第3話
あれから何かを一生懸命に成し遂げたという記憶がない。高校でも野球部に在籍しているが前ほどモチベーション高くできているか聞かれると自信をもって頷くことはできない。成績はかなり上のほうではあるが授業は寝てばかりいる。高二になるまでに何度か告白もされたがすべて断った。なにより一番の変化は冬の風がより寒く、夏の風がより暑く感じられるようになったことかな。なんだか世の中が一段階暗くなった気がする。
「あーあー、朝っぱらから学校でイチャつくな、気持ち悪い。どうせ別れる時辛くなるんだからやめとけ」
なんてことを夏休み明け一発目で思っているのだから察しがつくだろう。
もう九月なのにまだ暑い。席が窓側なので学校自慢の緑のカーテンを拝みながらあくびをする。あれほんとに役に立ってんのか?そういえば今の風向きはどっちだろ、あの人に聞けば...
「おい吉川、お前一回くらい俺の授業聞いたらどうだ。いつも寝てるか外眺めてるかばっかりで」
「先生の発音がもう少し良くなるか俺の成績が落ちたら聞きますよ」
クラスは大爆笑、四十代の英語の教師は深いため息をついた。そう、いつもと同じ退屈な日々、のはずだった。
それは二限と三限の間のことだった。
「次の現国、教育実習の先生だってよ」
そう話しかけてきたのは隣の席の藤原。
「めんどくさ。寝るわ」
「言うと思った。でもその人かなりの美人らしいぜ」
「へー、名前は?」
「田中さん、下の名前は忘れた」
「普通の苗字じゃん、大体想像できたわ。まあ楽しんでくださいな」
と言ってチャイムと同時に突っ伏したが若干興味があったのでまだ眠りにはつかなかった。
「皆さんこんにちは、自己紹介の前にとりあえず出欠だけ確認したいから名前を読んだら返事してください」
へぇ、いい声してんじゃん。あの人もあんな感じの低めの声だったな。横目で藤原を見るとあいつは鼻の穴膨らませてニヤニヤしていた、だらしねぇなぁ。
「...君、安藤さん、吉川君、あれ、吉川颯太くーん」
呼ばれてドキッとした。なんでだろ、声が似てるからかな。でもなんか悔しいから寝たフリ続けてやる。
「...まあいいや、亀山さん、滝本くん。はい、全員いるわね」
そういった後チョークを黒板に打ち付ける音がした。きっと自分の名前でも書いているのだろう。
「改めましてこんにちは、今日から三週間教育実習としてこの学校に来ました、田中涼子です」
その名前を聞いた瞬間開いていた窓から風が吹き込んできた。でもそれは夏特有の蒸し暑い風ではなく心地いい、そしてどこか懐かしい風だった。そうだよ、田中!彼女が”普通過ぎる”って日頃文句を言っていた苗字じゃないか、どうして藤原に言われたときに気づかなかったんだろう。完全に目を覚ました俺は風にも背中を押されいきなり立ち上がった。クラスメイトの驚きを帯びた視線を受ける。
「あら吉川君起きたのね、おはよう」
そういって微笑む彼女はとても綺麗だった。俺の人生の再生ボタンが今再び押された。
風を待つ者 月の見える丘 @bz-n
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