第28話

 そして時間は戻り、現在――。

 リビングにあかり一人残しておくというあまりにスリリングな状況に、あらたからす行水ぎょうずいもかくやというスピードでシャワーを済ませた。

 いつものルームウェアのスウェットではなく、わざわざ一度部屋に戻って、手ごろなシャツとズボンを選択し、リビングに戻る。

「え、何。もう上がってきたの?」

 中に入ると、少しびっくりしたような表情で明は怪訝けげんそうな声を上げた。

 声の方に目を向けると、明はダイニングキッチンに立って、手鍋の中をはしでつついていた。

 そこからわずかに漂ってくる慣れ親しんだ小麦粉のような匂いで麺を湯がいているのだと分かった。

「……変なことしてないだろうな」

 いぶかしにリビング内を見渡しながら、新はダイニングの方へ向かう。

「してないから。アンタ私のことなんだと思ってるわけ?」

「謎の生命体X」

「私、普通の女子高生……」

「『でもある時、宇宙人にさらわれて地球の常識を根こそぎ奪われちゃったの!』」

「あーついでに握力も奪われてたみたい。この鍋を新にぶちまけちゃうかもー」

「すみません、本当にシャレにならないので勘弁してください」

 あかりは笑顔を張り付けたまま鍋の持ち手を握った手をわなわなと震わせていた。

 鍋の隣には切り分けられたチャーシュー・それにダシがよく染みた薄茶色の煮卵がタッパーに入れられている。

 香しい匂いに釣られて本能の赴くままに手を伸ばした手を、明は見逃すことなくぱちんとはたき落とした。

 どこかむずがゆいようなやり取り。

 手の甲に残るわずかな痛みはなぜだかとても心地よかった。



あかり、スマホ貸して?」

「いいけど、変な広告は押さないでよ。あと動画サイトの履歴は消しといてね」

「……待て、俺が何する気だと思ってるんだ?」

「ナニをするんじゃないの?」

「しねーよ!今シャワー浴びたばっかりだわ!」

「浴びる前ならしたの……?マジ引くんですけど……」

「しないって言ってんだろ!?ったく――」

 渋々ながら明は新にスマホを手渡す。

 検索ワードにU‐Tubeと入力し、ページを開く。

「やっぱ動画じゃん!」

 ほら見たことかとばかりに明が非難めいた声を上げる。

「明が想像してるようなのじゃないから大丈夫」

「べっ……べつに、想像とかしてないし……」

 恥ずかし気な声は尻すぼみだった。

 新は検索ワードに『ホラー・叫び』と入れて、いくつかページを開く。

 そして、良さそうなものに目星をつけると、おもむろに自分のスマホを取り出した。

 動画を再生されるたびに、びくんと肩を跳ねさせていた明も、横目で様子を伺っていた。

 そしてあらたは自分のスマホでとある人物に電話をかける。

 その近くに動画の再生ページを開いたあかりのスマホをセットして準備完了だ。

 明も新の意図を理解したらしく、にやにやといたずらな笑みを浮かべた。

 そこに表示された『大塚おおつか めぐみ』の名前が見えたからだ。



「お~もしもし、新か?どうだ?暗闇で明とラブラブ作戦、うまくいったか?」

 電話越しに聞こえる男勝りの口調はゆるみきった口元が見えるようだった。

(な、なんてダサい作戦名だ……って、明――!?)

 いつの間にかあらたの隣に来たあかりは握りこぶしを震わせ、ケタケタと笑いごえを発する新のスマホを、ゴミを見るかのような目つきで見下ろしていた。

 キッチンの火をちゃんと止めてやって来た辺り、一応冷静ではあるらしいが。

「ん?お~い、新~。てめー、教師相手にシカトとは、案外良い度胸してんな?。いいのか?こっちにはてめーの成績っていう人質がいるんだぜ……。あ、いや、人じゃねぇか」

(最低だ、この先生……)

 隣を見ると明は先ほどと一点、両手で顔を覆い、うなだれていた。

 さながらダメ息子の出来の悪さに泣き崩れる母親のようだ。前にちょっとドロドロしたドラマで見たことがある気がする。

 このままめぐみに喋らせるのは、隣にいる身内が何とも忍びない。一思ひとおもいに介錯かいしゃくしてやるべきだろう。

 新は音を立てないようにゆっくりと明のスマホに手を伸ばし、そして動画の再生ボタンを押した。


「――ってか、おい、あらた。マジでちゃんと聞こえてんのか?おー……」


「よくもだましたなああぁぁぁぁ!!」


「おんぎゃあああああああ!!」

 血の気も凍るホラー映画の最高潮のシーン。

 怨霊の断末魔の音声は最大音量で電話の向こうのめぐみに届けられる。

 付き合いの長い二人さえ聞いたことのない、恵のみっともない叫び声が新のスマホから上がった。

「お、おんぎゃああって……ま、まってめぐねぇ……それは反則、っプッ……アハハハハ!!」

「ほ、ほんと、おねぇちゃん、勘弁して。お、お腹が…おなか、つっちゃう…っはははは!!」

 ソファに座った新、それに、電話から少し離れて様子を見ていた明は互いに身がよじれるほどに笑い転げた。

「~~~~っ!!てめぇコラ新!!おめーがこんなこすいヤツだとは思わなかったぞ!よーし分かった。明日、楽しみにしてろよな!」

 羞恥しゅうちと怒りの入り混じった恵の声がリビングに響いた。電話越しでも、怒りの炎に燃えているのが分かるようだ。

 とりあえず、応答しようとした新を制して、先に電話に応えたのは明だった。


「何を楽しみにしていればいいのかな?お姉ちゃん?」

「ヒッ……」


 その声は電話越しに燃え盛る炎を一瞬にしてかき消してしまった。

 どころか、新たちのいる部屋の温度さえもてつかせるほどの明の怒気。

 電話越しの恵と対照的に、果てしなく冷たく、しかし、それ以上の激しさで燃えている。

 さながら逆巻く青い炎のようだ。

「あ、あれ~あかりさん?こんな時間にどうしてあらたと一緒に?お姉ちゃん、不純異性交遊は関心しないなぁ~……」

「またまた~。私たちをそそのかしたのは、お姉ちゃんだよね?おかげ様で忘れられない思い出ができたよ~……。ホント、忘れたくても忘れられない……」

 その瞬間、新は明から離れ、目を閉じて耳を両手で塞いで身をかがめた。

 映画で見ただけの爆弾が爆発する際の対処法。まさか、実践する日が来ようとは思わなかった。


「おねぇちゃんの、バカーーーッ!!!」

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