第29話
鍋の中の麺はちょうどいい感じで
「あぁ~、この匂いたまんねぇ~っ」
もはや空腹も限界に近い。
手早くタッパーの中のチャーシューと煮卵をトッピングする。
もちろん、自分の分だけでなく
いや、明ではない。
明様、と呼ばなければ……。
「お姉ちゃんの普段の世話をしてるのは、私だよね?」
「……ハイ」
「家の掃除をしてるのも私だよね?」
「……それは当番せ……」
「わたしだよね?」
「……ハイ」
まるで自動音声のように、同じ返事がスマホから流れる。
その前には、ソファに座って足を組んだままふんぞり返った明がいた。
「お姉ちゃんにエサあげるの、週に一回にしようかな」
「週に一回!?さすがにそれはあんまりだろ!?つーか、エサって……」
ダイニングから、ソファの方に目をやると、その力関係は歴然。
明の前で正座させられた
チャーシュー麺をダイニングテーブルに置いて、新は虎の尾を踏まないように、ゆっくり明に近づいた。
「明様……お食事のご用意ができました」
「ご苦労様」
「
新の声に気付いた恵が電話越しにSOSを発する。
明はまだ何か言いたそうにこちらを見ていたが、すぐに前に向き直った。
どうやら自分の食事を優先したらしい。
「あのなぁ……今日のことばっかりはさすがに、めぐ姉の自業自得だと思うぞ?」
「だからそれは悪かったって。でもさ――」
「なんだよ」
「出前を頼みはしたけどさ、結局お前ら届けに来なかったじゃねぇかよ」
恵の言葉にリビングは水を打ったかのような静かな空気になった。
「いやいや、だから届けにいっただろ?保健室まで」
「はぁ?なんで保健室なんだよ。ちゃんと職員室まで来いっておめーに連絡してただろ」
恵の言葉は正しい。
確かに新はこの日の昼休み、作戦のあらましを聞いていたのだ。
作戦の内容はこうだ。
学校で噂の幽霊に目を付けた恵は、二人の間につり橋効果を起こすことを考えた。
決行当日の昼休み。
廊下で新に出くわした恵がその計画を持ち掛けてきた。
「おう新、お前、明のことが好きなのか?」
「出会い
「やめろやめろ、おめーに『先生』呼ばわりされるなんざ。心にもねー敬意を払われても気持ちわりーだけだ」
「呼ばわりというか、あなた俺らの担任教師ですよね、一応」
「ああ、一応、そうだ」
遺憾ながら、といった表情でなぜか開き直った。
「そんなことはどうでもいい。おい新、今夜、おめーと明をくっつけるための素晴らしい作戦を決行してやる。当然やるよな?」
首に腕を回して身を寄せながら恵は新に耳打ちした。
「いきなり訳の分からん
己の身体的特徴など
快男児のような竹を割った性格、ではあるが、豊満なバストにしっかりくびれの確認できる腰回り。下に目を向ければすらりと長い足が伸びている。
その姿。
男子にとっては、最も身近で刺激的なお姉さん。
女子にとっては、我もかくあれかしと
そんな人物に一方的に絡まれているのだ。
男女問わず、廊下を行き交う生徒たちからの視線が痛いほど新に突き刺さった。
「……それで、作戦って、何?」
「おう、それだよそれ。お前、『出前をとる幽霊』って
「知ってるけど」
それはここ最近、校内でまことしやかに流れている噂の一つだ。
なら話は早いとばかりに、
「いいか?今日私は残業で夜まで学校に残る。明は今日バイトだし、
「それで?」
「そん時にその噂を利用すんだよ。こう、なんかホラーっぽい調子で店に電話してよぉ」
思いっきり営業妨害だと思うのだが、ここで茶々を入れてへそを曲げられてもめんどくさい。
大の大人なのだから、そう言った分別はつくということにして、新は話を先に進める。
「
「あの店にいるバイトは明だけだろ?それにあの働き者のことだ。仕事は率先してやろうとするだろうよ」
「そこまで分かっていて、それを利用するのか……」
若干本気で引いてしまうほど、思考回路が悪役そのものだった。
「だが、知っての通り明は怖いものが苦手だ。この前も、ホラー特集をたまたまテレビで見て、ビビり倒してたしな」
見たがったのは私だが、と恵。
「一人で行くことのできない明は、誰を頼ると思う?」
恵が尋ねる。
「……お、俺?」
自意識過剰な発言だと思ったが、恵は笑うこともなく静かにうなずいて肯定した。
「これは良いことかどうか分からねぇが、あいつに今後、寄り添ってやれる可能性が一番あるのは、新。お前なんだよ」
いつになく静かな恵の言葉。
「私はな、新、お前ら二人がくっ付いてくれたらいいと本気で思ってる。これはガチな話だ。お前なら昔の明のことも分かってるしな」
「それはまぁ……」
以前の明の姿。
今でこそ、姉とは別ベクトルで快活な性格を有する明。
だが、両親を失った日の直後の
心を閉ざし、
それは姉のような存在だった恵でも、幼馴染の新が相手でも変わることなかった。
それでも二人は明に寄り添うことを止めずにそばにいた。
少しずつ時間をかけて心の傷を塞いでいった明は、そんな過去をおくびにも出さないほどの元気さを取り戻した。
まるで、最初からそうであったと誰もが思うほどに。
「これは私の予想だが、あいつの心の傷はまだ癒えちゃいない。つーか、おそらくずっとあのまんまなんだと思うよ……」
「そんなこと――!」
「無いと言いきれるか?自分の親を一気に失ったんだぞ?体のケガでさえ少し大きいもんなら傷が消えないことはある。ましてアイツの経験は、言ってみりゃ、とんでもねぇ心の大ケガだったんだ」
「……」
正直、今となっては新さえ、そのことは完全に過去の話だと思っていた。
けれど恵は、全く違っていた。
自分などよりも遥かに
身近にいたのに、いつしかそう思ってしまっていたことが情けない。
けれども、恵はそんな自分に、明のことを任せたいと言っている。
突然の告白は、正直少し嬉しくもあった。
だがそれ以上に、そこにある責任の大きさに自分が見合うのかが不安だった。
押し黙った新に何かを感じたのか、
「そうしょぼくれた顔をすんな。だからこそ、私はお前に明をくれてやってもいいって言ってんだぞ?少なくてもどこぞの馬の骨にくれてやるより、数万倍マシだ」
「……本人の意思は完全に無視かよ」
恵の強引さに新は少し笑ってしまった。
だが、同時に、自分にもこれくらいの力強さがあればとも思ってしまう。
少なくても、これからも明といたいと思うのなら身につけていくべきなのかもしれない。
「私は今日、職員室で仕事をしている。まぁ職員室なら玄関からも近いし、そんなに怖くもないだろ」
あくまで、明への最低限の気遣いはしているということだろう。
「まだ参加するとは言ってないぞ」
「ここまで話してる時点で察しろ。これでも私はお前に期待してんだぞ?」
持っていた出席簿でポンと新の頭を軽く叩く。
「いいか?20時ごろ、明が家を訪ねてきたら作戦決行だ。男を見せろよ?」
わざとらしく耳元で
「もし来なかったら?」
去ってゆく恵の背中に向けて最後の懸念を投げかけた。
振り向きざまの恵は笑顔だった。
「そんときゃ、明が女を見せたってことだ!それはそれで、いい気合だろ?」
何も問題ないとばかりに片手を振り上げるようにして、恵は今度こそ廊下の奥に消えていった。
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