なんらかの追加効果が出ちまう」

「追加効果?」

「ああ。どんな追加効果が出るかは、正直あたしにもわからん。ただ、失敗すれば何かが起こるのは確実だ」


 失敗した時のリスク、大きすぎません?

 本当にやってくれたよ、あの魔王。

 復活してくれないかな。そしたら今度は、地獄を見るより恐ろしいことをするんだけど。

 ……本当に許さない。


「薬の効果は、飲んだ二日後に出る。今飲めば、そうだな……昼くらいだな」

「お昼かぁ」


 今から二日後となると、どのみち授業中か昼休みくらいかなぁ。

 学校にいることに変わりはない、か。

 それなら、男子用の制服とかも持って行っておいたほうがいい、かな。


「とりあえず、注意事項はこんなものだな。さて……飲むか。薬」

「……はい」

「よし。ならいっきにいけ! どの道、今すぐ効果が出るわけではない。心配なんぞ後回しでいい」


 師匠、軽く言っているけど、ボクからしたら、今後の人生を左右するような事態なんですが。

 成功すれば、男。失敗したら、女の子。

 師匠は、創造石の大きさに関してもちゃんと交渉してくれていたし、材料は問題ない、よね。

 あとは、ボクの運のみ。

 確率が低ければ低いほど、当たりやすくなるのなら、きっと大丈夫なはず……。


「……行きます!」

「ああ!」


 勢いに身を任せ、ボクは薬を呷った。


 味は……なぜか、ハンバーガーみたいな味でした。

 石が入っているはずなのに、なぜ、ハンバーガー? あと、反転草って青汁みたいな感じだったような……? もしかして、血液と混ざったことで、ハンバーガーみたいな味になったと?

 ファンタジーってすごなぁ……。

 そんなことを考えていたら、薬をすべて飲み切っていた。


「何ともない、ですね」

「そりゃ、効果が出るのは二日後だからなぁ」


 ボクのこれから先の人生についてはっきりするのは、今から二日後。

 男に戻りたい。

 心の底から戻りたいと願う。


 一ヶ月間も女の子として生活した。

 できることなら、もう二度と女の子になりたくないよ。


 男に戻れれば、元の世界でマスコミに追われることもないだろうし、ネット上で拡散されたエキストラのあれや、ファッション誌の写真に写っているボクは、幻の存在みたいな感じになるだろうからね。

 元の世界で起きている問題(自業自得)は、それで解決されるわけだから、一石二鳥。


「これで、あとは結果待ちか」

「ですね」

「あとはまあ、適当に戻る――って、おおっ?」

「師匠、どうかしたんですか?」

「いや、お前光ってるぞ?」

「え?」


 師匠に言われて、自分の体に視線を落とすと、たしかに、ボクの体が光を放っていた。

 それに気づくと、今度は体がふわりと浮き上がる。

 これって……


「師匠。どうやら、ここでお別れみたいです」


 まさか、薬を飲みほした直後に帰還することになるとは思わなかったけど。


「お、そうか。てことは、帰るんだな」

「はい」

「七日間、楽しかったぞ、イオ」

「あはは……五日目と六日目の記憶がほとんどないですけどね」


 その内思い出せればいいんだけど。


「まあいいだろ」

「ですね。……師匠、七日間、ありがとうございました」

「いいってことよ。つか、まさかイオの方からこっちに住むとは思わなかったぞ、あたし」

「少なくとも、一番お世話になったような気がしてますし……師匠、絶対にだらしない生活してると思ったので」

「痛いところを突くじゃないか」

「自覚があるなら、せめて掃除くらいはしてくださいよ」

「善処する」


 うっすらと笑いながら言われた。


「もぅ……」


 最後まで了承してくれなかったよ。

 できれば、ちゃんとした生活を送ってほしいんだけどなぁ……。


「なあ、イオ」

「なんですか?」

「また、会えるんだよな?」

「会えますよ。この世界に来たら、すぐに師匠の所に行きますね」

「……そうか。元気でな」

「師匠こそ。それじゃあ、さようなら」

「ああ。またな」


 師匠の言葉を聞いた瞬間、ボクの視界はホワイトアウトした。

 ……最後に師匠の口が動いていたのが気になった。

 一瞬だったけど、最後に『すまん』って言っていたように見えた。

 師匠、一体何を謝ったんだろう?

 そんな疑問が思い浮かんだところで、ボクの意識は消えていった。

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